表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/52

外傷体験1

 子供の泣き声が聞こえる。ここではない、どこか遠くの場所。小学校。悪魔に貪り喰われる子供たち。迎賓館。四肢のない少年少女が鉄塊に潰される。もっと遠く、彼が捨て去ったはずの忌まわしき過去。豪勢な屋敷、柱に縛り付けられたまま殴られる。床にばら撒かれたスープをなめようとして踏みつけられる。ワケの分からない注射をされて激痛にのたうち回る。

 目の前に彼とよく似た顔を持つ男がいた。憎悪に顔を歪ませ、自身の血を引く存在を痛めつける。いくら泣こうが喚こうが手を緩めない。当然のように暴力を行使し、心身を壊していく。

 彼はついに耐えられなくなり、自分と似た顔を持つ女性に助けを求めた。床に這いつくばり、涙と鼻水で顔を歪ませ、手が鬱血するまでドアを叩く。だが固く閉ざされた扉は開かない。そこにいるはずなのに、存在しないかのように振舞う。全てから逃避するかのように、彼女は独りの世界に閉じこもる。

 体に刻まれる無数の傷、心に穿たれる深い絶望、かつて生まれた胎内に還ることもままならず、彼の耳元には罵声と殴打の音しか聞こえない。何度も繰り返され、繰り返され、それが唐突にシャットダウンされ、アンタレスの意識は覚醒した。


「ほぅ、ニ十分か。へし折れた脊髄とちぎれかけた筋肉の再生。普通ならとっくにお陀仏のはずなのに、本当に生き返ってこれるとは。やはりあんたは最高の化け物だよ」

 機械加工された男の声がアンタレスの鼓膜を刺激する。まぶたを開けた先に飛び込んできたのは、白いピエロのマスクだった。突然のことに驚き、後ずさろうとする。それを拘束された手足が阻んだ。椅子に座らされ、金属製の枷によって両手両足が固定されている。

「おいおい、そんなに驚くことはないだろう? 折角丁重に招待してやったんだ。もう少し感謝してくれてもいいくらいなんだが」

 目の前にいたピエロがおどけた調子で首を振る。燕尾服に身を包み、手には白い手袋、頭には黒い山高帽、恰好はかつて英国紳士のそれに近い。だが首から下は異様なほど筋肉質で 時折体内からサーボモーターらしき駆動音が鳴動している。

「サイボーグか。あいにく、俺の知り合いにお前のような奴はいないんだ。招待する客を間違えていないか?」

「それはないだろ、アンタレス。わざわざあんたのために色々とお膳立てしてやったっていうのに。ま、このパーティー会場には俺もいささか不満はあるけどな」

 そう言ってピエロ、サイボーグは体をアンタレスの前からどかした。薄暗く広い部屋、ガラス戸に引かれたカーテンから日光が漏れている。長テーブルの上には十数人分のご飯やみそ汁、目玉焼きといった食事が散乱し、そこに並べれていたイスはアンタレスの周囲で無造作に破壊されていた。

 そして彼から遠い、対角線上の空間に十人ほどの子供たちが立たされていた。体を小刻みに震わせながら拳を握りしめ、現実逃避をするかのように顔をうつ向かせている。その中に普通ではありえない赤い髪を持つ少年や、左右で瞳の色が違う少女が紛れ込んでいた。遺伝子操作によって、親の期待と理想を背負わされて生まれた子供たち、ドリームチルドレンだった。

「パーティー会場だって? 俺にはただの孤児院にしか見えないな。何が目的か知らないが、無関係の子供たちを巻き込むのは止めろ」

「冷たいなぁ。この子供たちはいわばこのパーティーを盛り上げるキャストさ。ハルマゲドンも、キメラボディも、あんたが喜ぶと思って用意させてもらった。思い出すだろ、あの時のことを」

 ピエロが笑いながら部屋の中央に移動し、傍らの壁を指さす。アンタレスがその仕草を目で追い、飛び込んできたものに愕然とした。


 "BW-0325"


鉄の臭いのする、赤い液体で描かれた最悪の呪詛。首都高速道路で襲撃される直前に見たものが、何故ここでも現れる? どうしてピエロがあの数列を知っている?  そもそも、あれは誰の血なのか? 

