BW-0325事象<開腹処置>※4-5
戦場に静けさが戻る。増援が来る気配もない。ヴィーナスによってダメージを全快させたアンタレスがトータスとカローラの元へと駆け寄る。彼らの窮地を救ったキメラボディはうつむく少女の前に立ち、何か言葉を投げかけていた。
≪……何を勝手な行動を取っている。お前の体はお前だけのものじゃないんだ。今度こそ、余計な気を起こすんじゃないぞ≫
「…………ごめん」
これまでのストームからは想像もできないような、冷たく、威圧的な言葉。それをカローラが反論することなく聞き入れている。アンタレスはその様子に違和感を覚えたが、思考を切り替えて二人の間に割って入る。
「その辺にしておいてくれ、ストーム。カローラの勝手な行動の件については俺の方からキツく言っておいた。それよりも、……今回ばかりはお前に感謝しないといけないな。おかげで助かった」
≪うわ、やめてくれよ気持ち悪い。確かにあんたと仲良くなりたいとは言ったが、急にデレられても困る。俺にそっちの趣味はないんだよ≫
態度を和らげたトータスが大げさな仕草で肩を抱き、アンタレスから離れていく。
「ちっ。少しはマシになったかと思えば。……ところで、お前は気付いているか?」
≪あぁ、何となくだが。今度はあんたに任せるよ≫
トータスがカローラを背中に隠し、アンタレスが腰のハンドガン、ファイブセブンを引き抜く。銃口を前方の瓦礫に向けて構え、叫んだ。
「いるのは分かっている! おとなしく出てこい!」
黒煙と熱、静寂のこもる空間に声が響き、瓦礫の奥から人影がゆらりと現れる。ショートカットの金髪、焼け焦げた戦闘服に身を包んだ女性がアンタレスにゆっくりと、震えながら拳銃を向ける。それがファイブセブンの銃弾によってはじかれ、叩き落された。
≪ヒュー。中々の美人じゃないか。歳は二十くらいってところか? こんな状況じゃなきゃ、お茶にでも誘うんだけどな≫
トータスの軽口をアンタレスが手で制し、銃を下ろして女性に近づく。
「君が何故俺たちを襲おうとしたのかは知らない。だが今君は怪我をしている。早く治療しないと死ぬぞ」
女性の腹部、手で押さえられた右わき腹が黒くにじんでいた。それを見られていることに気付いた女性が憎々し気にアンタレスを睨み、叫ぶ。
「来ないで! そうやって油断を誘って情報を聞き出して、最後には殺すつもりでしょ。あの時みたいにね」
「どういう意味だ?」
「とぼけても無駄よ。あなたがアンタレスなんでしょ。一年前、CIAで起きたウイルステロの生き残り。そして仲間を殺して、機密情報を奪い去った裏切り者!」
「……何、だと?」
女性の口から出た思いがけない言葉に、アンタレスの全身がこわばる。
アンタレスがかつてCIAに属していたころ、本部に大量のVウイルスが散布され、同時に襲来した無人兵器によって施設内の人間が蹂躙された。多くの命が奪われ、アンタレス自身も生死の境目を彷徨った。忘れることのできない、忌々しき事件だった。
「そうか。君たちが俺たちを襲おうとしたラングレーの部隊だったというわけか。君が上司から何を聞かされたかは知らないが、あのテロの生存者はひとりだけだったはずだ。それ以外は全滅し、ウイルスによって死体は跡形もなく溶かされた」
「公にはそういうことになってるわね。でも後にもう一人、生き残りがいたことが確認された。誰かが隠ぺいしていたみたいだけど、それはあなただという事は分かってる。生き残りの女の子、保護したのもあなたなんでしょ? 何か重要な情報を持ってたらしいけど、奇妙な偶然よね」
