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病理検査3

「はい、了解! こっちも監視を続けつつ周囲の情報を探っておくわ。ところでリナちゃん、ヴェネーノちゃんかグラウちゃんを触らせてもらえるって話はどうなったの? どうしても無理ならあなたの体でも、ってちょっと切らないで! 365ダース! 缶コーヒー365ダースあげるから!」

 東京足立区の千住新橋付近に停められたトレーラー内で女性の絶叫が響く。捜査資料が置かれたテーブル、固定式の椅子、壁面に設置されたディスプレイには周辺の監視カメラの映像が映し出されていた。歩道から川岸、運動場、花畑、アンタレスとハルマゲドンが死闘を繰り広げた戦場がくまなく監視されている。

「うるさいぞ江村。今は戦闘待機中だ。もう少し緊張感を持て」

「何言ってるんですか溝口さん! せっかくスターライト・バレット製のアヴィスーツちゃんが触れるかもしれない貴重な機会なんです! これが興奮せずにいられますか!」

「それだからリナさんにも引かれるんだ。……はぁ、まったく。先が思いやられる」

 濃紺の戦闘服を纏った生対副隊長、溝口が呆れながらディスプレイの前に座る女性を見やる。江村くる実。見た目は十五、六歳ほどの小柄な少女にしか見えないが、つなぎにつけられた生対技術主任のネームプレートが彼女が只者ではないことを示している。後ろに縛られた栗色の髪がリスの尻尾のように揺れ、連動するように胸の巨峰もかすかに震えた。

 おとり捜査の要であるアンタレスたちが移動したのに伴い、溝口率いる生対のセカンドチームは次なる目的地である千住新橋にて警戒網を敷いていた。秘かに停められた二台のトレーラーの内、一台は溝口たちのいる作戦指揮車、もう一台は20式と19式からなるアヴィスーツ小隊を運搬するキャリアーで、首都防衛を担う外骨格たちが稼働状態で待機している。

「それはそうと20式の調子はどうだ? 私が至らないばかりにかなり損傷させてしまったが、戦闘には参加できそうか?」

「バッチリですよ。壊れたといっても装甲の一部だけで、内部はほとんど損傷していません。溝口さんはちゃんとダメコンしてくれるから、整備するこっちも楽で助かります。どっかのドくされ隊長と違って」

「おい。気持ちは分かるが、そういう事を言うのはやめろ。隊長だって必死にやっているんだ」

「必死ねぇ。私が公安のために設計した20式ちゃんを無理やり取り上げて、アンタレス君たちを邪魔するためだけに、お偉方と悪巧みして貴重な人材を日本中からかっさらう。溝口さんだって本当は頭にきてるんでしょ?」

「……私にそれを答える権利はない」

 溝口が苦々し気につぶやく。それを江村が見つめ、ため息を吐いた。

「相変わらず溝口さんって真面目ですよね。別に20式ちゃんが盗られたのはあなたのせいじゃないですし、壊れたのもハルマゲドンが強すぎたからですよ。あーあ、リナちゃんからデータもらった時は最高のアヴィスーツになったと思ったのに、これじゃ私もまだまだですよ」

「何を言う。元々はアメリカ製のアイアンボディが採用されるはずが、お前の20式のほうが優秀だったからこそ、今こうして生対の主力として第一線を張っているんだ。お前が落ち込むことはない」

「お言葉は嬉しいですが、あんな欠陥品と比べられてもって感じですね。生体兵器と戦う正義のアヴィスーツちゃんを対人兵器に仕立て上げて、装着者に神経コネクタの移植を強要するなんてナンセンスすぎです。日本は単に人体改造を嫌ったのと、ヴェネーノちゃんの量産型に位置づけられるあの子のデータが欲しかっただけだと思いますよ」

 今回の事件で初めて実戦投入された20式特殊作戦服は、元々警察庁対テロ技術開発室に属していた江村が開発したものだった。スターライト・バレットから提供された技術と戦闘データ、江村の頭脳とセンスがブレンドされたことにより、ヴェネーノの約六割の性能を内包したアヴィスーツとして完成した。

「それでも、私たちはお前に救われたようなものだ。人体への負荷が著しいアイアンボディを日本へ提供して実験台にしようとしたアメリカ。ライセンス生産によって利益をあげようとした軍需企業に利用されることなく、こうして任務を全うできている」

「ならいいんですけど。でも結局、スターライト・バレットもアメリカの台頭を嫌って私たちにデータを渡してきたってだけの話です。百パーセント善意ってわけでも、私自身が信頼されたわけでもない。20式ちゃんがいい子になってくれたのは嬉しいですけど、いろいろと複雑な気分です」