 子供たちに外傷はない。アンタレスの血液に含まれているヴィーナスの気配も感じない。ならば残る可能性はひとつしかない。かならず守ると誓ったはずだった存在。アンタレスの心臓が早鐘を打ち、体中から汗がふきだす。ゆっくりと、祈りながら周囲を見渡す。かすかな気配、息遣いをピエロの足元に感じる。

「あぁ、連れの女が気になるのか? 彼女も俺たちにとってはかかせない存在だよな。なってったって彼女がいなきゃ、ハルマゲドンを使ったテロなんて到底起こせなかったからな。それにあんたもずいぶん彼女に入れ込んでるようだし、まさに一石何とやらだ。おかげで俺の計画もやりやすくなった。なぁ、そうだろ? そろそろ起きたらどうだ、お姫様よ!」

 ピエロが地面に転がっていた女性、血塗れのマリア・ハーバードを引きずり出し、テーブルの上に叩きつけた。

 アンタレスの中で何かが弾けた。

「貴様ぁ! よくも彼女に手を出したな! 許さんぞ!」

 激昂したアンタレスが獰猛に吠える。拘束を破ろうと手足を懸命に動かし、食いしばった唇から血が流滴り落ちる。そんな彼を見たピエロは一瞬硬直し、大爆笑した。

「ア、アンタレス! まさかそこまで怒るとはな! こりゃ傑作だ! 敵であれば女子供すら容赦なく殺すあんたが! たったひとりの女のためにそこまで怒るとは! ひぃい、腹がよじれそうってのはこんな感覚か!」

 エコーがかかった機械音声が室内にあふれ出し、けたたましい恐怖が空間に反響する。

「黙れ! 何がそんなにおかしいんだ!」

「だ、だってそうだろ! そうじゃないか! ………………カローラを殺したお前に、そんな資格なんてないんだからよ」

 冷たい憎悪に時が凍えた。

「っ! 何故、彼女のことを」

 アンタレスは自分の耳を疑った。カローラ。アンタレスの目の前でハルマゲドンに貪り喰われた、守れなかった少女の名前がピエロの口から飛び出した。

「安心しろ。マリア・ハーバードにはまだ利用価値がある。今はまだ殺しはしないさ」

「……お前が、一連のハルマゲドンの破壊活動を引き起こした元凶なのか? マリアさんを使って?」

「ま、そういうことになるだろうな。別にトーキョーがどうなろうが、何人死のうが関係はないんだが」

「何故彼女なんだ? 彼女の何を知っている?」

「さぁな? 少なくとも彼女がチャーミングだからってことはない。条件さえ満たせば、男でもブスでもよかった」

「なら何が目的だ? 何を望んでいる?」

 冷静さを取り戻したアンタレスがピエロの真意を探ろうとする。だが内心、敵の目的の見当はついていた。ハルマゲドン、キメラボディ、カローラ。過去のトラウマが都合よく再現されるはずがない。ピエロが発したお膳立てという言葉。あれが全てを物語っている。

「とぼけるなよ、分かってるだろ? ……復讐だよ。二年前、シリアであんたに殺された兵士や子供、三人の仲間だった男たち、そして、カローラ。その憎悪の塊が今あんたの目の前にこうして現れたってわけだ。あんたがもがき、苦しみながら死んでいく様を看取るために蘇った」

「復讐だと……。そのためだけに大勢の人間を殺したのか!」

「立派な理由だろ。自分だけかっこつけんなよ。あんただって生体兵器やハルマゲドンに対して憎悪を抱いてる。力を振りまいて、敵と見なしたものを容赦なく血祭りにあげてきた。他人のためじゃない。全部自分の憂さ晴らしのためにだ! だから俺に大勢殺させた。あんたを苦しませるために。あんたがしてきたことを、俺もやっただけなんだよ!」

「そんな勝手な理屈で。だったら俺をさっさと殺せばいい! それで済む話だろ」

「っち。むかつくんだよ! そうやって自分さえ犠牲になれば、なんでも許されると思ってるような考え方はな!」

 感情のぶつかり合い、激しい言葉の応酬が繰り広げられる。その最中、ピエロの傍らに転がっていたマリアがピクリと動く。

「うっ、私は、……また?」

 弱弱しい言葉と共に、彼女は意識を取り戻した。アンタレスが安堵する。長く美しかった金髪は血で汚れ、纏っていた衣服もボロボロだった。それでも彼女は確かに生きている。マリアが周囲を見渡し、ピエロの姿を見た直後、恐怖に体を震わせた。それでも怯むことなく、その大木のような脚を両手で掴む。

