四、偽の隊商と仮面の少女
「言い忘れていたが、エルザ、今、このオアシスには変な隊商がいるよ」
アントーニオが馬を宿屋の馬止めに繋ぎながら報告した。
「変な? 何か臭うのかい?」
「カン違いかもしれないが、普通じゃない感じだ」
「どこが?」
エルザはアントーニオの方は見ずに、馬から鞍を外していた。
「この坊やみたいのをたくさん連れているんだ。もっと新式のだけどね。人間は三人しかいない。編成は隊商というより歩兵小隊って言った方がぴったりくる。まあ、儲けを大人数で分けるのが嫌なら、たしかに護衛は傀儡兵を使う方が安上がりだし。いずれ砂漠はそんな連中で溢れるのかもな」
「傀儡の隊商? それで高価な物を運んでいるようだった?」
「いいや。でも、金は持ってるよ。宿屋の帳場で金貨がぎっしり入った財布から支払っていた。それとな、もうひとつ変なのは、おかしな客をつれているんだよ。あの背格好はおとなじゃない。まだ少女だろうねえ。その子が頭に銀色の仮面を被っているんだ。何だろうねえ?」
「女の子だったの? へえ、おかしな客だねえ」
ふたりはそれぞれに鞍を抱えて宿屋に入っていった。
カラビーナがそのあとに続いていくと、耳に大きな穴を開けた宿屋の女が出てきてかれの前に立ち塞がった。
右手をピッと伸ばして戸口を指差した。
「傀儡は外!」
エルザが振り返った。
「姐さん、そいつはあたしの従者なんだ。あたしと同じ部屋でかまわないよ」
「あいにくとウチはそういうあやしい宿とは違うんでね。人と人形の区別はきちっとつけさせてもらうよ。嫌ならウチには泊めない」
宿屋の女はエルザを睨んだ。エルザはため息をついた。
「カラビーナ、仕方がない。外にいな」
カラビーナはうなずいて建物を出た。べつに悔しいとも思わなかった。傀儡は食事をとる必要も寝る必要もない。それこそ屋根の下にいる理由なんてないのだ。
宿屋の壁は乾ききった木の板だった。叩くと金属のような音がした。
カラビーナは声が聞こえたので建物の裏へ回った。
宿屋の裏には、柱を立てて上に棕櫚の葉をかけただけの、小屋とも呼べないようなものがあった。そこで火を焚き、その周りに輪になってしゃべっている十数体の傀儡がいた。
アントーニオの話に出てきた隊商の傀儡兵らしい。どれもカラビーナの知らない型式だった。
近づいていくと一体が立ち上がり輪の外へ出てきた。そいつだけ他のと違って羽のついた帽子をかぶっていた。
「オマエ、何だ?」
「何者だ?……」
「誰だ?……」
その〈羽帽子〉が言葉を発すると、他の傀儡兵たちが唱和するように繰り返した。
カラビーナはしゃべれないとわかるように喉を指差した。
「故障しているのか」
「故障だ……」
「壊れている……」
傀儡兵たちのあいだを「壊れている」という言葉が、残響のように何度も行き交う。その声はどこかうれしそうに聞こえた。
カラビーナは思い出した。傀儡兵というのは本来単純なのだ。
故障している傀儡兵を見れば、自分が壊れていないことを単純に喜ぶ。壊れている相手を気遣う機能など初めから装備されていないのだから仕方がない。
カラビーナが火のそばへ寄ろうと前へ出ると、〈羽帽子〉がすばやく動いた。
カラビーナは足を払われて、乾いた砂へ仰向けに倒れた。
〈羽帽子〉がかれを見下ろしていた。その顔は笑っているように見えた。しかし、それは正しくない。歩兵ごときに〈笑う〉機能は実装されていないのだから。
「ここは仲間だけだ」
「仲間……」
「仲間……」
カラビーナは立ち上がってマントについた砂を払った。
二、三度跳ねて、どこか壊れていないか確認した。さいわいどこにも痛みはなく、部品が外れているような異音もなかった。
〈羽帽子〉が、カラビーナから焚き火を守るように立った。
「オマエのような……ホ、ホ……〈放出品〉はあっちへ行け」
「……〈放出品〉……」
「〈放出物資〉……」
――放出品?
