BW-0325事象<接触感染>※4
暗闇の中をいくつもの光が揺らめいていた。コンクリートで塗り固められた地下通路、壁を伝うケーブルにつながれた橙色の照明、砕けた床から土砂が露出している。戦闘員はおろか、人の気配すら感じられない。その中を二人の男が拳銃を構えながら進んでいた。銃身下部に取り付けられたタクティカルライトが空間を切り裂き、這うように周囲の様子を探る。
「まさかこれほどのものが屋敷の地下に……。敵は相当の戦力をここに蓄えていたようだな」
「そのようだな。だが肝心のハルマゲドンはまだ見つかっていない。それにあなただって万全じゃないはずだ。気を引き締めていこう」
つぶやきながら視線をはしらせるヴァイパーを、アンタレスが気遣いながらカバーする。数日前までニューロン・コネクタの拒絶反応で苦しんでいたヴァイパーも、今では作戦行動に参加できるほどにまで回復していた。不調を感じさせない動きに、アンタレスも心の中で安堵する。
だが、事態はそれと反比例するかのように深刻化していた。制圧した屋敷の地下に隠されていた広大なスペース、アリの巣状に広がるいくつもの部屋には大量の武器弾薬、食料、アヴィスーツのパーツなどが貯蔵されていた。にもかかわらず、今回のターゲットであるハルマゲドンの痕跡は何ひとつ発見できていなかった。
先ほどの子供たちの襲撃が時間稼ぎだとすれば、すでにハルマゲドンが別の場所に運び去られてしまった可能性は高い。早急に対処しなければ、未知の生体兵器による蹂躙を許してしまうことになる。
「……そうだな。それでも俺たち四人ならどうにかできる。これまでも死線を潜り抜けてこれたんだ。やってやれないことはないはずだ」
「いや、三人だな。ボアはもう使い物にならないし、奴と協働するのはまっぴらごめんだ。殴られた胸が疼いて仕方がない」
「そう言うな。確かにあいつは錯乱してお前を攻撃した。だが結局は敵を掃討し、お前もそんなボアを治療してやった。俺と同じようにな。……もう一度信じてやってくれないか?」
「……あなたがそう言うのなら」
ヴァイパーの信頼にアンタレスがあいまいな首肯を返す。仲間を騙している罪悪感にさいなまれながら、暗闇に目を凝らしていく。
ストーム、ヴァイパーと合流し、気絶したボアを回収した後のデブリーフィング。トレーラーの中で自身の能力を明かせないアンタレスは虚偽の報告をした。――ボアがサーバルを同士討ちした後、錯乱しつつも子供たちを制圧した。ヴァイパーはそれを信じたが、ストームは何かを悟ったように口角をつり上げる。
直後、待機スペースに寝かされていたボアが目覚め、発狂した。血走った目を見開き、周囲のものを弾き飛ばしながら大声をあげた。慌ててヴァイパーとアンタレスが彼を抑える。その最中で、アンタレスはボアの体表に無数の注射痕があるのを発見した。拒絶反応の抑制剤のものではない、もっと別の何か。すかさず傍らに用意してあった鎮静剤を投与した。
「だが奴は薬物中毒だった。精神的にもトラウマを抱えている。心も体も損耗しきっているんだ。やはり今の奴には、これ以上戦い続けることはできないと思う」
はっきりとアンタレスが告げた。その言葉にヴァイパーが沈黙し、諭すように口を開いた。
「……これはひとり言だが、数年前、中東に展開するフランスの外国人アヴィスーツ部隊に凄腕の傭兵がいた。重装備で敵に突っ込み、容赦ない爆撃を加えていく。何体ものアヴィスーツや生体兵器が、そいつ一人のためにバラバラに砕け散った……。その分、周囲に二次被害をもたらすことも多かったようだがな。高圧的で荒々しく、同僚と揉めることも多かったそうだ」
「欧州の移民政策のひとつか。適性のあるものに永住権をあたえ、かわりに兵役を課す。だが実態はアヴィスーツの装備の実験台や汚れ仕事。決して生存率は高くない。それで、その傭兵がどうかしたのか?」
突然のヴァイパーの発言に、アンタレスが怪訝な表情を浮かべる。返事を促すが、前を進む仲間が振り返ることはない。
「……ある日、彼らを雇う軍上層部から指令が下った。内容は反欧州勢力の殲滅作戦。旧時代の要塞を利用した拠点に爆撃を加え、敵をあぶり出したうえで制圧する。彼にとっては他愛のない任務のはずだった。部隊の隊長に指示された彼は単独で先制攻撃をかけ、突破口を開くことになった」
「…………」
「いつも通り、彼はありとあらゆる火力を要塞にぶち込み、一帯を焼き尽くした。だが今度ばかりは勝手が違った。敵の姿はそこにはなく、……広がっていたのは女子供の死体の山だった。焼け焦げた赤ん坊を抱き上げる母親、頭が吹き飛んだ死体の前で泣きじゃくる子供。凄惨な状況だったらしい。その場所は敵の拠点などではなく、ただの難民キャンプだった」
