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前編・「ケーゲー=イサオとコーゲー=キャージュチュース=シェレエフォロンの話」

「『サイエンス・ファンタジー』式ジュブナイルポルノノベル」と目指して書きました。


再度申し上げますが、閲覧の際にはご注意ください。

夏と言うものは、暑い。

これは自然を言うシステムが望んだものであり、生物はそれにあやかり各種の活動を行う。

日本の夏は蝉の季節だ。

先ほどから開け放たれた居間の窓から、何処でさざめいているかも定かではない蝉達の合奏が聞こえる。

この国では、成虫となった彼らの寿命は一週間と言われている。

命ある内に、存分に鳴けばいい。

その限られた時間の中で、生を実感し、性を営み、子を残せばいい。

「あっついな・・・」

居間のソファーに座る、ケーゲー=イサオは誰に呟くでもない独言を転がした。

8月はまだ夏の中にある時間だ。

盆を過ぎれば、という言葉もこの国にはあるが、今年の盆は世間が熱を孕んでいる。

『実家』に帰省するのではなく、『実家』の方がやってきたのだ。

今年の夏の話題は、これで持ちきりだ。

毎年の恒例行事となった甲子園は、さぞかし悔しいだろう。

今や世界中が、日本と『彼ら』の動向に注目している。

「あー、暑い・・・」

革張りのソファーに寄りそうに設けられた小さなテーブルの上、底を濡らし、中に冷たさを忘れた炭酸飲料を湛えるそのコップを、イサオは持ち上げ中身を喉へ通す。

彼が背を預ける反身、肌着姿の前面。

その隙間からは、年頃の男性としてはだらしないにも程がある贅肉が覗いている。

友人には時折、海に住まう大口と揶揄されるが、イサオ自身は物臭に感じて減量を先送りにし続けている。

まだ午前中だというのに、この暑さだ。

朝のニュース番組では、今日の日中は摂氏三十五度まで上昇するとのことだ。

中流家庭としては僅かに広い、その居間の片隅では、何年前に購入したかも忘れてしまった扇風機が、微力ながらも冷風を生み出し、そしてイサオに向けて吐き出している。

此処にはクーラーが備え付けられているが、家族とは言え養われている身である大学生のイサオが勝手に作動させてよい代物ではない。

母がパートへ赴く際、玄関にていつも念を押されている。

確かに夏季休暇中の自分が毎日クーラーの恩恵を受けていたら、家計を司る財布の中身まで冷え込んでしまう。

「――さん。これから日本を始め、世界はどう変わっていくのでしょうか?」

「私はそう悲観することは無いと思いますよ。突然の出来事で皆さん戸惑っていられますが、手を取り合って生きていけることは確かです」

テレビの中では、アナウンサーとコメンテーターがそんな会話を繰り広げていた。

世間知らずと表現できる若年者のイサオでも、それが明らかに『訪問者』への心情を考慮したものだということが理解できる。

それに、ネットワーク回線の世界では、あの日から各所で議論が白熱しているのを覗いたことがある。

それは真面目に意見や疑問をぶつけ合っているところもあれば、「偽善者の皮を被った侵略者を殺せ」だとか、「いつだか族長に付き添ってた若い雌だったらセックスしてみたいかも」という卑下たものまでだ。

面識が無い者をネットワーク世界にて悪態を突く腹積もりは持ち合わせていないが、イサオ自身には『訪問者』に対して良い感情はあまり持ち合わせていない。

そもそも、なぜ今頃なのか。

昨日の夕方に放映されていたニュースでは、件についての国際調査団のレポートが紹介されており、彼らによれば『訪問者』の一部が地球へ飛来したのは、ヒミコと呼ばれた女王が存命していた時代らしい。

