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事後問診2

 どれほどの時間が経っただろうか? アンタレスが缶コーヒーを飲みながら窓の外、オフィスビルの十階からの光景を見つめる。車のライトが道路を彩り、ビルの光の向こうで人々が様々な活動している。いつもと変わらない光景、その営みの中で今も見えない影が蠢いている。

(こうしている間にも、ハルマゲドンはどこかで成長を)

 アンタレスが歯を軋ませる。ハルマゲドンが生み落とした十個の卵、そのうちの四つが孵り、ヴェネーノによって倒された。最初に捕獲したサンプルは609部隊によってWHO管轄の研究機関に送られ、データ採集が行われている。そこで進化した悪魔の生態が解明されれば、より確実にハルマゲドンを追跡することが可能となる。

 それでもアンタレスは焦っていた。これまで戦った相手は成長が従来より早く、別個体と連携が取れるほどに戦闘能力を向上させていた。もし残りの六体が見つけられず、完全体へと変態させてしまえば、トーキョーは間違いなく終わる。パンデミック。血が燃え上がり、無数の肉体が引き裂かれ、虚無と死がアスファルトの上に飛び散っていく。あの時のように。

 舌に広がる不快感をコーヒーで強引に押し流す。止まらない。溢れ出る過去の記憶がアンタレスの脳裏を満たす直前、すーすー、と背後から息づかいが聞こえてきた。とっさにアンタレスが振り返る。ソファーで体を揺らしながら、マリアが眠ってしまっていた。アンタレスが呆気に取られ、顔に笑みが浮かぶ。

(ハーバードさん……。そうだよな、朝から大変だったよな)

 謎の電波に誘導され、戦闘に巻き込まれ、保護という名目で軟禁に近い状態に置かれている。それでも女性らしい優しさと可愛らしさを失わない彼女を見ていると、安心と温かさが胸を満たしてくれるような気がしていた。膝を折るにはまだ早すぎる。今は恐れることなく前へ進むしかない。

「そうだな。流れに身を任せるのも悪くはない、か」

 アンタレスがマリアをゆっくりとソファに横たえ、傍らの仮眠用のシーツを彼女にかぶせる。閉じられた瞳、ピンク色に熟れた唇、絹のような金髪から輪郭をのぞかせるうなじ。身を委ねたくなるような体に、思わず手を伸ばそうとする。

「おいおい。まさかお前に人の寝こみを襲う趣味があったとはな。いつもは紳士ぶってるのに、意外と手が出るのは早いらしい」

 先ほどまで席を外していたリナが、からかうような視線をアンタレスに向ける。

「まさか、そんなつもりはない。誤解を招くようだったら、お前にまかせるべきだったかな」

「いや、お前がそういう奴じゃないってのは知ってるよ。もしかして彼女に惚れたのか?」

「別に。ただ昔を懐かしんでいただけさ」

「興味あるな。昔の女か?」

「……そんなところだな」

 昔の女。アンタレスの脳裏にカローラの影が浮かぶ。何かを察したリナはそれ以上踏み込むのを止め、ため息を吐いた。

「なるほどね。それ以上聞かないでおいてやるけど、気をつけとけよ。特にサダルスードのやつに聞かれたら、何をしでかすか分かったもんじゃない」

「覚えておくよ。で、あいつと連絡は取れたのか?」

「ああ。ヨハネスブルグで犯人はとっ捕まえたらしいんだが、いまだにウイルスの滅菌と感染者の治療がはかどっていないらしい。こっちに来るには、どう頑張っても二日はかかるそうだ」

「そうか。ハーバードさんの検査が遅れる以上、609と俺で残りの連中を探し出すしかないか。警察の協力も仰ぐ必要がありそうだな」

 アンタレスが天井を仰ぎ、考えを巡らせる。小学校襲撃事件の後、WHOによってマリアの体は検査されていたが、スターライト・バレットが再検査することによって、それ以上の情報を得ようとしていた。彼が呼び出そうとしていたサダルスードは、それができるだけの医療的技術を有している。

 アンタレスの秘書兼主治医でもある彼女は、スターライト・バレット設立当初からのメンバーであり、アンタレスにとってなくてはならない存在だった。サダルスードがいなければ彼は生きられず、また彼女がアンタレスに向ける感情も単なるパートナーのそれを超えている。今はグラウが所属する501部隊を率い、ヨハネスブルグで発生した細菌テロの鎮圧にあたっていた。

