八、砂漠の盗賊たち
〈臍〉と呼ばれる巨岩の辺りは、大声でも会話がしづらかった。
岩の割れ目を吹き抜ける風の音のせいだった。
風は四六時中吹いているので音の止むときはなかった。しかし、そのために気配を悟られにくく、待ち伏せには都合がいい。
昼も無理をして移動したせいで、隊商にはだいぶ差をつけられたはずだった。
そうして稼いだ時間で、盗賊団は身を隠す穴を掘った。
昼間は溶けた鉄のように熱かった砂が、夜がふけるにつれて冷えていき、いまは手を凍えさせるほどだった。
もっとも、傀儡のカラビーナには冷たいも熱いも関係ない話だった。自分の穴をさっさと掘り終えた彼は、エルザを手伝おうと、彼女の穴へ行った。
「手伝わなくていい」エルザは手の甲で汗をぬぐった。「自分のことは自分でする。それがあたしたちのきまりだ。それよりも、おまえ、アントーニオに稽古をつけてもらいな。まだ隊商が来るまではだいぶ時間があるはずだ」
カラビーナはエルザの穴を離れ、離れた場所で葉巻を吸っているアントーニオのところへ行った。
「何だい?」
砂山に寝転がっていたアントーニオが片目を開けて言った。
カラビーナはアントーニオの腰に提げているナイフを指差した。
「稽古するか?」
オアシスの宿屋を出てから二日、食事や露営で馬を止めるたびにわずかな時間ずつ、カラビーナはアントーニオからナイフを使った格闘術を教えてもらっていた。
アントーニオのナイフ術は俗に〈軍式〉といわれる帝国陸軍制式だった。単純な代わりに実戦的だと彼は言っていた。
「じゃあ、最後に“形”をさらってみよう」
アントーニオは寝転んだまま言った。
カラビーナは肩から提げた巾着袋から木製の模造ナイフを出した。
本物は持っていない。
アントーニオに言わせると、ナイフというのは自分で手に入れるもので、そうでなければいくら使い込んでも自分の手にはなじまない物だそうだ。
アントーニオはのそりと立ち上がった。太い葉巻はくわえたままだった。
ナイフを鞘から抜いて窪地へ降りていった。
「こっちに来いよ。上にいると隊商の連中に見つかるかもしれない」
カラビーナはその後をついていった。すると、急にアントーニオが振り向いた。
その瞬間、カラビーナは右肩に衝撃を感じて砂に倒れた。そのまま斜面を転がり落ちた。
アントーニオにナイフの柄で殴られたのだった。振り向きざまの一撃だった。
カラビーナは窪地の底で立ち上がると木のナイフを構えた。
「いいか、大豆あたま。ナイフを持っている相手と戦うときにいちばん気をつけなくちゃいけないことは間合いだ。今みたいに不用意に相手の間合いに入っちゃだめだ。かといってずっと間合いの外にいたら、こっちのナイフもとどかない」
アントーニオは喋りながら無造作にカラビーナへ近づいてきた。
カラビーナは教えてもらった“形”を思い出して、アントーニオが突いてくるのを待った。
アントーニオが鋭い突きを繰り出してきた。
ナイフの軌跡は月の光に閃いて白い直線を描いた。
カラビーナは体をひねり、ぎりぎりで刃尖をかわした。
刃は残光を残してまたアントーニオの胸元へ戻る。が、ほとんどためられることもなく第二撃が突き出された。
この“形”では、カラビーナは相手の突きをナイフを持たない左手で外へ流し、相手の懐へ飛び込みざま心臓を狙ってナイフを突き出すのだった。
しかし、そのときアントーニオの軸足に隙が見えた。
カラビーナは身体を沈めながら独楽のように回った。右脚で相手の軸足を払った。
アントーニオの身体が宙に浮き、腰から地面に落ちた。
カラビーナは低い姿勢のまま倒れた身体へ跳びつくと馬乗りになって、ナイフをアントーニオの日に焼けた首筋へ押し当てた。
「馬鹿! “形”がちがう!」
アントーニオは顔を真っ赤にして、カラビーナの軽い身体を両手で突き飛ばした。
