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病理検査1

 そこは彼女にとって馴染みの場所であり、彼にとってはかつてないほどの戦場だった。先日まで子供たちの学び舎であった新宿第三小学校は、今や血と瓦礫で埋め尽くされた廃墟と化している。教科書やランドセルが散乱し、ちぎれた衣服が風にたなびく。立ち入り禁止のテープが幾重にも貼られ、所々にブルーシートがかけられていた。

 そのグラウンド、供えられた花束の前で腕を組み、死者の冥福を祈るマリアをアンタレスは静かに見守っていた。

 膠着した状況を打破すべくWHOが提案したおとり捜査、事件の重要参考人であるマリアを表に出すことで敵の動きを誘発させる。本来なら、唯一の手掛かりである彼女を危険に晒す行為は愚策でしかない。だがハルマゲドンが従来に比べて加速的な成長を遂げ、パンデミックによる被害の拡大が懸念される以上、事態は一刻の猶予も許さなかった。

 アンタレスとて、本心ではマリアを危険な目になど合わせたくはない。それでも作戦を断行したのは、他ならぬマリアの意思を尊重したからだった。自分の命よりも、生徒や他人の身を案じる優しい性格。捜査への協力を要請した時も、二つ返事で了承してくれた。

 ――私が少しでも子供たちの助けになれるのなら、ぜひ協力させてください。お願いします。

 震える手を抑え込みながら微笑む姿が、今でもアンタレスの脳裏に焼き付いている。絶対にマリアを死なせるわけにはいかなかった。

「すいません。わがままを言ってしまって。車の中で待つように言われていたのに、花まで手向けてしまって」

「いえ。あなたを守るために私が付いているのです。それに亡くなった子供たちも喜んでいると思います。本当にあなたはお優しいお方だ」

「……ありがとうございます」

 アンタレスの言葉にマリアが恥ずかしそうにはにかむ。そんな彼女に笑みを返し、停めてあった特殊車両NSX-Aのダッシュボードから缶コーヒーを取り出した。それをマリアに差し出し、会釈しながら黙々と飲む彼女をさりげなく見つめる。

 彼がマリアに注目するもうひとつの理由。初めて彼女を見た際に生じたフラッシュバック、過去に出会い、今は存在しないはずの少女と面影が重なった。ただの偶然では考えられない。双方ともハルマゲドンが関わっている以上、何か得体の知れないものが蠢いている。そんな予感がアンタレスの全身に訴えかけていた。

「でも、本当に犯人や、ハルマゲドンは私を狙ってくるのでしょうか? もし、アンタレスさんがまた危険な目にあったら……」

「ご心配なく。今日は私だけじゃない。仲間や警察の方々がガードしてくれています。みんな、あなたのようにトーキョーの安全と平和を願っています。信じてください」

「分かりました。私もお役に立てるよう頑張りますね」

 敵の襲撃に備え、周囲には警察とスターライト・バレットの609部隊から三体のMFDが配備されていた。学校近辺には公安の捜査員たちが網を張り巡らせ、五百メートル圏内には生対の残存勢力で構成されたアヴィスーツ部隊、一キロメートル圏内には警備部の19式部隊がそれぞれ密かに展開していた。それぞれを公安の牧本、生対隊長の権藤、同じく副長の溝口が担当し、オフィスビルに待機したリナが全体を統括する。

 マリアを守り、事件を解決するために組まれた共同戦線を頼もしく思いつつ、アンタレスは改めてマリアへと向き直った。笑みを絶やさず、缶コーヒーをおいしそうに飲んでいる。そんな彼女に負い目を感じつつ、アンタレスは謎の正体を探るべく行動を開始した。

「マリアさん。教職者であるあなたにお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「は、はい。私にお答えできることなら」

「ドリームチルドレンについてどう思われますか? 遺伝子レベルでの調整を受け、思考も身体のつくりも普通の人間とは違う。確か、あなたのクラスのマキノ君もそうでしたよね。彼に対し、特別意識していることはありますか?」