それが自分のことだとは、カラビーナはしばらくわからなかった。つまり、軍が用済みとして廃棄した処分品だ、と〈羽帽子〉は言っているのだった。
そうなのか、とカラビーナは悲しくなって、傀儡兵たちに背を向けた。
もと来た道をとぼとぼと帰った。
人間と同じ建物には入れず、同類のはずの傀儡兵にさえ仲間ではないと言われた。
かれには、どこにも行き場がなかった。
だが、建物の角まで歩いたところで気がついた。
――そう言うおまえたちは何なんだ。隊商で働かされているのだから、自分たちだって同じ〈放出品〉じゃないか。
しかし、戻って文句を言いたくても喉が壊れているからどうしようもない。
カラビーナは馬小屋へ行くことにした。馬なら小屋の隅にいても怒らないだろう。
どこか納得いかないまま、馬小屋の扉を開けた。エルザの馬がかれを見つけて地面を蹴った。呼んでいるようだった。そばへ行くと、気にするな、と言うように鼻を鳴らして、かれの頭を舐めた。
しかし、何かおかしい、という気持ちは消えなかった。カラビーナは小屋の隅に藁を集めてうずくまった。
いつの間にか日が昇っていた。窓から光が差し込んできた。砂漠では昼夜が逆転している。旅人たちは、凶暴な太陽が地平線に隠れるまで、日陰で休みにつく。宿屋はこれから静かになる時間だ。
変なのはやはり〈放出品〉という言葉だった。
傀儡兵というのは単純なのだ。それはつまりカン違いなどしないくらい単純だということだ。〈放出品〉なら絶対に自分を〈放出品〉だと知っているはず。自分を〈放出品〉だと思わないなら、その傀儡兵はまだ軍の所有だということだ。
――あの連中はどこかの兵隊なのか?
もし本物の傀儡兵部隊が隊商を装って砂漠を移動しているとしたら、それはどういう場合なのか。
アントーニオが変な客だと言っていた仮面の少女というのも気にかかる。
もはや〈放出品〉の自分にとって、こんなことはどうでもいいことなのだというのは、カラビーナにもよくわかっていた。
よけいなことに首を突っ込むとエルザに叱られるかもしれない。
しかし、カラビーナは馬小屋を出た。小屋のわきに集められた廃材の中に壊れたモップの柄があったので拾った。こんな物でも丸腰よりはましだろう。
左腕の銃を使うつもりはなかった。エルザがそれのことは内緒にしたいようだったからだ。
カラビーナはさっきとは反対側から建物を回り込んだ。
歌が聞こえた。
それはほとんど囁くような少女の声――。
傀儡の耳でようやく聞き取れるほどの微かな歌だった。
カラビーナが聞いたことのない悲しげな旋律。
それがどこから聞こえてくるか探していくと、小さな窓にたどり着いた。カラビーナは灌木の陰に身をひそめて、様子をうかがった。
部屋の中は暗かった。窓辺に人影がある。薄汚れた窓ガラスに銀色の仮面が映った。歌はその仮面から漏れ聞こえているのだった。
――これがアントーニオの言っていた少女か。
彼女が歌っているのは鳥の歌だった。群れからはぐれて一羽飛ぶ渡り鳥の歌――。
カラビーナは、仮面の少女も自分と同じで独りぼっちなのだと思った。
そのとき、パタパタと軽い足音が聞こえた。傀儡兵がふたり、走ってくる音だ。
カラビーナが来たのとは反対の方から二体の傀儡兵が現れた。焚き火を囲んでいた中にいたやつらだろう。向こうまで歌は聞こえたらしい。
二体はそのまま窓に近づくとマスケット銃の銃床で窓枠を叩いた。
「きゃっ」
仮面がさっと窓辺から消えた。
傀儡兵は調子に乗って窓枠を叩き続けている。
かわいそうに、少女は暗い部屋の中でおびえているだろう。
そう思った瞬間、カラビーナは灌木の陰から飛び出していた。
壊れたリードを噴き抜けた叫びは、声ではなく風切り音のように甲高く尾を引いた。
モップの柄を振りかぶり、近い方の一体の肩へ思いきり振り下ろした。
柄は乾いた音を立てて折れ、打たれた傀儡は砂地に崩れ落ちた。
カラビーナはモップの柄を握ったまま、もう一体の腰へ飛びついた。とっさのことで事態を把握できていない相手は容易に倒れた。
かれは馬乗りになり、柄で相手の頭部を殴った。
軽い木の棒で殴ったくらいでは傀儡兵の頭は壊れないが、中に組み込まれている〈知恵の木の実〉を揺らして、しばらく立てないようにするくらいならできる。
しかし、背後に意識が回らなかった。
一撃目を与えた相手が起き上がってきたのに気づかなかった。
頭の後ろに衝撃。身体が左へ吹っ飛んだ。マスケット銃で殴られたこともわからないうちに第二撃がきた。
砂の上を転がってかろうじて避けたが、他の傀儡兵が建物の角を曲がって来るのが見えた。
よろけながら立ち上がったところで胸を殴られた。そのまま灌木の中へ倒れ込む。
這って灌木の裏へ逃れようとしたが傀儡兵に囲まれた。
〈羽帽子〉が「この〈放出品〉が!」と言い、部下の傀儡兵たちがそれを繰り返してさざめいた。
四方八方からマスケット銃の銃床が、カラビーナに向かって突き出された。
傀儡兵の手足は華奢なので、直接対象を殴ったり蹴ったりするのには向いていない。そういうことができないように、あらかじめ仕込みが施されているのが普通だった。