「最初はこう……相手が左から頭を狙ってきたら後ろに退がってかわす。このとき頭を下げて逃げるのはダメだ。相手から目を離すことになるからな。そして、相手の身体が泳いだところへ一歩出て……脇腹めがけてナイフを突き出す。高いと肋骨に当たって深い傷を与えられない。さあ、やってみな」
カラビーナはアントーニオに言われたように手足を動かした。
踏み込み、腰のひねり、腕の伸長――力が伝導し、木製ナイフの尖端へ集まる。
教えられた動作をカラビーナはよどみなく繰り返す。一点の誤ちもない。
そばから見れば、それはとても機械らしかった。
何の疑いも持たず動きを反復する機械。
しかし、カラビーナの〈知恵の木の実〉は、こんなことにどんな意味があるのか、疑問に思っていた。
何を覚えても、どうせ二週間で忘れてしまうということなのに――。
「どう? 筋はいい?」
自分の穴を掘り終えて、部下の穴掘りを手伝って回っていたエルザが寄ってきて訊ねた。
「どうも何も、しょせん傀儡だからな、教えられたことをそのまま繰り返しているだけだ」
「それぐらいのことができない人間だっているわ」
「人間ならそれ以上ができるやつもいる」
「傀儡に厳しいのね」
アントーニオは葉巻を口の右端から反対の端へ移動させて、つまらなそうに答えた。
「やつらにはいろいろと迷惑をかけられたからね」
「それは軍隊時代の話でしょう。向こうだってあんたのことを嫌な上官だって思っていたんじゃないかしらね」
「傀儡に感情なんてないよ」
「そうかしら。カラにはあるような気がするけど」
「よくあることさ。そんな気がするってだけだ。過剰な期待はしないほうがいい。こんなスキルを覚えさせたって、どうせ二週間もすれば忘れちまうんだからさ」
「いいのよ、それくらい覚えていてくれれば。……べつにその半分だっていいんだわ」
エルザはあとの半分をつぶやくように言って、立ち去った。
「どういうことだ、大豆あたま?」
聞きとがめたアントーニオが、型を反復しているカラビーノに聞いた。
カラビーナにももちろん意味はわからなかった。しかも、声が出ない。答えようがないのだった。
巨岩の上にいた物見から合図があって、エルザは全員に穴へ隠れるよう指示した。
隊商が近づいてきたのだ。
カラビーナはアントーニオから渡された棍棒を握って穴にもぐった。上から砂色のマントを被ると、近くにいても見分けづらくなった。
やがて隊商が見えてきた。
マスケット銃を担いだ傀儡兵たちが先に立っている。
中ほどに馬に乗った商人がいる。
その後ろに箱馬車が続いていた。
最後もまた傀儡兵たちだ。
羽帽子の傀儡兵が馬車のすぐ後ろにいるのをカラビーナは見つけた。
あいつをやっつけてやりたい、と思った。不思議な感覚だった。全身を巡る油が沸騰するような感じだった。
突然、笛を吹くような音がして爆発音が続いた。
馬が怯えて後ろ脚で立ち、乗り手を振り落とした。
砂漠が昼間のように明るくなった。照明弾だ。襲撃の合図だった。
カラビーナはマントを跳ね上げて穴から跳び出した。隊商の列に向かって砂の斜面を駆け下りる。走りながら棍棒を振り上げた。
そのとき、二リーグ北には、職務怠慢やる気のない〈帝国の諜報員〉たちがいた。
行く手の空が急に明るくなったので、シモネッティは馬を止めた。後ろから来たフラスカーニの馬が横に並んだ。
フラスカーニはまだ臭い。シモネッティは顔をしかめた。
「何でしょう、あれ?」
フラスカーニが無邪気な顔で訊ねた。
「まさか朝が来たなんて思ってんじゃないでしょうね、このカボチャ頭」
シモネッティは近づいてくるフラスカーニの馬を蹴って臭気から逃れようとした。しかし、フラスカーニは何も気づかずにしつこく寄ってきた。
「聞いただけじゃないですか。そんな罵らなくてもいいと思うなあ」
「少し頭を働かせりゃわかることじゃないの。あれは照明弾だね」
「なるほどねえ、照明弾ですか。誰が上げたんですかねえ?」
「さて、誰かはわからないけど、あの隊商がちょうどあの辺りにいるんじゃない?」
