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病巣転移4-4

 権藤が宙を舞い、地べたに倒れ伏す。吐血した拍子に砕けた歯が床に散らばる。もだえ苦しむ権藤の首根っこをアンタレスが掴み、無理やり引き起こす。その光景に誰もが絶句した。礼節をわきまえ、誠実に仕事をこなす。それが日本人のアンタレスに対する認識だった。それが目の前で覆され、暴力が繰り広げられている。かつて見たこともない上司の姿にグラウも困惑し、ルサルカだけが動じることなくその光景を静観している。

「……お前の言うように、所詮俺は許されない存在だ。罪を償おうとしても、結局多くの人間を傷つけてしまう。俺は死すべき人間だ」

 血の気が失せたように白くなった顔を権藤に近づけ、抑揚のない声で囁く。

「だがな、マリアさんや孤児院の子供たちは違う。たとえナノマシンを注入され、体のつくりが変わってしまったとしても。遺伝子を操作され、人為的に生まれた存在であったとしても。彼女たちはお前らと何も変わらない、ひとりの人間なんだ。誰かの都合で差別されたり、捨てられたり、ましてや殺される謂れもない」

 尋常ではない様子に権藤が動揺し、咳き込みながら何かを喋ろうとする。その腹に膝蹴りが打ち込まれた。体がくの字に曲がり、目が飛び出さんばかりに見開かれる。

「それだけじゃない。独善的な感情で国民を裏切り、身内であるはずの溝口さんや牧本さんすら裏切り、罪もない多くの人々を犠牲にした。生きている価値すらない屑野郎だ。」

 権藤のあばらが砕け、痙攣し、呼吸も荒く不規則になる。それでもなお、アンタレスは止まろうとしなかった。燃え滾る憎悪が彼の理性を溶解し、溢れ出した報復心が全身を支配していく。

「思い知らせてやる。お前が殺そうとした者たちの苦しみを。くだらない感情で命を奪われた者たちの恨みを」

 アンタレスが拳を振り上げ、権藤めがけてストレートを見舞う。

「やめろ! もうやめてくれ、アンタレス!」

 その一撃を、駆け込んだリナの両腕が抑え込んだ。息を切らしながらまっすぐとアンタレスを見つめ、懇願するように叫ぶ。

「確かにそいつは屑だよ! 救いようがない。でもそれ以上やったらそいつは確実に死ぬ。そしたらお前までそいつと同じになっちまう。そんなのお前がすることじゃないはずだ。そうだろ!」

「……それがどうした?」

「えっ?」

「お前に俺の何が分かる?」

 アンタレスの言葉にリナが硬直した。彼のものとは思えない冷酷な双眸が彼女の心に突き刺さり、動揺と恐怖が全身に伝播していく。顔が青ざめ、わずかに体を震わせるリナを見て、アンタレスは血まみれの権藤を放り投げた。

 普通の人間ではない。それでも同じ心を持っている。その存在を否定し、傷つけようとした輩に制裁を加えたことに、今のアンタレスは何の抵抗も感じなかった。だがリナの言う通り、ここで権藤を殺してしまえば、もう後戻りできなくなる。仲間が慕ってくれる、マリアが微笑みかけてくれるような存在でなくなってしまう。そうなる前に、自分の使命を果たさなくてはならない。

 周囲を見渡し、先ほど仕留めたブラックライノのボディ、その傍らに転がるヘッドパーツに近づく。分厚く、冷たい装甲に手を添え、指先に神経を集中させる。アンタレスの意思に呼応したヴィーナスが神経パルスを糸状に展開し、ライノの電子回路を絡めとってメイン回路に侵入した。各種センサー、FCS、レコーダー、ハッキングした情報を脳内に次々と投影し、その中からGPS、位置情報のデータを手繰り寄せる。

 そこにはブラックライノのこれまでの足跡が余すことなく記録されていた。ペンタゴンから盗み出されてから病院で機能停止するまで、位置と時間を示した光点が地図上で動き回っている。アンタレスはその道筋をたどり、光点が最も長く留まっていた座標を探り当てた。東京湾から都内へと侵入した後も、首都高での襲撃を成功させた後も、ライノはその場所に向かい、数時間以上停止していた。奇しくもそこは、変死体が流れてきた川の上流からも近い。

(ふざけた真似を……)