「お願いします。私は、どうなってもいいです。だから、アンタレスさんと、子供たちは助けてください。お願いします、どうか……」

「……マリアさん」

 彼女がピエロに懇願した。アンタレスの歯がギリギリと軋む。

 マリアとて無傷ではない。キメラボディに襲撃され、血が出るほどの暴行を加えられていたはずだった。それなのにアンタレスを恨む素振りすら見せず、ただ他人の無事を祈っている。アンタレスは目の前の光景、それを引き起こしてしまった自分自身を許すことが出来なかった。

 そんなマリアの献身を、ピエロは面白くなさそうに見つめている。彼女の手を振りほどき、顔を目前に近づけた。

「感動的だねぇ、本当に。死んだパパとママによくしつけられてるみたいだ。でもなお嬢ちゃん。ここに連れてきた時、俺は言ったよな? 勝手にしゃべるなってよ!」

 そのままピエロの仮面をマリアの顔面にぶつけた。骨が砕ける音、マリアが苦悶の声をあげ、顔中から血が噴き出す。アンタレスが絶句する。さらにピエロは彼女の頭を踏みつけ、鳩尾に蹴りをめり込ませた。体をくの字に曲げながら、マリアがアンタレスの元に吹っ飛ばされる。子供たちの悲鳴と共に、節々があり得ない方向に曲がった肢体が床に投げ出された。

 アンタレスが拘束を引きちぎらんばかりの勢いで身を乗り出し、信じられない光景を目の当たりにした。マリアの体中についていた痣が瞬く間に引いていき、砕けた骨格が元通りに修復された。顔の傷も跡形もなくなくなり、鮮血が涙と混じって頬を濡らす。

「さすがは高ランクのサバイバーってだけのことはある。部位欠損と致命傷以外なら、あっという間に修復しちまう。まったく笑わせてくれるぜ。あんたの生徒さんたちが聞いたら、さぞ驚いてくれるだろうな。バケモノ教師さんよ?」

 ピエロの嘲りがこだまする。マリアの嗚咽、自身の秘密を暴露され、願いすらも聞き届けられない。体の痛みと心の傷が深い絶望と悲しみを吐き出す。

 ヴィオレットガス、Vウイルスによるバイオテロの生き残りである人間には、サバイバー・ナノマシンと呼ばれる特殊なナノマシンが投与されていた。誰が何の目的で開発したかは不明だが、それによって生存者たちはウイルスへの耐性を獲得し、身体の治癒能力と免疫機能を向上させるに至った。

 しかしごく稀にそれ以外の能力を発現し、人知を超える存在となる者があらわれた。筋力増強、電波ジャック、生態変化……。

 そして超回復能力。マリアの治癒能力は通常のサバイバーのそれをはるかに凌駕していた。全身のナノマシンが光速、高精度の神経パルスで交信することで宿主のバイタルを認識、たくわえていた再生組織によって細胞分裂を爆発的に促進させる。アンタレスに宿るヴィーナスにも匹敵する性能が、何らかの方法によってピエロに利用されていた。

「ま、化け物といえば、あんたもそうだよな、アンタレス? ハルマゲドンの成体をたったひとりでぶっ殺し、第三形態の群れすら単独で制圧しちまった。しかも自爆覚悟の攻撃で左腕を黒焦げにしたにも関わらず、今ではすっかり元通りだ。ハルマゲドンのハザードレベルなんて比較にもならない。あんたこそ! この世で最も危険極まりない、害虫そのものなんだよ!」

「…………」

 アンタレスは罵詈雑言を意に介さず、彼の元に倒れ伏すマリアを見やった。おとり捜査を始めた時、学校でかわした会話を思い出す。

 ――どんな人間も何も変わらない。みんな同じなんです。

 彼女とてサバイバーだった。ただの人間を超え、超人的な存在として生まれ変わった。これまで周りの人間が、みな好意的に接していたとは限らない。心の奥底では自分と異なる存在を畏怖し、軽蔑していたかもしれない。それでも彼女は優しさを失わず、教師として尽くしてきた。アンタレスという存在を認めてくれた。

