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そこにたたずむ影は過ぎ去っていったものの形骸に溶けて

 ワタシはゆっくりと目を開けました。見えるのは、鈍い金属光沢の壁といやに明るい簡素な照明がいくつか。どうやらベッドかなにかに寝かされているようです。ここはいったいどこなのでしょうか。

『気づいたかの』

 しわがれたその声にはっとしてワタシは発声されたほうに首を向けました。

『案ずるな。なにもせんわい』

 どこかで見たことのあるデザインのアンドロイドが椅子に腰かけてそう言います。名前はわすれてしまいましたが、たしか、宇宙戦艦ナントカという漫画に登場する艦長の服装のようなデザインです。しかし、それ以外はやはりアンドロイドでした。

「あなたは……」

 とりあえず名前をうかがおうと訊ねてみました。

 すると、艦長はこう言いました。

『このアルタグラの舩長。名をネイビーと言う。何度か聞いたことがあるだろう。よろしく頼むよ、アハカくん』

「ネイビーって」

 記憶を手繰りよせてその名前を確認します。アストラとの会話中、一度だけその名前を呼んだ気がします。

 アストラは国連のメンバーとしてネイビーという名前を呼んでいました。

「じゃあ、あなたが国連のメンバーの?」

『そう、わしがネイビー。わかってくれたかの』

「はい。とりあえずは」

 ワタシは上体を起こしてネイビーを見ました。同時に部屋の様子も確認しておきます。

 簡単に言うなら、壁や棚や机がすべてスチール製の保健室といった感じでしょう。かなり無骨で無味乾燥な印象ですが、棚にはさまざまな薬品の瓶などが並んでおり、それでわかります。

「あの、ここはもしかして、西の柄杓と目の前に先駆けた光が影を犬にするとき、凪に浮かんだ三日月に向かえ、という暗号が指し示す場所ですか」

『うむ。スルシュから突然連絡を受けての。「アハカにGPSを渡したがきっと捨ててしまうだろうから、三日後のあなたのアルタグラの座標を暗号にしS区画のだれでもいいからアハカにそれを伝えるよう計らってください」とな。年寄り使いが荒いのう。まったく最近の若い衆は』

 ぶつぶつ言い始めるネイビーをしり目に、ワタシはスルシュの計らいに驚いてしまいました。

 スルシュはワタシのことを見捨てたわけではなかったようです。首を絞めたあとのことですが、やはりスルシュはワタシのことを心配してくれていたのです。あんなにスルシュにひどいことを言って、ワタシはスルシュにスルシュをもう信じることができないといったような印象を与える言葉を吐いてしまいました。

 胸がじわりと痛みます。スルシュに会って謝らなければなりません。

「あの、その、スルシュはどこにいるんですか。この舩の中にいるんですよね」

 スルシュから連絡を受けているならば彼らは当然この舩に先回りしているはずです。そう思って訊ねてみたのですが、それはまったくの希望的観測でした。

『いや、おらん。スルシュとシアンはまだ空を漂っておる。まだしばらくは会えんよ。なんせ、今ごろはラドムのアルタグラに追いかけ回されている頃だからのう』

「え?」

 それってどういうことなのでしょう。

「どうしてスルシュたちが追いかけられるんですか。ラドムの目的はワタシのはずじゃ」

『それは少しちがうな』

 ネイビーはかぶりを振ります。

『彼らはスルシュたちを捕らえ、引き換えにアハカくんを回収しようとしている。だが、こちらとしてはアハカくんを手離すわけにはいかん。だから、スルシュたちは自らを囮として精一杯我々から遠ざかるとのことだ。アハカくんには気の毒だが』

 ワタシはその言葉を聞いて絶望しました。

「じゃあ、ワタシはもう二度とスルシュに会えないってことですか」

『いや、その点については安心せい。ラドムを引き離して十数時間後にランデブーポイントで落ち合うことになっておる。まずは彼らが無事にラドムから逃げきれたという連絡を待つほかあるまいて』

「そう、ですか……」

 ワタシが不安を隠しきれないまま、気休めのようなその言葉にとりあえず胸を撫で下ろします。「ところでナシュラさんはどこにいるんですか」

『んん、ナシュラかね。彼女ならアハカくんが目覚めたときのためになにか食べ物を作ると言って出ていったよ。──水は美味しいから安心してくれよ』

「あ、はい。ありがとうございます」

 国連のみんながワタシのために一所懸命になって旅の手助けをしてくれている、とそう思うのですが、どうにもそれだけが目的ではないような気がします。ヌマフが言っていたとおり更生プログラムなのかもしれません。

「あの、みなさんどうしてそんなにワタシのことを気遣ってくれるんですか。本当は、ワタシの旅の手助け以外になにか目的があるんですよね」

 それが知りたくて、ワタシはうつむいたままネイビーに訊ねます。しかし、どうやらネイビーも教えてはくれないようです。

『いや、それは君のセラピソイドであるスルシュから聞くべきだ。残念ながら、わしはただのアンドロイドだからね。国連のメンバーであってもそういったことには答えられないんだよ。ほかのアンドロイドのメンバーであるオリーヴやシアンも同様のことだ。それについて話せるのは、セラピソイドであるスルシュかナシュラだけと、我々で決めておる』

「セラピソイド、だけですか」

 だから、オリーヴは自分の過去の話しかできなかったのでしょう。彼女はアンドロイドになってしまったから。

 しかし、スルシュはワタシのセラピソイドのままどうやってほかの脱走者の手伝いをしていたのでしょうか。

 それをネイビーに訊ねてみました。

『スルシュは国連という組織の長だ。区画の人型アンドロイドとセラピソイドすべてのまとめ役、つまり司令塔というわけだな。だから、アハカくんの家にいながら、彼は全区画のそれらと連絡をとることができる。そういう機能を備えておる』

「スルシュが、国連の長、なんですか」

『うむ。彼の判断はいつでも的確だ。わしらなんかには到底下せん判断を下す。適任中の適任だ』

 ワタシはスルシュのすべてをわかっていなかったのだと、いま改めて思い知らされました。それは「スルシュはセラピソイド」だということも、本来的にそれはわかっていることの範疇ではなかったのです。それはスルシュという存在を知っていることにはなりえません。

 十五年以上ともに付き添っていたはずなのに、なぜワタシはスルシュのことをなにもわかることができなかったのでしょう。スルシュはスルシュで、なぜ今までそれを隠しとおしてきたのでしょう。