 先ほどの明るい様子からは想像できないほど、暗い表情で江村がうつむいた。自分が平和のために開発したアヴィスーツに様々な陣営の思惑が絡みついている。だから自分の成果に対して素直に喜べない。溝口が江村の無念さを察し、励ましの言葉をかけようとする。

「うーん、やっぱりハルマゲドンみたいな化け物クラスには追加装備で対抗するしかないのかしら? そのほうが何かカッコいいし、強そうよね。ならハードポイントを利用してヴェネーノちゃんみたいな合体機能とか、あとはキメラボディみたいな……」

 その厚意が他ならない江村のつぶやきによってかき消された。思わず溝口が脱力する。彼女は落ち込むどころか、真剣な表情で20式の強化プランをひねりだそうとしていた。超が付くほどのアヴィスーツ馬鹿。そのポジティブさに呆れと羨望を抱きながら、ふと溝口の脳裏に疑問がよぎる。

「おい江村。さっきお前が言っていたキメラボディとは何だ? そんなアヴィスーツの存在は聞いたことがないが?」

「ふぇ? あぁ、キメラボディですか? アメリカがアイアンボディ以前に試作したアヴィスーツですよ。二年くらい前に中東で実地試験が行われていたらしいんですが、何らかの事故で一機以外全損したって聞きました。今はペンタゴンの機密区画で改修中みたいですよ。アメリカ産なのが癪ですが、生体兵器を威圧するために動物をかたどったフォルムや、発想がぶっ飛んだ兵装の数々がこれまたイカしてて興奮しちゃうんです」

「アメリカ、国防省? お前、どこでそんな情報を仕入れたんだ?」

「ちょっと前に技術研修先の企業に勤めてたエンジニアがこっそり教えてくれました。やたら私に親切でしたね。まぁ彼の興味は私そのものじゃなくて、別のところだったみたいですけど」

 江村がわざとらしく腕を組み、豊満な胸を引き寄せた。それを見た溝口が羞恥で顔を逸らし、彼女がしてやったりと口角をつり上げる。

「お前という奴は……。で、その技術者とは今も連絡を取っているのか?」

「あれ、嫉妬ですか溝口さん? 意外とかわいいところがあるんですね」

「江村。俺は真面目に聞いている」

「分かってますって。日本に帰ってからアヴィスーツちゃんに関して色々聞こうとしたんですけど、連絡は取れませんでした。まぁ、国防省の仕事をちょくちょく受けてたみたいですし、面倒な規約にでも縛られてるんじゃないですか?」

「そうか……」

 溝口の鼻腔に危険が漂う。20式を開発した江村がアメリカで機密扱いになったアヴィスーツの情報を聞いてしまった。そしてそれを吹き込んだ技術者が消息を絶った。その事実は彼女の身に災いを及ぼすことにはならないだろうか?

「何か心配事ですか、溝口さん? 大丈夫ですって。何かあったらリナちゃんに泣きつけばいいんだし、私だって身持ちは固いんですよ。それに近くには溝口さんがいるでしょ。こんなに守られがいのある上司に恵まれて、私は幸せ者ですよ」

「期待されても困る。私はアンタレスのように強くもないし、頭も切れない。せいぜい弾除けくらいにしかなれない」

「はぁ~。何言ってんですか、溝口さん。別にアンタレス君みたいにヒーローしてくれなんて頼んでませんし。本当に溝口さんって彼のこと好きですよね。私の方が妬いちゃいます」

 江村が盛大なため息とともに言葉を投げる。先ほどまで身を案じていた部下に逆に叱咤されている。そんな奇妙な状況に溝口が思わず笑みを浮かべる。

「それは悪かったな。だが私がアンタレスを英雄視しているのは間違いないだろうな。彼にはずいぶんと助けられた」

「もしかしてそれって数年前に自衛隊が海外に派兵されてた時のことを言ってます? PKO活動の一環って名目であちこちの紛争地域で生体兵器の駆除をしてましたよね。でも実態は国連軍の経費削減のためのただ働き。どの国も助けてくれなかったばかりか、死傷者が出ても政治的事情とやらで一切報道されず、記録にも残されていない。おまけに貴重な19式ちゃんが何十体もスクラップになってしまいました。ホントに胸糞ですね」

「……我々はこの国を守るために尽くすだけだ。個人的な感情は持ち込まない。だが我々が疲弊し、心が折れて瓦解しそうになった時、WHOからアンタレスが送り込まれた。彼は戦力的にも精神的にも支えになってくれただけじゃなく、作戦区域周辺にいた難民にも手を差し伸べていた。時には身を挺して彼らをかばい、助け、神のように崇められていたのは今でもよく覚えている」

