病理検査2
≪こちら牧本。織姫と彦星が移動を開始した。こちらも後を追う≫
「了解した。どうだ二人の様子は? 相変わらずイチャついてるのか?」
≪そう言い方はどうかと思うが、こういう状況じゃなければ仲睦まじそうには見えるな≫
「それは結構。なら周囲を警戒しながら、甘酸っぱい空間を堪能してくれ。何かあったらすぐに知らせる」
新宿某所、スターライト・バレット所有のオフィスビルの一室で、リナがマイクの向こうの牧本に笑いかけた。いくつものディスプレイが併設されたオペレーションルーム。床には数十本もの空き缶が散乱し、事件の調書と思わしき紙の束が無造作に置かれている。その中でリナがキーボードを叩きながら、手元の缶コーヒーを飲み干していく。
≪しかし彦星のやつ、少し織姫に肩入れしすぎなんじゃないのか? 奴が紳士的なのは分かるが、それにしては度が過ぎるような気もするぞ≫
「分からなくもないが、あいつもそれはわきまえてるだろ。それにあんただって、うちのエージェントたちとは仲がいいじゃないか。特にあの女狐、エステのやつが彦星以外の男を気に掛けるなんて前代未聞だ」
≪あいつは! ……ただ俺をからかって遊んでいるだけだろ。いいから任務に集中しろ! ホシはもうすぐそこまで迫ってるかもしれないんだからな≫
「りょーかい」
羞恥の混じった牧本の怒声にリナが楽し気に返事をする。おとり捜査の情報統制兼オペレーターであるリナは絶え間なく流れ込むデータを処理し、織姫と彦星、その隠語の正体であるマリアとアンタレスをサポートすべく職務を全うしていた。口は軽くとも目は真剣そのもので、瞳にはしる情報を逃さず頭の中に叩き込んでいく。
ハルマゲドンが出現した地点を二人が巡る。ターゲット、あるいは黒幕そのものが現れればそれでよし。動きがなければまた次の一手を考える。一帯が封鎖され、監視されている状況なら被害も少なくて済む。リナにとって重要なのはアンタレスたちを生かし、殺させないようにすることだった。
(にしても、仲睦まじいか。アンタレスがそれを望むなら、私はそれでいいんだけどな)
リナがオフィスチェアの背もたれに身体を預け、宙を仰ぐ。アンタレスがマリアに対し、並々ならぬ感情を抱いていることには気づいていた。千住新橋での激闘で大破したアヴァランチに残されていた、アンタレスのバイタルデータ。そこにはカメラアイがマリアの姿を捉えた瞬間の激しい動揺、眩暈、嘔吐、数秒の失神が記録されていた。
何が彼をそこまで動揺させたのか? リナには分からなかったが、その時以降アンタレスは積極的にマリアに関わろうとし、エージェントという立場を超えかねないほど気に掛けるようになっていた。
確かに、マリアはアンタレスのまわりにはいないタイプの女性だった。彼のまわりにいる異性は主にスターライト・バレットの仲間たちで、彼を慕い、尊敬し、尽くし、英雄視していた。そんな仲間たちの期待に応えるためにアンタレスは戦い、名声と屍を積み上げていった。
だがマリアは戦士としてではなく、ありのままの彼を受け入れ、接し、信頼を寄せていた。アンタレスがアンタレスとしてではなく、本当の彼自身として振舞うことができる。貴重でかけがえのない存在だった。牧本の懸念する通り、事件の捜査官が重要参考人と関係を深めすぎることはあってはならない。個人への情念は目を曇らせ、真実への道を見誤らせる。
(だったら私があいつをカバーしてやればいい。それが今の私がアンタレスにしてやれることなんだからな)
終わりのない戦いを続けるアンタレスにも心の支えは必要だった。それがマリアだというのなら、彼女の本性を見極めたうえでサポートする。それがアンタレスの人生を歪ませてしまった者、リナに課せられた責務と贖罪だった。そのための労力を、彼女は惜しむことはしない。
「ところで牧本さん。肝心のテロリストの情報について何か分かったことはあるか? たとえ害虫を駆除できたとしても、大元を絶たなきゃどうしようもないぞ」
≪こっちも懸命に探ってはいるが、まだ有力な手掛かりは得られていないな。くやしいが、この捜査で何か足掛かりを得られることを期待している状況だ。そっちは?≫
「先に同じ。だがこの事件。どうやら興味津々なのは私たちだけじゃないらしいぞ」
≪……どういうことだ?≫
リナの突然の発言に牧本が怪訝そうにつぶやく。
「こっちも色々調べてみたんだ。漂流船やその積み荷、乗組員。その他もろもろね。漂流船はオーストラリアから出航した貿易会社の貨物船、乗組員もだいたいはどこにでもいるような一般市民さん達。ここまでは問題ない。肝心なのはその積み荷。これがヤバい代物だったんだ。こいつを見てくれ」
リナがキーボードを操作し、牧本の携帯端末にデータを転送する。
≪……こいつは貨物船の搬入品のリストか? 二つあるようだが?≫