「隊商が上げたんですか! そいつは救難信号ってことじゃないですか! こいつは急がなきゃ!」
フラスカーニは痩せ馬の腹を蹴って駈け出させた。
「おいおい、待ちなさいって!」
シモネッティは呆れたように声を張り上げた。
フラスカーニは振り返り、シモネッティがついてこないことに気づくと、駈足で戻ってきた。
「何やってんですか、アナタ。災厄の魔女をまたかっさらわれちまいますよ」
「だからって、キミ、ボクらが行って何かできるの? キミはそんなに強かったっけ? いいの、いいの。ボクらは全部片付いたころに、ヒョイッと顔を出して、隙があれば魔女をさらっていくだけだから」
「エー、そんなズルい!」
「ズルいって言うんじゃないよ。アタマを使ってるって言ってちょうだい!」
――周りから雄叫びが聞こえる。黙って襲うのが約束だったのに早速破った奴がいるのだった。しかし、雄叫びに背を押されるようにして獲物に向かうのは悪い「気分」ではなかった。
カラビーナがしんがりを守っていた傀儡兵に襲いかかったとき、相手はまだ何が起きているのか理解できていなかった。
傀儡兵はあらかじめ組み込まれている反応通りに、マスケット銃を身体の前で構えた。
それを左腕で跳ね上げ、カラビーナは相手の懐に入った。
右手が単純な曲線を描いて傀儡兵の左側頭部を打つ。
ほとんど手応えもないままに傀儡兵の身体は砂地へ倒れた。
ピクリとも動かない。〈知恵の木の実〉が震えているのだ。
カラビーナはすかさず傀儡兵に馬乗りになった。背中を開けてスイッチを切り、眠らせた。
ふっと何かを感じた。カラビーナはそのまま前へ跳んだ。
ブンッと何かが後頭部をかすめた。
銃の銃床だった。
後ろから別の傀儡兵がカラビーナの頭を狙って振り回したのだ。
宿屋のときと同じだった。しかし、今度は逃れられた。
気配――というのだろうか、カラビーナはその〈何か〉を感じたのだった。
小銃を空振りした傀儡兵は前にのめって不様に身体が伸びていた。隙だらけだった。
カラビーナは機会を逃さなかった。砂地に着いた足でもう一度逆方向へ跳んだ。
跳びながら左上から右下へ棍棒を振るった。
棍棒は傀儡兵の後頭部を打ち、そいつはそのまま砂へ頭を突っ込むようにして倒れた。
また背中を開けてスイッチを切る。二体目だ。今度は周りにも十分注意を払った。
あまりの容易さにカラビーナは少々拍子抜けしていた。
しかし、周りを見回すと他の盗賊たちはまだ傀儡兵と格闘を続けていた。事は計画ほど単純ではなかった。混戦状態だった。
カラビーナは体勢を整えると、一番近くで盗賊と取っ組み合っている傀儡兵へ走った。
そいつはうまい具合に盗賊の足を払って、砂へ仰向けに転がしたところだった。
盗賊へ向け銃を構える。狙いをつけるまでもない距離だった。
カラビーナは跳躍した。
ぎりぎりで間に合った。傀儡兵の手首へ棍棒を振り下ろす。関節部の砕ける鈍い音がした。傀儡兵は銃を落とした。
まだ状況がつかめていない傀儡兵の後頭部を、カラビーナは殴りつけた。
傀儡兵は首をひねってカラビーナを見たが、そのまま腕をダラッと垂らして前のめりに倒れた。
動かなくなった傀儡兵は盗賊に任せて、カラビーナは〈羽帽子〉を探した。
〈羽帽子〉は箱馬車の陰にいた。足元には盗賊がひとり転がっていた。
死んでいるのかどうかは見た限りではわからなかった。
〈羽帽子〉は片膝をついてマスケット銃を構え、何かを狙っていた。
カラビーナは銃口が向いている先へ目をやった。
そこにはエルザがいた。
エルザは倒した傀儡兵の上にしゃがみこんで、背中を開けているところだった。
狙われていることに、まったく気づいていなかった。
カラビーナはエルザに叫ぼうとした。
が、声は出ない。ヒュウヒュウ、と空気が漏れただけ。
喉は壊れたままだ。
箱馬車へはカラビーナの場所からでは走っても間に合わない。
とっさのことだった。カラビーナは左手を〈羽帽子〉に突き出していた。
ダアァァーン!