アンタレスの主張に女性が嘲笑を浮かべる。以前アンタレスがストームに脅迫された時、告げられた情報と同じだった。当時保護していた重要参考人とその孫娘を守ろうとして、アンタレスは命を落としたはずだった。それが今、確かにこの場に存在している。
「ナンセンスだな。君は俺があのテロを引き起こし、情報を奪って雲隠れしたと言いたいんだろ? もし本当にそうだとしたら、わざわざ本部にウイルスを巻くような真似はしない。その子だって本部から遠ざけておくはずだ。それにあのテロを起こした実行犯だって、逮捕されて処刑された。俺には何の関わりもない」
「なら何故あなたは自分の生存を隠して、組織を抜けたりしたの? 事件に関係ないなら堂々としていればいいじゃない。後ろめたいことがあるから、そうやって傭兵なんかに成り下がってる。自分だけ、あの事件から逃げ回っている。ふざけないで!」
女性がありったけの怒りをぶちまける。その胸中を探るように、アンタレスが彼女の目を見つめる。
「何故そこまで君は俺を恨んでいるんだ? 君たちの部隊は、あくまで国防省への妨害工作のために派遣されてきたんだろ? それともあの事件と俺との関わりを疑って、わざわざこんなところまでやってきたとでもいうのか?」
「わざわざ? 違うわ。これは千載一遇のチャンスだったのよ。いつもは幽霊みたいに行方を掴ませないあなたが、のこのこと姿を現してくれた。上層部はあなたが握ってる秘密が目当てみたいだけど、そんなことはどうでもいいの。私はただ復讐がしたいだけ。一年前あの場所にいた、私の恋人だった彼のためにね」
「……俺は事件に関係ないと言ったはずだ。君の恋人の事は残念だが、俺に責任は持てない」
「そんな訳ないじゃない! あなただけ、のうのうと生き残っている。元々パペットの技師だった私には知る由もなかったけど、最近彼の上司が声をかけてきてね。あなたのことを教えてくれたのよ。私の部隊にいた人たちも、みんな同じ。あのテロで大切な人を失って、大きな傷を負った。だから私たちはCIAの実働部隊としてあなたを追って、捕獲することにした。あの事件の真実を知るためにね」
言われて、アンタレスは彼女の左腕にはめられた端末に気が付いた。あれでパペットを遠隔操作し、アンタレスを亡き者にしようとした。
「君たちが知る以上の真実なんてない」
「あるわ。いくらVウイルスだからといって、簡単に本部に撒けるものじゃない。誰かが手引きしたはずよ。それに機密を持っていた女の子だって、今じゃ行方知れず。あなたも自分の存在を隠していた。これでも自分は無関係だって言い張れる?」
女性からの追及にアンタレスが拳を震わせる。彼に罪はない。だがテロにVウイルスが使われてしまったことに、アンタレスは責任の一端を感じていた。どんな非難を受けても仕方がないと思っている。それでも、彼には隠し通さなければならない秘密があった。
「否定はできないな。テロを起こしたのは俺ではないが、自分の生存を隠していたのは事実だ。機密情報を握っていた少女も俺が匿った。それは認めよう」
「語るに落ちたわね。結局あなたは情報欲しさにCIAを裏切ったのよ。他の仲間を見殺しにして、自分だけが生き残った」
「そうじゃない。俺が死んだのも、本当のことなんだよ。ウイルスでは死ななかったが、無人兵器に全身を撃ち抜かれて、瀕死の重傷を負った」
「どういうことよ、それ?」
その問いに答えようとして、アンタレスが一度後ろを振り返る。二人の会話を興味津々で聞いているトータス、心配そうにアンタレスを見つめるカローラがいた。ここで沈黙を守ることもできる。だが自分の運命に立ち向かうため、そしてカローラを守るため、アンタレスは意を決して口を開く。
「……俺はサバイバーなんだよ。死ぬ直前、ナノマシンを投与されて蘇生した。その時から、俺はただの人間ではなくなった」