 アンタレスの突然の質問に、マリアが戸惑いの表情を浮かべた。

「……それは事件に何か関係のあることなのですか? 私がサバイバーであるのと同じように」

「いえ。単純に私の興味です。WHOの任務に従事していると、時折ドリームチルドレンの定義についての議論を耳にするものですから。……彼らを人間として扱うか、そうでないかを」

「どういう、意味ですか?」

「本来は健康な新生児を誕生させる目的だった治療法を悪用し、子供たちを大人のエゴの道具に仕立て上げる。そうして生まれた者たちを、はたして人間と呼んでいいものか? 彼らが事件に巻き込まれた際、人間として保護するべきか否か? そうしたことを上層部の人間は絶え間なく話し合っています」

「そんな……、ひどいです」

 マリアがショックを受け、顔を伏せる。ドリームチルドレンだけではない。生命の身体構造、遺伝子に干渉する技術が発達した現在では、他にも様々な事象が存在する。治療を拡大解釈し、身体を直接増強する技術から、知的好奇心で様々な動物の部位を移植する技術まで、際限なく増え続けている。どこまでが人で、どこまでが人でないのか? 

「私個人に生まれてきた命を区別する資格はありません。しかし正直に言えば、自分の子供をドリームチルドレンにした大人たちには疑問を抱かざるを得ません。何故我が子を自分たちの都合のように弄れるのか? 何故健康なだけではいけないのか? 生きているだけでは不満なのか? 任務をこなせばこなすほど、その疑問はますます膨れ上がってくる」

「アンタレスさん……」

「あなたも、そのような差別はしない方だと信じています。それでも私は知りたいのです。サバイバーとして、ひとりの教師として、どう考えているのかをお聞かせ願いたい」

 アンタレスが頭を下げる。マリアの生徒を軽蔑していると思われかねない言動、そして個人的な問題につき合わせようとすることへの謝罪を込めて。少しでもマリアの思考を読み取り、過去との関係性を掴みたい。その一心で、アンタレスはあえて彼女を傷つける言動を取った。

 マリアは沈黙していた。アンタレスの言葉を一字一句かみしめる様にうなずき、そしてゆっくりと彼の顔を見つめた。

「それは、私にも当てはまることですね」

「えっ?」

 音のない廃墟の中で、彼女の言葉が静かに響いた。

「私もドリームチルドレンの子供たちと同じです。サバイバーとして生まれ変わった私が、まわりからどう見られるか? アンタレスさんは、私がサバイバーだと知った時、どう思われましたか?」

「……何も変わりません。優しくて、強くて、包容力がある。尊敬できる方だ」

「少し褒めすぎですね。でもそれが答えなんだと思います。あなたは私という人間を知っています。そして私はマキノ君のことを知っています。少しプライドが高くて、友達とすぐにケンカになってしまいます。それでも友達をいたわり、自分の行動を反省し、仲良くすることができます。それはドリームチルドレンではなく、マキノ君が優しいからです。普通の人と何も変わりません」

「っ!」

 ――――なんで分かんないかなぁ? みんな同じじゃん。言葉とか肌の色とか、性格とか性別の違いみたいなもんでしょ? そんなことで殺し合うなんてバカバカしいって話なの!

 マリアがアンタレスの賞賛に頬を染めながらも、キッパリと主張した。その言葉がアンタレスの鼓膜を刺激し、過去の記憶を呼び起こさせる。

「みなさんはサバイバーもドリームチルドレンも特別で自分たちとは違うと思っています。でもそれは知らないからです。私もマキノ君も、普通の人と変わらない心を持っていることを。だからそれを知ってもらえば、みんなが仲良しになることが出来ると思います。どんな人間も何も変わらない。みんな同じなんです」

 ――だからさ。あたしはそんなバカげた連中に分からせてやりたいの。みんなあなた達と同じように泣いたり、笑ったり、怒ったりして生きてるんだって。そうすれば、もう誰も他人を傷つけようとなんてしない。みんな自由に生きていけるんだ。

「ですが、その親は? 他者と優劣をつけるために子供に手を加えた親はどうなりますか? 自分たちの都合で我が子を差別されかねない境遇に追いやった。そんな彼らも、あなたと同じだと言い切れますか?」