銃声が〈臍〉の風の音を切り裂いた。
〈羽帽子〉の頭部が吹き飛んだ。
首から上のなくなった傀儡兵が、銃を構えた姿勢のまま、横倒しに倒れた。
銃声にエルザが振り返った。
そして、カラビーナの腕の先から煙が上がっているのを見て、何が起きたのか察したようだった。
彼女は走ってきた。そして、カラビーナを突き飛ばした。
「どうして撃った?」
こんな恐ろしい表情のエルザを、カラビーナは見たことがなかった。
カラビーナは砂に転がったまま、〈羽帽子〉を指差した。
エルザは壊れた傀儡兵のところへ走って行った。
〈羽帽子〉が倒れたのをきっかけにして、カラビーナたち盗賊団が優勢になり、やがて戦闘は終わった。
焚火が熾され、茶が沸かされた。
隊商の三人は縛り上げられ、箱馬車の前に座らされた。
スイッチを切られた傀儡兵が、その傍らに山積みにされた。
アントーニオが風で飛ばされた羽帽子を拾ってきて、カラビーナの頭にかぶせた。
弾丸の入ったところと、抜けたところ。大きな穴がふたつ空いていた。
「水臭いなあ、エルザ」アントーニオが葉巻に火をつけた。「こんなところに銃を隠していたとはね」
「ペラペラ喋ったら秘密の武器にならないだろう」
エルザは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「姐御、これ、鍵かかってますぜ」
箱馬車に取りついていた盗賊が、声を張り上げた。扉を力任せにガンガン引っ張っているが、びくともしなかった。
箱馬車の中には少女がいるはずだった。
しかし、窓とも呼べないような細長いスリットの中は真っ暗で、少女の気配も感じられなかった。
アントーニオが隊商のひとりを蹴倒した。
「よお、鍵出しな」
男は口を堅く結んで、そっぽを向いた。
「馬鹿か、おまえ。黙っていたって調べりゃわかることじゃねえか。おい、こいつらの服を剥いじまえ」
アントーニオは部下に命令すると、後ろに下がって葉巻をふかした。
盗賊たちが寄ってたかって男たちを裸にした。
全裸で冷たい砂の上へ転がされた男たちは、恨みのこもった目でアントーニオを睨んでいた。焚火の炎が目に映ってギラギラしていた。
アントーニオはそんな視線など意にも介さず、愉快そうに部下の様子を眺めていた。
「服はおまえらの勝手にしろ。馬鹿、財布はダメだ。こっちへよこせ。鍵がどこかにあるだろ。あん、手紙だ? そんな物、いるかよ。捨てちまえ」
「待ちな。それ、貸してごらん」
エルザは部下から手紙を受け取った。焚火の前まで行き、明るい炎にかざして手紙を読んだ。
手紙といっても私信の類ではなく、公的な通信のようだった。それを読んだエルザは眉をひそめ、やがて口元に不敵な笑みを浮かべた。
その笑いの意味をカラビーナは量りかねたが、ちらっと見えた通信文に「災厄の魔女の移送」とあった。
――災厄の魔女……あの少女のこと?
