(29)
「奇跡は起きるから~♪」
細井さんの美声が暗く、狭めな部屋の中に響く。
……一体何事かというと、今日はこの前ボウリングに出かけた面子で学校帰りの遊びとしてカラオケへとやってきていたのだった。
「あー、気持ちよかった。次はー?」
「俺だ。マイクマイクっと……」
一曲歌い終えて満足げな細井さんはカラオケの画面から目を外すと、問い掛ける。
豪が机の上にあるマイクを握りしめた。
「こんな夜遅くに、電話したくなったのは――」
しっとりとしたメロディと共に歌い出す豪。豪は何でもやりこなすというイメージがあるが、カラオケまでお手の物であった。実に上手い。男だということを忘れさせるような、透き通るクリスタルボイス。
「港君、港君」
「?」
「その……協力してくれないかな?」
そんな中、隣に座っていた味沢さんがこそこそと話しかけてくる。味沢さんの手には選曲用の操作機が握られていて、それに表示された曲名を指し示していた。
have victory in one's grasp
この曲は……。
「滝上竜一の! もしかして、一緒に歌おうってこと?」
「うん! 私だけだと声が出ないと思うから、港君も歌わないかな?」
「……喜んで」
俺の答えを聞いて味沢さんはすごく嬉しそうに送信ボタンを押す。モニターには曲の注文が入ったことが表示される。
俺も嬉しい。味沢さんと一緒に歌えるのは勿論だけど……俺も、この曲は実に好きなのである。
順番が回ってくると俺はマイクを握りしめた。味沢さんも同様にもう一つのマイクを手に掲げ、二人で出だしを歌いだす。
「悲劇に、目を向けてばかりで――」
俺の低めな声と味沢さんのソプラノボイスが混ざり合い、ほどよい調子の混声が生まれる。その歌声に他三人は聴き惚れているように耳を傾けていた。自分の好きな歌を、好きな子と一緒に熱唱する――実に気分が良い。最高だった。ちょっと前まではこんなイベントは考えられなかったのに……みんなのおかげだ。もしかして、アイツの耳打ち作戦も少しは効果があったのだろうか。……いや、無いか。
「こんなはずじゃないって、足掻き続ける」
味沢さんもさすがは滝上竜一ファンなだけあって、歌い方もばっちりだった。メロディの調子とか、強く歌う部分だとか、しっかりしている。俺も思わず歌声に力が入ってしまう。楽しい、実に楽しい。
■
「今日も楽しかったね!」
この前のように味沢さんと二人での帰り道。ふいに味沢さんが呟く。
「うん、楽しかった……二人して滝上竜一ばっか歌ってたなぁ」
「途中から気分が乗ってきたもんね。港君の歌も上手かったし、私も止まらなくなっちゃった。前から歌ってみたかったんだよね」
頬を掻きながら照れ笑いする味沢さん。なかなか、女子の集まりとかだと男物の歌を歌う機会って無さそうだしなぁ。
「あ、あの。味沢さん」
「?」
俺は話題を変えるように切り出すと、鞄の中から一枚の封筒を取り出す。その封筒を開けて、二枚の長方形の紙を見せつける。
「これは……何かな?」
「実は――」
俺が取り出したのはこの前、星野守さんがくれたチケットだ。俺はかいつまんで星野守さんのことを話す。すると味沢さんは目を丸くして驚きと好奇心に満ちた表情になる。
「何それ!? 面白そうだね! 滝上竜一によく似た声だなんて、すっごく気になるよ」
「じゃあ、もしかして?」
「うん、いいよ。二人で行こう」
味沢さんは天女のような笑みで頷く。俺としても内心、実に頬が緩まざるを得ない……。味沢さんと、二人きりで見に行けるということが最高に嬉しい。
俺は嬉々として待ち合わせの約束をするのだった。