 それを黒幕、ピエロは故人の復讐のために踏みにじった。許せない、と思う一方、別の感情も芽生え始めていた。

「だんまりか。ま、それでもあんたやそこのお嬢さんは正直恵まれてると思うぜ。例え化け物でも、その有用性を認識してくれる奴がいる。だがな! 俺や、そこにいるガキどもは誰からも必要とされず、切り捨てられ、身勝手な理由でごみ屑にされた。だからなおのこと、俺はあんたが許せないんだよ、アンタレス」

「っ!」

 アンタレスがたじろぐ。ピエロだけではない。人質となっている子供たちからも、突き刺さるような視線を感じた。

「大人が勝手な都合で施した遺伝子調整が失敗し、望まれない容姿で生まれてきた。男がいいのに女が生まれた。期待した能力を会得しなかった。そんなバカげた理由で犬や猫と同じように放り出され、孤児となった。そんな連中がここには集まっている。分かるか? なんでお前は求められるのに、こいつらは捨てられる? 何故お前だけ生き残って、俺たちは死ななければならなかった? どいつもこいつも、クソったれだ!」

 ピエロの叫び、それはその場にいた孤児たちの代弁でもあった。理不尽な仕打ち、無責任な放逐、ズタズタにされた自尊心。抑圧された感情の爆発はうわべのものではなかった。否定はできない。アンタレスもかつては同じ境遇の中にいた。

 心の傷、トラウマは決して癒されない。元凶を排しても、くすぶった憎悪は再燃する。制御不能となって延焼し、新たな憎悪を振りまいて朽ち果てる。それは人間でも、化け物でも、サイボーグでも変わらない。アンタレスは感じ取っていた。ピエロの中にも、自分と同じ種火が揺らめいている。

「少ししゃべりすぎたな。そろそろ茶番にも飽きてきた。終いにしようか」

 ピエロが指を鳴らす。ドアが壁ごと突き破られ、黒い外骨格が姿を現す。更なる増加装甲を施され、両腕のレーザーバルカンユニットに人型のマニピュレーターが増設されている。背部に装着された右側のレーザーキャノン、その反対側に取り付けられた小型ガトリング砲塔。過去の闇に溶ける影、ステルス装甲を纏ったトータスが、赤いカメラアイを禍々しく発光させる。

「あと十分だ」

 ピエロが両掌を掲げ、黒いトータスが武装を周囲に展開する。

「あと十分で、ここにいる全員を殺す。警察にはそう伝えておいた。俺は何も要求しなかった。いかなる交渉にも応じなかった。無論、救出部隊が来れば全力で歓迎する。だがその必要はないだろうな」

「どういう意味だ?」

「言葉の通りさ。警察はあんたらを見殺しにする。スターライト・バレットの連中はそうもいかないだろうが、こっちは相応の相手を用意させてもらった。あんたと合体できないブリキ人形どもじゃ、俺たちは殺せないだろうよ」

「甘く見るな。警察だって、そこまで落ちぶれちゃいない。子供だけでも助けに来てくれるはずだ」

「本当にそう思ってるのか?」

 ピエロが嘲笑うかのようにアンタレスの顔を覗き込む。

「トーキョーに大打撃を与えた元凶である女と警察の面子をつぶした外国人傭兵、さらには親に捨てられ、身寄りのないガキども。今の日本に、あんたらのために危険を冒せるような輩がいると思えないけどな。むしろ連中は、俺たちが面倒な存在を消してくれるのを期待していると思うぜ」

「そんなこと!」

「ないと言えるのか? 学校でも見ただろ、この国のクズさ加減を。生存者を放置してまで、あんたを出し抜こうとした。今回もそうさ。あのおとり作戦だって、あんたらが中心になってやってたんだろ。だったら責任を全部そっちに押し付けて知らん顔をすればいい。そうすれば少ない犠牲であんたの命と、スターライト・バレットの信頼を同時に損なわせることが出来る。どうだ? 面白い筋書きだろ?」

「……貴様」

 否定できなかった。アンタレスと親しい牧本や溝口ならば、真っ先に助けに来てくれると信じられる。だが警察も、ひいては日本もアンタレスを信頼などしていなかった。彼らもそこに属している以上、勝手な行動は許されない。全てを仲間であるリナやボークスに託すより他はなかった。

「楽しみだぜ。人の悪意が人を殺す。人の想いが絶対的な力に貪り喰われる。……たっぷり味わえ。昔の俺と同じようにな」

 複数の影、かつての仲間たちの存在が、ピエロという憎悪の形に重なり始めていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