BW-0325事象<腫瘍摘出>2-1
静寂に包まれた地平線の天上に、無数の星が瞬いている。人間同士の殺し合いも、強大な生物による蹂躙も、不和から生じた衝突も、全てがなかったかのようこちらを見下ろしている。停留しているトレーラーからさほど遠くない地点。稼働状態で待機しているESライノの傍らで、アンタレスはひとり見張りについていた。気を抜けば吸い込まれてしまいそうな闇を見上げ、星々から降り注ぐ視線を一身に受ける。
そうしながら、彼は先ほどから背後に感じていた気配に注意を向けた。息を殺し、徐々にこちらに近づいてくる。それがあと数メートルまで迫ったところで、アンタレスは振り返らずに声をあげた。
「何の用だカローラ? もう夜も遅い。寝ておかないと体力が持たないぞ」
「ふーん。ボーっとしてるから居眠りでもしてるのかと思ったけど、案外しっかりしてるみたいね。もし寝てたら、後ろから思い切り蹴り上げてやろうかと思ったけど」
残念そうにつぶやくカローラに、アンタレスが思わず笑みを浮かべる。その様子に彼女がムッとした表情を浮かべ、そのままアンタレスの隣に並び立った。
「何よその顔。どうせガキっぽいっとでも思ったんでしょ? 折角様子を見に来てあげたのに、デリカシーのかけらもないわね」
「別にそういうわけじゃない。やっぱり、あのトレーラーの中にいるのはつらいか?」
「……っ。ほんとあんたって、そういうことはすぐ気づくんだから。まぁ、ちょっと、あれは流石の私もね」
カローラがバツが悪そうに視線を逸らす。無理もない。そう心の中でつぶやきながら、アンタレスは部隊の状況を思い返す。
ストームによって裏切り者だと暴露されたヴァイパーは、しばらく処分を保留にされた。ボアが脱落し、三人となった部隊から更に一人が抜ける。そうなれば部隊は維持できず、ハルマゲドン討伐も不可能となる。その時が来るまでブリーフィングスペースの一角に拘束し、有事の際に突貫させることで贖罪させるというのが、部隊の指揮官でもあるストームの判断だった。
「俺が言えたことじゃないが、あまり気にしないほうがいい。あれはヴァイパーの自業自得だ。むしろ挽回の機会が与えられただけでも恵まれてる。あれ以上裏切り行為を働けるとも思えないし、俺がさせない。内通者が割れた分、少なくとも以前よりは安全に過ごせるはずだ」
「あんた、ホントにそう思ってるわけ? ヴァイパーさんが使い潰しにされるかもしれないのよ? ストームも捨て駒にするみたいなこと言ってたし。あんただって、いつかそんなふうに扱われるかもしれない。それも傭兵だから当然だとでも言いたいわけ?」
「……それが必要なことならな」
「あっそ。つくづく馬鹿馬鹿しいわね、あんたたちって」
非難めいたカローラの視線から逃げるように、アンタレスは周囲の暗闇に目をこらす。彼女に言われずとも、現状が好ましくないことは分かりきっていた。きな臭い任務ではあったが、キメラボディという試作型アヴィスーツを扱うリスクも、詳細不明と嘯かれたハルマゲドンの危険性も、あらかじめ把握できていたはずだった。
だが事態はより深刻だった。クライアントである国防省はハルマゲドンの存在を正確に認識し、極秘とされていた作戦の情報は外部に漏れていた。秘密裏に任務を遂行するための、米軍としてカウントされていない人員と試作機の運用は、両者の生還を考えないデータ収集のためだけの捨て駒として扱われている。
それでも、今ここで戦いを止めるわけにはいかなかった。
「……ありがとう。さっきは俺たちのために怒ってくれて」
「は? 何よ突然。お礼言われるようなことなんてしてないんですけど?」
「トレーラーの中でストームが俺たちを捨て駒呼ばわりした時、それを否定してくれただろ。少しは俺たちの事を認めてくれたんだなって、嬉しく思ったよ」
「あ、あー、あれね。まぁ、あれは私がただ気に食わなかっただけって話だし、別に感謝されるようなことじゃないっていうか。そもそもあんたの事なんか、それほど認めてもないし。あんまし調子に乗らないでよね!」
必死で否定しつつ、わずかに頬を赤らめるカローラにアンタレスは優しくうなずきかける。もはやこの作戦は彼だけのものではない。カローラの命もかかっていた。ただ巻き込まれただけにしても、彼女の謎はいまだに多い。ここから逃れられても、身柄を拘束される危険性がある。彼女の安全を確保するためには任務を遂行し、実績を以って国防省を納得させる必要がある。決意を改め、拳を固く握りしめる。そんな彼に、カローラがおずおずと話しかけた。
「あ、あのさアンタレス。そんなに私に感謝してるなら、ちょっとお願いみたいなことがあるんだけど」
「どうした、あらたまって。まだ不安なことがあるのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ。その、ヴァイパーさんのこと、何とか許してあげられないかな?」
「何だって?」
彼女の意外な申し出にアンタレスは耳を疑った。
「君は自分が何を言っているのか分かってるのか? 彼は君に罪を被せようとしたんだぞ。下手をすれば命まで取られていたかもしれない。そんな奴を君は許せるのか?」
