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一、壊れた傀儡が目覚める

 ……めよ…………ざめ……なき…………めざめ……のちなき……目覚めよ…………者よ……目覚めよ、生命なき者よ……


 かれは目を開いた。何かがちりちりと目の奥を刺す。

 ――これは、光、というものだったか。

 かれは視界いっぱいをくまなく埋め尽くしたさまざまな色彩にとまどい、怯え、もう一度目を閉じた。


「怖がらずともよい。おまえは甦ったのだ。ゼンマイは巻かれ、歯車は回り出し、クランクはお前の手脚を動かしている。いまひとたびのこの世だ。面を上げよ。自らの脚で立て」


 深く、豊かな声が、かれを暗い睡りから呼び戻したようだった。

 声の主は、目の前に立っていた。

 白いひげが顔の半分を覆っている。そのかわりに頭のほうには毛が生えていなかった。眉の上から頭頂部にかけて醜い傷が走っている。

 見覚えのない顔だった。


「立てるか? 立てるならば立ってみよ」

 ひげの男の細く乾いた手が差し出された。つかまれ、ということらしい。

 そんなことが……できるのか?

 しかし、そんな疑いをよそに、勝手に右手が伸びて、ひげの男の手を掴んだ。

 それはまちがいなく自分の右手だったが、白木から削りだしたばかりの新品だった。

 ひげの男が引っぱり上げる。起ちあがるのは思ったよりも簡単だった。


 ひげの男のうしろに部屋が見える。

 屋根裏のような部屋に家具はベッドと箪笥があるだけ。部屋の大半を占めているのは、得体の知れない機械のたぐいだった。

 窓から射し込む光にほこりが浮かんでいる。

 この場所も覚えがなかった。


「お前に名はあるか? 名があれば名乗れ」

 かれは答えようとした。しかし、答えられなかった。

 自分の名を忘れていた。

 答えようとしたぐらいだから、名があったのは間違いない。

 記憶からは完全に消えてしまっていた。


 忘れてしまったのは名前だけではなかった。

 何も思い出せなかった。

 ただ、ぼんやりとした時間がそこにあったような感じがするだけ。


 ワカラナイ、と答えようとした。

 だが、喉の奥でふいごが、ひゅうひゅう、と鳴るばかりで「ことば」にはならなかった。


「しゃべれないか」ひげの男はそれの顎を持ち上げると喉を覆う革をめくった。「銃弾(タマ)が当たったらしい。リードが潰れている。こいつはもう修理はできないな。声帯の部品(パーツ)ごと取り替えればまたしゃべれるようになるが、どうするね? 換えるかい?」


 訊かれたのはかれではなかった。背後から女の声が答えた。

「そいつは高いのかい?」

「そんなに高くはないが……」ひげの男は数歩下がって椅子に腰を下ろした。「こいつはいくらで買ったんだ?」

「買ったんじゃない。拾ったんだ」


 女が視界に入ってきた。

 赤い髪。日に焼けた肌。

 もう若くはないが、まだ美しさは保たれている。

 西の遊牧民の男が着るような羊皮の服を着て、腰の太いベルトには大型のホルスター。

 しかし、どういう理由があるのか、それは空だった。


「どこで?」

「西ゴベシャル渓谷。岩の割れ目に落ち込んでいるのを見つけたんだ」

「西ゴベシャル……たぶんこいつは第四次ナグー戦役の遺物だな。あの戦からもう七年も経つんだ。この傀儡(パペット)は帝国の歩兵(ポーン)だが、型としては二世代古い。もう現役とはいえない。歩兵(ポーン)として使っている家はほとんどないね」