 ワタシは、スルシュにとっての何なのでしょう。

『大丈夫』

「え……」

『スルシュはだれよりも君のことを愛しているはずだよ。アハカくん』

「どういうことですか」

 ネイビーはまるでワタシの心のうちを読み取ったかのようにそう言って慰めますが、それ以上はワタシが聞いても聞こえないふりをするようにそっぽを向くだけです。

 どうやら、ネイビーなりの気遣いのようです。ワタシはそれに小さく息を吐きました。

「ありがとうございます」

『なに、かまわんよ』

 ワタシが深々とネイビーに頭を下げると、ちょうどよいタイミングでナシュラが部屋に入ってきました。

『アハカ。起きたんだ』

「はい。おかげさまで」

『これ、カキフライ』

「あ、ありがとうございます」

 手渡されたのは赤ちゃんの拳大ほどの小さなフライ。

 カキフライってなんですか。柿を揚げるのですか。

 と思いながら小さなカップに入ったタルタルソースに付けて食べてみます。

 さくさくのころもの中には柔らかくて少し苦くて、けれどとても甘いなにかが詰まっています。

「なんだかまろやかで美味しいものが入ってますね。見た目はグロテスクですけど。なんですか、これ」

『牡蠣、知らないの。貝の仲間』

「貝の仲間……。図鑑でしか見たことなかったので、わからなかったです」

『そういうもんだよ』

 ナシュラがどうでもよさげに適当にそう返事をすると、ワタシの横から手が伸びてきます。ネイビーの手です。

『わしも食べていいかの』

『だめ』

『ひ、ひどいのう』

『まず口がないし』

 ネイビーはがっくりと項垂れます。

「あの、ナシュラさん」

『なに』

「まだ、ワタシのこと嫌いですか」

『なんでいきなりそんなこと』

「やっぱり気になりますし」

 ワタシがかねてより気になっていたことをこの場面で切り出したことに、ナシュラは苛立ちを隠しもせずに言います。

『好きか嫌いかなら嫌いだね』

 やはり、といった答えが返ってきました。

「どうしてワタシのこと嫌いなんですか。ワタシ、気になってたんです。ナシュラさんが落ち込んでるの見て──」

『そういうところが嫌いなの。アホみたいに素直でストレートなところが。私にはそういう性格は合わないのよ徹底的に。あと、ネイビー』

『はい?』

『スルシュの話はあまり他人の口から語られるべきではありません』

 ナシュラは、まるでスルシュの口調のようにそう言い、ネイビーをたしなめました。先ほどの話が聞こえていたようです。

『すまんのう……』

『以降気をつけてくださいね』

「あ、あの」

 なんとなく疎外感を感じたワタシはタイミングを見計らって話を戻そうとします。

 しかし、『アハカ。食べ終わったらそっちの机に置いといて。あとで取りに来るから』そう言って逃げるように部屋を出ていってしまいました。

「あ……」

 呼び止める間もなく扉は閉まります。「ナシュラさん、やっぱりワタシのこと嫌いなんですね」

『んー。それはどうかの』

「え?」

 ネイビーはそれきり笑いをこらえるように小刻みに体を動かすだけで何も言いません。

 なんだかなあと思いながら、ワタシはカキフライの残りに舌鼓を打ちます。噛むたびにあふれ出てくる牡蠣汁が新鮮なものの証なのでしょう。もちろん天然ものではないのでしょうけど。

 ナシュラの様子は明らかにスルシュのこととなると変わりました。それがなにを意味しているのかはわかりません。ですが、ひとつ感じ得たことは、「ナシュラさんもスルシュのことが好きなのかなあ」ということです。アンドロイド(正確にはセラピソイド)同士が好き合うことなど、ワタシがスルシュを好きになるのと同じくらい信じがたい話なのです。仮に人型だとしても生物と無生物では感じるものがちがいすぎるのです。

 決して相容れぬものとまでは思いませんが、結ばれるまでには至らない存在。

 それはとてもつらいことだと思います。

 身分だなんて目に見えないはずのもので結ばれないという物語はあまた語り継がれてきたものですが、これはそういった話ではなく、もはや肉体的にも精神的にも結ばれることなどあり得ない異種存在同士のレンアイ。

 もしレンアイすらセラピソイドが計算づくで動いているというのなら、少なくとも人間とは決して結ばれることはないのだろうと思います。ナシュラはスルシュをどう思って好きなのでしょうか。でも。

「負けたくない」

 ネイビーに聞こえないほどの言葉を口の中で呪文のようにつぶやきます。ワタシだってスルシュのことが好きなのですから、ナシュラには負けたくありません。

 ワタシは気持ちの勢いのままカキフライを食べ終わると、「ごちそうさま」コップの水を飲みほします。久しぶりのおいしいおいしいお水です。そして、ナシュラに言われた机にお皿を置いてネイビーに向き直ります。

「ネイビーさん。舩内を案内してくれませんか」

『おお、それもそうだな』

 ネイビーは『よっこらしょ』と立ち上がると、ワタシの手を取りました。『このアルタグラはP区画と呼ばれていてかなり広いからね。もしかすると舩内を回っている間にスルシュたちから連絡がくるやもしれん。まあ、とにかくゆこうか』

「はい」

 ネイビーの手を借りてベッドから降りると、ワタシたちはそのまま金属の部屋を出ました。




 そして、再び部屋に戻ってきたのは一時間半が経ってからでした。

 ネイビーに説明されたことを端的に述べるなら「P区画はラドム所有のアルタグラと同じ」だということです。つまり、この舩は小惑星衝突時に深海を漂っていたものだということです。実際、いまこの舩は深海を漂っています。深海なので、小窓から見る景色は真っ暗だったのですが、時おり、深海でしか住めない生物(チョウチンアンコウなど?)のかすかな息づかいを感じとることができました。調整室や操舵室の計器類を見ても、なんとなく深海にいるらしいことは把握できたのです。

 ネイビーは宣言どおりこの舩の舩長だということも、居住区に住んでいる百余名の人たちの人気からもうかがえました。とくに子どもなんかは「おじいちゃん」と親しみをこめて呼んでいたように思います。

『ん、無線室から連絡のようだ』

 部屋に戻ってくるなりネイビーは集音装置──人間でいう耳──に手を当て、ワタシにそう言いました。

 ネイビーの通信が終わるあいだに部屋をよく見ると、カキフライを盛りつけた皿が消えていることに気づきました。舩内を回っている間にナシュラが持っていったのでしょう。

 ネイビーの通信が終わりこちらに向きなおり親指を立てます。

『どうやらラドムの追手を撒いたようだ。とりあえずは安心だ』

「本当ですか!」

『うむ。予定より早く九時間後にランデブーポイントで落ち合うことにした。もうすぐスルシュに会えるぞ』

「よかったあ……」

 スルシュたちは無事だと聞いて今度こそすとんと胸を撫で下ろしました。あと九時間でスルシュに会えるのです。

『九時間後と言えば時刻にして午前四時といったところか』

「午前四時、て」

『アハカくんは丸一日気絶していたんだよ。一度意識があるらしいことを確認して、ナシュラが料理を作るために出ていったというわけだ』

「そんなにお世話してもらって。すみません」

『なに、かまわんよ。それが我々の使命だ。どれ、わしは操舵室へ行ってランデブーポイントまでの経路の設定をしてこようかの。洗面台とシャワーならここを出て右に行ったところにあるからの。さっき教えたからわかるだろう』

「はい。ありがとうございます」

『じゃあ、ゆっくり休むんだよ』

 ネイビーはそう言って部屋を出ていきました。ワタシひとりが部屋に残されます。ベッドに腰かけて息を吐きました。

 明日、スルシュに会えます。そしたら謝らなければなりません。ですが、もうスルシュは怒っていないとも限りません。それがこわいです。ナシュラのこともありますが、今はとにかくスルシュに嫌われたくないのです。