カラビーナはマントを羽織り、羽帽子をかぶり直した。少女の歌声を思い出していた。
「おまえたちはここへ残していくつもりだ。まあ、明日の夜までにはカラカラに干乾びているだろう。そうなる前に運良くどこかの隊商が通りかかる可能性もあるが、そいつらが親切に助けてくれるかどうかはわからない」
エルザが転がされている裸の男たちを見下ろして言った。
そして、皮袋から喉を鳴らして水を飲んだ。その水は男たちが持っていたものだった。
彼らの顔が苦しげに歪んだ。のどの渇きはすでに耐え難いほどなのだろう。
「さて、ここでいくつか取引をしないか。そんなに大変な取引じゃない。あたしが質問する。おまえらは正直に答えるだけでいい。ちゃんと答えれば、水を残していってやる。質問ひとつにつき、水ひと袋だ。そんなに悪い取引じゃないだろ? うまくすれば、いちばん近いオアシスまでたどり着けるかもしれないよ。どうする?」
三人のうちのリーダーらしい男は、充血した目でエルザを睨みつけたまま黙っていた。
しかし、腹に疥癬のある男が「言え! 何でも答えてやる。早く言え」と怒鳴った。
「黙れ、ジージョ」もうひとりが押し殺した声で言った。
「最初の質問だ。おまえたちの正体は何だ? 隊商じゃないのはわかっている」
「おれたちは兵隊だ」ジージョと言われた男が叫ぶように答えた。
「どこの?」
「答えるな、ジージョ」リーダーがジージョを睨みつけた。
エルザは手にしていた皮袋を逆さにした。
袋の口からドボドボと水がこぼれ出した。落ちた水は乾いた砂に一瞬で吸われてしまう。
あうあう、とジージョはおかしな声を上げた。
「さっき言うのを忘れたけど、おまえらが正直に答えなかったときは、本当だったら手に入れられたはずの水を捨てるから。ひと袋ずつな。あと残りは五袋だ。さあ、どうする? まずは自分たちの正体を言いな」
エルザは空になった皮袋をリーダーの前に投げ捨てた。リーダーは見るだけでも苦しいのか皮袋から目をそらした。
「おまえらが持っていた手紙を読めばだいたいは察しがつくんだ。それを親切にもわざわざ聞いてやっているんだよ。素直になった方が利口だとは思わないかねえ」
「殺せ。盗賊なんかに命乞いはしない」
リーダーの声がかすれているのは、のどに水気がないからかもしれない。
「馬鹿だね。ディ・チッコなんかに義理立てしてどうすんだよ。命をかける甲斐もないバカ殿じゃないの」
さすがに主人の名前を出されてリーダーはギョッとしたようだった。
「隊長、この女の言うとおりだ。殿様のために命を捨てるのは馬鹿だぜ」
ジージョでない方の男も折れた。
「何を言う。おまえたちは主家に対する恩を忘れたか。おい、女、とっとと殺せ」
「いや、とっとと殺すなんてつまらないことはしない。死ぬにしてもいちばん苦しい死に方をしてもらうよ」
「おれたちはあんたの言うとおりディ・チッコ候の兵士なんだ」ジージョが喋りだした。「ガエターノ様に命じられて、ポルゴの村へ娘をさらいに行ったんだよ。隊商に化けてな。それで首尾よく娘をさらって、今はギッチオに戻る途中だったんだ。娘はそこの馬車のなかにいる。あんたたちに渡すから好きにすればいいよ。そのかわりおれは助けてくれ、なあ、頼むよ」
ジージョが喋っている間、隊長は唇を噛んで黙っていた。あきらめてしまったようだ。ただ、それでも自分の口からは告げないことで自尊心を保っておきたいらしい。
「その娘が、手紙にあった災厄の魔女ってやつなのか」
「手紙にそう書いてあったんならそうなんだろう。そこまではおれは知らないんだ」
ジージョは悔しそうにつけくわえた。知っていることなら何でも話すつもりなのだろう。
「どうなんだ、隊長さん?」
エルザが問いかけても、隊長は無言だった。エルザは新しい革袋を持って来させると、隊長に見せつけるように栓を抜いた。そして、ジージョの髪を掴んで首を持ち上げて開いた口に水を注いだ。水はすぐに口腔からあふれてあごを伝い落ちた。ジージョは溺れたがっているかのように水を飲んだ。
羨ましそうにもうひとりの兵士が見ていた。エルザは意地の悪い笑みを浮かべて、その男にも水を飲ませてやった。
「どうなんだい、隊長さん?」
エルザは笑いながら同じ質問を繰り返し、残りの水を砂漠に飲ませた。隊長の口唇が震えていた。その袋も空になろうという頃、隊長は聞き取れない声で何か言った。
「何だって?」
「そ、そうだ」
「そうだって何が?」
「馬車の中にいる娘が災厄の魔女だ。……もういいだろ、私にも水をくれ」
隊長がすがるようにエルザを見上げた目はもう、絶望して心の死んだ者の目になっていた。
エルザは冷たく答えた。
「駄目だ。もうひとつ質問に答えな。――災厄の魔女ってのは、いったい何なのさ?」