そんな大昔に結ばれた縁者関係など、無視すればいいものを。

少なくとも、イサオはそう考えている。

「こちらは、昨晩行われた会食での様子です」

テレビの画面が切り替わり、昨晩に繰り広げられたという食事会の録画映像が流れ始めた。

テーブルに座るのはこの国の長、石岡総理大臣。

その顔面は笑顔。

それが本心からなのか、或いはポーズなのかはイサオには判断付かない。

政治家とは良くも悪くも嘘吐きだと、何処かで聞いた事がある。

総理とテーブルを挟んで反対側、そこには見るからに、身体を覆う羽毛に艶が失われた年老いた族長。

そらに一回り小柄で、羽毛の色彩も雄よりかは控えめな、族長の妻とのこと。

そして話題の渦中に身を置く者、族長より大柄で羽毛も艶めき鮮やかな、族長の孫。

名前は、コーゲー=キャージュチュース=シェレエフォロンと言うらしい。

「コーゲー」の部分は、『地球』と『訪問者』の両者が、友好を世間へ誇示するために先日行われた、日本国籍取得式典の際に付け加えたらしい。

コーゲーとは漢字で『虹○』と書くらしい。

後ろの字は忘れた。

なんでも、『訪問者』は七色の羽毛を湛える自らを『虹の一族』という意味の「キャージュチュース」と呼び、「シェレエフォロン」は彼らの言葉で「七色の雄長首」と言うとか。

イサオは画面に映る『訪問者の若君』を凝視する。

種族は違っていても、一昔前の言葉で表すなら、キザに見える。

或いは、大昔にこのクニで契りを結び、このクニの人間に混じっていった『訪問者』の血が、そう幻視させるのか。

朽ち縄のような長い首と頭に対して、羽毛の下でも存分に存在感を叫んでいる恰幅の良い筋肉質な体躯が不釣り合いだ。

その身体を、局所だけを腰布で隠している。

首と頭の境界付近、まるで大陸の先週民族が着飾る羽飾りのように、花弁のように広がる羽も癪に程がある。

そんな奴が腕の代わりに生えた翼の折り目に設けられた指で、ナイフとフォークを操っているのだ。

何もそこまで苦労する必要はないだろう。

その、明らかに肉食の爬虫類めいた口腔で、思い切り齧り付けばいい。

まるでゲームか何かに出てくる、未発達部族の者が人間の王宮に招かれた様子だな。

イサオはそう感じた。

現実としては、宇宙からの訪問者であるキャージュチュースの方が、人間種が数千年の時間を費やしても手にすることが叶わないであろう科学技術を有しているが。

三週間前にこの国の首都に突如飛来した、矢頭に似た光速突破特殊巡航宇宙船の旗艦がその最たるものだ。


キャージュチュースの側から言わせれば、地球の時間単位でほんの二か月前のことらしい。

彼らの中の有志が、知的生命体の探索と調査を目的に、外宇宙へ飛び立った。

そして、最初で最後の通信が届いたのが一か月前。

内容は「とある銀河系に属する辺境の惑星にて生命体を発見。そして、自らをヒトと呼称するその生命体が築いた社会的領地、ヤマタイコクなる場所にて、身体と身体の契りを交わし、子を儲けるに至る。ただし、ヒトの血は強く、遺伝子的な繋がりは認められるものの、我らの形質を子が引き継ぐに至らず。しかし、我らは此処で子を見守り、生を終える所存である。」だったらしい。

これで二つの種族の間に、『身内』の繋がりが出来てしまう事態となった。

興味本心で原生生物に手を出したなら見過ごす事もできるが、少なくとも社会性を獲得した種族であるなら、宇宙の彼方で放っておくわけにはいかない。

改めて、一族を代表する者が赴き、挨拶を交える必要がある。

キャージュチュースの族長とその一族と従者、そして族長の孫が件の宇宙船に乗り込んだのは、通信を受信した直後。

だが、一つの星の統治者が乗り込んだ宇宙船は安全に安全を上塗りして航行し、地球に

到着したのが、この星の時間が千年以上過ぎた後だった。

今では誰も彼らのことは覚えておらず、三週間前の地球の心境はまさに、『遅刻魔の預言魔王が襲来』だった。

彼らが侵略も破壊も望んでいない種族であり、地球軌道上で傍受した地球の電波から言葉を学び、声高らかに友好を叫んだのが幸いだった。

人類間の噂では、何処かの大国から、核ミサイルの照準が日本首都に向けられ、後は大統領が命令するだけという状況だったらしい。

そんな経緯を通って、地球の日本に降り立ったキャージュチュース。

その族長の横には、若者である孫の姿が。

日本の総理に対して、族長は要求した。

「改めて、両者の星が真に友好を結ぶため、お互いに部族の中から一人ずつ出し合い、夫婦の契りを交わす必要がある。こちらからは三人しかいない孫の内の一人を出す。そちらは誠意と友好の証として、遺伝子的に我らに最も近い者を差し出せ。そちらの人種や性別は問わぬ」と。

