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BW-0325事象<感染経路>※3

 ――戦場だった砂漠に、炎が揺らめいている。戦車、トラック、アヴィスーツが紅蓮色に染まり、携わった全ての痕跡を黒煙と共に吐き出していく。

 白いLEDで彩られたアヴィスーツの格納スペース。金属質の床を踏みしめながら、サーバルがすぐ手前にあるハンガーにボディを固定した。身を委ねるように四肢を収め、同時に背部装甲が展開する。その隙間から汗まみれのアンタレスが這い出し、サーバルがその機能を停止した。

 ハンガーにかけてあるタオルで体を拭いながら、アンタレスが先ほど抜け出たサーバルの隙間を見やる。

(機能拡充のための内部スペース削減とはいえ……。肩身が狭いとはまさにこのことだな)

 オリジナルであるメタルボディは、装甲と硬質素材で覆われたインナースーツが一体化した仕様となっている。着ぐるみのように背部に割れた隙間から入り込んで装着し、空気圧によってスーツと身体を密着させる。どのような人間でも適応できるよう、内部スペースは十二分に確保されていた。

 だが性能特化型の試作機であるキメラボディには、各装着者の体格に合わせた最低限のスペースしか備わっていない。装着する際は無理やり体を押し込まねばならず、逆に脱着する時は締め付けてくるスーツから体を引き剥がす必要があった。

 自分、そして仲間が苦労してキメラボディを脱ぐ度、アンタレスはチョウやセミの脱皮を連想していた。硬い殻、過去から抜け出し、無垢でか弱い体が色付き、未来へと飛び立っていく。

 ――役目を終え、キメラボディという殻を捨て去った後、何が待ち受けているのか? それとも殻が脱げず、その中で永遠に眠り続けることになるのか?

 アンタレスがため息を吐きつつ、労うようにサーバルを叩く。チタン・セラミック複合装甲の反響が、彼の手を伝って返ってきた。サーバルが慰めてくれたようで、思わず笑みがこぼれる。

「よし、これで大丈夫だ。しばらくすれば痛みも治まるだろうさ」

 奥からストームの声が聞こえてくる。意識をそちらに向けると、ハンガーの横に設置された待機スペースに、顔色の悪いヴァイパーが座り込んでいた。スキンヘッドで長身、細身だが筋肉は引き締まっていて、洗練された力強さを感じさせる。鋭い眼光を持つ灰色の瞳が、傍らに立つストームを睨みつけていた。

「本当か? 日に日に神経抑制剤の効果は薄くなっているように感じるぞ?」

「そんな気がするだけさ。フランスの傭兵部隊で鍛え抜かれたスナイパーが、そんな泣き言を吐いてどうする? 現に俺やアンタレスは平気なんだ。もし大丈夫じゃなきゃ、今頃俺たちは死んでるはずさ」

 ヴァイパーの恨めしそうな視線をもろともせずに、ストームが笑みを浮かべた。手に持った薬剤入りの注射器が、照明を受けて瞬く。ストームの軽い態度を咎めるように、アンタレスが彼を押しのけるようにして前へ出た。

「ヴァイパー、大丈夫か? ここのところずっとニューロン・コネクタの調子が悪いじゃないか。もし具合が悪いようなら、俺かボアがお前の試験を引き継ぐぞ」

「心配ない、アンタレス。さっきもでかい借りを作ってしまったばかりだ。あんな敵が、またいつ出てくるか分からない。ホッパーは俺にしか扱えないんだ。俺だけが、休んでいるわけにはいかない」

「ヴァイパー……」

 額に汗を浮かべながら、ヴァイパーが笑みを作る。しかし、仲間の体の各所に取り付けられた黒い三角形の物体、その周囲の肌は紫色に腫れあがっていた。血管が異常膨張し、各所で鬱血を引き起こしている。ヴァイパーの神経は、激痛の濁流に飲み込まれている状態だった。顔を背けたくなるのを堪え、アンタレスがヴァイパーの肩を叩く。

