BW-0325事象<接触感染>※2
Hサーバルの足音が忘れ去られた街、ゴーストタウンに鳴り響く。シルク色の建造物、舗装された道路、所々に設置された街灯。外の世界とは隔絶された、人の営みが感じられる空間に無数のクレーターが穿たれていた。無差別爆撃と生体兵器による蹂躙。ビルやマンションが砕け散り、様々な車両の残骸がいたるところに散乱している。
≪ったく、本当に辛気臭いところだな。本当にこんなところに敵がいるのか?≫
≪さぁな。サーバルの聴覚センサーも反応しないし、あたりにそれらしき痕跡も見当たらない≫
≪お前、せっかくホッパーのパーツを組み込んだんだから、跳んで確かめてみたらどうだ? 地上を徘徊するより、そのほうが手っ取り早い≫
≪無理だな。まわりには身を隠せそうなビルはたくさんあるが、空の上には何もない。滞空中に狙撃されたら避ける術はないし、どうぞ撃ってくださいって言っているようなものだろう≫
≪そうか? お前なら、ひらひら避けられそうなもんだけどな≫
≪いくらなんでも、私を買い被りすぎだぞ、ボア≫
ホバー走行で移動するライノ、ボアの無責任な発言にアンタレスが呆れたように返答する。二体のアヴィスーツは外周部の索敵を終え、街の中心部へ向かう大通り、メインストリートに侵攻している最中だった。先ほどから物音ひとつせず、ライノのブースター音だけが虚無の街に木霊している。それでもアンタレスは油断することなく、全身の神経を張り巡らせている。
四方を崩れかけたビルに囲まれ、放置された瓦礫が道路に積み上がって凹凸の激しい斜面を形成している。アンブッシュ、待ち伏せには最適な地形だった。
≪おい、見てみろアンタレス。あの道路、あきらかに人の手で塞がれてる≫
ボアがメインストリートの正面を指し示す。十字路らしい開けた場所の各所に、分厚い鉄板で覆われたバリケードらしきものがあった。その周囲のみ瓦礫がきれいに片づけられ、車両のわだちも確認できる。
≪いくらなんでもあからさますぎだろ。なめてんのか? どうするよ、アンタレス?≫
≪少し待ってくれ。今、サーバルの聴覚センサーで周囲を探ってみる≫
アンタレスが聴覚に意識を集中させる。直後、全身に痺れのような感覚がはしった。第六感、彼の女神、ヴィーナスが空間をほとばしる電波を、アンタレスとボアのいる真下から探知した。
≪ボア! 今すぐ足元の瓦礫から退け! 全速で前進しろ!≫
≪おい、何言って≫
ボアが二の句を継ぐ前に足元の瓦礫が噴火した。爆音とプラズマがほとばしり、膨大な熱量を帯びた無数の鉄球が一斉に飛び出す。
≪ま、マジかよ! どぁああああああああああ!≫
ボアの悲鳴と同時にHサーバルがジェットパックで跳躍した。鉄球が装甲をかすめ、耐熱コーティングされたセラミック合金を溶解させる。先ほどまで彼らがいた場所はマグマのように煮えたぎり、周囲の建物が融解して崩落をはじめていた。
(ボルケーノだと、くそ! ペンタゴンの連中、あんなものまで敵に流したのか!)