 かつての、そして先日のハルマゲドンとの戦いを思い起こす。決して他者を見捨てず、生体兵器を完膚なきまでに叩き伏せる。兵士としての強さ、騎士としての信念を身に纏い、紅いアヴィスーツと一体となって戦場を駆ける。その在り方に溝口は自衛官として、そしてひとりの人間として憧れを抱いていた。

「うーん。確かにアンタレス君は強いし、かっこいいですよ。彼だからこそヴェネーノちゃんもMFDちゃんも最高の性能を発揮できてるわけですし。……でも正直、今のアンタレス君は結構危ないと思いますよ」

「何だって?」

 江村の予想だにしない言葉に溝口の思考が停止する。

「アンタレス君は傭兵としてWHOから派遣されているとはいえ、日本のために命をかけて戦ってくれています。でもそれを分かってくれている人って、どれくらいいると思います? 私や溝口さん、あと公安の人たちはいいかもしれません。でもうちのクソ隊長やそのお引きをはじめとした警察の大多数、それに政府ですら彼の存在を疎ましく思っています」

「それは……」

「たとえ彼が手柄を全部譲っても、身を削っても、いいように利用した挙句に邪魔者扱い。それに国民やマスコミの間でも評価は分かれてます。正義のヒーロー、戦争屋、金の亡者。その時々で見方を変えて、アンタレス君をいいようにはやし立てている。いくら彼が本物の英雄でも、そんなの耐えられるはずないですよ」

「…………」

 江村の指摘に、溝口は何も言い返すことができなかった。小学校でのハルマゲドンの襲撃に関して、スターライト・バレットは設立間もない生対の失態を隠すために手柄を譲っていた。そして今回のおとり捜査に関しても、重要参考人の命をアンタレスひとりの手に委ねてしまっている。もし失敗すれば、責めは彼ひとりが負うことになる。

 アンタレスとてひとりの人間であることに違いはない。正しいことをしているのに貶され、罵られ、後ろ指をさされる。そんなことはあってはならないはずだった。だがアンタレスはそれに耐え、今も必死に任務を果たそうとしている。何かを為そうとする使命感、想いが報われない悔しさを溝口は十二分に理解していた。

「江村、お前の懸念もよく分かる。良くも悪くもアンタレスは人々の関心を引きすぎている。私のこの気持ちも、一歩間違えれば彼の枷になってしまうこともな。アヴィスーツのことばかりでなく、それを扱う私たちを気遣ってくれることは大変ありがたい」

 溝口が胸中で決心を固める。まっすぐと江村の顔を見つめた。

「先ほども言った通り、私は無力だ。知恵もなければ、大多数の人間を守る能力も持ち合わせていない。だがこんな私でも、誰かを支えてやることはできる」

「支える、ですか?」

「そうだ。例え誰かがアンタレスのことを否定しようと、私は彼の活躍をこの目で見てきた。本心だって理解しているつもりだ。だから彼の味方でいられるし、手を差し伸べることだってできる。スターライト・バレットの仲間としてではなく、日本人としてアンタレスを認め、サポートする。それが今の私にできる、いや、しなければならないことだと思う」

 溝口が静かに、はっきりと宣言した。その瞳に揺らぎはない。自分の立ち位置を理解しつつ使命を果たそうとする。強い想いが彼らのいる空間を満たしていた。

「うわ、ヤバい。溝口さんが超イケメンだ。これをアンタレス君に聞かせたら、即攻略完了間違いなしですよ」

「江村! まったく、お前という奴は」

 部下の緊張感のない台詞に、溝口の語気が強くなる。だがそこに怒りはない。20式だけでなく自身やスターライト・バレットを気遣ってくれる江村もまた、彼の守るべき対象だった。その想いが通じ合っているからこそ、互いの顔には自然と笑みが浮かんでいた。

 満ち満ちた和やかな雰囲気、トレーナー内に鳴り響く警報がそれを瞬く間に粉砕した。弾かれたように江村がディスプレイに向き直り、キーボードに指をはしらせる。

「えっ、そんな嘘でしょ……」

「おい、どうしたんだ?」

 部下のただならぬ様子に、溝口の顔にも緊張が帯びる。

「アンタレス君の車両の識別信号、および周囲の護衛車両の信号、全て消失しました」

「何だと!」

 江村の呆然とした表情。溝口の激しい動揺。事件に暗雲が立ち込みはじめた。



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