「頼もしい答えだな。でも、いざという時だからこそ、あなたが万全じゃないと困るんだ。今はゆっくり休んでくれ。哨戒に出ているボアも、きっと同じことを言うと思う」

「……すまない」

 そうつぶやいた直後、ヴァイパーが前のめりに倒れ込む。その体をアンタレスが優しく支え、気絶した彼をベンチへ寝かせた。

「やれやれ、手間をかけさせるな。役には立つが、抑制剤の使用率はダントツで多い。最後まで持ってくれるといいんだけどな」

「おい。それがチームのメンバーに対する言葉か? 仮にも指揮官なら、もう少し口の利き方に気をつけろ」

「悪い悪い。だからそんな顔で睨まないでくれよ。サーバルの爪で抉られたほうが、まだマシってもんだぜ」

 大げさなジェスチャーで許しを請うストームを、アンタレスが冷たく見つめる。作戦を開始する前から、ストームは仲間であるはずのヴァイパー、ここにいない四人目のメンバー、ボアのことを軽視しているきらいがあった。見下しているのか? 元々他人に対して突き放した態度を取るのか? 誰に対しても同じ態度なら、確かに指揮官としての素養はあるのかもしれない。

 だがアンタレスに対しては別だった。

「にしても、さっきのあれ。まさかクローを足蹴にするなんてな。あんなイカレた運用方法は誰にも思いつかない。最高だったぞ!」

 ストームが馴れ馴れしく、無邪気な笑みを浮かべてアンタレスの肩に手を回す。

「それを実現できたのは、君たちのアヴィスーツの性能のおかげだ。ニューロン・コネクタ・システム。装着者の神経を直接スーツに接続することで、自分の体のようにアヴィスーツを扱うことができる。だから……」

「だから微妙な力加減や精密なコントロールが可能になった、って言うんだろ。それでも普通なら、せいぜいヴァイパーの超精密な狙撃が反映される程度だ。キメラボディ以上に、あんたの性能のほうが規格外ってことさ。上の連中の驚いた顔が目に浮かぶようだぜ」

 肩に置かれた手が嬉しそうにタップを刻む。それをアンタレスが払いのける。

「そんなことはどうでもいい! いかに優れたシステムでも、適合できなければ人体に莫大な負荷をかけてしまう。確かに、契約書にはそのことに関する危険性は書かれていた。だがあのままではヴァイパーは死ぬ。しばらく休ませるべきだ」

 キメラボディは改良された外骨格に加え、インナースーツ状の人工筋肉、そこに縫い込まれたニューロン・コネクタ・システムによって、従来のアヴィスーツを凌駕した反応性と機動性を獲得した。装着者の脳から発せられた命令をダイレクトに受信、増幅し、スーツに送り込むことによって誤差0.14秒の稼働を実現する。

 その代償として、装着者にはシステムに対する高い適合率と、肉体的、精神的負荷に対する耐性が求められた。いくら能力が秀でていても、自分の体以外のものを制御するとなれば、その労力はこれまでの数十倍にも跳ね上がる。

「ヴァイパーのコネクタを見れば分かるはずだ。拒絶反応で周囲の細胞が破壊されて鬱血してる。脳にだってダメージがあるかもしれない。もう抑制剤でどうにかなるレベルじゃない」

 キメラボディとの接続装置、黒い三角形状のニューロン・コネクタは全身18ヵ所に存在する。装着者に外科手術で埋め込まれ、神経と直結されたそれは、人体にとっては電気信号を別の領域へ送り込む異物に過ぎない。拒絶反応を抑えるための抑制剤が効かなくなれば、細胞が崩壊し、神経がズタズタとなってしまう。

「そうだな。つまりヴァイパーは選ばれなかった人間だ。ホッパーに適合できず、みじめに自壊していく。でもな、あいつもそのリスクを承知の上でこの作戦に参加した。多分あんたと同じものを求めて。そんな決死の覚悟をもつ人間を、そう簡単には止められると思うか?」

「……」

 ストームの言葉にアンタレスが押し黙る。それを見たハンサムな童顔が口角をつり上げ、肩をすくめてウインクした。アンタレスの目に怒りが宿る。それを遮るように、ストームがアンタレスを指さす。

「だが目的は違っても、あんたは特別だ。俺やホッパーたちとは違う」

「どういう意味だ」

「あんたのニューロン・コネクタ、全部生体磁気でくっつけてるだけのダミーだ。あんたは自分の力だけでサーバルと連結してる。だろ?」

「っ!」

 ――何故こいつが、そのことを知っている!