アンタレスが絶句する。アンチ・バイオウェポン・マイン、ABM。中東で生体兵器に苦戦するアメリカ軍のために開発された、対生体兵器用の焼夷地雷だった。生物の呼吸音や足音、体温などに反応して炸裂し、超高温のプラズマを纏った鉄球を数百個単位で放出する。噴火のような爆発から、現地ではボルケーノと呼ばれていた。
突如、四方から空気を切り裂く衝撃音が響く。その数20以上が一斉にHサーバルに殺到した。
≪サーバル、コンタクト! ライノ、生きてるか? キツいお出迎えだぞ!≫
スナイパーライフルの弾を両肩のブースターで回避し、跳ねるように移動する。戦闘モードへと移行する最中、視界の片隅にバリケードの前まで吹き飛ばされたライノ、それに群がる無数のHELを視認した。RPK、M60、RPG、様々な武器を携行し、それらをライノに叩きこんでいく。
≪くそ! いてぇな、この野郎! だったらこっちもそれ相応の礼をしてやろうじゃねぇか!≫
それをもろともせず、ライノが吠えながら立ち上がる。ボルケーノの直撃、無数の銃弾と爆風を浴びてもなお、銀色の装甲は傷つかなかった。極限環境での活動を視野に入れたライノの特殊コーティング装甲は、装着者に絶対的な防御力と作戦遂行能力を付与する。
ライノが脚部と肩部の装甲をスライドさせ、格納されていた戦闘用ブースターを展開した。重く、唸るように内部の燃料をプラズマ化させ、頭部のスリットからのぞく赤色カメラアイが正面の敵に狙いを定める。勢いを増す金属の嵐を全てはじき返し、一瞬のうちに加速する。
≪ちぇすとぉおおおおおおおおおお!≫
ライノが叫び、一体のHELが宙を舞った。装甲が砕け、四肢が千切れ飛び、肉片が数十メートル先まで散らばっていく。時速百キロオーバー、超重量の鉄塊から放たれた体当たりが、敵を跡形もなく粉砕した。ひるんだHELたちが一斉に退却を始める。
≪おい! 逃げんじゃねぇぞ、てめぇら! そっちのが先に仕掛けてきたんだろうが!≫
ライノが再び加速、戦意に震えるブースターを制御しつつ突進した。敵を次々と跳ね飛ばし、爆走し、盾を構えながらM60機関銃を乱射するHELを轢き殺す。くの字にひしゃげるジュラルミン製の盾、ちぎれた握りこぶしが機関銃のトリガーを引き続け、驚愕に染まった首がビルの向こうへ吹っ飛ばされていく。
≪サーバル、こっちは俺にまかせろ! お前はビルから狙撃してくる野郎どもを片付けてくれ!≫
≪了解。敵を排除次第、そちらに加勢する≫
≪そいつはありがたいが大丈夫か? お前の腕を疑ってるわけじゃないが、狙撃は専門外なんだろ?≫
≪確かにな。だが今の私はサーバルでもあり、ホッパーでもある。やってみせるさ≫
地上で暴れ続けるライノに手を振り、Hサーバルが二本のブレードセンサー、増設されたカメラアイをフル稼働して周囲の敵を索敵した。ビルの内部、捉えた音波を視覚に投影し、四つの眼によっておぼろげな輪郭を矯正する。サーバルの聴覚とホッパーの視覚、二つの超感覚によって遠くの音を見定め、形に耳を傾ける。
Hサーバルのヘッドディスプレイにビルに潜む敵の姿が続々と投影されていく。様々な階層に分かれ、各々が別のビルに陣取っている。敵には死角も射程もない。蜘蛛の巣のように張り巡らされた射線の糸に、ホッパーもどきは完全にからめとられていた。一瞬でも行動を誤れば、無慈悲に撃ち抜かれる。
(いっそビルに飛び込んでやり過ごすか? いや、駄目だ。ライノが孤立する)
アンタレスが即座に考えを否定する。銃弾が飛び交う空中に居続けるより、地上に降りて奇襲をかけた方がはるかに安全で確実だった。だがそれでは仲間であるライノに攻撃が集中してしまう。たとえ装甲が分厚くても、纏っている人間には限界がある。散らばった敵を排除するのに時間をかけ過ぎれば、それだけライノを危険にさらし続けることになる。
加えて、この場所は完全に敵のテリトリーと化していた。バリケードで敵を足止めし、埋設したボルケーノで焼き尽くし、あぶれた敵を待ち伏せしているアヴィスーツで排除していく。侵入者であるこちらの行動を完全に予測した戦術。安全な領域など存在しないに等しかった。
