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外傷体験5-2

「その、アンタレスさん、震えているようでしたから、どこか痛いのかと思いまして。怪我をしているのなら、無理はだめ、ですよ。私も、子供たちも、もう大丈夫だと思いますから」

 ピエロに暴行され、全身が血塗れになっているのにも関わらず、マリアはアンタレスに優しく微笑みかける。その姿を見て、アンタレスの感情が限界を超えた。

「マリアさん! 申し訳ありませんでした! 守ると誓っておきながらそれができず、あなたが傷つけられても庇う事すらできなかった。許してもらえるとは思いません。それでも、本当に、ごめんなさい」

「アンタレスさん……」

 痛々しく、かすれた声でアンタレスが深々と頭を下げ続ける。

「大丈夫、アンタレスさん。大丈夫ですよ」

 それをあやすかのように、マリアの手がアンタレスの頬を包み込んだ。

「アンタレスさんのせいじゃないです。私には分かります。あなたは自分にできる事を必死でやって、私を守ろうとしてくれました。そしてさっきも、危険が迫った子供を自分を盾にかばってくれました。そんな優しいあなたの事、私は今でも信じてます。だから、自分を責めないでくださいね」

「マリアさん……。っ、ありがとう。ありがとう」

 青い瞳の奥に嘘偽りは感じられない。心からの彼女の声に、アンタレスは胸の内が温かく満たされていくのを感じた。罵倒され、幻滅されることも覚悟していた。にもかかわらず彼女はそれを許し、逆にアンタレスを励ました。互いの視線が交錯し、表情に笑みが浮かぶ。

「ふざけるな!」

 突如、少年の声が空間にこだました。アンタレスたちが振り返ると、赤い髪の少年がトータスに踏みつけられていた少女を抱きかかえ、アンタレスに憎悪の視線を向けていた。

「何で、何で俺たちがこんな目に合うんだよ! 何もしてないのに突然襲われて、家壊されて、お兄さんもお姉さんもみんな殺されて! あの変な奴、お前の知り合いなんだろ! お前が日本にいるから、俺たちみんな巻き込まれたんだ! このクソ野郎!」

「…………」

 少年だけではない。周囲にいた子供たちもアンタレスを恨めしげに見つめている。生活を破壊され、世話をしてくれた職員、家族と認識していた人々を殺され、行き場のない感情を目の前の元凶にぶつける。その全てをアンタレスは黙って受け止める。

「出てけよ! ここから、日本から! お前なんか正義のヒーローでもなんでもない! ただの疫病神だ! 消えろ! 消えちまえ! お前が死ねばよかったんだ!」

 少年が近くにあった瓦礫を拾い上げ、アンタレスに向けて投げつけた。アンタレスは避けようとしない。思わず身を乗り出そうとするマリアを抑え、彼女をかばうように前へ出る。眉間に迫る憎悪の塊、それが伸ばされた尾によって破砕された。

『……あまり調子に乗るなよ。品種改良された人間風情が』

 ルサルカのロングテイルスタビライザーが大きくしなり、地面を思い切り叩きつけた。冷酷に響く機械音声に、子供たちが一瞬で委縮する。

『ひとつ、教えてやろう。お前たちが何故、今回の事件に巻き込まれたか? それは主のせいでも、ましてや誰かのせいでもない』

 AGSによってルサルカの体が浮き上がり、宙を泳ぎながら少年たちの目前に迫る。

『それはお前たちが弱いからだ。何をされても抵抗する術を持たず、蹂躙され、犯されていく。絶好の獲物だ。生体兵器に食われても、愚劣な犯罪者に人質に取られても、相手に傷ひとつつけられない』

 一方的、それでいて残酷な言葉に子供たちが絶句した。

『全く、人間というのは面白い。普段は平和やら、協調やらを謳っておきながら、いざとなればたやすく他者を見捨て、罵倒し、攻撃する。現に、お前たちは被害者を装いながら、お前たちを救った我々に対して攻撃した。特に赤い髪のお前。お前からは醜い弱者の臭いがするぞ? 卑屈な目、普段から誰かに虐めでも受けていたか? その腹いせに怒りのはけ口を我々に求めたか?』

 反論できず、少年が体を震わせる。それを見下ろすアクーラが、嘲笑うようにノイズを鳴らした。

『だがそんなお前たち、ひいては人間を我らが主は救っておられる。お前たちがのうのうと生きている間に、生体兵器を駆逐し、バイオテロを根絶し、わが身を削って戦い続けている。分かるか? 主がいなければ、お前らなどいつ死んでもおかしくない、無価値な存在にすぎないのだ』