 かれはようやく自分のことが話されているのだと気づいた。


「どこかに売ろうとかは考えていない」

「そういう話じゃないんだよ、エルザ。さっき胸を開いたときに石を見たろう?」

「魔石か?」

「ああ。かなり色が褪せていてた。通常、歩兵(ポーン)の石は三年程度で再充填するんだ。こいつの石にはもうほとんど魔力が残っていない」

「そういえば白っぽかったな。でも、ずっと動いてなかったんだ。力はまだ残っているだろう」

「眠っている間も力は微々たるもんだが消費されているんだ。七年も寝てりゃそれなりに減るってことよ」

「あとどれくらい動くんだ?」

「だましだまし使って一年もつかどうか。荒っぽい使い方をしたら半年ともたないだろうな」

「しゃべれるようにするのは無駄ってこと?」


 エルザと呼ばれた女の顔が近づいてきた。それの目を覗き込んでくる。


「石に力をまた充填するつもりなら無駄じゃない」

「そんな金があたしにあるように見えるか、マブゼ?」エルザが笑った。「部品の交換も必要ない。こいつ、あたしが言うことは理解できるんだろう? じゃあ、しゃべらなくたってかまわない。話相手が欲しいわけじゃないんだ。こいつにはひと月も動いてもらえればいい」


 マブゼは肩をすくめた。

「何を考えているか知らないが、危ない真似はもうやめたらどうだ?」

「やめてどうするのさ?」

「おまえはまだ若い。その縹緻(きりょう)なら貰い手はいくらでもあるだろう。どこかで普通の男を見つけて普通に暮らせ。畑を耕して、ヤギを飼えよ。子どもを産んで育てるんだ」

「それが普通かい?」

 エルザは鼻で笑った。


 エルザはかれの前にしゃがみ込み、かれの左腕を持ち上げて、眺めたりさすったりした。

「……あたしだけ普通になれるわけがないだろ」

 ほとんど聞こえないような声で言った。


「もう忘れたらどうなんだ? あのときの仲間はもう片手もいない。時代は変わったんだよ、エルザ。いい加減に現実を認めろよ」

 マブゼのことばにエルザは弾けたように立ち上がった。

 親子ほども歳のちがう相手に詰め寄って――

「忘れろだって? 冗談じゃないよ。あんたは忘れちまったのかい? 母親を呼びながら死んでいったアニエスや、爆弾を抱えて帝国軍の行進に突っ込んでいったマリノのことを」

 エルザの身体は怒りに燃え上がりそうだった。

 興奮して震える拳でマブゼの肩のあたりを何度も殴った。

 マブゼはされるがままになっていたが、やがて彼女の拳を両手の間にそっと包んだ。

「そうだな。忘れられるはずがない」

 彼の眼尻に光るものがあった。

 すぐに擦り切れた袖口で拭われてしまったけれども。


「さて、あとは帝国軍の封印を解いて、替わりにおまえの名であらためて封印するだけだ」

 マブゼはかれの後ろに回っていた。背中を開けてどこかをいじっている。

「そいつも高いんじゃないの?」

「もちろん高いさ。ここまでは普通の商売だが、ここから先は法にふれるからな」

 エルザは大きな卵を吐き出すようなため息をついた。

「金がないって言ってるだろ」

「封印を解かないつもりか。それならそれでべつにかまわないがね。ただし、解かないかぎりこいつは帝国軍の所有物だってことを忘れちゃ困る。帝国軍の将校が殺せと言ったら、こいつはお前を殺そうとするだろうよ」

「足元見やがって――」

「昔のよしみでこの分はサービスにしてやる。ありがたいと思え」

 エルザの姿がかれの視界から消えた。

「大好きだよ、マブゼ。昔から一番頼りになるのはマブゼだと思っていたんだ。やっぱりあんたに頼んでよかったよ」

「馬鹿。抱きつくな。仕事にならないじゃないか。離れろって――」

 顔中にキスを浴びせているらしい湿った音が聞こえた。

 と同時に、かれの耳は別の音もとらえていた。


 かれの左側に扉がある。この部屋の出入口はそこだけだ。

 いま、扉は閉まっているが、その向こうは下り階段になっているらしい。

 階下でガチャガチャと金属のぶつかり合う音がする。

(上だ。上にあの女は上がっていったそうだ。上は機械屋のマブゼの工房だろう)

(あの女、機械屋に何の用だ? マブゼも仲間か)

(どうする? 詰所に知らせて応援をもらうか)