「それは分かりません。私はマキノ君のご両親としかお会いしたことがありませんから。でも彼のご両親は、純粋に子供のためを思って遺伝子治療を施したと思います。Vウイルスをはじめとしたウイルスへの耐性をつけ、それに付随した体力を付与したとうかがっています。容姿に関しては確かに奇抜ですが、子供の幸せを願っているのは本当のことだと思います」

「…………そう、ですか」

 マリアの淀みない言葉にアンタレスが沈黙した。慈愛に満ちた言葉が強烈なボディブローとなって彼の精神を抉り取っていく。マリアは、あの時の少女と同じだった。殺し合いをやめない人間を憎みながらも、いつかは分かり合えることを信じて歩み続けてきた。そんな彼女を守り切れず、仲間ともども死なせてしまった。なつかしさと、悲しみと、怒りが心の中で渦巻いていく。

 だからかもしれない。心の奥底に追いやったはずの感情がひたひたと音をたてて近づいてきた。

「マリアさん。私はあなたの言葉を信じたい。そうして人々が分かり合えれば、くだらない争いや差別はこの世から消える。ですが、やはり自分の都合しか考えられない大人は存在する。そんな連中に抵抗できず、なすがままにされる子供も多い。そんな子供たちが、はたして親を信じられると思いますか? 自分たちを虐げたものと同じ存在だと。私ならとても認められない。いや、決して認められない!」

 亀裂が入ったダムのごとく、隙間から感情があふれ出してくる。小学校で殺された子供たち、シリアで殺した子供たち、そして自分を虐げた父と母という名の大人たち。無数の影の濁流がアンタレスの内面を侵していく。

「アンタレスさんは、やっぱり素敵な方ですね」

 その闇がひと筋の光にかき消された。

「どういう意味でしょうか?」

「あっ、いきなりすいません。でも初めてお会いした時から、意外に思っていたんです。傭兵の方って、みんな命を何とも思っていない、冷たい人たちという印象がありました。でもアンタレスさんは違いました。自分だけでなく、私や子供たち、世界の人々のことを気にかけてくださっている。少なくとも、アンタレスさんのような大人なら、みんな信じてくださると思います」

「騙して取り入るために、善人を演じているだけかもしれませんよ?」

「それはないです。あなたのお顔、本当に悲しそうで、つらそうでした。他人のために心を痛めることができる方が、嘘をつくとはとても思えません」

 屈託のないマリアの言葉がアンタレスの心を満たしていく。温かく、安心する。その気持ちが彼にある事を気付かせた。

「…………そうか、やはり君とは違うんだな」

「はい?」

「いえ、何でもありません。ありがとうございます、マリアさん」

 きょとんとしたマリアに、アンタレスが晴れやかな笑みを返す。傭兵としての力ではなく、アンタレスの人柄を見て、ありのままの彼を認めてくれた。その包容力は、過去の少女にはない、マリア自身の人間性だった。例え共通の理想を持ち、ハルマゲドンに命を脅かされていようともそれは変わらない。

(例えあの時のフラッシュバックが偶然じゃなかったとしても、マリアさんはマリアさんだ。そんなことが分からなかったほど、俺はまだこの人のことを知らなかったんだな)

 同じだが違う存在。アンタレスは自分を恥じた。無意識のうちに過去への贖罪を求め、少女とマリアを無理に重ねようとしていた。そしてある想いが胸中に芽吹きつつあった。スターライト・バレットの傭兵という役割ではなく、それを演じていた本当の彼自身が、マリアというひとりの女性と深く関わりたいと望んでいる。

「マリアさん、そろそろ時間です。次のポイントへ移動します。車に乗ってください」

「分かりました。でも、今度ここへ来たときは、アンタレスさんも子供たちに声をかけてあげてください。きっとみんな喜ぶと思います」

「そうですね。でもその前に早く仕事を終わらせて、子供たちを安心させてあげないと」

「はい。私も、あの子たちのために精一杯頑張ります」

 両腕を胸に引き寄せ、決意を固めるマリアにアンタレスがうなずきかけた。単なる代償行為ではない。過去ではなく、現在に意識を向ける。マリアという人間そのものを守るための戦いが、いま改めて始まろうとしていた。



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