 偶然ではない。アンタレスはそれが意図的に残された情報だと確信した。彼の能力を把握し、そのうえで二年前と同様にライノをハッキングするように仕向け、過去の絶望を再び味わわせようとした。人の弱みに付け込み、煽り、コントロールする。ピエロの仮面の奥に見えた二年前の亡霊、かつての仲間のやり口に、アンタレスの怒りが極限を超えた。

「……各員、敵の本拠地が分かった。俺はこれからマリアさんを救出し、過去の因縁にケリをつける。グラウは負傷者とリナを護衛しつつ救援を呼べ。これ以上誰も傷つけさせるな」

「イ、イェッサー」

 もはや隠し切れない。アンタレスからほとばしる憎悪にグラウが恐々と応える。彼の姿を見ないように低頭し、動揺を必死に抑え込む。

「ルサルカは俺と来い。グライドモードで俺を乗せ、そのまま敵地に侵攻する。お前以外のアクーラは引き続きハルマゲドンの捜索、ファストクロウにはハードロックの修理を急がせろ」

「仰せのままに。ですがアクーラ9の修理はじきに完了します。間に合いしだいアクーラ6と共にこちらへ合流させ、直掩につかせます」

 一方で、ルサルカは変わらずアンタレスに忠義を尽くす。冷酷非情な主の姿を目に焼き付け、待ち望んでいた瞬間が到来したかのように、口角部をわずかに軋ませる。

「駄目だ。ファストクロウはともかく、ハードロックは消耗している。そんな状態では戦わせられない」

「ご心配には及びません。我々は人を超えた存在です。そこまでヤワではありません。それに主と同じく、果たすべき使命を持っています。主と共に戦い、全身全霊をかけてお守りする。アクーラ9はそれを果たせなかったことを後悔しているはずです。是非とも、我々に名誉挽回の機会をお与えください」

「……好きにしろ」

 淡々と、それでいてはっきりと、アンタレスの声のみが響き渡る。伝播する決意と殺意に誰もが威圧され、飲み込まれている。その中でアンタレスは不安そうにこちらを見つめるリナの姿を見つけた。距離にして数メートル、それでも数百メートル以上遠くにいるように感じた。リナも自分を人とみなしていないのではないか? そんな疑念が彼女との間に隔たりを作っている。自発的な感情か、敵にそう仕向けられたのか、もはやアンタレスには分からくなっていた。

「リナ、お前はここにいる人たちの救護を頼む。応援が到着次第、ここを離れて牧本さんや権藤さんのサポートに回れ。敵の本拠地を包囲してもらうんだ。座標は後で送る」

「だったらあいつらと合流してから本拠地に乗り込むべきだろ。いくらなんでもお前たちだけじゃ危険すぎる。罠かもしれないんだぞ。私がバックアップすれば、少しはマシになるはずだ」

「そんな時間はない。マリアさんに危機が迫っている。それにアクーラを戦場に投入する以上、警察がいたら互いの存在が足手まといになる。ここから先は、俺だけの戦いだ」

「お前……、そんな言い方」

 アンタレスの突き放すような発言に、リナがたまらず反論する。そんな彼女から視線を逸らし、アンタレスが残った理性で仲間を諭した。

「彼らは最後の砦だ。俺がしくじったっら彼らに後を託すしかなくなる。そのための体制を整えるには、お前の力が必要だ。それができるのは今しかない」

「……何だよそれ。ふざけんな! 戦ってるのはお前だけじゃないんだぞ! ひとりで勝手に抱え込んで、キレた挙句自分しか信じないなんてひとりよがりは止めろ! お前がヤケになってることくらい、私にだって分かるんだよ!」

 その言葉を聞いて、アンタレスが一瞬元の自分に戻る。だが彼の胸の内は、リナが語るほど高尚なものではなかった。この先のピエロとの戦いで、アンタレスは二年前の罪と対面することになる。因果が因果を呼び、憎悪をぶつけ合い、血で血を洗う醜い争いが繰り広げられる。そのような戦場に部外者を引き込むのがたまらなく怖かった。黒い感情がアンタレスを再び塗りこめていく。

「頼んだぞ、リナ。……いくぞルサルカ」

「御意」

 ルサルカがグライドモードに変形し、ガスマスクを被りなおしたアンタレスがその背に乗り込む。直後、タキオンブースターに火がともり、彼らは死地へと飛び立っていった。


「……馬鹿野郎だよ。あいつも、私も」

 遠くなっていくアンタレスを見ながらリナがつぶやく。悲しむような、悔いるようなその言葉は、ジェット噴射のうなりによってかき消された。



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