随分と上から目線だ。

技術面の観点から見て、年齢で例えるなら、赤子と老人ほど離れている『宗主』の言い分だ。

だが、人間は、日本はそれに応えると返答した。

友好よりも物欲と畏怖が支配するところだろう。

人類が夢にさえ思い浮かべなかった、時間干渉型光速ドライブ航法機関や、物理積極抽出式エネルギー炉。

それの恩恵を授かれると、それを操る者の申し出を断ればどんな仕打ちを受けるかと。

その考えの元で、現在鋭意調査中らしい。

つまるところ、『孫殿の花嫁』探しを。


「ん?」

不意に、家のチャイムが響いた。

イサオは上半身をソファーから起こし、窓の外を観察する。

慎ましい家の門前には、黒塗りのセダンタイプ。

遠くない過去、もしかしたら今日とまでに思える程念入りに磨かれたそれに、イサオは悪い予感を覚える。

犯罪に身に覚えはない。

なら、なぜあんなものが停車しているのか。

そして、それに乗車していただろうチャイムを鳴らした人間とは。

「ケーゲー=イサオさん、いらっしゃいますか?」

しばらくイサオがあぐねいていると、玄関の向こうからガラス戸を叩く音と、男の声が響く。

指名されたイサオの胸中は、予感が恐怖に変わった。

自分に何の用だ。

自分を、どうするつもりだ。

「ケーゲー=イサオさん!いらっしゃいますか!?」

もう一度、男の声。

今度はさらに音の大きさを増して。

居留守を決め込んでも無駄だろう。

こちらには身に覚えが無い。

清く正しくとは決して誇れないが、一般的な日本国民だ。

何かの誤解ならそれを解けばいい。

何かの依頼ならそれを断ればいい。

イサオは立ち上がると、ソファーに掛けていた、膝で裾を切ったジーンズを履く。

そして、下世話なニュースを電源を以って消去した。

玄関へと歩みを進める。

身体を伝うこの汗は、猛暑だけの所為ではないだろう。

「はい・・・?何の用ですか・・・?」

サンダルを履いて後に玄関の戸を開けたイサオを待ち構えていたのは、皺一つ無いスーツに身を包んだ男達だった。

恐怖と威圧を感じた共に、まるで映画かアニメの一場面のようだと呑気な客観視を覚えた。

「ケーゲー=イサオさんですね?」

「はい・・・そうですけど?・・・何か用ですか?」

虚勢に近い牽制を含ませて、不機嫌な顔色を浮かべるイサオは先頭の男の確認にそう答えた。

「突然お伺いして申し訳ありません。私たちはこういう者です」

先頭の男が懐から取り出したケースから名刺を取り出し、それを受け取ったイサオはそこに踊る文字を眺めた。

名前の上、肩書の一番最初には「内閣府」の文字。

つまるところ、政府の使者だ。

「それで・・・内閣府の人が、俺に何の用ですか?」

その時だった。

イサオの家の前、歩道は付いてはいるがそれ程広くはない住宅地の路、内閣府のセダンの後ろに、運転席と助手席以外の窓にスモークが貼りつけられたマイクロバスが停車した。

その扉が開くと、悪い予感は的中した。

「若様!お戻りください!まだ時機が早すぎます!」

「ただ、私の伴侶を、一目見て帰るだけだ!お祖父上だけにお任せできる事ではない!」

「ですが、若様のお相手様にも、心の準備と言うものがございます故!」

「邪魔だ!先方の話では、近々国内外に向けて大々的に発表すると言う!ならば、今此処で伴侶に告げても何も問題は無いだろう!」

そんな寸劇にも似たやりとりを見せつけながら降車したのは、キャージュチュースの、従者であろう若い雌ともう一人。

先ほどまで、自分とは何の接点も無いと高を括っていた、テレビの中の人物。

それが、家の玄関に、違う、自分に向かってきている。

族長の孫、コーゲー=キャージュチュース=シェレエフォロンが。

「まさか・・・!そんな・・・!」

「ケーゲーさん。無理もない事ですが、まずは落ち着いて。ここは、シェレエフォロン様にご挨拶を。決して、ご無礼の無いようにお願いします。長くなるようでしたら、私たちの方からお帰りを促します」