 アンタレスは体内の超ナノマシン・ヴィーナスによって自身の神経パルスを発信し、対象の電子機器とリンクする能力を会得している。これによってニューロン・コネクタを介することなく、サーバルとダイレクトにつながっていた。

「契約違反だな。俺がそのことを知らせていたのは、国防省でも限られた人間だけだ。無論外には絶対に漏らさないという条件付きでな。それをお前のような奴に」

「まぁ、そう怒るなよ。俺がこのことを知ったのは偶然さ。お偉方が知られたくないことを、俺がたまたま知っていた。例えば、この作戦は敵対勢力に漏れていて、俺たちの進行ルートや武器弾薬が裏で提供されていたってこととかな。あんただって疑問に思ったはずさ。さっきの戦闘、なんで戦車に待ち伏せされたんだろうってな」

「なるほどな。君はそうやって、俺たちの命を弄んでいたというわけか?」

 握りしめられた拳、溢れそうになる汗を拭いながら、目の前のプレッシャーを見やる。軽薄で他者を見下すだけの技術士官が、今では得体のしれない悪魔に姿を変えた。

 絶対的な秘匿事項であるヴィーナスそのものに関しては、アンタレスに近い人間にしか知られていない。だが能力の一部に関しては、WHOやアメリカ高官の一部の人間に流出していた。それでも、無用に秘密が漏れるのを防ぐため、同じ部隊の仲間に対しても偽装工作を行わざるを得なかった。

 雇い主に裏切られた怒り、秘密を知られた焦り、苦しむヴァイパーを騙している罪悪感。カップの中で様々な感情がブレンドされ、鼻を刺す酸味が、口の中をドロドロと焼き焦がしていく。

「そこまでコケにされていたというのなら、俺たちがこれ以上任務に関わる必要はないな。先に裏切ったのはそちらだ。このまま道具になり下がるつもりはない。君だって、ただ利用されているだけかもしれないぞ」

「かもな。だが逆に俺たちが、連中を利用することもできるぜ。戦闘がある程度仕組まれていたとはいえ、これまでの戦果は確かなものだ。キメラボディの有用性は実証され、それを扱うあんたも英雄にランクアップできる。さらにヴァイパーという実証試験の犠牲者。俺らの実績と奴らの弱みをうまく使えば、俺たちは上に行ける」

「甘いな。奴らが本気になれば、俺たちを消すことなんて造作もない。離反したら最後、物量で押しつぶされるぞ」

「いや。連中があんたを殺すことはない。あんたの力の源が何なのか知りたがっているからな。それは俺も同じことさ。だからあんたの秘密を漏らさずにいたんだぜ」

 知られたくない秘密。その言葉がアンタレスの心臓を刺激する。

「俺にどうしろと?」

「簡単な話だ。俺と組め。上も下もないイーブンな関係だ。キメラボディとあんたがいれば、世界のバランスシートを書き換えることだってできる。あんたのその力、もっと生かしてみたいと思わないか?」

 ストームが手を差し出した。確信に満ち溢れたようにまっすぐで、ぶれることがない。しかしアンタレスには見えていた。五本の指に絡みつく黒く醜い思惑が。

だからアンタレスに、それを握り返す手はなかった。

「俺と組め、か? 本当にそう思っているなら、本心を語ったらどうだ?」

「何?」

「君が俺と親密になろうとしているのは、君の保身のためだってことさ」

 ストームの手がピクリと震える。

「何らかの方法で君はお偉方の秘密を握り、俺の能力のことを知った。奴らがそれを重要視していることもな。だがそれを知ってしまった君は、奴らにとってはただの邪魔者でしかない。今はお咎めなしでも、いずれは消される運命にある。だから俺を脅して無理やり引き込み、情報を探ろうとした。俺の秘密を奴らより先に握れば、身の安全は確保されたようなものだからな」