アンタレスが戦闘服の袖をまくり、女性にだけ見えるように肌を晒す。
「ひっ……。な、何よそれ」
女性の目が見開かれ、悲鳴が漏れる。アンタレスの腕の一部が、白い鱗に侵されていた。
アンタレスの体内に存在する超ナノマシン・ヴィーナスは、CIAでのウイルステロの際、重要参考人、少女の祖父の命と引き換えに投与されたものだった。女神の祝福を受けたアンタレスは超回復能力によって死の淵から蘇り、あらゆる電子機器をハッキングする能力を手に入れた。そしてその強すぎる力は徐々にアンタレスの体を蝕み、人を超えた何かへと進化させようとしている。
「だ、だからって、それが組織から逃げ出す理由にはならないでしょ」
「こんな状態の俺が人間として扱われると思うか? あらゆるデータを採取され、実験動物として飼い殺しにされるのがオチだ。それに俺はCIAという組織を信用していない。自分たちの利益のために、利用できるものは何でも利用し、命を弄ぶような真似だって平気でする。だから俺は少女を連れて姿を消した」
ヴィーナスが人体にもたらす可能性もリスクも、サバイバー・ナノマシンを凌駕していた。もしこれが悪用されれば、Vウイルスや生体兵器など比ではない、究極の災いがもたらされることになる。今この秘密を知っているのはアンタレス本人と彼の会社の仲間たち、同社のエージェントとして身を置くことになった少女のみだった。
「そんな馬鹿なこと、ありえないわ。彼らはつねに母国のために、国民のために敵と戦ってきた。だから私たちにもあなたに復讐する機会をくれた」
「違うな。連中はただ君たちを利用したかっただけだ。対立しているとはいえ、身内の国防省をためらいなく潰そうとする。その汚れ役を外からかき集めた君たちに押し付けただけに過ぎない。俺たちの部隊を壊滅させ、俺のデータが得られればそれでよし。君たちの生死なんて関係ない。成功しても失敗しても、結局は罪を押し付けられて処分される。それが連中のやり口だ」
「でたらめよ、そんなこと!」
「なら、何故君はそこまで動揺しているんだ? 何か心当たりがあるんじゃないか? 例えば、君たちをまとめるべきラングレーの職員が、この場にはひとりもいない、とかな」
アンタレスの指摘に女性が言葉を失う。絶望し、うなだれる様を見て、彼はかつての自分を重ね合わせた。CIAの権力による正義を信じ、世界の秩序に介入することで使命を果たそうとした。だが大義の名のもとに行われた非道はあまりにも惨く、独善的な行動はいつしか魑魅魍魎の報復心を育み、ついにはウイルステロという形で具現化してしまった。
「とにかく、今は生き残るんだ。死んだら真実を知るどころか、俺への復讐も果たせないだろ。軽くない怪我だが、応急処置を施せばまだ助かる道はある。ここは一時休戦にしないか?」
命を狙われたのにも関わらず、アンタレスが女性に手を差し伸べる。自分だけでなく、カローラまで標的にした相手を許すつもりはない。だがこのまま、絶望を抱かせた状態で殺すつもりもなかった。
「……バカバカしいわね、あなた。頭おかしいんじゃないの? どう取り繕っても、あなたは裏切り者なのよ。だから今度も、こうやって私の仲間たちを皆殺しにした。私たちをハメたのよ」
アンタレスの提案を、女性は一笑に付した。その目に憎悪をたぎらせ、噛みしめた唇から血が流れ出る。
「私、素人なりに色々やったのよ? 対キメラボディ用のパペットを整備したり、スパイの真似事をしたり。身の上話であんたの仲間を誑かして、こちら側に引き込んだりしたわ。あいつ、大切な人を失ったって言ったらすごく同情してくれて、簡単に落ちてくれたわよ。でもそれも結局はあなたの手の平の上だったって訳ね。馬鹿みたいにおびき出されて、あの化け物に殺された」