ヴァイパーが曲がり角で立ち止まり、飛び出す。タクティカルライトの奥には、ただ道が続くばかりだった。
「単なる情報の間違いだったのか、それとも作為的なものだったのか? それは分からない。だが彼はその責任を全て押し付けられ、部隊から追い出された。仲間たちの多くはそれを惜しむどころか、喜んでいた。いい厄介払いができたとな」
「まさかそいつは……」
誰とも分からない身の上話をヴァイパーが語る。その意味をアンタレスは徐々に察し始めていた。
「部隊を追われた彼は自暴自棄に浸っていたようだが、最近ではフリーランスの傭兵として活動を再開したらしい。稼いだ金は、件の難民たちの救済に当ててるとの噂だ。男手のない数十名の母子を養い、贖罪のためにその身をすり減らす。……他人を気遣う優しさを身に着けた彼なら信頼できるし、再び立ち上がることもできるはずだ。俺はそう思う」
振り返ったヴァイパーが見定めるように、アンタレスの目をまっすぐ見つける。話題の彼がボアであるのか? 何故ヴァイパーがそれを知っているのか? アンタレスにそれを詮索するつもりはない。ただひとつだけ、彼の胸中に募る想いがあった。
「確かに悲惨な話だな。だが戦場で自分を見失えば、喰われていくのがこの世の常だ。過去に何があろうとそれは変わらない。……例えそれが信頼できる仲間だったとしてもな」
「……アンタレス、お前」
義理堅いはずの仲間の冷たい言動にヴァイパーが戸惑う。靴音だけが通路に響き、暗闇に吸い込まれていく。
アンタレスにはその傭兵の気持ちが、分かりすぎるほど分かってしまった。
心理的外傷――、トラウマ。誰かを殺めた罪でその身を縛られ、償い、許しを請わなければ生きていけない。それを認めるのが怖いが故に、偽りの自分を演じて戦いに赴く。まさしく、今の自分自身そのものだった。
表情を殺し、沈黙を貫くアンタレスを気遣うように、ヴァイパーが言葉を紡ごうとする。それをアンタレスが制した。右手に持った自動拳銃・ファイブセブンを構え、通路の奥を指し示す。散り際に咲く赤い花、血のにおいがかすかな風に乗って漂ってきていた。ヴァイパーもすぐにそれを感知し、アンタレスにうなずきかける。
足音を殺して素早く前進し、鉄板が打ち付けられた木製の扉の淵に張り付く。互いにハンドサインを送り合ってタイミングを合わせ、ヴァイパーが開けた扉からアンタレスが一気に突入した。銃口が左右に動き、獲物の気配を探る。一方で、部屋の状況を把握した彼の視界は動揺でグラグラと揺れはじめていた。後方のカバーを終え、続いて部屋に侵入したヴァイパーも思わず銃の構えを解きかけ、つぶやく。
「何だここは……」
そこはまさしく聖域だった。高い天井、壁面に張られたシャンデリアの数々、光沢のある石に覆われた床、それらをいたるところに置かれたろうそくが照らし出し、妖しく揺らめいている。教会を思わせる怪しげで幻想的な空間が、薄暗い地下の世界に顕現していた。
「ヴァイパー、見てみろ。奥にある教壇付近だ」
アンタレスが銃口を向ける先に、二つの人影が寄り添うように横たわっていた。成人男性と未成年女子、男は軍服らしきものを身に纏い、白いワンピースを着た少女は頭にベールをつけている。互いに胸をナイフで貫き、染み出た赤黒い血がベットリと衣服に付着していた。
アンタレスが傍に跪き、脈をはかる。
「脈は、すでにない。体温と死後硬直、血の凝固の度合いからみて、死後一時間近くは経ってるな」
「例の子供たちの生き残りと、……敵の指揮官か? 最後に少女と心中とは腐った奴だな。だがその男、シリア人には見えないが」
「そうだな。どちらかというと欧米人と判別できる。反米思想の人間か、工作員か。敵がこちらの武装を把握していたり、アメリカ製の兵器を多用していたのと何か関係があるかもしれない。アヴィスーツを纏っていた連中も、もしかしたらこいつと同じ人種かもしれない」
「っ……、クズどもが」
怒気を纏うヴァイパーに、アンタレスが淡々と答えていく。それでも内心は憎悪で煮えたぎっていた。ヴァイパーを見上げた際に視認した天井。その一面に描かれていた絵に視線が突き刺さっている。
黒い巨体を持つサソリのような化け物の周囲に、大勢の子供たちがひざまずいている。四肢を失いながらも笑顔を浮かべ、光が化け物と子供たちを包み込んでいた。一方でその外郭、赤黒く彩られた場所には多くの人間の死体や兵器が描かれていた。どれも貪り喰われたかのようにボロボロで、所々にアメリカやヨーロッパの国旗らしきものも描かれている。
そしてサソリの描かれた中央部分には、聞き覚えのある文字が刻まれていた。
――神に歯向かう反逆者に死の祝福を。血肉を捧げ、永遠の救済を。復讐は全てを救い、神が汚れを貪り喰らわん。
(ふざけた真似を!)