自身から人一人分離れているスーツの男が、小声でイサオに呟く。

イサオは、自身の頭が困惑で鮨詰めなのか、或いは空白なのか、それすらも考えられなかった。

ただ、双眸は自分に近づいて来るシェレエフォロンが次第に大きくなる。

それは目測だけで、胴の部分までで三メートルを超すと確信する巨体である他に、心理的なものをあるだろう。

従者は諦めたようで、門の前で立ち止まっている。

シェレエフォロンの進行に合わせて、スーツの男たちが玄関の脇に控え動いた。

それがこの国の伝統的な礼儀なのか、あちらの従者から言い渡られた彼らの作法なのかは、イサオには判別のしようも無かった。

自分と『若様』を遮るものは、何も無い。

そして、自分の歩幅で三歩程の位置で、シェレエフォロンが立ち止った。

その出で立ちは、同姓として尊敬に値するものだと感じるが、それを自らの胸中で披露してほしくはなかった。

唐突すぎる運命の激動に、イサオは自らの無力を悟る。

「お前が、私の伴侶となるケーゲー=イサオか?」

「・・・はい・・・シェレエフォロン様」

国賓以上の者に対する礼儀作法など知る由もない。

だが、スーツの男の忠告を守る為、馬脚を現さぬようイサオは口数少なく答えた。

「お前は、私の伴侶、私と同じ立場になるのだ。私に対して敬称など付けなくてもいい」

「はい・・・・・・シェレエフォロン」

「そうだ、それでいい」

噂に聞く、族長である祖父に似て、高慢と感じてしまうような物言いだ。

族長の一族としての威厳は必要だとは思うが、人間種では考えられない話し方だ。

それにしても日本語が達者だ。

何でも、キャージュチュースには学習と言うものが無いらしい。

優れた機械で、一瞬にして知識を習得できるとのことだ。

キャージュチュースの中で立場の違いは、血の違いか言い渡された任の違い、とニュースで放映していたことをイサオは覚えていた。

「それにしても、衣服が・・・そう・・・質素、だな。正式に私の伴侶になった暁には、どんな服でも用意してやる。もちろん、お前の一族の方でもいいし、望むのなら、私の部族のものをお前に合わせて用意させよう」

「ありがとうございます・・・」

腰布一枚が何をのたまうか。

わざわざ言葉を選び、胸中を察する素振りを見せるのも、苛立ちを覚える。

爬虫類顔の癖に、表情は豊かだ。

それが人間に似ているから、癪に障るのだろうか。

そのように裏腹で考えるイサオは、これが現実逃避に感じてならなかった。

「お前にも色々と準備があるだろう。今日はただ、お前に会いたかっただけだ。婚礼の儀などは、追々この控えている者達などを通じてお前に知らせる。お前も、何か不都合が有るなら、何でも言ってくれ」

無い訳が無いだろう。

『相手』と選ばれた人間がお願いだからと言えば、静かにしておいてくれるか。

そう言いかけたイサオは、言葉を飲み込んだ。

「今日はお前に会えて嬉しかったぞ。近々、また会おう」

「はい・・・」

出来ることなら、もう二度と会いたくはない。

その本意を隠して、イサオは右手を掲げて、名残惜しそうに振り返りながら立ち去るシェレエフォロンを見送る。

「最後に一つ」

幾つか歩んだところで、シェレエフォロンが立ち止った。

「私は、私の伴侶になるのがお前で良かったと思っているぞ、イサオ」

「自分もです・・・シェレエフォロン」

どうして、初めての相手に、異星の者に、同姓の者に、そんな言葉が吐けるのか。

従者と合流したシェレエフォロンはバスに乗車した。

その間際、もう一度こちらを振り返り、右の翼を掲げた。

イサオには、もう自分が今どんな顔をしているかなど、分かるはずもなかった。

ただ一つ、自分はもう、『その他大勢』ではない、『族長の若の特別』になってしまったことだけは、痛感した。

政府の密者から、イサオがかつての女王の血を引く末裔の一人であり、確率と隔世の悪戯により、この世で最も人間から遠い人間であることを、彼を含めた彼の家庭に知らされたのは、翌日の事だった。