「その通り。片方は貿易会社に記録されていた本来のリスト。で、後者が私が調べた本当の積み荷のリスト。海上保安庁が船内で調べた記録と個人的に調べたデータを照合して作成した」
≪何? 一体なんでそんな……。これは!≫
「気付くのがはやいな。流石アンタレスが見込んだ男ってだけのことはある」
リナの傍らのディスプレイに表示された二つの搬入品リストが重なり、合致しない部分、本来のリストには存在しない幻の積み荷が姿を現す。同時に船内に残されていた血塗れのコンテナ、その中に映り込んだ食品用とは思えない固定器具の画像が拡大表示される。
「出所不明のコンテナが四つ、余分に積み込まれていた。明らかな密輸だ。どうやら船内に紛れ込んだテロリストがどさくさに紛れて運び込んだブツらしい。そっちに画像データを送ったが、中身の見当はつきそうか?」
≪それを俺に聞くのか? 人ひとり入れそうなほどの大きさはあるが、まぁ少なくても食料品でも、ハルマゲドンのものでもなさそうだな。奴らの卵は人間の赤ん坊ほどの大きさだったはずだ。それをコンテナに満載していたとしたら、孵化しても食い物が足りずに餓死するか共食いでもしていたはずだ≫
「ご名答。たとえそうでも、凶暴なハルマゲドンの卵を量産するのは、資金的にも労力的にも厳しいはずだ。正直、私も自力ではコンテナの中身の正体は掴めなかった。でも答えは向こうからやってきてくれた」
リナの指が軽やかにリズムを刻み、様々な情報を表示させていく。貿易会社の貨物船のデータ、海上保安庁の漂流船の調査記録、それらが保管されたサーバーに外部から侵入した痕跡があった。情報の流出経路を表示したマップ上で、様々な国や個人名が星のごとく明滅する。それらを解析し、束ね、導き出されたひとつの道しるべをたどっていくと、合衆国バージニア州アーリントン群に行き着いた。
「アメリカ国防省、ペンタゴン。何故かやつらが漂流船の事を調べてる。どうやらFBIとも連携しているらしい」
≪おい、ちょっと待ってくれ。どういうことだ? まさか、今回のテロはアメリカが仕掛けてきたのか?≫
「面白いけど考えにくいな。もしそうだとしたら、わざわざ隠れてハッキングなんてしないだろ。多分やつらも欲しかったんだ。積み荷か、紛れ込んだテロリストたちの情報をね。多分敵がペンタゴンにちょっかいをかけ、戦利品か何かを害虫と共に日本へ持ち込んだ。国防省が外部には知られたくないような代物を」
≪そんなバカな。確証はあるのか?≫
「まだないな。あくまで予想だし、裏付けも取れていない。だがもしこれが真実なら、私たちは相当やっかいな連中を相手にしていることになる。お互いに注意したほうがよさそうだぞ」
動揺する牧本を静めるようにリナが淡々と告げる。だが彼女の胸中も、様々な疑念で溢れかえっていた。ハルマゲドンのバイオテロにはじまりサバイバーであるマリアの存在、そして国防省の影までちらつくようになってきた。偶然か、必然か? 進めば進むほど、陰謀の糸が自分たちに絡みついてくる。言いようのない感覚が不快でたまらなかった。
「とにかく私たちは私たちにできることをやるしかない。私はコンテナについてもう少し調べてみる。あんたらは彦星たちの監視と、国内にアメリカの連中がでしゃばってきていないかを探ってもらいたい」
≪分かった。だがコンテナを調べるったって手掛かりはないんだろ? 海上保安庁に頼んで漂流船の内部を調べてもらったほうが確実だと思うが≫
「時間があればな。でも現状では少しでも早く情報が欲しい。襲撃者の正体につながる何かがあれば、デート中のあいつも対処がしやすいはずだ。骨は折れそうだけどな」
≪くそ、せめてこいつが血塗れじゃなければな。文字のひとつでも書いてあれば、何か分かったかもしれないのに≫
「おいおい牧本さん。そんな物事が都合よく……、待てよ」
牧本のぼやきにリナが相槌を打とうとして、手が止まった。先ほどの画像データを画面に呼び出し、リナオリジナルの解析ソフトを立ち上げる。画像拡大、血に染まったコンテナ表面の一部に作為的な痕跡を確認、血が意図的に塗り込まれていた。範囲指定、血のりの淵に残された黒い文字の断片を発見する。明暗度識別、わずかに浮き出た輪郭をソフトが補正し、隠されていた文字の予測パターンが無数に表示される。
「凄い! お手柄だぞ牧本さん。コーヒー十五杯分くらいの功績だ。今度会ったら選りすぐりの品を進呈しよう」
≪そんなに飲めるか馬鹿! まったく、真剣になったと思ったらすぐこれだ≫
「遠慮するなよ、愛してるぜ」
≪なっ……≫
リナの軽口に牧本が動揺する。その間にも解析ソフトは演算を続け、文字の書体や間隔などからパターンを厳選し、答えを抽出していく。そうして出来上がった最高確率の解析結果が、リナの目の前に提供された。それをひと目見て、彼女が呆然とする。
「何だよ、これは?」
わずか六桁の英数字の羅列。BW-0325が黒い香りをくゆらせていた。




