(35)
「はっ」
俺は意識を取り戻した。どうやら気を失っていたみたいである。周りを見渡してみると、デパートの外……入り口付近だった。外はすっかり暗くなっていて、飲食店や街灯の明かりが眩しいくらいだった。
「んん……」
「んぅ……」
俺の周りから声がする。見てみると星野さんと味沢さんが棒立ちしていて、それぞれ気を失った状態から戻ってきたような表情だった。
俺はそれを眺めつつ、今の状況を顧みる。……。……! そうだ、俺は……デパートに味沢さんとライブを見に来て、見終わって、それで……。
「秀介、もう大丈夫だよ」
耳の近くから明るい声がする。つられてそちらに目を向けると……タワーの奴が、にんまりと俺の方を見つめていた。
「悪しき神は退治した……もう元通りの世界なのだ。気を取り戻せ」
「!」
もう片方からも冷静な声がする。目を向けてみると……案の定、スカイツリーの奴が格好付けたポーズで直立していた。それを聞いて、俺は意識が覚醒する。そうだ、俺は階段の神に襲われて……その結果、こいつらと上手くやって打倒したんだ。そして俺はいつもの日常に戻って来た……そういうことか。
「ん……? 俺は何を……。ってそうか、帰るところだったんだ」
星野さんの方を見ると、どうやら現状の認識に至ったようだった。良かった、何ともない。俺は結果的に星野さんに攻撃を仕掛けた形になってしまったけれど……本人には外傷その他は見受けられない。どうやらタワー達は階段の神だけを滅したようだ。
「今日は、俺の歌うとこを見に来てくれてありがとう。本当に嬉しかったよ。とても――楽しかった。……それじゃあ」
星野さんは感謝の弁を俺と味沢さんに伝えながら、手を振る。その顔はすごく満ち足りているように見えた。その背中が、夜の街に去ろうとする――
「――あのっ!」
それを止めるように、味沢さんが叫んでいた。
「……なんだい?」
体を半分翻して、味沢さんを見据える星野さん。星野さんが止まったことを確認すると、味沢さんは口を開いた。
「似てます……か……?」
戸惑うような味沢さんの言葉に、俺と星野さんは目を丸くする。
「いえ、その……何て言うか、ですね。確かに港君が言うように、星野さんの声は、滝上竜一に似ていると思いました……」
味沢さんは自分の想いを何とか口に、言葉に変換しようと頭を試行錯誤させる。
「でもそれって、声だけですよね」
味沢さんは気付いたように、言葉を投げかける。
「確かに声は似ていても……二人とも歌うときのタメって言うんですかね、声の出し方は全然違いました。それに歌詞のほうだって、星野さんの作る歌はは生き生きとしていましたし……。滝上竜一って、その辺結構ドライなんですよね。もっとクールで、淡々としているし……それだけでも、二人は大きく違うなって、思いました。あと滝上竜一はマイクを持つ手の小指を立てるクセがあるんですけど、星野さんにはそういった特徴は無かったですし……。ギターの弾き方も、星野さんのほうが力を込めているっていうか、熱い印象を受けましたし、体でリズム取る仕草も微妙に違いました! あとはステージを眺める時間の間隔とかも……! と、とにかく……私が言いたいことはですね……」
味沢さんは一気に喋って乱れた息を整えると、自分の胸に手をかざして、言う。
「自分が誰かに似てるとか、そういうことなんて気にしないで……もっと伸び伸びと、音楽をやるのがいいと思うんです」
天使だとか、神だとか。そういうものをもっともっと超えたような……味沢さんの素敵な笑顔が、そこにはあった。
その姿に、俺と星野さん……それだけでなく、タワーや、スカイツリーも面食らっているように見えた。
……ああ、そうだった。
この笑顔だ。
俺がかつて、昼食を学校に持ってくるのを忘れて……味沢さんに昼食を貰ったその時も、彼女はこの笑顔をしていたんだった。
だから、俺は、味沢さんのことを……
「あ。す、すみません! 言いたい放題言ってしまって……もう音楽を止めてしまうっていうのに――」
「いや、平気だよ。……平気。……そっか、そっか。そこまで俺の歌を見てくれていたなんてね……。なんだか、今日は……すごく清々しい気分だ……」
焦る味沢さんをよそに、星野さんはいつにも増して満ち足りたような表情を見せる。取り憑かれていた何かが落ちたような、気持ちの良い笑顔だった。
「港君。今日は、本当に来てくれてありがとう。彼女とは、上手くやるんだぞ。……それじゃあ、またどこかで」
「あ……」
一瞬イタズラ小僧のような笑みを見せて、俺の肩を軽く叩く星野さん。
段々と街並みに飲まれていくその後ろ姿を、俺と味沢さんは見送った。
■
「さあ、たんっと食べて頂戴ねー!」
茶碗の中にこれでもかっ、というくらいの白飯が積まれている。母さんがかけ声と共にテーブルの上にその茶碗をどかっと置くと、タワーの目がさんさんと輝き出す。
「おー! 今日もたっぷり……秀介のお母さん、本当に太っ腹だよねー!」