「そういえば、お前にあいつから伝言があったんだ。アンタレスさんなら、きっと私が来る前にパパっと事件を解決できちゃいますって。そっちについたら、おいしい紅茶を淹れてあげますからねー。だとさ」

「……そうか。そこまで言ってくれたのなら、期待には応えないとな。無様を晒すわけにはいかないか」

 アンタレスが拳を握り込む。自分はひとりではない。信じて支えてくれる仲間がいる。そのことを改めて実感する。

「ならリナ、さっそく作戦会議といこうか。お前の物真似も意外に似てて面白かったし、何だか元気が出てきたよ」

「はぁ? 何言ってんだお前。気にすのはそこじゃないだろ。まぁ、礼ならあいつにも言っとくんだな」

「そうさせてもらうよ。リナの物真似が巧かったこともな」

「アンタレス。次それ言ったらコーヒー全部没収な」

「お前、俺を殺す気か?」

リナの素っ気ない言葉に、アンタレスが絶望した表情を浮かべた。

 二人の間の会話には遠慮がない。それは互いを信頼し、本来の自分をさらけ出せるからだった。歓喜、羞恥、動揺、感情をあらわにし、最後には笑顔で終わらせる。

 そんな心地よいやり取りが、室内に響いた受信音によってかき消された。

「ちっ。間が悪いし相手も悪い。警視庁から直々の連絡だ。おそらく、相手はあの胸糞野郎だぞ」

「それでも出ないわけにはいかないだろ。俺も回復したし、ちょうど相談したいこともあったしな」

 二人がマリアの元を離れ、室内のスペーサーで覆われた区画、通信室へと入っていく。外部からの電波を遮断したビルの中でも、傍受不能な特殊回線を使用することで限られた相手と連絡を取ることが出来る。スターライト・バレット本社とそのエージェント、雇い主であるWHO、そして常駐先である日本の主要組織。警察もその中に含まれていた。

 大小様々なモニターが立ち並ぶ空間、アンタレスがヴィーナスで電波を送り、機器に触れることなく装置を起動する。回線接続、盗聴感知、カメラの自動調整が瞬時に行われ、通信を送ってきた相手の顔が中央のモニターに表示された。

≪やっとつながったか。手柄はすぐにかすめ取るくせに、人のことはずいぶんと待たせてくれるじゃないか≫

「申し訳ありません、権藤隊長。そちらにも報告させていただいたと思いますが、足立区に出現したハルマゲドンとの交戦の際、少々不手際がありました」

≪そのようだな。だが左腕が使い物にならなくなったと聞いていたのに、見た限り元気そうじゃないか。貴様らも公安も、まともな報告ができないらしい。まったく、残念だったよ≫

 嘲笑を隠そうともせず、警察庁生物兵器対策群・隊長の権藤がアンタレスの左腕に視線を向ける。明らかに彼が負傷したことを喜んでいた。それを感じ取ったリナの目つきが鋭くなる。

「おい、おっさん。さっきからしつこいんだよ。何度も言うように、今こっちは虫けらの捜索と参考人への事情聴取で忙しいんだ。定時報告と緊急時以外の通信は送ってくるなって言ってんだよ」

≪ふん、外人というのは礼儀もわきまえてなければ、日本語も満足に話せないらしいな。外様なら外様らしく、我々に敬意を払え≫

「それは悪かったな。あんたのような無礼者に対する礼儀作法は知らないもんでね。日本人ってのは、みんなあんたみたいに恥知らずで馬鹿野郎の集まりなのか?」

≪貴様!≫

 激昂した様子の権藤に、リナがお返しとばかりに嘲りを返す。双方とも敵意をむき出しにし、画面越しでなければ飛びかからんばかりの勢いで相手を睨みつける。リナの前にアンタレスの手が差し出された。

「権藤隊長。リナの態度については謝罪いたします。しかし彼女の言う通り、この回線はむやみやたらと使っていいものではない。何か重要な案件があるとお見受けしましたが」

≪その通りだ。余計な口を挟まず、素直に話を聞けばいいんだよ貴様らは。要件はひとつ、お前らにやってもらいたいことがある≫

 嫌な予感がした。スターライト・バレットを敵視しているはずの権藤が、秘匿通信を用いてまで連絡をしてきた。流れが悪い方へ向かっている。 

「我々が、ですか?」

≪そうだ。貴様らがたらしこんでいる重要参考人、マリア・ハーバードを引き渡してもらおう≫

「残念ですがそれはできません。対バイオテロ法の規約により、ハーバードさんは我々の保護下に置く必要があります」

≪だが何時間たっても、有力な情報は引き出せていない。事情聴取も満足にできないようなら、こちらに預けた方が得策だと思うが?≫

 権藤の攻撃的な発言に対しても、アンタレスは表情を崩さない。状況を整理し、取るべき行動を見極める。

 現状、警察に知らせているのはマリアがハルマゲドンに狙われていることのみだった。小学校にいた全員が犯人とつながっている可能性がある以上、過度な情報の流布は避けるべきだったし、あの場には生対の隊長である権藤もいた。マリアがサバイバーだと分かれば、彼女の身に危険が及ぶ可能性があった。