「…………」

「実績稼ぎも保身のための盾にするつもりだろ。試験を主導したのが奴らでも、肝心のデータが回収できなければ意味がない。俺たちを道具のように使い捨てて目的だけ達成し、あわよくば口を塞ごうとした。だからヴァイパーの拒絶反応が悪化しても平然としていられた。命より、データの方が大事だからな」

「……なるほど。流石に強いだけのアホ、ってわけじゃないみたいだな」

「全ては君がまいた種だ。余計なことはせず、忠実に使命を全うしていれば、少なくとも命を狙われることもなかった。しばらく頭を冷やしているんだな、坊や。ボアが戻ってきたら、今後のことを協議する」

 アンタレスが吐き捨てるように言葉を投げかけ、気絶したままのヴァイパーに寄り添った。少しでも仲間の症状を改善すべく、必要な措置を行おうとする。

「いいのか? バラすぞ、お前の能力のことを」

 抑揚のない、平坦な声が響く。先ほどから想像できないようなストームの声に、アンタレスは振り向こうとはしない。

「好きにしろ。仲間の命が最優先だ。君は自分の心配だけしていればいい」

 裏切りを犯した者には容赦しない。アンタレスの突き放した発言に、ストームもまた、動揺したりはしなかった。


 三年前、CIA本部でのウイルステロ。


 ストームの口から飛び出た呪詛が、アンタレスの思考を止めた。

 脳裏にあの時の光景がフラッシュバックする。

 やめろ。

「あるひとりのエージェントが確保した重要参考人とその孫娘。そいつらを狙って誰かが施設内でウイルスを散布した」

 やめろ。

「大勢がウイルスを吸引して即死。生き残った連中もどこからか現れた無人機動兵器によって虐殺された」

 やめてくれ!

「生き残ったのはエージェントが命がけでシェルターに押し込んだ参考人とその孫娘だけ。そのはずだったのに、そのエージェントは後に生存が確認された。情報が間違っていたのか、それとも生き返ったのか? 誰の手で? 自力で? 参考人のじじいが? それとも、その孫娘とやらが……」

 愉悦の笑みを浮かべるストームの言葉は、喉元に突き付けられた自動拳銃によって中断された。冷たい憤怒に染まったアンタレスの愛銃、ファイブセブンがマガジンの中の牙を静かに唸らせる。

「おやおや。さっきまでの冷静さはどうしたんだ? あんたシールズの後はラングレーに在籍していたようだが、何か知ってるのか? だったら是非とも……」

「ふたつ、君は思い違いをしている」

「っ!」

 空気が、ストームが震えた。二つの眼から発せられた明確な殺意が、周囲一帯を青黒く染め上げていく。

「君は暫定的な指揮官であって、絶対的な指揮官じゃない。君が消えても、裏切りへの対処は俺たちだけでできる。ここは戦場だ。流れ弾で死ぬことだってあるんだぞ」

 そしてもうひとつ。充満した殺意が臨界点を超える。

「俺は過去を詮索されるのが嫌いだ。今度余計なことを口に出してみろ」


 その時は、殺す。


 溶けだした感情が、ストームの鼻孔を侵し、脳を汚染する。錯乱した神経が頭痛を引き起こし、彼の白い肌から、どっと汗が噴き出す。足は小刻みに震え、口内に逆流した胃液が充満する。

 アンタレスがストームの体を蹴り飛ばし、運転席へと押し込んだ。閉められるハッチ。熱射が降り注ぎ、煮えたぎるように熱くなった空間。ストームが震えが止まらない体をシートに収める。日光と脂汗で揺らめいた彼の顔には、歪んだ歓喜が浮かんでいた。

 拳が何度も、何度も、何度もダッシュボードに打ち込まれる。

「それだよ。そうじゃなくちゃ、おもしろくない。これから楽しくなりそうだぞ、なぁアンタレス」

 喉を鳴らす、くぐもった笑い声が血染めの砂漠に鳴り響いた。


 

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