「君は、何を言っているんだ?」
「あなたがサバイバーだって聞いた時にピンときたわ。それならあなたが組織を裏切ってまで情報を奪ったのも分かる。国防省の極秘プロジェクト、サバイバー・ナノマシンを用いることで生体兵器に干渉する。あなたはそれを使って、あのハルマゲドンとかいう化け物を私たちにけしかけた。正義ぶっても所詮は外道、外道なのよ!」
女性は錯乱したように、次々と言葉をまくしたてる。そのひとつひとつがアンタレスの脳を揺さぶり、かき乱していく。彼女はヴィーナスのことを知らない。それとは別の、重要な何かを知っている。アンタレスたちが追うハルマゲドンの秘密、アンタレスたちの中に潜む内通者の正体を彼女は握っている。
「待ってくれ! 君と内通している奴が部隊にいるのか? ハルマゲドンが操作できるとはどういうことなんだ!」
アンタレスの叫びが戦場に木霊する。それに呼応するように、地面が轟々と揺れ始めた。
空間に電波の濁流が押し寄せる。
「これは、まさか。おい君! 逃げろ!」
「えっ、何? これって。あなた、まさかまた」
はじめてカローラを見た時、その直前に悪魔と相対した時と同様の感覚がアンタレスを襲う。女性が地面にへたり込み、アンタレスを憎悪と恐怖の視線で睨みつける。そんな彼女を救おうとアンタレスが駆け寄ろうとした瞬間、地面が砕け、黒い巨体が女性を丸飲みにした。
「ハル、マゲドン」
アンタレスたちが追っていたターゲット、全ての元凶が目前に姿を現した。迎賓館の地下で見た時よりも二回りも大きい。海面から飛び出た鯨のごとく雄大で、黒く禍々しい甲殻が周囲の炎を反射する。捕食した獲物をすり潰す歯が軋み、咆哮のように響き渡る。アンタレスが咄嗟に銃を引き抜くが、それを意に介することなく、ハルマゲドンは再び地中へと消えていった。
≪アンタレス、しっかりしろ! 残念だがあの女はあきらめるしかない。あんたはカローラを連れて早く戻れ。俺はヴァイパーと一緒に奴をできるだけ追跡してみる。まかせたぞ!≫
いつになく真剣なトータスがブースターを吹かし、盛り上がった地面を猛スピードで追いかけていった。
「何故だ? 何故このタイミングでハルマゲドンが?」
半ば呆然としていたアンタレスの思考が、徐々に覚醒していく。女性が重要な情報をを口に出した直後、黒い悪魔は姿を現したように思えた。ただ飢えているだけなら、女性を認識した瞬間に捕食すればいい。それとも、彼女はあえて見逃していたというのか? ならば何故、今更口封じのように捕食したのか? あるいは誰かにそうさせられたのか?
いずれにしても、貴重な情報と救えたはずの命を失ってしまった。そのことを悔やみながら、アンタレスはカローラに目を向ける。衝撃的な光景にショックを隠せないのか、少女はその場に立ち尽くし、何かを小さくつぶやいている。
「カローラ。さっきのことは君にとって刺激が強すぎたかもしれない。怖い思いをさせてすまないと思っている。そして俺自身も、君に話さなくちゃいけないことができてしまった。まずは一旦トレーラーに戻らないか?」
「えっ? うん、そうだね。私は大丈夫だから、今度こそちゃんとエスコートしてよね。まだ死にたくないし」
「分かってるさ。……いこうか」
カローラの笑みに首肯で応え、アンタレスが先導を開始する。だが彼は気づいていた。カローラの笑顔はわずかにこわばり、信頼したはずの男を脅えた目つきで見つめていた。アンタレスは彼女の顔を視界に入れないように、カローラは彼に顔を見られないように、ただ黙々と歩き続ける。
互いの距離は数歩以上も離れていた。