「いえ。徐々にですが、新たな情報は出てきています。それらを精査し、数十分後には各方面にお伝えするつもりです。もうしばらくは、我々におまかせください」

≪ではどうしても渡せないと?≫

「それが規則ですので」

 アンタレスがまっすぐと権藤を見つめる。突如、権藤が口角をつり上げた。声を上げて笑い出す。

≪は、そう言うと思ったぞ! そうやっていつも規約を盾にとって好き勝手やりやがる。なら今回は貴様らに好き勝手やらせてやろうじゃないか≫

「どういう、意味ですか?」

≪貴様らには翌日、マリア・ハーバードを連れ出して、所定の場所でハルマゲドンをおびき出してもらう。無論お前たちだけでだ≫

「っ!」

 権藤の言葉に愕然となる。目の前の人間が言っていることが理解できない。

「ふざけんなよお前! 日本はおとり捜査はできないんじゃないのか! そもそも重要参考人をわざわざ敵の前に連れ出すなんて、死ねって言ってるのと同じことじゃないかよ!」

 激怒したリナが権藤に吠えかかる。

≪だから外様である貴様たちにやってもらうんだ。それに報告によれば、ハルマゲドンは異常成長を繰り返し、生態も戦闘力も不明ときている。正直我々には荷が重い。ならば経験豊富なそちらにまかせるのが筋というものだろう? そのために貴様らが存在してるんだからな≫

 権藤が吐き捨てるように言う。理にかなっている部分もあるが、私怨が入り混じっているのは明白だった。

「怖いのか?」

≪何?≫

「また虫けらに負けるのが怖いのかって言ってんだよ。自分たちじゃトーキョーを守れず、アンタレスに手柄を取られて。だから私たちに危険を全部押し付けて、自分たちは知らぬ存ぜぬでやり過ごそうとしてるんだ。さんざん偉そうなことを言ってるが、結局あんたらは認めてんだよ。自分たちが役立たずで、必要とされてないってことをな!」

≪貴様、言わせておけば! 第一、これは貴様らの雇い主であるWHOから提案されたことだ。事件の早急な解決をはかってな! 我々がどうこう言われる筋合いはない!≫

「それがどうした! 人の命を守るのがあんたらの、私たちの仕事だろうが! そこに国籍も、職業も、立場も関係あるものか!」

≪小娘ごときが、分かったような口を聞くな!≫

リナと権藤が言い争う。その中でアンタレスの脳裏にはある考えがよぎっていた。

 権藤の言う通り、今のハルマゲドンの生態は予測不能だった。609が捜索しているとはいえ、一秒の遅れも看過できない。それでもリナの言うように、事件解決のために犠牲にできる命など存在しなかった。ひとりでもふたりでも、百、千、万、億にいたるまで、かけがえのない存在であることに変わりはない。

 そこにWHOから警察に提案があった。何かしらの意図が介在し、スターライト・バレットにではなく真っ先に警察に知らせた。事件の早期終結をはかっているという建前で。

 状況はアンタレスに留まることを許さなかった。だから彼は決断した。

「いいでしょう。そちらの要求を受け入れます。一刻も早くハルマゲドンを駆除すべきというのは、私の見解とも一致します」

「アンタレス、お前何言って……」

 アンタレスの言葉に、リナが信じられないといった表情を浮かべる。

≪そうか。ならば……≫

「ただし、そちらの要請に従う以上、こちらの要求にも応じていただきます」

 何の感情も見せず、張り付けたような顔でアンタレスが口を開く。

「まず重要参考人を連れ出す以上、警察に我々の警護と周囲の見張りをお願いしたい。敵はハルマゲドンだけではない。奴らを利用し、何かを仕掛けようとしている黒幕が動いているはずです。公安とそちらの副長、溝口さんに協力していただきたい。細かい編成と当日の行動は彼らと我々だけで計画します」