「そう言われるとやっぱりくやしいけどさ。なんか責める気になれないんだよね。あの時のヴァイパーさん、裏切りを本気で後悔してたっぽいし。心の中も罪悪感と絶望感でパンパンに膨れてたし。ボアのことで本当に苦しんでたみたいだった。それが私にも伝わってきちゃって、根っからの悪人じゃないんだなって思った」
「それは例の第六感ってやつで感じ取ったことなのか?」
「うん。根拠なんてないけど、私はこの感覚を信じてる。だから私は、ヴァイパーさんは今まで通り仲間でいてくれるって思うよ」
澄んだ瞳でカローラが断言した。言葉通り、迷いや嘘は感じられない。だがアンタレスは彼女が第六感と呼ぶその能力にひっかかりを覚えていた。それを確かめるために意図的に表情を殺し、平坦な声をつくり、一時的に違和感に無関心になる。
「ひとつ、聞きたいことがある」
「今度は何よ? 別に今更何聞かれたって気にしないけど」
「君が第六感に目覚めたのは、君がテロに巻き込まれた直後なのか?」
「は? 何で今そんなこと……。まぁ、そうね。テロに巻き込まれて、病院で治療を受けて退院してから、何となく人の考えてることが分かるようになってた。具体的にどうとかじゃなくて、その人の感情が伝わってくる感じ。嬉しかったらこっちもウキウキするし、怒ってたらイガイガするし、悲しんでたら胸がジクジクする。漠然としてるけど、私にはそれが正しいって確信できる」
「なら、今俺が何を感じているかも分かるか?」
「私を疑ってる。っていうよりはモヤモヤが胸にはびこってるみたい。それとちょっとの憐れみと後悔と、ほんのわずかだけどポカポカもしてる。いきなりデリケートな話ぶっ込んで後ろめたかったけど、私が普通にしゃべってくれて安心してる。どう、これで満足?」
「十分だ。よく話してくれた」
アンタレスの質問にカローラが怪訝な表情を浮かべるも、素直に言葉を返していく。その答えはやはりハッタリや推測の類ではない。覆い隠した心、顔に出していない感情をも正確に言い当てた、まさしく本物の力だった。それを再認識したアンタレスの中に、あるひとつの可能性が芽生えはじめる。
「カローラ、もうひとつだけ聞きたい。その第六感のこと、俺以外の誰かに話したことはあるか?」
「別にないけど。どうせ言っても誰も信じてくれなさそうだったし、わざわざ話すつもりもなかったし」
「……もしかしたらだが、君がテロリストに狙われたのはその能力が原因なのかもしれない」
「っ! どういう意味よ、それ。ふざけてるの?」
アンタレスの信じがたい発言にカローラが固まり、彼を睨みつける。それに動じず、アンタレスもカローラを見つめ返す。
「考えてみたんだ。何故テロリストは君をわざわざあんな地下、しかもハルマゲドンが巣食う場所に閉じ込めておいたのか? しかもご丁寧に頑丈なジュラルミンケースにまで入れて。まるで俺たちから発見されるのを防ぐかのように、あんな場所に君を放置した」
「それは……、私が女だから、とかそんな理由じゃないの? 自分で言うのも汚らわしいけど」
「なくはないな。だが奴らは君に手を出さなかった。いや、出せなかったんだ。君が持つ特殊能力。第六感のことをどこかで嗅ぎつけた連中が、そこに絶大な価値を見出した。だから何があっても壊すわけにはいかなかった」
「いや、まず話したこともないことをテロリストが知ってるっていうのもおかしいけど、絶大な価値ってどういうことよ? 人の心が読めるのってそんなに凄いことなの?」
混乱した様子のカローラが次々と疑問をまくしたてる。アンタレスが手で制し、落ち着かせるように話を続ける。
「知ってるか? 現在の医療では人体の解析は99パーセント完了したといわれている。ヒトゲノムも、肉体中のひとつひとつの細胞も、それらのメカニズムもほぼ解明されているんだ。だが人の持つ心、すなわち精神面の解析はほとんど進んでいない。時として健康な体に著しい障害を及ぼし、時として肉体に限界以上のポテンシャルを発揮させる。脳内物質が体内に及ぼす影響以上に、フィジカルとメンタルは強く結びついている」
「は? 突然そんな難しい話されたって分かんないわよ。だいたい精神って、心理学とかそういうので解明されてるんじゃないの?」
「一部はな。だが観測可能な細胞でつくられた肉体と違って、精神は目には見えない複雑な要素で構成されている。解析にはまだ時間がかかるし、それよりもっと難解な問題がある」
「何よそれ?」
「君も聞いたことがあるだろ。サイコキネシス、パイロキネシス、透視、未来予知、その他もろもろ。人が超能力と呼ぶ、それらの謎が全く解明されていない。だから」
「ちょっと、いい加減にしなさいよ! またバカなこと言って! まさかあんた、私がエスパーに目覚めたとでも言いたいの?」
アンタレスの意図が読めないカローラが堪らず怒りの声をあげる。
「そうじゃない。俺だってそんな眉唾な話は心から信じちゃいないさ。でもな。たったひとつだけ、そんな超人じみた能力を確実に得られる方法があるとしたらどうなる?」
「えっ?」
小さな可能性が、大きな確信に変わろうとしている。戸惑うカローラを前にアンタレスが一瞬だけ言い淀み、意を決したように口を開く。
「……サバイバーナノマシン。君はもう、普通の体ではないかもしれないってことだ」