 ワタシはシャワーを浴びてこようと立ち上がります。カラダをきれいさっぱりにして雑念を振りはらいましょう。

 そう決めるとなると、ワタシは部屋を出ました。




「アハカ。覚えていてくれたんだね」

「嬉しいわ」

 真っ黒な世界の中にあの綺麗な顔をした両親の姿を見つけました。「お父さん、お母さん」

 ワタシはその両親に近づきます。

「ワタシ、好きな人ができた」

 ワタシが両親にそう告白すると、彼らは優しく微笑みました。

「わかっているよ」

「当然のことだもの」

 ワタシはほんの少し訂正します。「あのね、正確には人じゃないの。セラピソイドなの。ワタシの……スルシュって言って……」

 スルシュのことを両親は知らないのです。ですから、スルシュのことをきちんと説明しなければならないのですが、相手がセラピソイドで納得してくれるのか、それが心配でした。

 ですが、それは杞憂に終わります。

「アハカ。私たちはアハカが選んだ人を精一杯好きになってくれれば、それで幸せなんだ」

「そう。私たちもそうやって結ばれたんだから。私たちは人間同士だけど、人間とアンドロイドはなにがちがうの。本当は見た目だけなんだってあなたは気づいているんじゃないの」

 その言葉にワタシは少しうつむき加減になりました。

 両親の言うとおり、ワタシはもはやスルシュをワタシたちとちがう存在とは認められない、アンドロイドもワタシたちと同じ人間なのだと思っています。しかし、どうしても心のわだかまりとして引っ掛かるものがあるのです。

「まだ、少し忘れているみたいだ。ママ」

「そうね。まだ少し忘れているわ。パパ」

 両親は顔を見合わせこちらを向きます。

「アハカ。私たちはアハカに約束をしていたのを覚えているかい」

「火傷だらけで原型をとどめていない両親を連れてきて、みんなで一度話してみようって」

「うん」

 たしかにそんなことを約束していたように思います。

「いま、連れてくるから少し待っていてくれないかな」

「もしかしたらちょっと時間がかかるかもしれないけど」

「うん。待ってる」

 両親はまた微笑むと、真っ黒な世界の中に溶け込むように消えてゆきました。

 そして、ワタシもまた真っ黒な世界に意識を蝕まれるようにして消えてゆきました。




『アハカ』

「んん、だれ……」

 目の前から聴こえてきただれかの声で目を覚まします。「あ、ナシュラさん」そこにはワタシの顔を覗き込むようにして水を持つナシュラの姿がありました。

『そろそろスルシュが来るよ。舩の上に出て待ってよう。これ、水』

「ありがとうございます。──行きましょうか」

 冷たい水を飲んで意識をしゃんとさせたワタシは実にきびきびとした動きでナシュラについていきます。そして、着いたのはこのアルタグラの甲板のような場所でした。

 いつの間にか深海の底から脱し、周りに見えるのはS区画のような切り立った山々です。アルタグラはもとよりいろいろなかたちに変型できる便利な乗り物で、白馬のように大地を駆けることができれば、猪のように障害物をなぎ倒しながら進むこともでき、もちろん鳥のように空も飛べるのですから、どこに停まっていようが本来的に矛盾はありません。

 もちろんS区画のように風が強く、また気温も低いため身に染み入るように寒いです。ここへ来る前にナシュラに暖かい服装に着替えさせられましたが、このせいでした。

『来た』

 ナシュラが強風のなか、そうつぶやきます。ワタシはナシュラが見据える方向を見ました。

 白く小さな塊がぐんぐんとこちらに近づいてきます。それはたしかにアルタグラでした。

 そして、P区画のアルタグラの甲板、つまりワタシたちが立っている場所に、強風を受け流すようにゆっくりと降り立ちました。しばしそのままじっと待ちます。

 そのまま黙って待っていると、ついにタラップが降り扉が開きました。

「スル、シュ」息を飲みながら知らずそう言葉が出ます。

 ゆっくりと降りてきたのはスルシュ。まっすぐにこちらを見据えたまま超然とした足どりで向かってきます。この強風でも一切ぶれることはありません。

 ワタシの、前に、立ちます。

 そして──。

『別れてからずっと心配していました。無事でいてなによりです』

「……うん。ごめんね、スルシュ」

 スルシュはワタシの片手を取ってひざまづきました。これがスルシュができる限りの気遣いの証なのでしょう。

 かたわらにいるはずのナシュラはいつの間にかそっぽを向いています。

 スルシュは立ち上がって言いました。

『ナシュラ。ありがとうございます』

 小さく一礼するとナシュラは腕を組みながら忌々しげに吐き捨てます。

『最悪の三日間だった。借りは高くつくから』

『承知しています。アハカ、こちらへ来ていただけますか』

「う、うん」

 ナシュラを置いてワタシたちは先にP区画のアルタグラの中に入りました。

 P区画の中に入り扉が完全に閉まる前ナシュラがその場にしゃがみこみ、駆けつけたシアンに慰められるようにあやされていた姿を、ワタシは忘れないと思います。

 そのままスルシュに連れられて向かった先はネイビーのいる操舵室です。電子計の画面を食い入るように見つめていたネイビーがこちらに気づきました。

『おお来たか、スルシュ』

『久しぶりですね』

『うむ。元気そうでなによりだ』

 二人は固い握手を交わしました。ネイビーの管轄のP区画は深海を回遊するものだったからでしょうか。それほど顔を合わせる機会がなかったのだと思います。それでなくとも、K区画は出てはならない場所だったので当然と言えば当然です。

『アハカくんはこのとおり大丈夫だ。お前さんのことだが、アハカくんがいなくなったときはそうとうテンパったのではないかね。でなければ、わしとの顔合わせにアハカくんを連れてくる必要もあるまい。もう、その手を手離したくないのだな』

「そうなの。スルシュ」

 ワタシはネイビーの発言にどきりとして思わずスルシュのほうを見ました。

 しかし、当の本人は微動だにしません。それどころか無言できびすを返すとそのままワタシを引っ張って操舵室を出ていこうとします。

 部屋を出る前にネイビーに言われます。

『沈黙は肯定と言うんだぞ。スルシュ』

 聞き捨てならん言葉だったのかスルシュは扉の敷居を超える直前に立ち止まります。

『沈黙は肯定ではありません。すべてを是とする私の意思にほかなりません。ネイビーと私の沈黙は、意味が異なります』

『あくまで我を張るか。スルシュらしいのう』

 すべてを聞き終わる前にスルシュは一歩踏み出し、つられてワタシも部屋を出ることとなりました。

 そして、ワタシたちはふたたび歩き、ワタシが起きた部屋とは別の部屋に来ました。ただ、オーダーライダーが備えつけられている以外は大した変化はありません。

 スルシュはワタシの手を離します。久しぶりのスルシュの温かさが残滓のように手に残ります。

「スルシュ。ワタシ、スルシュに言わなきゃならないことが──」

『アハカ』

 びくり、とカラダが震えます。そして、なにも言えなくなりました。

 スルシュの声に耳を傾けます。

『私はアハカのことを見くびっていました。まず、それを謝らせてください』

「そんなの、いらないよ」

『いいえ──すみませんでした』

 スルシュはワタシの制止を無視しこちらに改まってこうべを深々と下げました。頭を上げると一歩近づいてきます。

『まだあるのです』

「隠し事」

『はい』

 スルシュは今度は一歩ごく小さく退いて言います。

『これから私が言うことはすべてではありませんが、ほぼすべての隠し事を、いまここで話させていただきます』

「それはワタシのストレスを感じる閾値が極小だから?」

『いいえ。アハカのストレスを感じる閾値の極小が小さくなったからです。つまり、許容範囲が広くなったのです。それでもまだ、すべてを話すには至りませんが』

 ワタシはスルシュの言うことをなんとなく把握しました。しごく簡単に言うならば「成長した」ということです。

 ですが、ワタシ自身は自分が成長したなどといった実感はありません。心境的にはK区画を脱出する前となんら変わらない気がします。しかし、スルシュはワタシの成長をたしかに認めたのでしょう。そもそもスルシュが頭を下げて謝罪するということは今までになく、頭を下げるということは、ワタシがスルシュと同等かそれ以上になったということを顕著にあらわしていると言えるのです。