『失礼な言葉であるのは承知だが、決して自分を犠牲だとは思わないでほしい。むしろ、平和と友好において名誉あることと誇ってほしい。族長からは、君を家族と同じ扱いをすると約束されている』

「はい・・・」

件の矢頭を旗艦としたキャージュチュースの特殊巡航宇宙船団。

その中の一つ、「医療船」と呼ばれている物の一室、「第三処置室」の巨大スクリーンに映るのは、石岡総理。

つい先日まで、何も関心も持ち合わせていなかったこの薄毛の中年男性が、今は何故か頼もしくも目に映る。

『こちらの、人間のことも、君が気に病むことのないようにする。一国の、日本を代表する者として、君を笑い者や晒し者にさせないことを、ここで誓う』

「ありがとうございます・・・。それじゃあ、そろそろ」

『ああ。最後に、君と君の夫となる者に、最大限の祝福を祈る。恐縮ながら、婚礼の儀には、私も参列させてもらう』

「はい、ありがとうございます・・・」

こうして通信は終了した。

スクリーンから総理の顔が消失し、他に広がる白い壁と全くの同質となった。

イサオは振り返る。

そこには医療従事者の命を預かるキャージュチュースと、自分の心情を考慮してか人間の看護師、それが数名。

後は内閣府から出向いたと語っていたスーツが一人。

その全員が、これからの自分の身に起こることを踏まえて、女か雌だ。

彼女らの奥には、ピンク色のジェルが張られた、八メートル四方ほどのプールが見て取れる。

先日、族長の言伝を従者を通して人間側へ伝えられ、さらに内閣府に所属する者を経て、イサオへと伝えられた。

言伝とは、『命令に近い要請』。

「両者がそれぞれ差し出す者が、同性同士でも友好に強弱は生まれないが、もう一段階強固なものとし、そして両者の未来への希望を形にするため、子を儲けるのが望ましいだろう。方法と手段はこちらで用意するので、そちらが差し出す者を性転換させることを説得せよ」。

つまり、これから自分は男を捨てるのだ。

ピンクのプールはキャージュチュースの多目的医療装置。

その機能の一つに、性転換を施して治療するものがある。

例えば、キャージュチュースの雌特有の病気を患った者を雄へと変化させることで、患部を病原ごと消去するのだ。

今回は治療ではなく、自らが子を孕むことを可能にするため、『家』の為に使用される。

それに対して、イサオはもはや何も思うことも無かった。

あの日、近い未来に『夫』となる者が自分の眼前に現れた日から、イサオの日常は鳴りを潜め、非現実的なものに置き換わった。

まるで、台風の暴風雨に弄ばれる、かつてビニール傘であった折れた骨組みに透明な布切れが絡みついたものの視点と錯覚するような、目まぐるしく何かが近寄り遠ざかりの繰り返し。

心が不感症を患ったようだ。

それもこの装置で、治療してもらえるだろうか。

「イサオ様、これから処置を開始します。よろしいですか?」

「はい・・・お願いします・・・」

「では、お召し物をお預かりします」

キャージュチュースの医療従事者に促され、イサオは一糸纏わぬ、だらしない贅肉が蔓延る身体を晒した。

医療従事者の翼の付け根には、白い布が巻き付けられている。

人間でいう所の、ナースキャップのようなものだろうか。

件の人間の看護師には、事後を考えて新品のレディースものの衣服が、その腕に下げられている。

「再度説明しますが、処置は五分程度で終了致します。その間は、夢を見ているような状態です。痛みや苦しみなどは、全くございませんのでご安心ください。むしろ、気持ちが良いと感じる方が殆どです」

