BW-0325事象<開腹処置>※1
あたり一面が紫の霧に包まれていた。
街路樹、宙を舞う鳥 各々の生活を営む人間たち。生きとし生けるもの全てが泡となって消え、骸すら残さず溶けてなくなる。かろうじて原形を保ち、倒れ伏す少数の生き残りたちも、苦しそうに顔を歪ませる。空間の中で絶叫や悲鳴が際限なく響き渡り、荒い息遣いが絶望の言葉をつむいでいく。
ヴィオレットガス、Vウイルスに侵されたそこは、まさにこの世の地獄だった。
その中でただ一人、無傷の男が佇んでいた。全身が小刻みに震え、乾いた唇に冷たい汗が滴り落ちる。ふと、足に何かが絡みつくような感覚がした。蒼白となった顔で地面を見下ろすと、そこには無数の顔と腕が広がっていた。紫に染まったそれらが男を拘束し、全身に纏わりつこうとする。
男が恐怖の声をあげ、それらを死に物狂いで振り払う。その耳元に無数の声がささやきかけた。
――お前のせいだ。お前がいたから私たちは死んだ。
違う! 俺のせいじゃない! 俺は悪くない!
――返せ。私たちの家族を返せ。元の体を返せ。何故お前だけが何も失わない?
俺だって失った! 大切な人を、その家族を、俺は守りきれなかった!
――違う。お前がいたから彼女たちも死ぬ羽目になった。お前が生まれてこなければ、お前が体にあんなものを宿さなければ、全ては始まらなかった。終わらなかった。
止めろ! 頼むから止めてくれ! 罪は償う! 全てを終わらせる! 俺が生み出してしまったVウイルスも、生体兵器も俺が全て駆逐する。だから赦してくれ! 俺の存在を認めてくれ! 俺をこの世界に生かしてくれ!
――できるかな? 果たしてそれがお前に?
地面が割れ、男、女、少年、少女の声が一斉に響く。紫のオーラを纏った甲殻を軋ませながら、黒い巨体が這いあがってくる。ハルマゲドン。体中に発現した人間の顔と腕の輪郭、円口の内部からのぞく無数の眼球、極彩色の複眼が男を嘲笑い、前脚の鎌を高く掲げた。男は全力で逃れようとするが、足に纏わりつく腕がそれを許さない。
――死ね、全ての元凶。お前は誰も救えない。破壊しかもたらさない。お前の抱く希望は、私たちにとっての絶望にしかならない。唯一、お前自身の死によってのみ、全てのものは救済される。使命を果たせ。この化け物と同じようにな。
断罪のギロチンが男めがけて振り下ろされる。皮が切れ、肉が裂かれ、骨が粉々に砕け散る。
心身共に両断される感覚。自身から発せられた絶叫によって、その男、アンタレスの意識は覚醒した。