 だから、ワタシはスルシュに言われて気づいた成長で思いきって訊ねます。

「いいよ。隠し事、話してみて」

 スルシュはほんの少し肩の力を抜いて念を押します。『これから話すことはすべて事実です。』

 そして、語りはじめました。


 おそらくラドムの側についたときに聞かされたことがあるでしょう。彼らが話したことは真実です。ですが、事実ではありません。

 核戦争はたしかにありました。

 小惑星の衝突もありました。

 核戦争は今から約三十年前に起こりました。勃発のきっかけは些細なものでした。しいて言うならば、それは一見完璧なほどのバランスを保っていた社会の均衡が崩れたことにあります。

 完璧なバランスを保っていた社会は一度崩壊を始めると止まらなくなりました。各国は隠蔽していた核も含めたおよそ七万発を手当たり次第に発射し始めました。社会の崩壊の直接的な原因は、世界中のどの国にもありませんでした。ただそれは、国家というものの生存本能によるものだったのです。

 特異点以後、アンドロイドが普及していた社会ではアンドロイドが戦線での兵力となりました。それはすなわち、アンドロイドの目的が「自国の繁栄のために他国を蹂躙せよ」というものに書き換えられたことを意味します。

 世界は持てる力──国力のすべてをなげうってでも生き残ろうともがき、世界は荒廃していきました。もはや人が住める場所は一部の先端都市だけになりました。

 そして、国力は失墜し核弾頭は残り少なくなり、核戦争も終焉を迎えようとしていたときです。ある国の天文学者が弾頭の軌道予測のために用いられていた衛星のひとつを、天体の軌道予測のためとして用い始めました。もとよりその衛星は各国の融資により人間が移住できる惑星を探査するために作られたものでしたが。

 そこで天文学者はある異常な軌道を示す小惑星を発見しました。直径八キロメートル、時速数万キロを示す凶悪なものです。衝突は三年後と試算されました。またこの小惑星は発見した天文学者にちなみ、ソルヴァと名づけられました。

 禍は不可避であり、ただちにこの計算結果は全世界に公表されました。しかし、世界は見向きもしませんでした。「我々を陥れるための欺瞞だ」と。だれも信じてはくれませんでした。しかし、ソルヴァが衝突することは事実であり、すぐにでも避難しなければ、人類が滅亡することを天文学者の計算結果は如実にあらわしていたのです。

 ようやく世界が危ないと人々が気づいたのは、核戦争も終わりかけの頃でした。戦争で好き勝手できなかった学者たちが、興味本位でくだんの小惑星の軌道を計算し始めたのです。

 そして、度重なる計算の結果、小惑星の件が本当だとわかると世界はまた混乱に陥りました。しかし、核戦争勃発時ほど各国政府は取り乱しておらず、核戦争のことなど喉元過ぎれば熱さを忘れるように、今度は協同してシェルター建設と軌道を逸らす計画を発足させました。

 このあたりについてはラドムから聞いたとおりだと推測されます。アンドロイドがシェルター建設の資材にされたり、また、アンドロイドが人間にとって最高位の欲求を発現し、人間に無謀をはたらいたことも、すべて事実です。

 シェルターのうち無事だったのはラドムの所有しているアルタグラであるC区画と、このアルタグラ──すなわちP区画のみです。生存者は数千と若干名しかいませんでした。

 衝突から六年経ち、人間は地上へ出ました。そこにあった光景は、草木一本生えず酸素も極端に薄い、空は雲に覆われ暗く寒く、死の世界でした。

 人間はふたたび無傷だったシェルターに集結しました。しかし、もう以前の文明は築き上げられない。人間はどうしたらいいかわからなくなりました。シェルターはすべて機械制御され食べ物には困りませんし、安全な生活は保障されています。しかし、人間は考えたのです。「文明によって支えられていた人間である以上、我々はもはや人間ではないのでは」と。この命題は議論を呼びました。すなわち、「我々を人間たらしめるものはなんだ」と。

 核戦争以前より、人間の生活のほぼすべてはアンドロイドによって形づくられていました。つまり、人間の労働は皆無でした。テクノロジーが発達し過ぎて人間の労働が無くなっていたからです。追い討ちをかけるように、他の生物は死に絶えました。

 やがてその「人間とはなにか」という問いは、人間が社会に自己を依存しすぎたことで生じた命題だとわかり、その議論を煮詰めた人間は、人間であることをやめることに決めました。つまり、人間が新しい存在、すなわちアンドロイドとなり、人間に尽くすことを自己存在の理由の究極のレッテルとすることに決めたのです。「人間である」という不完全で曖昧な概念から解き放たれ、アンドロイドという完全な存在になるのです。

 人間社会が与えたレッテルでしか存在を認められないというのなら、我々そのものが社会の一部になればいいという考え方です。それまでの考え方は「我々が社会の上にいて、社会を動かしている」という考え方でしたから、先の考え方は画期的でした。そして人間は脳だけを機械に組み込みアンドロイドとなり、同時に新しい「人間」を生み出しました。アンドロイドはその「人間」とともに余生を穏やかに過ごすことにしたのです。

 ですからアハカ、我々人間はあなた方「人間」に、人間の曖昧な部分をすべて押し付けたということになります。


 ワタシはスルシュのその言葉を聞いて頭がはたらかなくなりました。

 スルシュはなんと言いましたか。「我々人間はあなた方人間に、人間の曖昧な部分をすべて押し付けた」?

 言っている意味が理解の範疇を越えています。だって、それが本当ならスルシュの頭脳は生身の人間の脳で、一方でワタシたちはいったいどうやって人間でいられるというのでしょう。

 スルシュは言葉を続けます。


 少し話は戻ります。

 人間がアンドロイドになると決める前、アンドロイドは人間のために働くという自己実現の欲求を我々人間に爆発させました。昔で言うならクーデターということになります。この際のアンドロイドの心理が我々人間に多大なヒントを与えてくれました。すなわち、先ほど申し上げた「我々が社会の一部になればいい」という考え方です。また同時に、「人間が在るためには、まず我々が在らねばならない」とも。

 私たちはアンドロイドの目的を「動物であり、人間らしく、穏やかに過ごす」ものに書き換えました。

 すべてを書き換えたのち、私たちは自らに禁断の施術を試みました。脳をロボットの器に組み込み、自らをアンドロイドとする。「核戦争も小惑星衝突も、もうこりごりだが、何もせずただ流されるまま怠惰に生きるのももう嫌だ。早くアンドロイドとなって精一杯人間に尽くしたい」。それだけを夢見て。

 やがてすべての人間はアンドロイドとなり、「人間」とともに区画の建設に取りかかりました。これはあなた方「人間」に核戦争以前のものと変わらぬ生活を演出するためです。つまり、区画とはそれ自体が巨大な演劇場なのです。