この機能は、既存の細胞群とその中の遺伝子情報に干渉して、身体を作り変えるらしい。

さらにはキャージュチュースの知識移植装置を応用したものも組み込まれており、身体の変化に心が対応すべく、記憶や認識を変えないものの、処置を受ける者の記憶を使って、変化させる側の性別であったという疑似設定の世界を、記憶の中で追体験させるらしい。

この処置を受ければ、自分の中の記憶は、かつて男であった過去と、最初から女であり続けた過去の二つが出来上がるという寸法だ。

その為、処置後には若干の人格の変化が認められるらしい。

だが、「嫌です、処置を受けたくないです」と言って中止されるものではない。

どんなことをしても、自分が女になることは避けられないのだ。

それが『宗主』の意向なら。

「また、この処置は代謝にも作用するため、処置の間やその後に排泄を催すことが予想されます。恥ずかしい事とは存じますが、装置の中でなされたとしても構いません。予め、それを見通して、設計と運用がされています。もちろん、処置の種類に関わらず、使用後には徹底的に洗浄し、薬品のジェルも新しいものへ換えております」

「わかりました・・・」

「さあ、どうぞ。お入りください」

イサオは医療プールへと歩みを進める。

この歩行動作を行う二つの中間、20年近く連れ添った男の象徴とは、これで今生の別れだ。

一物だけではない。

自分のありとあらゆる部分が改竄され、男と言うイサオは自分の記憶の中にあるだけとなってしまうのだ。

その現実から生まれるのは、恐怖か憎悪か。

或いは、どちらもか。

いずれにしても、これを自分に強要した者には分からないだろう。

誰かの上に聳え、顎で指図できる者に、自らが関するところではない運命と思惑に弄ばれる者の胸中など。

イサオの右足が、ピンクのジュルへ侵入していく。

熱さも冷たさも感じなかった。

それが人類が知る由もない、『異物』には感じた。

「うっ・・・」

イサオの肩から下が、ジュルの中に沈んだ。

底はまだ中心に向かって奥行きを持っている。

「身体をジェルに浮かせてください」

その指示通り、イサオは身体から力を抜いた。

胸から上がジェルの上に浮く。

「では、処置を開始致します」

待って。

やめて。

ごめんなさい。

許して。

言えるはずも無かった。

せめてもの抵抗だろうか、イサオの口からため息が一つ零れた。

次の瞬間、イサオの身体が見えない引力によってジェルの中へと引きづり込まれた。


「お身体とお心に異変はございませんか?イサナ様」

「うん、大丈夫・・・たぶん・・・」

異変だとは思わなかった。

イサナはプールの縁に置いた膝を持ち上げ、そこから歩み出た。

ジェルで濡れた低身の体が、肩を超えたセミロングの頭髪が、ジュエルの呪縛から解放されていく。

怖ろしい程の速乾性だ。

「今、局地回線で映像を出します」

端末を操作するキャージュチュースの医療従事者が伝える通り、先ほどは通信に使用された巨大スクリーンにイサナの身体が表示される。

生の映像だ。

訝しげな顔色を浮かべた女性が、後ろに二つの種族を後ろに従え佇んでいる。

それをイサナは、イサオだったイサナと、自分だと認識している。

「お肉は減らしてくれなかったんだね・・・」

