事後問診1
トーキョー、新宿区。街を行き交う人々を夕陽が照らし、高層ビル群の窓ガラスから照明の光が漏れ出す。18時23分。千住新橋での戦闘から、三時間あまりが経過していた。
「さぁ、遠慮なく選べ。私のおごりだ。火、青山、ヒゲ男、何でも揃ってる。どれもこれもオススメだ」
「え、えぇっと」
都内某所、スターライト・バレットが保有するオフィスビルの十階、興奮したようにまくしたてるリナにマリア・ハーバードが困惑する。彼女の目の前のテーブルには、様々な種類の缶コーヒーが所狭しと並べられていた。
顔認証システム付きのドアが反応し、スライドする。
「やめろリナ。ハーバードさんが困ってるじゃないか。自分の好みを他人に押し付けるのはよくないぞ」
「何言ってる。こんなにうまいもの、好きじゃない奴のほうが珍しいぞ」
フロア入り口から現れたアンタレスがリナをとがめた。思わず彼女が抗議の声を上げるが、彼の左腕に幾重にも巻かれた包帯を見て、気まずそうに顔を逸らす。
「お前、その腕はもう大丈夫なのか? ひどい有様みたいだったが」
「問題ない。それよりもアヴァランチの損耗のほうが激しすぎる。今回の任務ではもう使えないだろうな」
アンタレスが包帯を外して肌をさらす。複雑骨折し、焼け焦げていたはずの腕が元通りになっている。体内のナノマシン、ヴィーナスの超治癒能力によって細胞が活性化し、瞬間的に再生していた。リナが悲し気にそれを見つめ、思考を振り払うように手に持った端末に目を向ける。
映し出されたのは、下のフロアに存在するアヴィスーツの格納スペースだった。三つのハンガーにそれぞれ別の外骨格が収まり、全自動ロボットアームによる点検、補修を受けている。小学校のハルマゲドンを殲滅したヴェネーノツヴァイ、先ほど死闘を繰り広げたアヴァランチ、そして動力源であるタキオンドライブのみが懸架された三体目。
その中でアヴァランチのハンガーは、特に慌ただしい様子で作業が行われていた。歪に変形した装甲がロボットアームのレーザーメスによって引き剥がされる。ちぎれた人工筋肉の繊維が引き抜かれ、新しいものが次々と編み込まれていく。神経伝達を確認すべく電流が流され、無人のアヴィスーツの拳がガッチリと握り込まれる。
うぇ、間が悪かったな。まるで手術のような生々しい光景にリナがうめく。
「あ、あの大丈夫ですか? コーヒー飲みますか?」
「ん、ありがとう。ほう、あんたセンスがいいな。このギザギザのやつはチバの名産品なんだ」
マリアが差し出した缶コーヒーをリナががぶ飲みする。そしてむせた。リナの子供じみた様子を見たマリアから笑みがこぼれる。
そんな彼女の顔を、アンタレスはつぶさに観察していた。はじめて目にした時に感じたフラッシュバック、ハルマゲドンに貪られたはずの面影を今は感じない。
(何故だ? 何故あの時、彼女の顔が思い浮かんだんだ?)
負傷による意識レベルの低下が引き起こした幻覚か、それともハルマゲドンに対するトラウマの再発か? ふと、わき腹を小突かれる感覚がした。いつの間にか隣に来ていたリナが怪訝な顔でつぶやく。
「おい、何ほうけてるんだ。重要参考人なんだろ? すべきことをしたらどうだ」
「……そうだな」
過去を意識の外へ追いやり、今を見る。アンタレスがテーブル近くのソファへと座り、マリアを正面に見据えた。
「マリア・ハーバードさんですね。スターライト・バレットのエージェント、アンタレスです。もう私のパートナー、リナから聞いているとは思いますが、あなたは対バイオテロ法の規定により、我々の保護下に置かれることになりました」
「は、はい。そのことはリナさんからうかがっています。あなたが倒れられてからすぐ車に乗せていただいて、その中で聞きました。私が狙われている可能性があるんですよね?」
「その通りです。申し訳ありませんがご協力をお願いします。あなたのことは我々がかならずお守りします」
アンタレスが深々と頭を下げる。対バイオテロ法は、ただテロを鎮圧するためだけのものではない。被害者の治療や保護のために様々な規約が存在していた。被害者が生体兵器や犯人に狙われている場合、警察ではなくWHO直轄の組織に保護、事情聴取する権利が与えられる。
「ったく、大変だったんだぞ。グラウを呼びつけてお前を運ばせたり、わざわざお前の車で彼女をここまで連れてきたり。あげく文句を垂れる生対の連中をいなしたりとかな」
「悪かったな、リナ。礼ははずむよ」
「当然だな。そうだな、今度はギザギザ125ダースくらい……」
「あ、あの……」
頭に追加の報酬を思い浮かべ、天を仰ぐリナにマリアが割って入る。