だが今のサーバルは、これまでのサーバルではない。敵が手出しできない未踏の領域、空を自在に駆け抜けることができる。腕のマニュピレーターがスナイパーライフルのグリップを握り込む。
(はじめるぞ、ホッパー。ヴァイパー)
意を決し、Hサーバルのジェットパックが唸りをあげる。合計六基のブースターが内部のプラズマを極限まで圧縮し、羽ばたくように吐き出した。空中でHサーバルが急加速し、滑空状態に入る。重力から逃れるように外骨格を押し上げ、数百メートル先のビルへと向かわせる。
独特の浮遊感がサーバルを襲い、姿勢の制御を奪おうとする。それを噴射ベクトルを調整することで振り払う。右、左斜め、バレルロール、上昇し、急降下する。飛び交う銃弾とロケット弾頭、空気抵抗、引力がサーバルの胎内、アンタレスの心をかき乱し、握りつぶそうとする。
息苦しさと焦燥。アヴィスーツでの降下ならまだしも、飛行しながらの戦闘などこなしたことはない。更にこの姿勢から敵を狙撃し、排除しなければならない。
近くのビル、二か所に潜む敵に狙いを定めた。距離にして二百メートル弱、手に持ったドラグノフ改の有効射程はその二倍を超える。だが空中で、更に移動中に当てられるのはホッパーの正規装着者であるヴァイパーしかいない。アンタレスが目標に命中させるためには、ひたすら距離を詰めるしかない。
Hサーバルの運動軸をずらし、向きを小刻みに変えながら最適な姿勢を形成する。目の前を銃弾が通過し、上昇することで体が起き上がった瞬間、両腕のドラグノフのトリガーを引いた。交差する二つの牙、貫通力を極限まで高めたライフル弾がコンクリートの壁を穿ち、隠れた敵の顎と首の付け根を貫いた。装甲が砕け、贓物らしきものまき散らして機能を停止する。
(くそ、やはり狙いがずれる)
二体の喉を狙ったつもりが、数センチほど離れた位置に命中してしまった。悔やむ間もなく、Hサーバルの目前にビルの外壁が迫る。六基のブースターが展開、進行方向と逆噴射して姿勢を反転させ、Hサーバルの脚が外壁を踏みつけた。キメラ筋肉が収縮して反動を吸収、運動エネルギーを蓄えて放出する。新たな推力とプラズマ噴射によって先ほどより速く、鋭く空中へと飛び出した。
ボディを大きくロールさせ、ブースターを吹かせて敵の銃弾をかいくぐり、ドラグノフの一撃で敵をかみ砕いていく。ビルを蹴り、敵の体を穿ち、またビルを蹴る。宙を舞う度にその動きは洗練され、磨かれた原石のように輝きが増していく。緑色のカメラアイがどう猛に明滅し、次なる獲物に狙いを定める。
≪こちらライノ! 敵地上戦力はあらかた片づけた! これよりバリケードの破砕作業に入る≫
ヘッドディスプレイから響く仲間の声に、Hサーバルの視線が地上に泳ぐ。十字路の中央に佇むライノとその周辺に描かれた赤い紋様、バラバラに砕けたアヴィスーツの破片がひとつのアートのように広がっていた。ライノが両腕のロック機構を解除し、六本の爪に支えられた棒状の装備が後方にスライドする。白銀の鉄塊が見据える先に、何層もの金属板で閉ざされたバリケードがあった。
≪よせライノ! まだ罠があるかもしれない。私が敵を掃討するまで待て!≫
≪そんな曲芸じみた飛行しといて何言ってやがる! ひやひやするから俺が手伝ってやるって言ってんだよ。いくぞ!≫
なおもHサーバルは引き留めようとするが、敵からの狙撃でそれが阻まれた。振り向きざまにブースターを吹かし、反動をドラグノフの発砲で相殺する。銃弾がHELをまた一体仕留めたところで、地上のライノが猛加速を開始した。電流を纏った腕を引き込み、棒状の武器の尖った先端をバリケードへと突き出す。
≪でぃやぁあああああああああああああああああああああ!≫
電磁加速されたパイルバンカー・オベリスクによって、厚さ三メートルの城壁が瞬く間にぶち抜かれた。爆発と言っても過言ではない衝撃が空間に伝播し、バラバラに引き裂かれた金属が高度五十メートル付近にいるHサーバルの装甲を掠めていく。
