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吸血鬼達の旅

 供が増えたからと言って、ラルクの旅に何らかの変化がもたらされるわけではない。彼はいつもの通り、流れる風の様に誰に干渉されることもなく、気ままに歩み続けるだけだった。その後を、フードをまとったライがついていく。二人の姿は、まるで師匠と、かしずく弟子と言った感だ。

 だが、道行く人々の視線は先を行くラルクの美しさにまず惹き付けられ、続くライが執拗に自分の髪や異様なほどの肌の白さを隠している事に注意が向けられることはない。

 その道々、ライはラルクにあれこれ話しかけていたが、返答が返ってくるのは百の内二・三と言ったところか。それでも、それだけの事だと言うのに、ライにとっては喜びだった。

 彼の美貌、氷のような冷徹さ、優雅な仕草、全てが眩しかった。吸血鬼と言えば屍食鬼(グール)のような醜悪で汚らわしい化け物としか想像していなかったし、今の自分もそんなものだと思っていたにも関わらず、ラルクを見る限りそんなイメージは一遍たりとも沸いては来ない。まさに、夜の貴族、闇の王という言葉通りの風格と美の結晶。

「食事」は、絶対普通の通行人は襲うな、娼婦や乞食など、消えても誰も注意を向けぬ者だけにしろ、とラルクは最初に言った。

 吸血鬼になりたてのライは、まだ相手を生かしたまま血を吸う加減が分からない。何せ彼は一咬みで犠牲者の全ての血を啜り尽くせる『ユダの子』なのだから。下手に人間を殺して騒がれ、吸血鬼ハンターにでも嗅ぎ付けられたら面倒なことになる。旅の道連れは承諾したが、厄介事まで背負い込む気はない。

 ラルクの指示にライは素直に頷いた。不思議だ。これだけ傲然と命じられても、腹が立つどころか、自分に注意を向けてもらえたと言う喜びの感情が先に立つ。――それは、今まで、親以外に自分に罵り以外の言葉をかけてくれる者がいなかったことの裏返しかも知れなかった。

 そして事実、どういう訳かラルクが側にいる間は、血の餓えに見境無しに苛まれる事も無かったのである。


 二人が昼の刻を過ごすのは、朽ちた礼拝堂の地下や打ち捨てられた墓地の中。その夜も、「食事」を終えて月が顔を隠す前に、村のはずれにある寂れた教会の納骨堂の隅を宿と決めた。

「お前は、人間だった時の頃を覚えているか?」

 眠りに入る前、珍しくラルクの方からライに問いかけてきた。それも、彼の口から聞かれるとは思わなかった意外な質問を。

「人間だった時ぃ?思い出したくもねえや」

 ライはくそ面白くもないと言った風にぐしゃぐしゃと自分の赤毛をかき回した。この髪と瞳のお陰で、忌まれる者として幼い頃から疎んじられ、殺されかけた。最期まで赤く染まった記憶。いい思い出など、ひとつもない。

 ひとつも……?

 何かがふと、頭の隅に引っかかった。だが、それはすぐに昏い記憶に飲み込まれ消えた。

「――そうか」

 ラルクの声で我に返り、彼を見ると、黄金の瞳がライから逸れるところだった。

「ラルク?」

 視線を外す一瞬、彼の瞳に浮かんだ光は、普段の鋭利な氷の剣を思わせるそれではなく、どこか、そう――とても哀しい色で……

「おい、ラルク…」

 ライが再び呼びかけたとき、ラルクは既に瞼を閉じており、冷たい美貌から答えを与えられることはなかった。




 そんな二人の旅路で、いつかは起こるだろうと予想されていた、そして深刻な問題が降ってきたのは、穏やかで素朴な雰囲気を残す街道沿いの町に入った時の事。もう陽は沈んではいるものの街灯の灯りがまだ眩しく見える、そんな時分。

 向かいからやって来た木材を満載した荷馬車がラルク達の傍らを乱暴に通り過ぎた時、あろうことか荷の材木にライのローブの裾を引っかけてしまったのだ。ここまでの道中、何もトラブルに遭遇しなかった事での油断があり、緩みきった精神は反応が遅れた。そして、

「わぁっ!!」

 思わず漏れた悲鳴の様なライの叫びがその場に居合わせた者達の注目を集めてしまった。買い物かごを抱えた主婦、焼き立てのパンを店先に並べていたパン屋、靴磨きの少年、彼ら全てが

「赤毛……」

「まさか……『ユダの子』……?!」

 口々に囁きながら引き潮の様に離れ、輪になって取り囲む形になった。

 ライは震える手で捲れ上がったローブを被り直そうとするも、こんな簡単な動作がなかなか上手くいかず、その間にも人々に赤い髪を晒し続け伏せた顔を上げられなかった。この目も、かちかちと震えるこの牙までも見られてしまったら、もう言い逃れなど出来ない。ここはまだ『赤毛と青目の吸血鬼(ユダの子)』の伝承が残る地。

