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 星野さんのライブ当日は、実に楽しみでたまらなかった。星野さんの歌が聴けるのも楽しみだが、何より味沢さんと一対一なのである。それがどれだけ嬉しかったかというと、前日の夜にテンションが上がりすぎて眠気が完全に吹っ飛んでしまったくらいだ。おかげでいつもに比べてやや睡眠時間が少なくなってしまったものの、その程度で元気を無くす俺ではなかった。むしろ、少し減った睡眠時間によってハイな状態になったというほうが正しい……ような気がする。


「星野さんの歌、楽しみだね。早く間近で聴いてみたいなぁ」


 俺の隣には私服姿の味沢さんがいる。赤く染まった夕日の中、一緒に目的のデパートまでの道を歩いている最中だ。

 味沢さんも俺も、期待を胸に込めていた。滝上竜一そっくりの歌声を持つ、星野守さんの歌を。

 俺は一度聴いたことがあるからまだしも、味沢さんにとっては初見。どんな印象を受けるのか楽しみでもある。


 デパートまで辿り着いた俺達は店内に入ると上の階までエスカレーターを利用して昇っていった。目的の階の一角には大広間の会場が設置してあり、大勢のお客さん達が詰め寄せていた。みんなこのライブを楽しみにしているのだろう。


「けっこう人が居るね」

「そうだね。想像していたより多いな……」


 味沢さんと辺りを見回す。会場の席は自由に座れることになっていたので適当な場所を探して二人で腰を下ろした。パンフレットの中身を覗くと、星野さんの番は三番手……わりと始めの方で登場するようだ。

 始まるまでは二人で飲み物やおやつに手を付ける。これも事前にゲットしてきたものだ。

 味沢さんと他愛ない雑談をしながら、楽しい時間を過ごしていると……会場の灯りが暗くなり、ホールのステージに用意された楽器の数々とバンドマン達がカーテンの向こう側から登場する。

 同時にお客さん達も歓声に沸いた。その歓声の中、バンドマン達は曲の演奏を開始する。ドラムのシンバル音を皮切りに、ギター勢が音を奏で、その後ボーカルも合わせてくる――音楽の芸術的な開幕であった。

 俺も味沢さんも目の前の光景に目が釘付けになる。そして耳もだ。バンドマン達が作り出す世界に没頭しているというのが正しい表現だろう。


「すごいね。星野さん以外の人達も見応えがありそう!」

「だね。ボーカルの人の歌も上手いなぁ……」


 味沢さんと俺の率直な感想だった。やはりこういうライブイベントに参加するからか否か、レベルが高いように思う。小気味よい音楽は聴いていて気持ちが良い。本当に良い音楽というのは心にも音色が響き渡るのだろう。


「皆さん、盛り上がってますかっ!」


 曲を演奏し終えたボーカルが、観客達に投げかけるように声を上げる。それに対し観客勢は大声で返したり、口笛を鳴らしている。ライブイベントでの盛り上げ方の一つだ。「今日は楽しんじゃってください」とのボーカルの言葉に、観客達のテンションもマックスとなる。そういうアゲアゲな空気に触れているとこっちも元気になってくるから不思議だ。

 俺達がライブを堪能していると……ついに彼が出て来た。星野守さんである。

 星野さんはギターを片手に登場すると、スタンドに立てられたマイクを握りしめて語り出す。


「ええ……皆さん。本日はお集まり頂きまして、誠にありがとうございます」


 星野さんは始めに謝礼の言葉を述べた。


「皆様の貴重なお時間を割いて頂き、この場にて歌うことが出来ることを実に光栄に思います――」


 星野さんは深々と御辞儀をする。体を起こし、手に持つギターをするりと上に掲げる。


「それでは聴いてください。『begin to run』」


 星野さんの右手がギターの弦に触れられる。と同時にギターから小気味よい音色が周囲に響き渡った。


「走り出した気持ちのような――」


 星野さんの美しい歌声を聞き始めた瞬間、俺は心の中がドクッとする。あの声だ。滝上竜一そっくりの……あの声。

 思わず聴き惚れてしまう。それは周りの人達も同じだったようで、辺りを見回してみると皆それぞれが一様に彼の歌に没頭している。引き込まれる、という表現が正しいのだろう。現に星野さんは、この場の空気を変えた。彼の歌声……というよりも、存在そのものがこの場の見えない何か大事な物を持って行ったというべきか。支配している、といってもいいくらいだと思える。

 俺はそっと、味沢さんのほうにも目を向ける。味沢さんは目の前の光景に驚いたのか、目を見開いている。驚きがそのまま顔に表れたかのようだった。そんな表情を見て、俺自信もなんとなく得意げになってしまうのだった。


 星野さんは続けて曲をいくつか披露していった。曲が終わる度に観客からは拍手が巻き起こる。俺や味沢さんも同じように手を叩いていた。


「どう? ヤバイくらいに似てるでしょ?」

「う、うん……」

「?」


 俺は半ば感動しながら味沢さんに語りかける。が、当の味沢さんはなんだか少し引いているような表情であった。……? どうしたんだろう。

 それからも星野さんは曲を歌い続けると、最後の曲を披露し終えて舞台裏へと下がっていき、また新しいグループが舞台へとやってくるのだった。

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