BW-0325事象<感染経路>※1
灼熱の太陽が大地に照り付けている。カーキ色の大地がチリチリとうめき声をあげる。わずかに生えた草木の間を縫うように、一陣の風が吹き抜けていく。
シリアの首都、ダマスカスから数百キロ離れた砂漠地帯には、乾いた死が広がっていた。政権側と反政府軍の内戦、宗派抗争、代理戦争。終わりなき争いによって国民の大半はこの地を去り、わずかに残った二割程度の人間が、今もなお恐怖に震えている。
砂漠色の地面がどこまでも続く。その中を一台の軍用トレーラーが走っていた。黒い車体には何層もの装甲板が貼られ、牽引されている白銀のトレーラー部分にもケージ装甲が取り付けられている。前後合わせて十四のタイヤが、もうもうと砂埃を立てる。
「もう一週間、さすがにこの光景も見飽きたな。いつになったらターゲットに出会えるんだろうな?」
全長十五メートルの怪物の運転席で、ハンドルを握るストームが気だるそうに口を開いた。短く切り揃えられた金髪、顔には無精ひげが生えているが、白い肌は若々しい。二十代後半ではあるが、童顔気味の整った顔立ちは、ハンサムというよりボーイッシュといった印象を与えた。砂漠迷彩の戦闘服をはだけさせ、上着の襟で首筋をあおぐ。
「さぁな。元から信憑性の薄い情報だったんだ。君たち国防省のお偉方も、本当にいるとは思ってないんじゃないのか? 後ろの積み荷のテストにも建前は必要だろうしね」
「おっと、手厳しいな。あんたは礼儀正しい模範的な兵士と聞いていたんだが。元はシールズ所属だったんだろ? 例えそうだったとしても、実用試験の必要性くらい理解できているはずだぞ、アンタレス。あんたもそれが目当てのはずだ」
「まぁ、否定はしないよ。俺たちにも強力なアヴィスーツは必要だからね」
そう言ってアンタレスは、右手に握った缶コーヒーを喉に流し込んだ。ところどころが薄汚れ、擦り切れた戦闘服の下に黒のスキンスーツを着込み、頭と首には麻色の布を巻いている。サングラスからのぞく赤い瞳は、手元の携帯端末のディスプレイを見つめていた。
国防省特殊作戦・世界の救済
作戦概要:テロリストによってシリアに放たれたと思われる生体兵器、コードネーム"ハルマゲドン"の駆除、または捕獲。
目標の特徴:新種と思われるため不明。首長竜、あるいは甲殻類をベースにしていると思われる。干渉したと思われるアヴィスーツ、戦闘車両から、焼け焦げ、ちぎれたような痕跡あり。
目撃証言で共通しているのは、巨体かつ俊敏性があるという点。少なくともハザードレベル3以上の脅威であることが推測できる。
人員構成:四名。指揮官に省内からひとり。残りを外部(国外)から徴用する。作戦は極秘のため、身辺調査は徹底し、重い制約も課す。
戦力:開発中の試験型アヴィスーツ四体。発生したあらゆる戦闘に対してからなず使用し、データもすべて残す。装着者には施術により専用の制御装置を組み込む。
あらためて作戦要項を確認し、アンタレスはため息を吐く。実にアメリカらしい、姑息で陰謀めいた作戦内容だった。
Vウイルスによるテロ以降、世界では様々なタイプの生体兵器が生まれ、増え、蔓延した。目に見える脅威と形のない恐怖が人々を襲い、それに対抗するために、アヴィスーツは単なる防護服から戦闘用外骨格へと生まれ変わった。
日本の介護用エクソスーツを改造したHELL、EUが共同開発した軽量、機動力特化型のシェバリエ、そして重装甲と火力を付与したアメリカのメタルボディ。装着者の防御力や火力、機動力を飛躍的に拡張する。これらのスーツはいつしか兵器として認識され、世界の軍事バランスにまで介入しうる存在となっていく。
今回の作戦は存在が認識されていない外骨格と、アメリカに属さない人間を使った非公式な作戦、いわば記録に残らない臨床試験に他ならない。単独での行動により他国、自国にすら計画を隠ぺいして出し抜く。それだけの技術が、四体のアヴィスーツにはつぎ込まれていた。
「ま、うちと組んで専用のものを調達するのはベストかもしれないな。たとえあんたが凄腕でも、ただのアヴィスーツじゃ頑張ったところで結果は見えてる。そっちの社名は何だったかな? ス、スターバ?」