「あまり、アンタレスさんを責めないであげてください。命がけで私や、あの刑事さんのことを守ってくださったんです。左腕だって、あんなことになってしまって。本当に申し訳ありません。アンタレスさん、無理なさっていませんか?」
「お気になさらず。我々のアヴィスーツは普通と比べて頑丈なんですよ。人体にはほとんど影響はありませんでしたから。それにリナはこう見えて、結構優しいんですよ。誰よりも私やあなたのことを心配してくれている。ハーバードさん、お気遣いありがとうございます」
「ちょ、おま」
「い、いえ。こちらこそ。リナさんも、親切にありがとうございます」
アンタレスがマリアに微笑みかける。それにつられて、マリアもまた笑みを浮かべた。温かく心地よい、柔らかな空気が流れ込む。リナが盛大にため息を吐いた。
「あー、なんか調子が狂うな。話を戻すが、これからあんたのことを少し聞かせてもらうよ。ほら、アンタレス。イチャつくのはそれくらいにしてさっさと進めろ」
「リナ!」
思いがけない言葉にアンタレスがわずかに動揺した。胸中にわずかに沸いた羞恥、頬を染めるマリアを極力意識しないように咳ばらいでごまかす。アンタレスにとって、彼女はバイオテロの保護対象者にすぎない。
ひとみを閉じ、ゆっくりと息を吐き、気を引き締める。アンタレスの顔つきが変わり、マリアの青い宝石、揺れる瞳の奥に視線を定めた。
「では、ハーバードさん。改めて確認しますが、あなたはアメリカのヴァージニア州の産まれ、地元の大学を卒業後、日本に教師として来日したのですね」
「は、はい。その通りです」
雰囲気の変わったアンタレスに、マリアが戸惑いつつも答える。
「わざわざ日本の学校を選んだ理由をお聞かせいただいても?」
「あの、日本では、最近バイオテロの被害が大きいですよね。子供たちもおびえていると思います。だから、そんな子供たちを助けたいと思って、日本へ行くことにしました」
「そうですか。先ほどのことといい、あなたはお優しいんですね」
「い、いえ。それほどでもないですよ」
アンタレスの言葉にマリアがはにかむ。
「ハーバードさん。改めてお聞きしますが、あなたが何故住居である新宿区を離れ、わざわざ荒川区近くのあの場所にいたのですか?」
「それが、よく分からないんです。自分の部屋にいたら、突然頭にあの場所が思い浮かんできて、体が疼いて、行かなくちゃと思いました」
アンタレスの動きが一瞬止まる。
「そのようなことは以前からあったのですか?」
「前から、ということはなかったのですが、日本に来てから、何度かそういうことはありました」
「失礼ですが、それはご病気か何かを患っているから、とは考えられませんか?」
「いえ、それはないと思います。もしそうなら、自分で分かりますから……」
わずかにマリアの顔が伏せられる。
その理由をアンタレスはすでに知っていた。
「それはあなたがウイルステロの生存者、サバイバーだから、ですね?」
「っ!」
マリアの顔が驚愕に染まる。心拍数の上昇、激しい鼓動がアンタレスの目にも伝わる。人の秘密に土足で踏み込む罪悪感を、職務を全うすることで塗りつぶす。
「やはりご存知でしたか。子供たちの言うように、やっぱりスターライト・バレットはすごいですね」
「……恐縮です。あなたの両親は亡くなったそうですが、やはり五年前に?」
「はい。ロンドンを旅行していた際に、父も母も亡くしました」
落ち込んだ様子のマリアからアンタレスは顔を背けたくなる。
五年前のウイルステロの際、Vウイルスによって数百万人以上の人命が奪われた。だが、わずかに生き残った人間も存在していた。先天的な抗体を持っていた彼らは体組織が破壊されつつも、当時研究されていた試作型ナノマシンによって何とか生き延びることができた。
複数の医療機関によって開発されたとされるナノマシン、それを投与された人間を含めて後にサバイバーと呼称され、今では五体満足で社会へと復帰している。
「あなたのナノマシンは、今も正常に稼働しているんですね?」
「そのはずです。今朝のメンタルチェックをした時も、どこもおかしいところはありませんでした」
サバイバー・ナノマシンは宿主の壊れた体組織をコピー、補うように同化し、ほとんどの病原菌に対する免疫機能や、外傷に対する治癒力を増大させる。さらに電波によって絶えず体のコンディションを感知し、それをバイタルデータとして外部に送信する機能も備えていた。
「アンタレスさん。失礼ですが、私がサバイバーであることと、今回のことは何か関係があるのでしょうか?」