「まったく、お前は本当に食い意地が張っているのだな……」
砂漠で水を得た旅人のように喜ぶタワーと、それを見てやれやれと肩をすくめるスカイツリー。トゲのあるような言葉だったが、スカイツリーの表情にもなんとなくだが……愛が感じられる気がする。
「成長期の体には白米は重要なんだよ!」
「いや、神の体に成長期も何もあるわけがないのだ……」
茶碗を前にして豪語するタワーに、スカイツリーは冷静なツッコミを入れる。
……今、うちは朝の食卓を迎えている。俺はこれから学校に行くところで、俺達三人は出かける前の朝飯をかっくらっているところだった。
一騒動を終え、俺達はまた安息の日常を取り戻した。俺が意図せず、生み出してしまったという邪神……デパートの階段の神は完全に消滅してしまったようで、あれからは無論俺達の前に姿を現すということはなかった。それから俺は、父さんに脅迫せんばかりの勢いで、自身の能力のことについて聞いた。それはもう、教えないと親子の縁を切ると言わんばかりの勢いで、だ。……父さんが言うには、俺の能力はいずれ、自然消滅を見せるらしい。神を具現化させるなんていう、ふざけた能力は次第に弱まっていき、最後には一般人と変わらない様になっていく……のだそうだが、そうなるまでは今後も意図せぬ神を呼び起こしてしまう可能性がいくらでも考えられる。しかし、その時はお前の周りに居る守り神達を頼るがいい――――とのことだった。
「…………」
俺は目前の神達を見やる。
タワーとスカイツリーはというと、あれからは何だか仲が良くなったような雰囲気を感じる。前のいがみ合った感じからすると、大きな進歩だ。お互いに歩み寄るというか……譲歩しているというか……そんな空気を感じる。いい傾向だ。もしかしたらあの一件以来――お互いのことを、尊重しあっているのかも知れない。たとえ似たような、同じような存在であったとしても……それぞれの物はまるで違う。この世に同じ物なんて、何一つ存在はしないのだ。それが一体、なんであろうとも。
俺はそんな視界の隅で見やりながら、テレビのリモコンを操作してチャンネルを変える。
「さて、今回の調査は……これです!」
番組の内容に目を向けると、一人の美人アナウンサーが手に持ったボードをくるりとひっくり返して、視聴者に見せつけているところだった。
「『東京タワーと東京スカイツリー、どっちが人気があるか!』です! これは気になりますね!」
アナウンサーはにやにやと嬉しそうにしながら、都会の街の中へと駆けていった。その光景にタワーの奴とスカイツリーの奴は目を奪われ、画面を食い入るように見つめる。
「おおっと、東京スカイツリーに票が入りました! やはり皆さん、新しい物好きでしょうか!?」
アナウンサーはボードを見せつけてくる。そのボードは右と左で東京タワー、東京スカイツリーの枠にそれぞれ別れており、街の人達に東京タワーと東京スカイツリーのどちらが好きかを聞いては、その答えをボードに丸いシールで貼り付けているようだった。
「さて、結果は……!」
アナウンサーがしばらくの間、街角を巡り終えると……隠したボードの結果を、くるりと反転させて発表を行った。
タワーとスカイツリーはごくりと、喉を鳴らす。
「東京タワーが五十三! 対して東京スカイツリーは……四十七! おおっと、若干ですが、東京タワーの方が多いです!?」
「やったああああああああああ!」
アナウンサーの嬉々とした声に反応するかのように、席を立ち上がってガッツポーズをするタワーであった。
「えー、今回は聞いて回った人の中に年配の方が多かった印象です! やはり年配の方々にとっては、東京タワーが人気なのかも知れません! 東京スカイツリーも若者の多くから支持を集めていますよ! というわけでこの勝負、東京タワーの勝ち。東京タワーの勝ちです!」
アナウンサーが結果をぶんぶんと振りながら見せつけると、画面が引いてスタジオの光景へと切り替わった。
タワーの奴はご満悦みたいで、小躍りしながら時折スカイツリーの前でピースをかます。対するスカイツリーは、なんだかわなわなと肩を震わせていて……。
「――やっぱり、こいつとは仲良く出来ないのだ!」
「えええええええっ!?」
眉をつり上げて叫ぶスカイツリー。俺は嘘だろおいと言わんばかりの叫び声を上げてしまった。
「いやー、やっぱりなんだかんだで電波塔はタワーが一番だったってことだね、うんうん。ま、スカイツリーもそこそこ人気だったみたいだし、これから頑張れば良いと思うようん」
「たったの数票の違いだったのだ! 統計的に見たらわからないのだ! 今のは無効試合なのだ!」
「なあっ!? 何言ってるの! 往生際が悪いよ! 男に二言は無いんだよ!」
「私達は女形だろうがあああああぁぁぁ!」
結局、なんかすげーつまんないところから、両者神の均衡は崩壊を見せた。
俺はその姿に、呆れた表情を隠せないのだった。
今日も我が家では東京タワーの神様と、東京スカイツリーの神様が、ケンカをしている……。