カラビーナは手足を折って丸くなり、打たれる部分を最小化してじっとしていた。
どうすればいいのかわからなかった。
左腕の銃を使うことも考えた。
しかし、ここにいる全員を倒せるだけの弾丸数はなさそうだったし、何よりエルザが秘密にしていることを大っぴらにしてしまうのは避けなければならない、と判断した。
このまま壊されるまでじっとしている気はなかったが、ただ、策がなかった。
「おい、アンタたち、何してるんだ?」
聞き覚えのない声がした。
傀儡兵たちの攻撃がいっせいに止まった。
カラビーナが顔を上げると、背の高い痩せた男が〈羽帽子〉の頭を小突いていた。その隣で太った男が金色の円盤を傀儡兵たちに向かってかざしている。
「騒々しいから来てみれば、何だ、ケンカしてんだ。しかも、集団で一体を相手にしてるわけか。アンタたちは『卑怯』って言葉を知らないの? ま、知るわけないか。しょせんお人形だもんね。だけど、アンタたち、この令牌が目に入らないかい? ああ、ピンとこないって顔をしてるねえ。困ったもんだよ。仕方ない。フラスカーニ君、説明してあげてちょうだい」
太った男が円盤をかざしたまま前へ進み出た。よく見ると、円盤には帝国の紋章である自分の尻尾をくわえた竜が彫ってある。
「控えおろう、控えおろう!」声が裏返っている。「ええいっ! 頭が高いわっ!」
「フラスカーニ君、そこはそんなに力まなくていいから――」
相方の声は太った男には聞こえていないようだった。
「この金色の令牌が目に入らぬか!」
「いや、もう、それはボクが言ったから。キミはね、説明だけすれば――」
「それが勅使に向かう態度であるか! 控えよっ! 頭が高い、頭が高い! ひざまずけ! 面を上げるな! この小者どもが!」
太った男の勢いに気圧されて傀儡兵たちがひざまずいて頭を下げた。
「この令牌こそ、畏れ多くも皇帝陛下より遣わされた勅使の印である! すなわち、この令牌によって下される命令は、皇帝陛下その人の命令に等しいと心得よ。わかったか、この愚か者が!」
太った男は鼻息荒くふんぞり返って、ひざまずいている傀儡兵たちを見回した。
「キミ、何か鬱屈しているものがあるんじゃない? おかしいよ、ちょっと」
痩せた方が頭を掻きながら、太った男の襟首をつかんで後ろへ下がらせた。
「ま、そういうワケなのよ。ボクらは皇帝から派遣されたお役人様ってこと。わかったかな?」
そう言うと役人は〈羽帽子〉の頭を太い煙管でポコポコ叩いた。
「でね、お役人様は夜中じゅう馬に乗っていたせいで、ひどく疲れていらっしゃるのね。でも、また陽が暮れたら移動しなければいけないから、日中は寝なくちゃいけないの。そうしないと皇帝陛下に言いつかった大切な公務に差支えちゃうでしょ? それなのに、うるさくしてお役人様の安眠を妨害する馬鹿がいたりするわけ。これってつまり皇帝陛下のお仕事の邪魔をしているってことよね。言い換えれば〈帝国に対する反乱罪〉なんだよね」
傀儡兵たちは顔を見合わせて〈反乱罪〉という単語を反芻している。突然出てきたとんでもない言葉に戸惑っているのが、カラビーナにもわかった。
「まあねえ、アンタたちお人形のやったことだから悪意はなかったと思うんだ。でも、アンタたちの所有者、ご主人にはそれなりの責任ってものが生じるんじゃない? 〈反乱罪〉だからねえ、本来なら死刑のところ、一等を減じて終身刑かなあ……。アンタたちも解体処分か、廃棄処分は免れないところだよ」
「廃棄処分……解体処分……」
「解体処分……」
「廃棄処分……」
〈解体処分〉、〈廃棄処分〉という言葉が傀儡兵たちの間を駆け巡った。
「……とはいえ、ボクはもう眠たいのよ。こんなことで余計に睡眠時間を削られるのはゴメンなのね。だから、条件次第ではアンタたちを赦してやらないでもない」
「条件――?」
役人はたっぷり時間を使って煙管に煙草の葉を詰めると、〈羽帽子〉の額でマッチを擦って火をつけた。白い煙を〈羽帽子〉の顔に吹きかけた。
「大したことじゃない。アンタたちは焚き火のところに戻って陽が暮れるまでじっとしてなさいよ。動かず、しゃべらずだ。簡単でしょ、いいかな?」
「ハイ」
「わかったら行きなさいよ。……それから、主人に叱られたくなかったら、このことは黙っていた方がいいよ」
傀儡兵たちは立ち上がってそそくさと去った。
カラビーナも立ち上がった。手足は無事だった。普通に動く。背中はまだ痛かったが、中の機関に問題はないようだった。
マントの砂を払って、ふたりの役人に頭を下げた。
「大丈夫かね?」と太った方が言った。
カラビーナはうなずいた。
役人たちの背後に窓が見えた。そこに半分隠れるようにしてこちらを見ている仮面がいた。
(大丈夫?)
女の子の声がした。すぐそばで聞こえた。
カラビーナはびっくりして振り返った。だが、誰もいない。
「どうした?」
痩せた方が訝るような目でカラビーナを見ていた。
かれは首を振った。
――あの子だろうか?
また視線を窓に戻したが、そこにいた仮面はすでに見えなくなっていた。