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教育的始動

 その日のトーキョー、新宿区の天気は上々だった。気温20度、湿度50パーセント、時折そよ風が吹いている。春にしては肌寒いが、快晴の日差しがそれを忘れさせてくれる。

 新宿区の一角にある新宿第三小学校では、ちょうど一時間目の授業が始まるところだった。五階建ての真新しい校舎で、1561名の生徒が勉学に励む。

「みなさん、今日も気持ちのいい日ですね。では、授業を始めましょうね」

 マリア・ハーバードは教壇から児童たちに微笑みかけた。ほがらかで優しい声に、三年二組の生徒たちが元気よく応える。そんな様子にマリアがはにかみ、社会の教科書を開いた。

 彼女はアメリカ人だが、れっきとした日本の小学校教諭だった。日本が進めるグローバル化によって職業の幅が広がり、外国人でも教員免許を取得することが可能となった。

 セミロングの金髪が風に揺られ、白い肌が太陽に照らされる。黒板に文字を書くマリアの後姿に男子が見とれ、女子は羨望の眼差しを向けていた。赴任当初はたどたどしかったチョークの筆跡も、いまでは黒いキャンバスを滑らかに彩っている。

「はい。では、今日はWHO、世界保健機関について学びましょうね。WHOはみんなの健康を守るお仕事をしていますが、今ではもう一つ、とっても大事なお仕事があります。何か分かる子はいますか?」

 黒板に書かれたWHOの文字を示しながら、マリアが問いかける。するとひとりの男子が元気よく右手を掲げた。

「おれ知ってる! 怖い生き物を退治してるんだ!」

「よくできました! タシロ君は物知りですね」

 褒められたタシロが、恥ずかしそうに鼻をこすった。その右人差し指は灰色に染まっている。過去に巻き込まれた事故で欠損したものを、細胞培養による再生治療で復元していた。

 もう一人、別の男子が静かに手をあげた。日本人離れした銀色の髪に左右で違う瞳の色、10歳にしては整いすぎた顔をマリアに向ける。

「ハーバード先生、タシロ君の答えは漠然としすぎています。正確には第一次ウイルステロ以来、爆発的に増加した生体兵器を駆除することです。怖い生き物なんて曖昧な言い方、回答としてはあまりにもバカげてます。自分の知識のなさをひけらかすようなものだ」

「何だよ、マキノ! ちょっと頭がいいからってバカにすんなよ!」

 呆れたように、博識を自慢するようなマキノの言い方に、一部の女子が賞賛の声をあげる。

 ドリームチルドレン。先天的遺伝子障害を持つ夫婦のために確立された技術で、遺伝子障害を持つと思われる子供に遺伝子治療を施すことで、健康な新生児を誕生させる。だがその意義は一部の富裕層の私欲によってねじれ、理想の子供を生み出す手段へと転換された。

 このような使用法は禁止されているが、病院や医師への賄賂と好奇心によって知力や体力、容姿までをも調整され、生まれてくる子供が後を絶たない。マキノも裕福な親のブランド品として生み出され、あらゆる意味で注目の的となっていた。

 マキノの辛辣な言葉を受け止めつつ、マリアはクラスの子供に笑いかけた。

「確かに、マキノ君の言うことは正しいですね。五年前に起きたウイルステロで人がたくさん死にました。今ではワクチンによってみんなの体は守られていますが、代わりに生体兵器と呼ばれる生き物が暴れまわるようになりました。そう。そしてそれはタシロ君の言うように、とても怖い生き物です。だからタシロ君もマキノ君も、どちらも正しいということです。二人が正しくて、先生はとても嬉しいです」

 なだめるような言葉に、二人の少年が言い争いをやめた。ばつが悪そうにそっぽを向き、やがてタシロが口元を緩める。そんなタシロを横目で見つつ、マキノも興味が失せたように腕を組み、目を閉じた。

 さかのぼること十数年、医療や様々な生体工学技術が発展していった。タシロのような純粋な治療法から、マキノの生命を遺伝子レベルで改造する技術まで、世界に浸透し、認知されてきた。そして技術の発達は、人の命を奪う方法までをも進化させてしまった。

「ヴィオレットガスと、その時は呼ばれていました。この日本やドイツ、イギリスの人がたくさん集まるところで次々とまき散らされ、大勢の人がなくなりました。それだけではなく、悪い人たちが、国連軍に対してガスをまき散らし、攻撃の手段にしていました」

 有機物に接触すると結合しようとし、その過程で細胞を破壊するVウイルス。それを生体兵器として利用したのものがヴィオレットガスだった。紫色の煙が周囲を覆いつくし、接触した人間を瞬く間に溶かしていった。

 ただのガスマスクでは到底防げず、肌が露出していれば致命傷となりうる。一億分の一の確率で、遺伝子レベルの耐性を持つ人間以外は、例外なく消えてきた。

「でもWHOが開発したアヴィスーツによってウイルスは防がれ、ガスを使用していたテロリストも蹂躙されました。そんなもの、もう時代遅れですよ」

 マキノがしたり顔で口を挟み、教科書に載った写真を指で叩く。そこには漆黒のカラスを思わせる、異様なパワードスーツが写っていた。カラスのようなフルフェイスヘルメット、ずんぐりとした防護服の外側に、白い外骨格が露出している。全身に重火器を満載し、右腕には銃口が焦げた火炎放射器を装備していた。

「アヴィスーツ。Vウイルスを解析したWHOが対抗策として開発した、防護服と戦闘服の機能を掛け合わせたパワードスーツ。その第一号機がこのドクトルです。全身を密封することでウイルスを防ぎ、圧倒的火力で悪人どもを駆逐する。僕も実際にその様子を見てみたかったですよ。焼き殺されるテロリストを、テレビや映画ではなく、ね」

 ある意味子供らしい、残酷な口調でドリームチルドレンがつぶやく。マリアはそれを諫めようとするが、かわりに口を開いたのはタシロだった。

「おいマキノ! お前、本物のアヴィスーツ見たことないのかよ。俺はこれよりもっとかっこいいのを見たことあるぜ。あのスターライト・バレットの赤いアヴィスーツだ。両手の拳銃で怪物を倒して、おれや父ちゃんと母ちゃんを守ってくれたんだ!」

 その言葉に教室内がざわめく。すげー! うらやましい! どこで見た? あちこちから驚きと羨望の声が響く。マキノの表情が歯軋りで歪む。

「あんなの、ただの金稼ぎが目的の傭兵じゃないか! WHOが雇って日本に派遣しただけさ。別に正義の味方でもなんでもない! そんなの、羨ましがるなんて馬鹿げてるよ!」

「うそつくなよマキノく~ん。お前がスマホで隠し撮り画像を検索してたの見たことあるんだぞ。当然だよな、警察のアヴィスーツよりも何十倍も強くて、頼りになるんだから!」

「うるさい! 俺の行動を盗み見するなんて、ストーカーだよストーカー! だいたい君だって、ハーバード先生の胸や尻をことあるごとに見つめてるじゃないか! この変態!」

「な、何だと、このヤロー!」

 ムキになり、口喧嘩をはじめた二人を見て、マリアは静かに微笑んだ。嫌っているように見えて、実は相手のことをよく見ている。そんな子供の純真さを見守るかのように。

「はい、二人とも落ち着きましょうね? 授業はまだ」

 優しく声をかけた直後、教室の床が小刻みに振動し始めた。徐々に大きくなってくる。動揺し悲鳴をあげる生徒たちを落ち着かせようと、マリアが前へ出た。

 床から突き出た巨大な鋏が、彼女の視界を覆いつくした。




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