 ルサルカが装甲を軋ませ、両腕の口からプラズマを放出した。閃光が瞬き、ほとばしる破裂音に脅えた子供たちが一斉に泣きじゃくる。

「いい加減にしろ、ルサルカ!」

 彼女の右肩のバインダーをアンタレスが掴み、子供たちから強引に引き剥がした。

「お前が俺を英雄視するのは勝手だ。だが俺は実際に子供たちに恨まれても仕方のないことをしたし、俺だって彼らと同じ、お前の言うくだらない人間のひとりだ。それでもお前は人間を、ましてや罪のない子供たちを罵倒するのか?」

『お戯れを。主はただの人間ではない。女神に愛された、人を超えた存在であらせられる。そして決して我々を裏切らない。造られた我々に対等に接し、導き、存在意義を与えてくださる。そんなあなたを害するものが存在するのなら、人間であろうと生体兵器であろうと、全てを排除するのみです』

「ルサルカ、お前は……」

 マリアとは違う、心酔にも似たルサルカの忠誠にアンタレスは二の句が継げなくなる。例えそれがAIの教育課程から植え込まれた思考パターンでも、実戦投入後から芽生えた感情でも、自身を肯定し、認めてくれる存在を明確に否定することができなかった。

 子供たち、ルサルカ、アンタレス。黒い感情が堆積し、廃墟が冷たく淀んでいく。その中をひと筋の光が横切り、赤い髪の少年の前でかがみこんだ。

「かわいそうに、本当につらい思いをさせてしまいましたね。でも、悪いのはアンタレスさんじゃありません。私です。あの人はただ、私を守ろうとしてくれただけです。だから怒っているなら、私を好きなだけ殴ってください」

 マリアが少年に微笑みかけ、頭をゆっくりと撫でる。泣きじゃくっていた少年が、驚いたように顔を上げた。

「何で、何でだよ? 何でそんな奴庇うんだよ? お姉さんだってそいつに巻き込まれて、あのピエロにボコボコにされてたじゃないか! 怒ってるんじゃないのかよ?」

「いいえ。だってアンタレスさんも君たちと同じ、優しい人だからです。家族や友達をいたわり、守ろうとしてくれます。君がその女の子を守っているみたいに」

「違うよ! だってあいつは傭兵で普通の人間じゃない、ただの人殺しだ。優しさなんてあるはずない」

「いえ、確かにあります。私だって普通の人間じゃなくて、サバイバーです。それだけで人に怖がられたり、いじめられたりします。自分がサバイバーであると言い出せないくらい臆病な人間です。でもあなたはそれを目の前で見ていても、私を怖がらずに話して、心配してくれていますね。それは、みんなが優しいからです」

「だってそれは、お姉さんが俺たちのことかばってくれたから……。サバイバーとかなんて関係ないし」

「そうです。アンタレスさんも、その女の子を必死になって守りました。普通とか特別とか、サバイバーとかドリームチルドレンとかは関係ありません。全ての人は何も変わらない。誰かに優しくできるんです。私も君も、ここにいるみんながそれを知っています」

 マリアの言葉を聞いて、子供たちが次々と泣き止んでいく。

「あのピエロさんだって、本当は同じはずです。あのようになる前は、きっと誰かに優しくできていたはずです。今はそれを忘れてしまっているだけ。だから私は信じています。あの人もいつかそれを思い出して、ひどいことをしなくなるって。そして全ての人たちが、みんなが同じだということを知って、仲良しになれるということを。だから君たちも信じてあげてください。一生懸命みんなを守ろうとしてくれているアンタレスさんのことを」

 そう言って彼女は静かに頭を下げた。直後、子供たちが再び泣き始め、マリアがオロオロと慌てふためいた。負の感情ではない、温かい心に癒された安堵と感動が、子供たちに希望をもたらした。

『くだらんな。あそこまで傷つけられても、まだあんな詭弁を吐き出せるのか。よほどの人格破綻者と見える』

「やめろルサルカ。俺たちに使命があるように、彼女にも彼女の信念がある。だから俺たちは俺たちの任務を果たそう。いいな?」

『……仰せのままに。私は空から周囲の哨戒に当たります』

 一瞬、マリアに殺意のこもった視線を向け、ルサルカが変形して空へ飛び立つ。それを見送ったアンタレスがマリアたちに背を向け、周囲に目を光らせながら笑みを浮かべた。優しいだけではない。精神的な強さを持つマリアに改めて敬意を抱いた。

 相手がどんなに親しい人間でも、百パーセントは信じきれない。心のどこかで疑念を抱き、互いに探り合って関係を築いていく。突然裏切られ、蔑まれ、打ち捨てられる。それを避けるために、心のどこかで境界を保つ。 

 しかしマリアは違う。人の本質にある善の部分を信じ、どんな人間にも分け隔てなく接する。自分が傷つくことを恐れながらも、本当の自分をさらけ出している。とてもアンタレスには真似できそうにない。

 だからこそ、彼はその太陽のような純粋さを恐れた。

 

 マリアが照らし出したアンタレスの真実、醜悪な過去が彼女の希望を穢してしまうことを。



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