BW-0325事象<開腹処置>※3-1
暗闇の空に無数の星たちが瞬き、冷たい風が荒れた地肌を削り取る。宙に浮かぶ朧月、静寂に包まれたシリアの夜。その大地の一部から砂埃がもうもうと立ち込めていた。肩と脚からほとばしるプラズマジェット、天にのびるブレードアンテナ、白銀の装甲がスラスターの噴射炎で鈍く光る。キメラボディ三号機、滑走するライノの姿がそこにあった。
だがそのフォルムは、市街地での戦闘から変貌していた。頭部を覆うレドームシステム、背部ウェポンベイの羽型電波増幅ユニット、両腕に分割装備されたレーザーランチャー。赤かったツインカメラアイは紫色に瞬き、地平線の彼方を絶え間なく見据えている。
ESライノ。まるで甲虫に浸食されたかのような異形な姿、強化パーツを装着した早期警戒モードであるそれは、追うべきターゲットと来るべき敵との遭遇に備え、単独での索敵任務にあたっていた。鉄塊の胎内から若い男の声が響く。
≪こちらローグ4。所定のポイントを巡回したが敵の痕跡はなし。これより帰投する。オーバー≫
その声の主は本来のライノの装着者ではない。ローグ4、サーバルの装着であるはずのアンタレスが通信機ごしに声を送る。
ストームの言葉通り、別動隊からの空中投下によって届けられた補給物資を回収したアンタレスたちは、本来の任務であるハルマゲドン討伐の他に、CIAによる作戦への介入を阻止しなければならなくなった。だが要であるキメラボディ、特にサーバルは大規模な修理が必要で、装着者であるボアとヴァイパーの状態も思わしくない。
それらの稼働状態を回復させるためには時間が必要であり、そのためにヴァイパーは非戦闘時以外の休養、ストームは作戦の指揮、アンタレスはホッパー、ライノを用いた哨戒という即席のシフトを組み、かろうじて部隊を維持していた。
(しかし、どうにも違和感があるな。俺が原因とは言え、ボアがまかされていたこいつを纏うというのは)
マニピュレーターを開閉しながら、アンタレスが息を吐く。体内のヴィーナスによって、アンタレスはあらゆる電子機器とリンクする能力を会得している。それはキメラボディも例外ではない。本来なら装着者ごとの神経回路の調整が必要なはずの代物を、彼はブレイクスルーすることで完全に使いこなしていた。
それでも、纏っているライノそのものがアンタレスという異物を拒絶しているような感覚に陥っていた。時折ブースターが不機嫌そうに爆炎を噴き、装甲の継ぎ目がアンタレスの意思に反して軋みを上げる。胸中に渦巻く罪悪感と向き合いながら、ESライノは停車しているトレーラーの元へと向かう。その車体が見えてきたところで、彼は違和感を覚えた。
(……後部のハッチが開いている?)
トレーラーのコンテナのハッチが開け放たれ、中の光が漏れ出している。あれでは無防備を晒すばかりか、周囲にその存在を知らしめているようなものだった。そのような愚行を、ヴァイパーやストームが犯すとは思えない。
≪ローグ4からローグ1へ。後ろのハッチが開いているぞ。一体どうしたんだ? おい、聞こえているのか? 応答しろ≫
無線でローグ1、ストームに呼びかけるが返事はない。何か問題が起きたのは明白だった。ESライノが速度を落とし、静かにトレーラーの側面へと接近する。アンタレスが外骨格から抜け出し、ホルスターのファイブセブンを引き抜く。壁伝いにハッチまで移動し、そのままトレーラーの内部へと滑り込んだ。
銃口を周囲に向けつつ、状況を探る。出撃した時と何も変わらない。サーバルを収めたハンガーのロボットアームがせわしなく動き、キメラ筋肉の縫合とセルニウム・コンポジット装甲の補強を行っている。奥のベットに横たわるボアと仮眠をとっているヴァイパーにも異常はない。だがストームとカローラの姿がどこにも見当たらなかった。
前部の運転席だろうか? アンタレスが奥に進もうとした矢先、ブーツが何かに接触した。黒い液体が床にこぼれている。アンタレスの好物であるコーヒーの香りとかすかに入り混じるボアの睡眠薬の匂い……。アンタレスの心臓の鼓動が跳ね上がり、液体が伝う先、ブリーフィングスペースのイスへと駆け寄る。