 多大な犠牲を払い、いくつかの区画を完成させることに成功しました。それがS区画とD区画です。我々は各区画に相応の人数と機体を配備させ、しばらくはそれで理想の生活を送っていました。

 ところがあるとき事件が起こりました。P区画から脱走する者が現れたのです。それはあなたも知るところのオリーヴと、オリーヴがいた家族です。


 ワタシはカラダを硬直させたまま、頭だけではっとしました。オリーヴの話は直接彼女から聞いたことがあるからです。


 オリーヴと家族は盗んだ小型のアルタグラで世界を見て回りました。せっかく我々が演じていた舞台の秘密をオリーヴはその捨てきれなかった人間の部分で破綻させてしまったからです。

 欺瞞だらけの演劇場を飛び出した家族は、とうぜんアンドロイドに裏切られたと感じてしまいました。そして、傷心のオリーヴによって、彼らは現在のK区画のあたりに降ろされました。そこで、彼らは新しい「人間」のための楽園、K区画を造り出しました。

 その一件ののち、区画から脱出する者があとを絶たなくなりました。アンドロイドは人間のために尽くすというのが自己存在の究極のレッテルでしたから、「人間」に逆らうことは、すなわち自己存在の否定になるとされ、「人間」の願いを拒否できなかったからです。

 私は早くからそのことに気づいていました。しかし、当時私たちは現在の国連のようにまとまった組織をもってはいませんでした。

 そこで私は核戦争時の知り合いであったシアン、ネイビー、ナシュラを呼びました。やがては混乱へ至るであろう現状をなんとかしなければならないと。私はまた、その時点でオリーヴを呼び出しました。四人という数では意見が割れたときに収拾がつかなくなるからです。加えて、オリーヴには責任をとってもらわねばなりませんでした。

 オリーヴはセラピソイドでしたが、私たちの手でアンドロイドにしました。本来的に焼き直しの利かないソフトウェアをもった脳という器官ですが、オリーヴは自分から『なにをしてもいいから自分の過ちを忘れさせてほしい』と言い、脳の一部を切除しました。

 オリーヴの手術を終え、そこで我々は国連を発足させました。


「スルシュ。ワタシ、ワタシ──もう、こんな……」

 ワタシはそれ以上なにも聞きたくありませんでした。

 不快さもストレスもなにも感じません。ただ、ただワタシはなにも感じていないこの心が清廉な嫌悪で嫌になりました。それはスルシュが一字一字を語るたびに心の底に澱のように蓄積されていきます。

「スルシュ、もうやめて。ワタシそんなの聞きたくない」

『これは話さなければならないことなのです。それに、アハカはなんでも知りたいと言ったではありませんか』

「こんなこと知りたくて世界を見たかったわけじゃない!」

 ワタシは性格に似合わず怒鳴りつけます。そのまま部屋を飛び出しました。

 廊下を走ったままワタシはあれこれ考えます。

 たしか、スルシュに怒鳴りつけるのは二度目のはずです。怒鳴りつけてたはずなのに、どうしてかワタシはなにも感じていないのです。

 心が空虚になっているわけでもなければ怒りに満ちているわけでもありません。この不可思議な気持ちは今までに感じたことのない感覚です。かといってレンアイによるものでもない感じがする。

 そんなことを考えながら突っ走っていると、廊下の向こうに人の影があるのが見えました。人間ではありません。あれはアンドロイド──。

「オリーヴ……?」

 ワタシはオリーヴだと判断できる距離まで近づくと、そうつぶやきます。

「オリーヴ!」

 ワタシはとたんに嬉しくなって彼女に近づきます。きっとラドムたちに修理されたあと、自力でここまでたどり着いたのでしょう。

「オリーヴ、オリーヴ! よくここまで来たね!」

 ワタシは嬉々としてオリーヴに語りかけます。ですが。

『アハカ……』

 様子かおかしいです。

「どうしたのオリーヴ。どこか怪我してるの?」

 ワタシはオリーヴの体に損傷がないか探してみます。しかし、どこにもそれらしい損傷はありません。

 そのとき不意に後ろからスルシュの声が聞こえてきました。

『いけませんアハカ! オリーヴから離れてください!』

「え?」

 瞬間、ワタシは頭に強い衝撃を受けて意識を失ってしまいました。




「う……」

 ワタシは頭に鈍い痛みを感じながら目を覚まします。

「ようやく起きたか」

 恐ろしく冷たい声。その声の主をワタシは知っています。ヌマフです。

 目の焦点が合わずにしばらく虚空を見つめていると、次第に合うようになってきました。

 まず、ここはアストラと合間見えた大広間です。しかし、アストラはいません。そして、ワタシはなにかよくわからない機械のような手錠で後ろ手に組まされているのがわかりました。

「どうしてここにワタシが」

「わからんのか。お前は我々に改造されたオリーヴに捕まってここまで来たのだ」

 ワタシは思わず「スルシュは」と言いそうになりましたが、寸でのところでこらえました。スルシュのことを知らないということは、なんらかの方法でワタシのことを救い出すチャンスをうかがっているのかもしれません。「じゃあ、オリーヴは」

「オリーヴならそこにいる」

 ヌマフが指し示したほうにはたしかにオリーヴの姿。ただし、まとう雰囲気は明らかに以前の彼女のものではありません。

「オリーヴ、アハカだよ。ねえ聞こえる?」

 ワタシはおかしくなってしまったオリーヴに語りかけます。

「無駄だ。オリーヴが言うことを聞くのは我々の声だけだ」

 ワタシは鼻で笑いながらそう告げるヌマフを睨み付けます。

 しかし、本来人間であったはずのオリーヴが改造などされるのでしょうか。以前のシアンが言ったことや先ほどスルシュの語ったことが本当なら、アンドロイドの精神中枢は脳であり改造などでああはならないはずです。

 となると、オリーヴの演技でしょうか。それはきわめて考えにくいと言えます。オリーヴはきちんと自分の行いを反省していました。それこそ自分の過去をワタシに打ち明けてくれるほどにです。

 なんらかの理由で操られている。そう考えるのが妥当です。

 ただ、今のワタシではなにもできません。手は拘束されていますし、そもそもワタシはなんの力ももっていないただの──アンドロイドなのですから。

「ヌマフ。P区画にいたほかの国連幹部を捕縛してきたぞ」

「ああ、ありがとう。ウルタ」

「最初こそ抵抗していたが、お嬢ちゃんを捕まえていることを教えてやったら、まるで拳銃を手離した子どものように手ぬるくなってしまった」

 ワタシはウルタの後ろに連なるアームドロイドの一群を見やります。アームドロイドに拘束されてやっとのこと立っているのは間違いなくシアン、ネイビー、ナシュラの三人でした。みんなボロボロです。装甲や塗装が剥がれ、配線がむき出しになっています。

「みなさん、大丈夫ですか?」

 ワタシがそう叫んでも三人はかすかに動くだけで返答はありません。

 どうやらスルシュはいないようです。

「みんなをどうするつもりなんですか」

 ウルタにそう問いかけます。するとウルタは歪んだ笑みを浮かべました。

「決まっているだろう。処刑だよ。長いこと人間を苦しめていた張本人たちだ。やっとこのときが来たんだ」

「処刑って……。あなたたちは勘違いしてるんです。ちゃんと彼らの説明を聞けば、自分たちが間違ってたんだって気づきます」

 ワタシはウルタにそう訴えました。

 しかし、彼らの確執は深いようです。

「勘違いだと。ふざけるな。アハカくん、君はアンドロイドに心の底から騙されているようだね。君は今まで見た中でもっともな哀れな被害者だ。私たちがその呪縛から解き放してあげるよ」