アンタレスの握り拳が軋みをあげた。先ほどの子供たちが何をされたのか、その光景が脳裏に浮かぶ。
麻薬による洗脳を施し、領土を侵す異人達への憎しみと、ハルマゲドンへの畏怖を植え付ける。四肢の一部を切除し、供物とさせることで狂信的な兵士に仕立て上げる。生体兵器の存在を神格化し、子供たちの救世主へと昇華させる。
(人殺しの道具である生体兵器をこんなことに利用するとは! あんなものが、間違っても救いであっていいはずがないんだ!)
大人たちのエゴが子供たちに押し付けられ、願望を満たすための道具にされた。そんな少年少女を大量に虐殺し、結果的に仲間まで傷つけてしまった。それらの事実が心に爪痕を残し、今も傷口を抉り続けている。否が応でも、ハルマゲドンは潰さなければならなかった。
「ヴァイパー、死体はもういい。付近を調べて、ハルマゲドンの痕跡を探そう」
「分かった。だが大丈夫か? 顔色が優れないようだが……」
「大丈夫じゃないだろうな。少なくとも、ハルマゲドンとやらをこの手で引きちぎるまでは」
「っ! ……無理だけはするなよ」
「……分かっているさ」
ヴァイパーが気圧されるほどのプレッシャーを放ちながら、アンタレスが立ち上がる。その足元、木張りの床の裏から何かが作動する音が響いた。直後、異変を察知したアンタレスがヴァイパーを突き飛ばし、体が一瞬浮き上がる。重力が抜けた床から彼を掴み、死体もろとも奈落の底へと引きずり込んだ。
「アンタレス!」
ヴァイパーの声が急激に遠のいていく。体感にして二十数メートル、永遠とも思える数秒の後、物理的な衝撃がアンタレスの全身を蹂躙した。体内のヴィーナスがすかさず細胞を活性化させ、治癒力を劇的に増幅させる。痛みが和らぐのと同時に、あたりに充満した腐敗臭が猛烈な吐き気を催した。
落下した際に紛失したらしい右手のファイブセブンにかわり、腰のホルスターに収めていた左手用のものを引き抜く。タクティカルライトのスイッチを入れて周囲を照らすが、そこにはただ闇が広がるばかりだった。何もなく、褐色の岩肌のみが白い光を受け止めている。
(俺は、まさか死んだのか?)
アンタレスに得体の知れない不安が募る。ここはどこなのか? このにおいの正体は何のか? そもそも一緒に落ちてきたはずの死体はどこへいったのか?