「ストーム! おい、しっかりしろ!」
飛び込んできたのは意識を失ったストームの姿だった。イスにもたれかかるように倒れ込み、垂れた手からマグカップが零れ落ちている。アンタレスが仲間の体を揺り動かして覚醒を促す。
「……ん? ……俺は、寝てたのか。……そうか、……くそ! あの嬢ちゃん、俺に盛りやがったのか」
奇跡的に目を覚ましたストームが、朦朧とした意識で言葉を吐き捨てる。
「そのようだな。体の具合はどうだ? 異常はないか?」
「何だ、心配してくれるのか? 生憎だが、意識がはっきりしないだけで、他に悪い所はなさそうだ」
「ならいい。今お前に死なれたら都合が悪い。ただそれだけのことだ」
関心がなさそうにつぶやくアンタレスを、ストームがにやりとした表情で見つめる。アンタレスが不快そうに一瞥を返し、トレーラーの周囲を見渡す。
「後ろのハッチが開けっぱなしだったということは、やはり彼女は脱走したようだな。……俺たちを信用してはもらえなかったということか」
「かもな。お上のプレゼントを受け取ってる時もずっとふさぎこんでいたし、俺たちと顔も合わせようとしなかった。コーヒーを持ってきてくれた時は、俺にだけは心を開いてくれたかと喜んだもんだが、結局はこのザマさ。顔はいいのに、とんでもない事考えやがる」
「確かに。お前にしては無警戒だったな。お前は彼女を疑っているとばかり思っていたが」
「当然だろ。今でもそうさ。だが考えてもみろ。こんな女っ気のない僻地に現れた絶世の美女が、俺のためにつくしてくれた。遠慮がちな笑顔と上目遣いでだ。例え何が入っていても、飲まないのは失礼ってもんだろ?」
「……馬鹿が。そのまま一生そこで寝てろ。俺はカローラさんを追う。このままでは夜盗か野生化した生体兵器に襲われるのがオチだ。その前に彼女を連れ戻す」
「例えあの嬢ちゃんが、敵のスパイであったとしてもか?」
怒りと呆れの表情を浮かべ、その場を去ろうとするアンタレスをストームが呼び止めた。重たげなまぶたをしっかりと開き、見定める様にアンタレスに視線を向ける。
「どうも引っかかるんだよな。あんた、彼女を迎賓館の地下で見た時、あからさまに動揺してたよな? それも尋常じゃない様子で。そして今も、彼女を敵じゃないと信じ切っている」
「それがどうした? 俺と彼女につながりがあるとでも?」
「いや、そこまでは考えてない。だが命がかかってる以上、ぬるい考えは互いの身を滅ぼすことになる。今の俺を見ればよく分かるだろ? あの嬢ちゃんは俺たちに残された唯一の手掛かりで、希望そのものだっていうのは確かだ。だが入れ込み過ぎれば、痛いしっぺ返しを食らうことになる。あんたが嬢ちゃんにどんな感情を抱いてるかは知らないが、それだけは忘れるなよ」
「……了解した」
ストームからの思わぬ忠告にアンタレスが黙り込む。カローラをはじめて見た時の電流のほとばしり。あれをストームに感づかれていたのは意外だったが、それ以前に彼女を無条件に信じようとしている自分がいることも確かだった。
カローラの瞳の奥、理不尽な暴力に対する憎悪、アンタレスが抱いているものと同じものが見えた。そんな彼女が身も心も孤独の中に放り出され、救いを求めて彷徨っている。他人事とは思えない。だから守ってやりたいと思ったのかもしれない。虐殺した子供たちと傷つけてしまった仲間、彼らに対するせめてもの贖罪として。これ以上、自分のせいで誰も死なせないために。
今度こそストームに背を向け、外にあるライノの元へと向かおうとする。
「待てよアンタレス。あんたどうやってカローラちゃんを追いかけるつもりだ? 匂いでも嗅ごうっていうのか? まぁ確かに、あの嬢ちゃんの香りは刺激的だが」
「お前、いい加減に」
イラついたアンタレスの目前に、小型端末が差し出される。
「発信機をつけといたんだよ、あの子猫ちゃんに。それがあれば信号を追える。今度こそちゃんとコーヒーを入れてもらわなきゃ、俺の気が済まない。かならず、生きたまま連れ帰って来てくれよな」