 また、冷たい声。

 なにをするかわからない声色は生理的な不安を掻き立てられる思いです。

「そうだな……。ウルタ。アハカくんに施したリミッターは発動しなかったようだが、それは手動でも発動できるか」

「今ならいつでも発動できる」

「なるほど。ではアハカくんにこいつらの処刑をしてもらおう」

「それはいいアイデアだ」

 リミッターとか発動とか、いったいなんのことを話しているのでしょう。しかし、放っておけばワタシが三人をどうにかしてしまうというのは聞き捨てなりません。

 ヌマフがこちらに近づいてきて言います。

「君はスルシュのことが好きだそうだね。だけど、アンドロイドと人間が結ばれるなんてあり得ない。姿かたちがちがう限り君が抱くその心は幻想だ。錯覚なんだ」

「は……」

「いったいどうやってアンドロイドと人間が結ばれるって言うんだ。美女と野獣以前の問題だ。心も体も共通点なんて一切ないアンドロイドと人間が結ばれるなんてあり得ないんだよ」

「いや……」

「お前は人間でもアンドロイドでもない。──ただの化け物だ」

 その瞬間、手首に嵌められた機械枷が外れる音とともにワタシはまた意識を失いました。




 ここはどこだろう。

 目を開けて最初に思ったことがそれでした。真っ黒でなにもありません。

「ごめんねアハカ。遅くなっちゃった」

 不意に後ろから聞こえてきたのは陽気な様子のお母さんの声です。見ると、そこには二組の両親の姿があります。

 そして、景色が真っ黒から透明になりました。

「アハカ。私たちで集まって一度話し合いたいと言うのは、アハカの意思がこの二組の両親のどちらに向いているのかというのを答えてもらいたかったからだ」

「答えて、もらう?」

「そう。アハカ、本当はずっと悩んでいたんでしょ。どっちが自分の両親なんだろうって」

「どうしてそれを」

 ワタシはぶくぶくに膨れ上がったお母さんを見ます。隣にいるお父さんがつけ加えるように説明します。

「私たちは、実のところアハカの両親などではない。だって、君はもともと人間などではなく、ママのお腹から生まれたわけでもないのだから。アハカ、君はアンドロイドで、もともと作られた存在で、だから両親はいないんだ。ただ私たちは、アハカの夢が作り出した幻影──」

「そんなこと言わないで……」

 ワタシは耳をふさいでいやいやと首を振ります。

 両親はたしかにいま目の前にいるではありませんか。たとえ夢でも、幻影でも、いまワタシの目の前にいるあなたたちはまぎれもなくワタシに見えているではありませんか。見えるのにいないものだなんて信じられません。

「では見えないものはすべて信じられるのかい。私たちは夢のなかでしか会えない。物質的なかたちをもたない我々両親を、アハカは愛してくれるのかい」

「アハカ。あなたはどうしてスルシュが好きになったの。かたちも性質もまったくちがう二人はヌマフの言うとおり美女と野獣以前の問題よ。ここらへんは私たち両親の問いにも関係してくると思うけど」

 それを聞いてワタシは、どうしてスルシュを好きになってしまったのかという疑問がわき上がりました。

 ワタシは本当はアンドロイドで、スルシュは本当は人間で、けれどどちらも以前の人間とまったく同じ存在だと言えるには程遠いほど変わり果ててしまっていて。もしかしたら人間という種は言葉だけを残してもはや過去のものとなってしまっていて──ワタシたちはワタシたちでレンアイの真似事をしているだけなのだとしたら──なにを信じてワタシは人間のようなレンアイをしたいと思っているのでしょうか。

 ですが、答えはすでにあります。

 本来なら見えるはずのない、アンドロイドにはあるはずのない「人間の心」を信じているから、ワタシは美女と野獣以前の問題を乗りこえてスルシュを好きになってしまったのではないですか。だから、ワタシは「人間」だから、スルシュを好きになってしまったのです。

 ワタシは「人間」であって人間ではない。けれども、ワタシの心は──それを受け止める心というものは──人間と同じなのです。ちっともちがうところなんてない人間そのものなのです。

「ワタシは今までどおりのワタシでいいのかな」

 両親を向いてそんな問いを投げかけますが、みんなやわらかな笑みを浮かべるだけで沈黙を保ちます。「わかったよ」

「では私たち両親の問いかけに答えてくれるかな」

「うん」

 ワタシは両親の「アハカの意思がこの二組の両親のどちらに向いているのか」という問いに対しての答えを言います。

「ワタシは、火傷だらけのほうがワタシの本当の親だと思ってる」

 それを聞いた四人はほんの一瞬安らかな微笑みを浮かべると、そのまま透明の空間に溶けていきました。

 だれもいなくなった透明の空間で、ひとりワタシは考えます。

 ワタシは両親が消えたなんて思いません。目に見えずとも彼らはたしかにワタシの心のなかにいてワタシの行く末を信じてくれている、そんな気がするのです。




『ぐ、あ……』

 ワタシは失っていた意識を取り戻しました。目の前に見えるのは、オリーヴの胸を貫く──、?

「オリーヴ。?」

『アハカ。目、覚まして……』

 後ろで声がします。

「くそ、どうなってる! ウルタ、これは──」

「わからん。プログラムの書き換えは完璧なはずなのに、こんなことが」

 しかし、ワタシはそんな二人の戸惑いの声など一瞬でどうでもよくなってしまいました。ワタシの右腕から伸びている熱せられて真っ赤になった光刃が、オリーヴの胸を無惨にも貫いているのです。それもひとつではなく、焼かれた創傷やつらぬかれた跡がいくつもついているのです。

「オリーヴ、ワタシ──」

『ああ、よかった……。やっと起きてくれた』

 そして、オリーヴの後ろにはアームドロイドの壊れた群のなかに倒れ込む三人の姿。

「ワタシ、オリーヴのこと」

『このまま壊して。頭をそれでつらぬいて。でないとまたアハカのこと……ひどい目に会わせちゃうから』

 オリーヴの言わんとしている嘆願にワタシはわけもわからず頭を振ります。

『ダメだよ。言ったでしょ。私はもうアハカを傷つけたくない。だれかを傷つけると心がどうしようもなく痛むんだ。もういやなんだ、こんな気持ち』

「いやだ! だってそれってワタシに人殺ししろってことでしょ」

『ああ……ぜんぶ聞いたんだ』

 今から死のうとする者がこんなに悠長なことを言うわけがありません。

『……アハカ、頼むから壊して。ウルタが私の頭に細工してるんだ。早くしないと私、アハカの、こ、と──』

「オリーヴ?」

 ワタシはオリーヴの様子が急変したことを察しました。ちらりと後ろを見ると、PDAを持ったウルタがやり遂げたといったふうに、にやにやしています。

『アハカ、頼むから……お願い……』

 ワタシはどうすべきかわからなくなりました。だって、ワタシには人を殺せません。殺したくありません。けれど、だからといってこのままでは手も足も出ない事態になってしまいます。