(馬鹿だな。懸賞金の分け前を減らしてどうする。おれたちだけで捕まえるんだよ)


「よし、封印は解けた」

 マブゼはかれの背中の蓋を、ぱたん、と閉じた。

「これでお前の名前で封印しなおせば、こいつはお前の命令しか聞かなくなる」


 封印が解かれるとはどんなことなのか――

 かれの中で何かがふくれあがった。

 じっとしていられず跳ねだしてしまいそうなリズム。

 四肢をもぎ取られ、胴を潰されるような震え。

 すべてを破壊したい衝動、視界が歪むほどの痛み。

 腹の底から湧き上がる笑い。

 それは初めて感じる力。かれは爆発しそうだった。かれはそれを何と呼べばいいのか知らなかった。

 しかし、人間なら「感情」の一語で片づけてしまっただろう。


 階段を駆け昇ってくる音が聞こえた。これはかれだけでなく、エルザにもマブゼにも聞こえていた。

 扉が乱暴に開けられた。戸口には二人の兵士が立っていた。すでに(サーベル)を抜いていた。

「動くな、警備隊だ!」

 兵士は凶悪な、知性のカケラもなさそうな顔で怒鳴った。

「撃てっ!」

 エルザが叫んだ。

 反射的にかれは左腕を兵士に向けて伸ばした。手を開くと掌から銃口が顔を出した。

 ダアァァーン!

 弾丸は兵士をそれて階段の天井に大穴を開けた。

「ちっ、照準がずれていやがる」と吐き捨てたのはマブゼ。

 しかし、突然の銃撃に驚愕した兵士は二人もつれあうようにして階段を転げ落ちていった。

 すかさずエルザが扉を閉め、マブゼがそこへ大きな機械を動かしてバリケードを作った。


「これでしばらくは時間が稼げる。おまえらはそっちの窓から逃げろ。隣の家の屋根伝いに裏の路地へ出られる」

「マブゼ、あんたも一緒に行こう」

 ひげの男は首を振った。微笑んでいた。

「おれはもう逃亡を続けられるほど若くはないんだよ。それに、そろそろ懐かしい友だちに会いいくのも悪くはない」

「マブゼ……あんた……」

 扉に外から体当たりしている音が響いた。しょせん薄い板の扉だ。そんなに長くもたないのは明らか。


「さあ、行け」


 かれはエルザに手を引かれて窓から部屋を抜け出した。

 屋根に出ると、大きな青い空の下に茶色い町があった。町のはずれから黄色い砂漠が広がっていた。

 その砂漠のほうから乾いた風が吹いてくる。

 エルザは走り出した。かれもそのあとを追った。

 足は軽い。走るのは“愉しい”。

 ――しかし、これは何だろう?

 かれはまったく理解していなかった。さっきはエルザの声に反応して、とっさに左手を兵士に向けていた。そこに銃が仕込まれているなんて、かれは知らなかった。

 ――それはいいさ、でも……。

 かれを戸惑わせていたのは、また別のものだった。

 たった一発の銃声がきっかけになって、失われたはずの記憶が逆さにした壜の口から栓を抜いたように流れ出てくる。

 銃声。戦塵。砂煙。部隊長の号令。白刃の閃き。傀儡兵(パペット)たちの激突。砦の石壁。沈む夕日。軋む歯車。漏れ出ている機械油(グリース)の匂い。凍てつく夜。白む東の空。進軍ラッパの音。馬のいななき。血の匂い。むせ返るような薔薇の香り。老伯爵家。少女。

 ――少女?

 ――これは何だ?

 金髪の少女の面影は、胸がふさがれるような苦しみを一緒に連れてきた。


 エルザが細い路地へ跳び下りた。彼もすぐあとを一瞬の躊躇もなく跳び下りた。

 先をゆく女はかれのほうを振り返りもせずに走っていく。

 ついてこないとは疑ってもいないようだった。


 かれは走る。

 走るのは“愉しい”。しかし、少女の記憶は“苦しい”。

 どれだけ走ってもその苦しみからは逃れられないようだった。

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