「その方がよろしかったかと存じておりました。イサオ様の、延いてはイサナ様の健康的な肉体を、シェレエフォロン様は大層気に入っておられましたので」

「そう・・・」

生まれたままの姿を晒す、肉付きの良さが映える女性的な身体を、脇腹の贅肉を、イサナは右の指で摘んだ。

装置の中では夢を見せられているようだった。

自分の記憶を参考にした、自分が元から女であった世界を頭の中で、再生され、巻き戻され、早送りされ、停止されの繰り返し。

その目まぐしい速度の中で、イサオはイサナとして身も心も上塗りされた。

悲しいとは、イサナの中のイサオは思わなかった。

それは、イサオの外のイサナがこれが普通だと感じているからか。

ただ感情とは別種の存在が、イサナの秘所を内側から刺激する。

「あ・・・あの、ちょっと・・・トイレ・・・」

事前に説明された通り、イサナが排泄欲を覚える。

それもかなり急を要するほどに。

男女で我慢にこれほどの差があるのか、もしくは装置がそれ程までに肉体に強く干渉したのか。

「私がお連れ致します。事前にこの多目的医療室棟には、イサナ様と私たちの他には退出をお願いしております」

端末を操作する者とは別の医療従事者が、そのように申し出た。

「では、イサナ様。お召し物を」

こちらは人間の看護師だ。

「ん・・・ああ・・・誰もいないなら、服は後でいいや・・・」

イサナの苦し紛れの笑みが、余裕の無さを物語っていた。

同じ種族の者にはせめて様を付けずに呼ばれたいが、今のイサナにはそれを伝える時間の猶予も無い。

イサナが連れられて多目的医療室から退室しようと、歩み始めた時だった。

「お待ちください、イサナ様。申し訳ございません。現在、多目的医療室棟の通路に何者か二名の存在を確認しました。多目的医療室棟には暗唱鍵を設けていたのですが。先ほどの通話後に行った、外部との映像回線の遮断は有効中ですので、ご安心ください」

「・・・出て行ってもらうことはできる?」

「こちらから呼びかけて、退去を命令致します。イサナ様にはお待たせしておりまして、誠に申し訳ありま」

『なぜお前がやる必要があった!お前がどんな立場にいるのか分かっているのか!?』

『お爺さまこそ、人の気持ちが分からないのですか!?あの人が、どれだけ悩み苦しんでいるのか!お爺さまがあの人にこれ以上の重荷を背負わせようとしたから、私がやらずにはいられなかったのです!これでも、お爺さまの願いと同じでしょう!?』

おそらく状況確認の為に会話を拾ったのか。

医療従事者の言葉を遮る程の、多目的医療室の姿が見えないスピーカーから届けられた言い争いに、その中にいた全員が一瞬身体を強張らせた。

その高低から、若い雌と年老いた雄と容易に推測できる。

その口論の口調に驚きはしても内容については、看護師には理解できないだろう。

それは、キャージュチュースの言葉だった。

記憶の書き足しに付随して知識を埋め込まれたのか、イサナにはそれが普段用いる言語のように間髪置かずにその意味を汲み取ることが出来る。

『だから、立場を弁えろと言っているのだ!血の繋がりがあろうと、しょせんは辺境惑星の属民だろうが!』

『そのような物言いだから、お父さまもお母さまも、お爺さまの下を去ったと分からないのですか!?それに私はこの星の住人を、あの人を下だとは思っていません!今ならまだ間に合います!』