 そのときです。

『死ぬ覚悟はありますか』

『ああ、スルシュか……』

 どこからともなく音もなく現れたのはスルシュの──真っ黒い姿。

「スルシュ、その体」

『まだ隠し事をすべて話してはいませんからね。──オリーヴ。死ぬ覚悟があるならあの方々に謝ってください』

 スルシュが指し示したのはアストラを含む三人でした。いつの間にかアストラが合流していたようです。いえ、スルシュが連れてきたといったほうが正しいでしょう。

『私からアストラにすべて話させていただきました。信じてもらえたかどうかはわかりかねますが、オリーヴ。あなたは間違いなく人を裏切りました。ですから、それを彼らに謝ってください』

『……』

 オリーヴは沈黙を保っています。それがオリーヴの葛藤によるものなのかはワタシもわかりません。

 やがて、ノイズ混じりの途切れ途切れの声で言います。

『ごめん。みんな……ごめんなさい』

 刹那、スルシュはその手に収められた得物でオリーヴの頭をつらぬき、その活動を完全に停止させました。

 スルシュが得物を引き抜く反動でオリーヴの亡骸がゆっくりと後ろに倒れます。同時に彼女の胸をつらぬいていたワタシの光刃もずるりと抜けました。

『アハカ』

「スルシュ。ワタシ、ワタシ、は」

『なにも考えないでください。今はなにも』

 そう言ってスルシュはワタシのことを抱きしめます。ワタシは温かいスルシュの体に爪をたてるくらいしがみついて必死に震えを止めようとしました。右手はだらりと力を失ったままです。

 オリーヴの頭から得物が引き抜かれる際に見えた濁ったなにか、あれが人間の脳なのです。ワタシは直接手を下さずとも人の死や人が死ぬところを間近で見ました。

「アストラ、なぜ黙っている! 今まで必死になってやつらを駆逐しようとしていたのに、なぜなにもしない!」

 ヌマフが怒号をアストラに向けます。しかし、アストラはこう言いました。

「いや。このままでよいのだ」

「なぜ?」

「我々ラドムとて良くも悪くも人間だったのだ。それならばきやつらアンドロイドとともに消えるのもまた人間であるというもの」

 アストラはわけのわからない言葉を放ちます。そんなアストラにヌマフは失望したようです。

「アストラ……。私はあなたのアンドロイドに裏切られたという考え方にひどく共感をおぼえて付き従ってきたというのに、あのスルシュという諸悪の根源に諭されて人間の楽園を作るという希望を捨て去るのか。ふざけるな……!」

「お、おい。ヌマフ」

「止めるな。ウルタ」

「アストラさん!」

 ワタシはヌマフが手にワタシと同じような真っ赤な光刃を携えているのを認めた瞬間、そう叫びました。

 アストラは微動だにしません。そのままアストラの脳髄に光刃が突き刺さろうというときでした。

『冷静さを欠くなどお前らしくもないの。ヌマフよ』

「く……。ネイビー」

 アストラの目の前に立ちはだかり光刃をボロボロの腕で遮るのはネイビー。

『いや。これがヌマフさんの本来の性格』

「ナシュラ!」

 ナシュラが起き上がりながら、銃に変形した腕を向けながらそう告げます。

『まさかこんなにボロボロになるとはな。健全なときよりだいぶスピードが落ちてしまっている』

「シアン……!」

 シアンがヌマフの後頭部に大振りで湾曲したナイフを突きつけます。ヌマフは復活した三人によって完全に取り囲まれてしまいました。

『どうだヌマフ。お前さんはいまアストラを裏切ろうとしたぞ。お主の嫌悪しておるアンドロイドとやらとそっくりだのう』

「ふざけるな。こんなこと私は認めない」

 ヌマフはアストラを睨み付けます。対してアストラはヌマフのその行為にも穏やかに答えました。

「ヌマフよ。お前は私とアンドロイドと、どちらを信じてくれるか」

「なに?」

「どちらを信じてくれるかと聞いている」

 ヌマフは少しも悩むことなく即答しました。

「そんなの──自分に決まっているだろうが」

 ヌマフはこれまでにない歪んだ顔で言い切りました。そして、そう答えられたアストラは悲しそうに告げます。

「残念だ」

 その瞬間、シアンが構えていたナイフがヌマフの後頭部を抉ります。しかし、抉られた裂傷からは、オリーヴのように脳がその顔を覗かせることはなく、ただ細かい繊維のような配線が張り巡らされているだけの無機質なものだけがありました。

 そして、さらにその配線を断ち切るためにシアンが追い討ちをかけると、ヌマフは力が抜けたようにその場に倒れてしまいました。もはやぴくりとも動きません。

 これもまた、ひとりの人の死や人が死ぬところなのでしょう。そう思い、ワタシは目を閉じました。




 ワタシはそれからすべてをスルシュから聞きました。

 それを聞いたのはアストラがラドムの千名余りの人間のもとへ連絡をいれ、「我々は我々で残ることを決めた。皮肉なことに満場一致だよ」と、意味深なことをスルシュに告げたあとでした。

『アハカ』

「なに。スルシュ」

 ワタシたちはP区画の一室、ラドムのアルタグラのようにメンテナンス機器のある部屋で、ヌマフに改造されたワタシの右腕を直している最中です。そのとき不意にスルシュが話を切り出し始めました。スルシュの体は真っ黒なままです。

『あなたに大事なことを言わなければなりません。気は、落ち着いていますね』

「うん」

 ワタシの右腕の修理をいったん止めると、スルシュは小さくうつむきます。

『人間だったころ、私はある国の暗殺者として生きていました。身元を示すのは己の身ひとつで、闇にまぎれながら人を殺すということをしていたので、私の存在はだれにも知られることはありませんでした』

「……うん」

 ワタシはスルシュの黒い体を見ます。

『人間の脳をロボットに組み込むという技術は核戦争以前からありました。私はその特異な境遇から実験の被験者として選ばれました。もし実験に成功したらそれはそれでふたたび暗殺者として活用できますし、失敗しても代わりはいくらでもいると。

 結果から言うと実験は成功し、私はこうして黒い体を与えられました。そして、人間ではありえないほどの身体能力を用い、次々と要人を殺害していきました』

「でもスルシュの体、白かったよ」

『あれは私がセラピソイドとしてアハカのもとへ訪れる際、セラピソイドとして怪しまれないように白い装甲をまとっていたのです。ウルタがブラックという名を用いたのは、国連の長が私であることを推測し、脱出の際にそうだと確信したからでしょう。また、すべてのアンドロイドは互いに連絡をとれるようになっており、ラドムの管轄であるK区画からも脱出を図ろうとする「人間」が現れましたがアハカ以外の者は失敗し、処分とリセットで今までどおりの生活を過ごすように再教育されました。ほかの区画は比較的脱出の頻度は高く、一時期は、もはやこのまま旅をすることを我々の存在のためのレッテルとしたらよいのでは、という考えがわき起こりました』

 スルシュは一幕置きます。

『ここからはよく聞いてほしいと思います』

「あ、う、うん」

 ワタシは背筋を伸ばしました。一気に場の雰囲気が重いものになるのが感じられます。

『以前ソルヴァと呼ばれる小惑星が地球に衝突し、現在のようになったことは知っていますね。私たちはそれだけで禍は終わったと思っていました。あとは老いることのない体とあなた方で永遠のときを安らかに生きるのだと。しかし、それは間違いでした。ソルヴァを発見した天文学者は区画からの脱出が頻発するようになってから、ふたたび衛星を用いて天体観測を始めました。すると、にわかには信じられない事実がわかったのです』