「目は?」

「青い?」

 知られてはならない。赤く血の色した吸血鬼の色も、青い瞳でも――

「目を見せろ」

 また――殺せばいいのか。迷信に凝り固まったこいつらに断罪される前に。杭持て追われる前に。父母の故郷の村と同じく、この町の人間全てを殺し尽くすか。

 そうだ、今の自分ならば容易い。鎮まっているが吸血鬼である以上、渇きは常にあるのだ。それを解放する。溢れる血の香り、心地よく温かい感触――考えただけで涎が出そうだ。

 けれどそうなれば、ラルクは今度こそ自分を見放すだろう――

 石畳を見つめていた視界が、急に何も見えなくなった。ラルクの片手がライの両目を覆っていた。次いで響いた静かな声が、衆人のざわめきを一瞬で収めた。

「赤毛ではあるが、(めし)いた我が従者が、何か?」


挿絵(By みてみん)


 ラルクの意図を察し、そして顔に当てられた冷たい手がライの激情も冷ましていく。無骨な自分のとは違う、女の様にほっそりとしなやかな指。それが今、この自分を守るために使われているのだ。

 やはり、まだここで彼と離れたくない。旅を終わらせたくはない――!

 ライがゆっくり顔を上げるとラルクが手を下ろす。閉じられたライの目に人々の視線が集中するのが分かり、ぐっと唇を引き結ぶ。気を鎮めろ。興奮してはいけない。

 そこへ、息を切らせた壮年の男が人の輪を割って現れた。

「し、報せを受けまして……。私がこの町の副町長、アーネスト=ホーカーです」

 明るい栗色の口髭を震わせながら、男は丁寧に名と身分を名乗った。処世術に富んだ彼はラルクを一目見るなり、通報にあった『怪しい流れ者の碌でなし』などではなく、『故あって従者一人のみ連れてこの辺境へ忍び訪れた貴族』と判断したのだ。この時にはライもローブを被り直していた。

「これがこの町の歓待とは斬新なことだな」

 皮肉だろうが、天上の美貌が何の表情も浮かべずに言ってのけると、誰もこれがジョークだと流せはしない。

「た、大変な失礼を……」

 冷たい皮肉の言葉だけで名乗りを返さぬ旅人の非礼を咎める事は出来なかった。

黄金色の瞳に射貫かれただけで息が詰まり、元々胸の病を抱えている副町長にはこれ以上この黒衣の男を見るのは危険だと本能が訴えた。それでも時分の采配に注目する町人達の目がある。

「ですがお分かりいただきたい。この地方では只でさえ赤い髪は珍しい。それに加え――」

 喉を塞ぐ圧迫感を取り除くために黄金の視線から目を逸らし、副町長は報せられた内容の確認を行った。

「かつて村を追放された赤毛の子が戻って来たと言う噂があり、この近辺は神経を尖らせておるのです。ご存じでありましょう?赤毛と青目の『悪魔子』の言い伝えを」

 ライの肩がぴくりと揺れたが、風で大きく揺れるラルクのコートの影に隠れていたので副町長には見られなかった。

「恐ろしい事にその村は全滅したとの話。疫病かも知れぬし、それとも――」

 その先の言葉を告げるのは、副町長には躊躇された。無暗に出すものでは無い。あんな恐ろしい魔物のことなど。

「それは悼ましい。だが、この男は私と共に居た」

 嘘では無い。確かにライはラルクと共に居た。信仰深かった村人達の死体の山の上に。

「そうですか、ならば供の方にもお詫びします。さあ皆も家へ戻れ」

 ほっとした顔の副町長が周りを囲う町民を促すが、この先の成り行きが気になるのかそわそわとするだけで皆動こうとはしない。特に女性陣は頬を上気させたまま、ラルクの姿をいつまでも眺めていたいと言う風だ。

 そんな町民の様子に痺れを切らしたか、彼はさっさとこの問題を片付ける事にした。

「もう陽が落ち、門は新たな陽が昇るまで閉ざされるのが街道の習わしではありますが、今宵だけは特別に門を開けさせます。旅路の幸運をお祈りしますよ」

 体の良い厄介払い。頑丈な門の外は獣だの夜盗だの旅人を襲う脅威が溢れかえっているが、そんなものは副町長の知った事では無い。この問題が転がり込んできた時は、町長が隣村へ会合に出かけ不在と言う間の悪さを恨んだが、このスマートな対応によって次の町長の座は十分狙える。

 そんな副町長の思惑はさておき、この提案はラルクとライにとっても歓迎だった。

「そうしよう」

 最後まで表情を変えず黒衣の旅人はそれだけを言って歩き出し、目深にフードを被り肩を縮めたライがその後へ続く。進む彼らの前を、町人達は自然に道を開けた。

 これにて災いは去った。彼らの姿が見えなくなると、異様な緊張感に包まれていた町の雰囲気もようやく緩み、いつもの活気を取り戻した。

 あの二人連れがこの町に関係ある貴族だったとしたら、この対応を逆恨みされても大変だ。そう危惧した副町長はその夜の目撃者達にもそう説明し、翌日戻って来た町長に留守の間の件を報告した。

「いつもと変わりなく何の問題も無し」と。

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