医療従事者はその盗み聞きを止めなかった。

それを命令できる立場になったイサナもまた、それを命じなかった。

十中八九間違いと言う予感が、指と口の動きを凍らせたのだ。

そして、ほどなくして予感を裏付ける核心が、確信へと変えた。

『待て!シェレエフォロン!』

『今の私は、シェレエフォクァールです!』

イサナにはその名前の由来が、それが意味するものを理解できてしまった。

「シェレエフォクァール」は「シェレエフォロン」の対、「七色の雌長首」を表すもの。

そして、それは族長の家系、存命中のただ一人が自らの雌雄に合わせ、どちらかを名乗ることが許される名前。

シェレエフォロンが存在する以上は、シェレエフォクァールの名を持つ者はいない。

シェレエフォクァールが存在するということは、シェレエフォロンは存在しない。

他界、ではないだろう。

現族長の孫はただ三人、考えの行き違いから決別した息子夫婦が、最も若年の我が子さえも、族長の下に贈るはずもない。

それに父母が擁している末子も、本星で留守を預かる最年長も、全て雄だ。

つまり、シェレエフォクァールとは、シェレエフォロンが。

「イサオ!」

人間用よりも二回りは大きい自動扉の開閉を待ちきれず、こじ開けるように現れたのは、シェレエフォロン、だった者だ。

身体を覆う羽毛は色数が落ち、逞しさに溢れていた肉体も、筋肉の隆起が控えめな細身へと変貌していた。

顔の造形も性別に合わせて変わってしまっているが、面影は感じることが出来る。

特に澄んだ緑の瞳が、前に視線を交わした時と同じだ。

「間に合わなかった・・・!」

シェレエフォクァールがイサナに駆け寄り、膝を折って抱き着いた。

「・・・っあ!?」

その衝撃で、身体の、股に張りつめていた緊張を解いてしまった。

「イサオ・・・!?」

イサナの秘所から、静かに湧き出る清水のように、金色の液体が流れ始めた。

きっとイサナがイサオのままであったなら、赤面するだけで済んだかもしれない。

或るいは、この状況を自らの竿を手を触れずに振り上げて、喜びを示したのかもしれない。

だが、イサナは二十歳にも届かぬ、少女の領域。

人前で粗相するなど、辱めの他ならない。

その液体の臭いが、さらにイサナの心を抉る。

「うっ・・・ひっ・・・!」

イサナが嗚咽を漏らし、双眸からは涙が頬へと伝う。

「ごめんなさい!イサオ!これも含めて、イサオにこんな苦しい思いをさせていることを!」

自らの胸下と腰布が濡れるのを厭わずに、シェレエフォクァールは翼をイサナの背と腰に回して、さらに強く抱きしめた。

横に豊かであっても絶対的な大きさが足りないイサナの胸と、構造上の差異から膨らみは持たずに柔らかな羽毛で覆われたシェレエフォクァールの胸が重なり合う。

羞恥心により考えがおぼつかないイサナは、首元にも生え盛る羽毛へと、顔を埋めた。

「イサオは私の大切な人なのに、こんなにも我慢と苦労をさせて!さらに、私が先走った上に、イサオへの処置をとめることが出来なくて!でも、絶対私が守りますから、イサオを!これ以上イサオが泣かなくて済むようにしますから!」

その言葉に、イサナは顔を上げた。

上げた先には、シェレエフォクァールの泣き顔。

顔の鱗を、大粒の涙が流れていた。

イサナは理解した。

この言葉は、これまでの言葉は、「家」や「契り」の為ではなく、自分だけを想っていてくれたものだったと。

おそらく、誰かを統べる身分など持ち合わせていなかったイサオより、彼の方が今回の取り決めに思い悩んだだろう。

それでも、男と雄であっても、彼は自分を好いてくれた。

自分でもよかったではなく、自分だからよかったと言ってくれた。

なのに、自分は自分だけの事を考えていた。

他人の想いなど聞く耳も持たず、自分だけがと悲劇の主人公を気取っていた。

こんなにも優しく抱き寄せてくれた人を、何も考えずに嫌いと切り捨てていたのだ。

「ご・・・ごめんなさい!ごめんなさい!」

懺悔で、イサナの嗚咽が強まる。

シェレエフォクァールは首を動かし、イサナの柔らかな頬を濡らす涙を拭うように、自身の頬をイサナのへと摺り寄せた。

イサナは拒否しなかった。

むしろ、心地良いとさえ感じた。

「なんで・・・イサオが謝るんですか!?イサオは何も悪くありません!」

「だって・・・うっ・・・ボクは自分が・・・よければそれでいいって・・・思って・・・えぇ・・・!」

「イサオは自分の幸せだけ考えればいいんですよ!辛い事なんて考えなくていいんです!」

「違う・・・ち・違うの・・・ボクは・・・シェレエフォクァールと生きていきたい!シェレエフォクァールと一緒にいたい!」

それがイサナの本心だった。

今はこの宇宙で誰よりも、眼前の、自分を翼で抱いてくれている者が愛おしい。

イサナもまた、自らの両腕をシェレエフォクァールの背に回す。

抱き合うような形だ。

「わ、私は・・・」

「イ、イサナって・・・呼んで・・・!」

「イサナ、もう絶対に離しません!イサナは私が守り通します!」

「そうじゃなくて・・・一緒に生きていこう・・・?」

「はい、イサナ!」

「シェレエフォクァール・・・」

その光景を遠巻きに眺めていた医療従事者や看護師もまた、目に涙を浮かべていた。

それは、二人への祝福と呼ぶに値するものだろう。

「さあ、イサナ。服を着るのに、身体を洗い流しましょう」

「・・・一緒に入る?」

「・・・それもいいですね!」

後にこの日を、『鯨鯢 勇魚』は『虹霓=キャージュチュース=シェレエフォクァール』に、「お漏らしとプロポーズの日」とからかわれる事となった。


後編へ続く

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