 ワタシは「まさか」と息を飲みます。

『ご想像のとおりです。ふたたび小惑星が地球に接近していたのでした。それも、今回のはソルヴァとは比較にならないほど巨大なものです』

 直径は平均十九キロメートル。時速数十万キロという速度で飛来してくるそれは、ひとつではなく無数に存在しました。天文学者によると、いくつか小惑星が断続的に地球に衝突すると。ソルヴァはその飛来してくる小惑星群のほんの些細な欠片に過ぎなかったのです。我々はその小惑星群を「Great will'」と名づけました』

 「Great will'」。すなわち、「偉大なる意志」、「大いなる遺言」、または「崇高な願い」。もしくは「くそ食らえな運命」。

 ワタシは考えられるさまざまな訳を頭の中で列挙しました。それらすべてを内包している名称なのだろうと思います。

『私たちはついに自暴自棄寸前のところまで追い詰められました。「もはやなにをしても平和も安寧も手に入らない。アンドロイドというレッテルすらもはや意味などなさない。もう一度人間として生まれようとする宗教の生まれ変わりを信じることも叶わない。なぜなら私たちが住まう地球がそのまま根こそぎ破壊し尽くされてしまうのだから」と。しかし、同時にこう思う人間もいました。「歴史は、時間は、事象は、繰り返してなどいなかった。ただ川のように、流れゆくままに流れていた。私たちはそれをまるで繰り返す永遠のように感じていた。いつか必ず終わりが来ることから目を逸らして、知らないふりをしていただけだった。それなのに、私たちの歴史がすべてある地球が終わるということが明確になるまで、それに気づかず愚かなことばかりして、限りあるすべてを無下にしていたのだ」と。それから行われたのは新天地の発見とさらなる〝世界を見せる〟ための区画の脱出です。幸いにも小惑星の衝突は四年後と時間があり、国連主導で私たちは計画を進めました。衝突の計算は現在のラドムが所有しているアルタグラの全天球管制と呼ばれる場所で行われていましたが、K区画付近を航行中に不意をつかれ、占拠されてしまいました。ですから、今現在K区画にいる人間やアンドロイドはすべてそのころの方たちです。そして、K区画から脱出する者は皆無でした。しかし、このままK区画からひとりも世界を見る者がいないままなのは、道徳上許されるべきではありませんでした。先ほど少し申し上げましたが、私はK区画から脱出する者を出すためにK区画に潜入し、アハカ、あなたに仕えることにしたのです。

 そして、小惑星の衝突は現時刻より三日と十八時間後──』

「え?」そこまで黙って聞いていたワタシでしたが、その言葉には反応せずにはいられません。「早く地球から脱出しなきゃ間に合わないよ!」

 そんなワタシの言葉にもスルシュは取り乱しません。

『ええ。ですから、明日の朝早くアハカたちには地球から脱出していただきます』

 ワタシはそれを聞いてさらに叫びました。「待ってよ。『アハカたちには』って、スルシュたちは?」

『私たちは地球に残ります』

「どうして?」

 ワタシは信じたくありません。スルシュともうずっとずっと会えなくなるなんてことは、絶対に。それでなくともワタシはスルシュのことが好きで好きで大好きで、これからもずっと一緒にいるのだという思いでいました。

 それなのに、それなのに別れなければならないなんてひどすぎます。

「いやだ! ワタシ、スルシュと離れたくない。せっかく、スルシュのこと……」

 ワタシはスルシュから絶対に離れない気持ちで抱きつきました。

『アハカ。よく聞いて、そして考えてください。私たちは休む間も寝る間も惜しんで話し合いました。このまま星の死と共にその歴史を終えるか。それとも、新しい命である「人間」だけを新天地に放ち、我々だけが地球に残るか。地球という惑星は私たちの歴史のすべてです。その終わりをこの星で遂げるのは私たちに残った人間的な本望なのです。私たちは長く生きすぎてしまいました。それに、新しい星にたどり着いても我々が生きるに必要な物質があるかわからない。それ以前に我々の脳が耐えられるかわからない。アンドロイドである私たちはもう、すでに死んでいるに等しい存在なのです。ソルヴァ衝突の際に他の生物と同様、消滅していたはずの存在だったのです。それがほんの少し延び、新しい命を生み、そしてあなた方に新しい歴史を与えることができた。それで十分なのです』

「そんなのわかんないよ。わかりたくないよ……」

 ワタシはスルシュの体をいっそう強く抱きしめます。もう二度と離したくありません。それなのに、スルシュはまるでワタシから離れることを信じているようになにもしてこないのです。

『アハカ。あなたは賢い子です。だから、本当は私が言っていることをすでに理解しているのではありませんか』

「ちがうよ、ちがう。だってワタシはもうスルシュから離れたくないと思ってるもん」

 スルシュの声は今までにないほど優しくて柔らかくて、それでいてすごく、包み込んでくれるのです。それこそ、スルシュのつらい過去なんてとうてい信じることができないほどに。

『アハカ。実は、私はもうひとつ隠し事をしているのです。それがなにか、わかりますか』

「わかんない。わかりたくない」

 ワタシはスルシュの体に抱きつきながら首を振ってさらにうずめます。

『よいのですか。それで』

「だって、またおかしなこと言うに決まってるもん」

 ワタシはそう言いつつも本当は聞きたかったのです。

『わかりました。では、これで隠し事はすべて話したということになります』

「待って。ワタシもひとつ隠し事あるの。話していい?」

『なんでしょう』

 ワタシはスルシュの体から顔を離します。そして、スルシュの顔を見ました。

 そして、その言葉を言いました。

「ワタシ、スルシュのことが好きです。愛してます」

 スルシュは一瞬固まってから言います。

『奇遇ですね。私も同じ隠し事をしていました』

 ワタシはなんだか胸と頬がとても温かくなって思わず微笑んでしまいました。

『私もアハカを愛しています。ですから、私のことをいつまでも忘れないでください。お願いします』

「うん……わかった」

 ワタシは今すべてを理解しました。理解しすべてを受け入れました。もちろんそれはスルシュたちを地球に置いてワタシたちだけが新天地へ旅立つこともです。


 それはとても悲しいことです。

 同時に、それこそが生命の営みだとも思います。

 出会いがあり、別れがあり、そうして繰り返してきた人間の歴史は決して永遠などではなかったのだと、ワタシは思います。

 生物としての人間という存在は、もはや宇宙のどこにもいないでしょう。いるとしたら、それはR少女だけだったのかもしれません。

 そして、ラドムの面々。彼らはきっと地球に残ることを決めたのだと思います。アストラが連絡をとったのはきっとそのためなのです。彼らがスルシュの話した事実を信じられずに地球に残ることを決めたのか、もしくは信じつつ残ることを決めたのか、それはもはやワタシにはわかりません。

 地球を離れた今、それはワタシの目に青く映っています。スルシュ。まるであなたの瞳の色のように。

 ワタシの瞳に地球が映る間、あなたはまだ生きているでしょう。けれど、すぐに消えてしまう。あなたたちもまた生き物にはちがいないのですから。

 新しい地にたどり着いたら、あなたに手紙を書きます。あなたに届くかはわかりませんが、きっと届くと信じて、手紙を書きたいと思います。

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