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夏雲とペパーミント  

作者: Urodora

 爪先立ちでながめるといつもの青空が見えた。それを見るたびに美しいと思

うに前に悲しいと感じるのはなぜだろう。崩れかけた雲が横切り、日差しが照

りつけ痛い。

 時間と季節が、何もかも運んでしまい温もりはなくなった。静かに頬をつた

う一筋の汗と、瞳からあふれた二つが混ざり合いぐしゃぐしゃの顔。夏空に手

かざし自分の想いを忘れようと彼方を見ても、忘れることなんてできやしない。

哀しい歌が心の中で何度も響き続ける。


 出会いのたびにさよならを繰り返す

 出会いのたびにさよならが繰り返される


 忘れることなどできない

 忘れてしまうことが怖い


 君の姿が消えてしまって

 僕はずっとここにいる


 それでもただ一つの幸せは

 この夏が終わる前にもらった君からの贈り物



 パタン。

 読みかけの本を閉じると、冷たい風がどこからか吹き込んできた。本に囲まれ

たこの場所も、普段なら人影が多いとはいえないけれど夏は別らしい。ごみご

みとした本棚の間をすり抜け目指す物を探すためのささやかな旅にでる。


 読書が趣味なんて少し暗いかな、そうかもね。誰かがそんな会話していた気

もする。本を読むというよりも、この一定の温度の中にいることがきっと目的

なのだろう。図書館というのは名ばかりで、小さなとても小さなこの建物の中

は、必死に動いている冷房の努力のかいもなく、外よりちょっとだけ涼しい程度な

のに人の数は全然減らない。


童話集「子供向け」


 並んだ本の群れは、聞いたことがある題名ばかりだ。イソップ、グリム、ペ

ロー・・・・・見慣れたそこを通り抜け、おめあての本を手に取ろうとしたその時。

そう、ふれた感じはとてもやわらかかった。運命というのがこの世界にある

のなら。すごくいたずら好きな女神が糸を操っているのだと思う。


 「あ、ごめん。ずいぶん難しい本読むんだ。けど、この本これ一冊しかないね」


 君はそういって微笑み、僕の時は止まった。


 違う世界に飛べたら面白いね。違う世界に行ってみたい。君はそう嬉しそう

に言う。夏休みのひとときはゆっくりと流れるけれど。開いた本の先にある世

界よりも、隣の君が気になって落ち着かない。


 「楽しい時間はすぐに過ぎるから」


 僕を見つめそういった君の瞳がどこか哀しげに見えたのは、なぜなのだろう。

僕は未来なんてどうでもよくて、今がとても大事だった。この手のひらと指を

のばせばふれることができる。こわい、けれど、ふるえる手をそっとのばした。


 「どうしたの」


 あたたかい。すべすべとしたそれは、普通の手とは違う。胸がいたい、抑え

きれない気持ちが全身をかけまわって熱い。はずかしく君をみることができなく

て、照れ笑いで本を見つめた。その一瞬のあと僕の手はやわらかなぬくもりの

中にとけて、夢中で握り返す。


 「あったかいね」


 その声が、いつまでも耳に残った。



 雨の日の午後。ゆくあてのなく一人ここにいる。どれくらいたったのだろう。

君をあれから見ることはなかった。ずっと降り続く雨は、心を映し出している

ようで窓から暗い空を見あげた。雨の日の図書館は、静けさを通りこし不気味

さを感じるほど静かだった。

 色々な本が僕を呼ぶけれど、そのどれもが色あせて見える。あの日から変わ

ってしまった。違う世界にいってみたいね、君はそう言った。だから僕はもう

違う世界にいるのかもしれない。あいたい、あいたいよ。本の谷間でなにもな

いからっぽのここなんて、君がいないここなんて。

 ガラクタ本たちを視線にたえられなくなったからふりきって、傘を差す。

降りしきる雨が心地よくて走った。走り続けた。狭い路地を通り抜け、見知ら

ぬ街を走りぬけ、びしょぬれのままに。だけど見つけた。ここにいた。そう、

ここにいた。君とその過ごした全ての過去が。

必要なのは信じることで、それだけで願いはかなうきっとかなう。神様に

三度感謝して、近づく僕の前で悲しみが流れ出す。