そして何故か、バリケードを貫通させた先の瓦礫の山までもが鳴動した。下から震えるように崩れていき、隙間から飛び出した砲塔らしきものがライノに狙いを定める。Hサーバルのセンサーが聴覚と視覚を刺激し、瓦礫の下に隠された緑色の輪郭、T-72型戦車の姿を映し出した。
危ない! アンタレスの叫びがヘッドディスプレイのミサイルアラートによってかき消される。正面、三百メートルほど離れた二十階建てのビル、HELが構えたアヴィスーツ携行型地対空ミサイル・バンブーランスがHサーバルに向けた放たれた。
≪ッ!≫
自身に迫るミサイルと、ライノに放たれようとする砲弾が脳内でクロスする。このままではどちらか、あるいは両方がセラミック合金で包まれた贓物をまき散らすことになる。サーバルのセンサーが戦車砲の軋みを感知する。鳴りやまないアラートがアンタレスの鼓膜を刺激する。バンブーランスがHサーバルを貫き犯そうとする。
どうするべきか? その答えはすでに握り込んでいた。両腕のドラグノフの銃身を滑るように這わせる。淀みはなく、迷いもない。ただ狙いを定め、指をかけたトリガーを引く。
放たれた金属の牙は真下へ、巣穴に隠れたT-72の目である複合照準器と潜望鏡を喰らい潰した。
直後、戦車から放たれた砲弾がライノからコンマ数ミリ離れた位置を通過する。瓦礫を押しのけてT-72が飛び出す。
Hサーバルが急上昇し、目前のミサイルを回避する。近接信管が炸裂し、ドラグノフと脚部装甲を吹き飛ばした。キメラ筋肉が焼きただれて異臭を放つ。
再びレーザー照射され、二発目のバンブーランスが発射された。爆発の衝撃でサーバル胎内の回路が異常をきたし、ブースターが作動しない。ヴィーナスがバイパスがわりとなり、アンタレスの意識を直接ジェットパックに作用させる。重力を振り払うべく咆哮し、燃焼させた空気を放出する。
沈みかけたHサーバルの体が浮き上がっていく。それでも視界の中のバンブーランスは必中の間合いに入り込んでいた。空気を切り裂くミサイルの推進音、膨れあがったそれが破裂する直前、何かとぶつかり爆発した。空中に散らばる長い砲身、投光器、泥にまみれた履帯。車体前面が大きく抉られたT-72が地上から吹き飛ばされてきた。
≪ったく、世話が焼けるぜ、馬鹿野郎め≫
二つに割れた車体の間をHサーバルが飛び抜ける。片割れの車体に脚をつけ、ちぎれかけた人工筋肉にかまわず踏み抜いた。正面のビルへと猛然と加速し、ミサイルを構えるHELを睨みつける。
ミサイルアラート、三発目のバンブーランス、ベクトルを操作して外骨格を空中で回転させる。同時に背中に懸架したロケットバズーカのロックを解除し、慣性によってサーバルの手元に引き寄せる。上昇しながらもうひとつの荷物、二個のプロペラントタンクをパージする。
宙を舞う増槽の熱を探知し、愚直な竹槍はそちらへ突っ込んだ。近接信管、誘爆した燃料の強烈な衝撃と光がビル内部のHELに降り注ぐ。手をかざし、踏みとどまった敵が四発目のミサイルを放とうとする。だがすでにHサーバルはビルの上、HELの死角となる位置にまで移動していた。ヘルメットの中のアンタレスが口角をつり上げ、纏ったアヴィスーツの両腕がバズーカを構える。
≪終わりだよ、これで≫
バズーカがロケットモーターによって超加速した榴弾を吐き出した。空間を抉るような放物線を描きながらHELの下、ビル一階の柱部分に着弾し、閃光と共に爆発した。
ビルが盛大に傾き、轟音と共に崩れていく。巻き上げられた大量の砂埃、吹き飛ばされる肉片と残骸。その中を微動だにせず立ち続けるライノの傍らに、Hサーバルが降り立った。
≪まったく無茶苦茶だな。空は飛びまわる、わが身を顧みず俺を助ける、挙句の果てにビルごと敵の竹槍を無力化する。お前は真面目ないい子ちゃんだと思ってたが、タガが外れた馬鹿だったらしい≫
≪戦車をパイルバンカーでかち上げて、盾にさせようとするあんたに言われたくはないな。とりあえず、話は残敵を掃討してからだ。いけるか?≫
≪当然だ。だがお前と組んでちゃ、先に頭のほうがどうにかなりそうだぜ≫
交差する緑と赤のカメラアイ。視線の先、廃墟に蠢く無数の絶望に狙いを定め、二体のキメラボディが殲滅行動を再開した。