「その可能性はあります。断言はできませんが、あなたがハルマゲドンに襲われた理由は、大きく分けてふたつに絞られています」
「ふたつ、ですか?」
アンタレスが背後に視線を感じた。それを話してしまってよいのか? というリナの確認だった。リナが調べ上げていたものの、まだマリアの素性が本物であるかの裏付けが取れていない。もしかしたら彼女は犯人の一味かもしれない。無論それはアンタレスも加味していた。リナに小さくうなずきかける。
「ひとつは口封じです。本来はあなたを狙った襲撃ではなかったが、あの場で見てはいけないものを見てしまったため、秘密を守ろうとしている。現にあなたのクラスの生徒さんも、ハルマゲドンの幼体に命を狙われていました」
「えっ! そんな! その子は大丈夫なんですか!」
「はい。生徒さんを狙っていた個体は、すでに駆除されています」
「そうですか。良かったです」
マリアから安堵の息が漏れる。嘘偽りのにおいはしない。狙われたタシロ少年の名前を出すまでもなく、誰とも分からない子供の命を親身に想っている。少しだけ、アンタレスは生徒たちのことをうらやましく思った。
「もうひとつの可能性は、あなた個人が狙いである、ということです。目的までは断定できませんが、あなたはサバイバーです。残念ですが、それだけでも襲われるのに十分な理由になってしまうんです」
「どういう、ことでしょうか?」
「あなたの体、もしくは中のナノマシンが目当てということです。例えば半年前、二十人ほどの日本人大学生がハネダ空港を占拠した事件。報道されていませんが、実は彼らは全員サバイバーでした。外的要因によって身体が操られ、テロリストにしたてあげられてしまったのです」
VRRMO、仮想現実型の戦争ゲームを利用してナノマシンに指示を送り、サバイバーを操ることで一般市民を武装集団に仕立て上げる。半年前、スターライト・バレットがはじめて日本で対処した事件だった。
「そんな……。何故その方たちは、そんな目に合わなければならなかったのですか?」
「断定はできませんが、サバイバー・ナノマシンには、まだ私たちの知らない特性が隠されているようです。唯一確かなのは、彼らが特定の電波によって操られたということのみです」
「では、もしかして私も」
「おそらくはそうでしょう。今朝のあなたの症状は、何かしらの電波の干渉を受けた可能性があります。そこで待ち受けていたハルマゲドンが、あなたに何かをしようとしていた。命を奪うか、あるいはもっと別のことを誘発させようとしたのかもしれません」
はっきりと、アンタレスが宣告した。怖い。そうつぶやきながら、マリアが体を震わせる。自分の意思を保つかのように両腕で肩を抱き寄せる。
「幸い、この部屋は外部からの電波を遮断するつくりになっています。ここにいる限り、あなたの安全は保障されています。大丈夫。私たちが二度と今日のようなことは起こしません」
アンタレスがマリアに微笑みかけ、安心させようとする。だが彼女は返事をせず、うつむいたまま動こうとしない。
(大丈夫……か。よくもそんな言葉が吐けたものだな)
慚愧の念がアンタレスの心に押し寄せてきた。鳥の羽をもいで、籠の中に放り込むような所業。保護するという名目で、サバイバーであるマリアが利用されないように自由を奪って拘束する。
当然の措置であることは間違いない。サバイバー・ナノマシンは特殊な電波が作用することを含め、全容が解明されていない。誰が元となる理論を提唱したのか? どのような技術で設計されたのか? なぜ生産されたのか? 誰がどこからたどっても、痕跡すら掴めない。
それだけではなかった。サバイバー・ナノマシンのタイプは投与された人間によって微妙に異なり、治癒能力以外の機能が作用することもある。筋力増強、電波ジャック、生態変化など、発現すれば間違いなく人間を超越する。
もしマリアが未知の力を持っていて、それが作用してしまったら、取り返しのつかないことになるかもしれない。だからもう二度と、ハルマゲドンを彼女に近づけさせるわけにはいかない。
しかしそれが建前にすぎないことを、アンタレス本人は認知していた。
カローラ。終焉に貪られた少女。重苦の軋みが、彼の耳元で囁きかける。
――ハルマゲドンがいなければ、彼女たちが苦しむことはなかった。
――――ウイルステロがなければ、マリアの両親が死ぬこともなかった。
――――――お前さえいなければ、Vウイルスもサバイバーも生まれることはなかった。
握り込まれた拳が自身の皮膚を抉っていく。体内に眠る女神、ヴィーナスは宿主に傷つくことを許さず、粛々と再生の祝福を与え続けた。