目の前の君は、涙と雨にぬれる瞳でみつめて。冷たくなった唇をふるわせ言った。


 「また会ったね」


 少し背の高い君。たおれそうで支えたくて、そんな顔は見たくないよ。その

理由はしらないけど。君の泣く原因を分ってしまったから。

瞳を閉じ決心して開けた。足をふみ出して、手を差しのべて、刃向かう心なんて黙

らせ、明るい笑顔で、それをやらなくちゃ、僕しかできないのだから。

心をふるいたたせ、一歩また一歩進む、こきざみにゆれる二本の手を伸ばし、ゆっ

くりと回し君を優しく抱きしめた。

このまま時が止まってしまえばよいのに、温もりとともに理解できない恐

怖が襲う。鼓動が聞こえた。心臓の音が聞こえるなんて不思議だ。


 「さようなら、なんだって。もう、いらないのかな」


 かぼそい声で君がそっとつぶやいた。僕は、心を凍らせる。凍らせる。どう

しようもないこの気持ちをどうすればいいのかなんて分るわけない、今は君

のために君のためだけにいるのだから。

 大人になることで、この違う世界を知ることができるのなら。お願いです。

神様時を進めてください。けれど願いはかなわない、かなうわけなどない。信

じればかなうはずなのに。信じればかなうと思ったのに。

だから雨が洗い流してくれるのを、ただ待つことしか僕はできなかった。



 パタン。

 本を閉じると、どこかでひぐらしの鳴く声が聞こえた。

 夏もそろそろ終わり、季節が過ぎて少し大人になる。想い出を積み重ねて

人は進む。大人ぶって繰り返し念じてみたけれど、この痛みはなくならない。

 何度か手のひらを見ては、一人合わせてみるけど、やはりただの自分の手だ。

悲しくなんてないさ、そういって本の王国に何度も通う。本心は違うことなん

て分っていたけれど。君はずっと姿をあらわさない。最後に、そう最後に何

か言わないと、夏が終わる前に。

 閉館を告げる放送にあきらめ、出口に向かう。今日も君は来なかった、失望

しているのにどこかほっとしているこの気持ちはなぜなのだろう。

 真っ赤な夕陽が明日も晴れることを自己主張していた。やっぱり明日も暑い

のかなそう思いつつ、とぼとぼと歩く、けれど道の先にいた人物に驚いて足を

とめた。


 「待ってたよ」


 そう言った君の笑顔は前と同じなのに、僕にはなぜか違うものに見えた。

君は何も言わず一緒に帰り道を歩く、あと少しで家に着いてしまうのに、何かい

わなくちゃ言葉がぐるぐると頭の中で回る、気が利いたセリフはあれだけ用意

していたのに何も言えないなんて。時間は無慈悲に過ぎて。


 「ここが家?」


 僕はうなずいた。うなずいた。急がないと、きっと君は振り向き去ってしまう。

そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。勇気なんてないけれど今ここで

後悔するなら、言わなくちゃ。たった一言だけでもしぼりだすよう精一杯頑張って

僕は言った。


 好きです。


 それを聞いた君は、何もかも理解したようにうなずいて、すこしかがみ、そ

っと僕の唇を一瞬ふさいでから、ささやいた。


 

 「プレゼント」


 固まってぼうぜんとしている僕に与えられたプレゼントは、やわらかな唇の

感触とあの図書館で偶然二人手に取った一冊の本。その日僕の夏休みは終りを

迎え。別の世界への入口は静かに閉じていった。




 日差しはいつものように鋭い。バスが来るのを待つ間にあの本を取り出してみた。

ページをめくっていくと、しおりがはらりと落ちる。そのペパーミントの葉で

できたしおりを拾うと匂いがしみて、涙があふれた。

 泣いてなんていない、目にしみただけ。けれど歪んだ雲がこちらを見て笑っている

気がした。遠くのほうからエンジン音が聞こえ、にじんだ背景の中

にゆらゆらとバスが現れるのが見える。涙をふき空を仰ぐと、入道雲が青空の向こ

うからこちらをのぞいていた。


 僕は贈り物を胸に旅立った、夏の想い出とともに。


 了


執筆時 2005年 保管用です。

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