その答えは前方から近づいてくる気配が教えてくれた。骨が軋むような歪な響き、何かがボリボリとかみ砕かれるような音が徐々に大きくなってくる。アンタレスが銃を構え、ゆっくりとそちらへライトを向けた。
白い光の中、男と少女の死体が黒く大きな何かに捕食されていた。視界の中の何かは一気に肉塊を飲み込み、極彩色の目らしき器官で次の獲物を睨みつける。血の混じった唾液が滴り落ち、円口の周囲に生えた無数の歯が小刻みに震えはじめた。
まるで闇そのものが迫ってくるかのような感覚に、アンタレスが思わず後ずさる。身の危険を感じて発砲しようとした矢先、闇の中でかすかに手のようなものが引き込まれるのが見えた。咄嗟に側面へ飛ぶ。体を何かがかすめ、抉られる様な激痛が胸部にはしる。焦げた匂い、防弾ジャケットが戦闘服ごと千切れ飛び、その下の皮膚が熱傷を負っていた。
「ぐっ、ヴァイパー、コンタクト! くそ、無線が通じない!」
激痛に顔を歪ませたアンタレスがファイブセブンのトリガーを立て続けに引いた。貫通力に優れた5・7ミリ弾が敵に殺到し、体表でひしゃげて地面に落ちる。それをわずらわしいと言わんばかりに闇が咆哮し、またも見えない攻撃が繰り出された。アンタレスが前方に大きく飛び込んで回避し、敵の口内に銃弾を放つ。わずかに闇が怯むが効果は確認できない。むしろ激昂し、しぶとい餌に憎悪と殺意をたぎらせた。
頭部の下にある椀部の輪郭が鮮明になり、折りたたまれた先端が開かれる。ライトに照らされた鎌、血に染まった刃が軋みを上げる。それが高く掲げられた瞬間、突如あらわれた青白い光の筋が闇の片腕を切断した。凄まじい絶叫が空間に反響し、黒い巨体が闇の中に消えていく。
≪危ないところだったなアンタレス。俺が間に合わなかったら、さすがのあんたでも死んでたんじゃないのか?≫
「ストーム……。トータスを纏っているな。こんなところで何をしている? あの化け物に俺を殺させようとでもしたのか?」
≪おいおい冷たいな。そこは素直に感謝するところだと思うぞ≫
闇の中から、一体のアヴィスーツが姿を現す。ブースターが内蔵された増加装甲を全身に纏い、背部に実用試験型光学兵器であるレーザーキャノンを装備していた。紫色の上から施された金色のライン、大きく尖った形状のマスク、両腕からはプラグ状のレーザーカッター発振器が三本ずつ伸びている。機能拡張およびレーザー兵器試用型キメラボディ、トータスの黄色いツインアイが、アンタレスを愉快そうに見つめていた。
「それには素直に礼を言う。だが俺の危機に都合よくキメラボディで助けに入る。作為的に感じるのも無理はないだろ?」
≪確かに言えてるな。だが俺はそこまで馬鹿じゃない。協働を持ち掛けてる相手をむざむざ死なせるような真似はしない。俺はただ、この付近から発信された謎の電波を調べに来ただけだ。そしたらあんたと、ハルマゲドンがいたってだけの話さ≫
「……そうか。あれがターゲットか。なら早く奴を追え。トータスなら今からでも補足できるはずだ」
≪そいつは無理だな。自分の目で見てみろ≫
そう言ってトータスが左肩に装備していた投光器を作動させ、ハルマゲドンが逃走した方角を照らしだす。大量の血がこびりついた壁面に無数の穴が開いていた。更にその奥にも穴が網の目状に広がり、様々な向きに枝分かれしている。ターゲットが逃げた経路を特定するのは不可能に近かった。アンタレスがくやしさのあまり地面を蹴る。
≪まぁ、怒るなよ。あんたまでマジギレしちまったら、ボアの二の舞になるだけだぞ≫
「誰がそうさせたと思っている。全てお前が……」
≪聞けよ。切り落とした腕から何か手掛かりが掴めるかもしれないし、さっき言った謎の電波、まだ生きてるぞ≫
「何?」
ひそかに意識を集中させ、ヴィーナスで周囲を探ってみる。ストームの言う通り、微弱だが電波が発信されているのを感じた。ざわざわとした不規則な波長、生命体が発するものだった。
≪見てみろよ、アンタレス。いかにもって感じのものがあそこに放置されてる。発信源はあそこだな≫
トータスの投光器が、十メートルほど先の地面に置かれたジュラルミンケースを捕捉した。人ひとり入れそうなほどのそれは凄まじく場違いで、警告色のごとく歪な銀色に輝いている。臆することなくトータスがブースターで跳躍し、ケースの前に降り立つ。ロックされたシリンダー錠を腕のレーザーカッターで切除し、一気に開け放とうとした。
「待て、トータス! 敵の罠かもしれないんだぞ。慎重にいくべきだ」
≪罠ね……。なるほど、むしろ望むところだよ≫
アンタレスの忠告を無視し、紫のキメラボディが箱の封印を解いた。すかさずアンタレスが接近し、ケースの中身に銃口を向ける。それをトータスのマニピュレーターが瞬時に遮った。
「トータス、どういうつもりだ?」
≪それはこっちの台詞だぞ、アンタレス。お前には撃てるのか、眠っているその子が≫
「……子供だと?」
アンタレスが訝し気にケースを覗き込み、硬直する。
それはまぎれもなく少女だった。浅黒い肌をした十五歳ほどの体格で、ボブカットの黒髪が汗で皮膚に張り付いている。口枷と四肢を拘束されているものの、外傷らしきものは見当たらない。先ほどの子供たちとは、あきらかに違う存在だった。
様々な疑念が頭をよぎる。何故? どうして? どうやって? だがそれよりも看過できない問題が、彼の思考をかき乱している。
ひと目見た瞬間からアンタレスの体に、そして心に電流がほとばしっていた。