≪バカな、我々の戦力は先日の戦闘で!≫

「20式は半数ほど失いましたが、旧型である19式は稼働状態のものがあるはずです。ハルマゲドンの相手はヴェネーノとMFDがすれば何も問題はありません」

≪そんな理屈、認められるか! 警察を引っ張り出すなら、私たちにも作戦の参加権があるはずだ!≫

「先ほどあなたはおっしゃりましたね。自分たちには荷が重いと。ですから無理強いするつもりはありません。隊長であるあなたは部隊の再編に専念してください」

≪貴様っ!≫

 権藤の顔が憎悪に染まる。アンタレスが冷たい視線でそれを受け止める。

「参考人の説得と作戦の立案には時間がかかりますので、本日はこれにて失礼いたします。今回のやり取りについて、本庁とWHOには弊社から伝えさせていただきます。では」

 口を開きかけた権藤を無視し、アンタレスが一礼して通信を切った。直後、大きく息を吐く。傍らにいたリナが彼の肩を叩いた。

「どういうつもりか聞かせてもらおうか? お前がむざむざハーバードさんを危険な目に合わせようとは思わなかったんだけどな」

 口調は軽いが、目は真剣だった。その奥に見える感情、熱い想いにアンタレスは心強さを感じる。そこから目を逸らさず、正面から彼女に応えた。

「リナ。お前はWHOから警察に提案があったと聞いた時、何を考えた」

「え? あぁ。私たちに直接言えば拒否されるから、あのクズを巻き込んだんだと思ったよ。さすがに日本の警察も絡めば、私たちも立場上は断りづらいだろうからな」

「そうだな。でもお前はそれを拒否した。正直、凄かった。あの言葉、俺にも深く突き刺さったよ」

「よせよせ。で、お前は私の想像以上のことを考えたっていうのか?」

「その通りだ。俺はWHOを通じて、誰かが俺に行動を決断させようとしていたと踏んだ。直接命じるんじゃなく、俺自身に決めさせることで腹を括らせようとしたんだ」

「……エルタニンか」

 リナが苦々し気にスターライト・バレットの社長の名前を口にした。現在、アンタレスたちが609を動員してまで事態の収拾をはかっているのは、彼女がこの危機的状況を予見したからだった。そのエルタニンの読み通り、ハルマゲドンはかつて以上の脅威となり、トーキョーでパンデミックが起ころうとしている。

 まるでチェスの駒を動かすかのように人の行動を操り、未来の軌跡を刻みつけていく。アンタレスにはその才覚が頼もしくもあり、恐ろしくもあった。

「でも一番の理由はそこじゃない」

「じゃあ何だ? お前はエルタニンを信頼してるんだろ? あいつがやれって言うんだったら、それだけで行動する理由になるんじゃないのか?」

「確かにな。でも今回ばかりは違う。考えたんだよ。ハーバードさんならどうするかってな」

「は?」

 一瞬だけ、アンタレスが部屋の向こう、マリアのいる方に視線を向ける。

「彼女は自分の身よりも生徒を、他者の身を案じていた。だからもし、自分が狙われていて、そのせいで他人に危害が及ぶなら、彼女はきっと無理をしてでも外に飛び出そうとするはずだ。俺はそんな彼女の力になって、守ってやりたいと思ったんだ」

 はっきりと、アンタレスはリナに告げた。マリアとの事情聴取の中でアンタレスが見ていたのは、表面上の美しさだけではない。彼女の内面、何よりも守りたいものを想う気持ちが、アンタレスにも強く伝わってきていた。その想い、意思にアンタレスは共感し、彼女の力になりたいと思った。

 生体兵器からかけがえのない命を守る。それこそがアンタレスの義務であり、果たすべき使命だった。 

「んだよ。何だよそれ……」

「リナ?」

 リナがうつむき、小声でつぶやく。

「お前ってやつは、ほん、とーにバカなやつだよ! そこが最高で憎めないよ」

 そして盛大に笑い出した。アンタレスのまっすぐな想い、愚直なまでに何かを守りたいという気持ちが、リナの心に響き渡っていた。

「いいよ。お前がそこまでの決意を持ってるなら、私も全力で協力してやる。敵と虫けら、権藤のクソ野郎にひと泡吹かせてやろうぜ、アンタレス!」

「ああ! よろしく頼んだぞ、リナ」

 二人のエージェントが拳をぶつけ合う。熱くたぎる感情が交錯し、黒い影に挑みかかろうとしていた。




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