「スターライト・バレット」
「そうそうそれだ。スターライト何とかも、外の連中のように日干しにならいように注意しないとな。いくら稼げても、死んだらしょうがない」
ストームが口の端を釣り上げて窓の外を仰ぐ。道から離れた場所に、アヴィスーツの残骸と何かの骨のようなものがあった。巨大な剣のような形状していて、墓標のように地面に突き刺さっている。
「あれは、メタルボディとソードリザードだな。装甲表面が斜めに切断されたような跡がある。あれは尾の骨が変異したブレード特有のものだ。シリアにはあんなものまで持ち込まれていたのか」
「今のシリアは生体兵器の見本市みたいなもんだからな。あちこちの勢力がやたらと持ち込んで収拾がつかなくなってる。うちの国やロシアも人道支援の名目で軍隊を派遣してるが、多様性がありすぎて識別や対処もままならない。ま、逆にそれが俺たち開発側にとっては都合がいいんだがな。アヴィスーツにとっても、生体兵器にとっても、絶好のデータが取れるだろ」
「いかにも技術試験官らしい物言いだな。君の国の兵士が、あそこで命を散らしたんだぞ」
「おいおい、俺は確かに軍人じゃないが、痛ましいことだとは思ってるぞ。ただ、あのメタルボディをアメリカ人が纏っていたかどうか、それを確認する術はない。もしかしたら敵対勢力が鹵獲していたものを使用していたかもしれないんだ。俺たち戦争屋がいちいち気にすることじゃないさ」
(……確かにそうかもしれない。でも、バイオテロの犠牲者であることに変わりはないんだ)
アンタレスはストームから顔を逸らすようにコーヒーを飲み干し、座席の下へと放り込んだ。カラカラと鳴る十数本の空き缶に、新たな旋律が加わる。
彼にとって犠牲者の人種など問題にならない。残骸の近くにこびりついた血痕、へし折れた尾の剣、命ある者が戦い、死んでいった。終わりなき内戦によって秩序が失われたシリアは、生体兵器の病巣と化していた。
アンタレスがスターライト・バレットに参加したのは、世界からバイオテロを根絶するためだった。かつて属していたシールズ、CIAではできなかったことを成し遂げる。それが彼の義務であり、使命だった。
だがアンタレスの目的は、国防省対生体兵器セクションのストームにとって単なる手段に過ぎない。世界のイニシアティブを握るために、強力なアヴィスーツを製造して配備する。
皮肉にもその力の一端が、今のアンタレスにとっても必要な手段だった。進化し続ける敵に対抗するためには、こちらも進化したアヴィスーツを身に纏わなければならない。今回の作戦への同行を受託したのも、戦果を挙げれば、使用したアヴィスーツを供給してもらう契約を結べたからだった。
(もし、本当にハルマゲドンがいるのなら始末する。新しい力も手に入れてみせる。それが出来なければ、俺はこの世界に存在してはいけないんだ)
アンタレスが思考の砂に埋もれていく。砂塵の奥に隠れた過去を意識しないよう、地平線の向こうに見える未来を凝視しようとする。もう二度と、大切なものを失うわけにはいかない。
≪……報告、3時、6時、9時方向から不審なトラックが猛スピードで接近。敵対勢力の可能性大。迎撃準備への移行を推奨する≫
車載通信機から響く男の声で、アンタレスは我に返った。後部トレーラー部分にいる仲間からの連絡だった。
「おっと、今日もおでましか。こっちのアヴィスーツの噂を聞きつけて群がってきたのかな。どの道、いい退屈しのぎにはなりそうだが」
「おい、仮にも指揮官ならもっと気を引き締めてくれ。全員で出るのか?」
「いや、あんたとヴァイパーだけでいい。あんたらのアヴィスーツのデータは不足気味だし、相手の戦力も分からん。二人で攪乱して、やれそうなら片づけてくれ」
「了解」
アンタレスが座席を飛び出し、トレーラー部分に直結したドアをくぐる。
設置された四つのアヴィスーツ格納ハンガー。その内のひとつで、キメラボディ・サーバルの右目が獰猛に輝いた。




