(28)
「ラッシャイマセー!」
がらがらと音を鳴らしながらラーメン屋の戸を横にずらすと、むわっとしたラーメン屋の湿気と店員達の野太い声の挨拶が聞こえてくる。入り口には食券の販売機が設置しており、俺はおもむろに財布から千円札を取り出して投入。定番のおすすめであるっぽい味玉麺のボタンを押した。食券を店員さんの一人に渡しつつ、通されるままに店内奥寄りのカウンター席に座ることになる。
(~♪)
気分は上々である。
どんなラーメンが飛び出すかが楽しみであった。
内装の様子に目をこらす、スチールの器具だらけの調理場……麺の油のせいか若干テカテカになってきている床……
「あ」
そんな風に見ていたときである。隣に座っている人を見て、思わず声が漏れてしまった。
「ん?」
俺の声に反応して、その人物はこっちを向く。目が合ってしまった。
スカイツリーの好みそうな、ワイルドな顔立ち。茶の短髪。ラフだけどばっちりと決まった服装。
「……星野、さん?」
俺はおそるおそる問い掛ける。そう、俺の右隣に座っていたのはこの前路上で歌っているところに出くわした、星野守さんであった。
「そういう君は、もしかしてこの前……女の子二人と一緒だった?」
「あ、覚えてます?」
「うん、印象的だったからね」
気さくに笑う星野さん。覚えられているとは、意外だった。いやまぁ、金髪の外国人みたいな奴とサングラス掛けた女と一緒に話しかけたのだから、そりゃ覚えているか……
「ここにはよく来られるんですか?」
「いや、ちょっと目について寄ってみただけだよ」
「……僕も同じです」
まさかの同じ理由での遭遇であった。星野さんの指さす方を見ると、店の壁にアコースティックギターの入れ物が立て掛けてあった。これまた路上ライブの帰りだったらしい。
「この前は……すみません。なんていうか、失礼なことをあいつが……」
「ん? 何か言ったっけ?」
「あ、その。滝上竜一に似てるとか言って」
俺は前回のことを謝罪する。タワーの奴が口走った、あれだ。あの時の星野さんはすごく不快だったような気がするからだ。
「その……なんとなくですけど。誰々に声が似てるって、あんまり良い表現じゃ無いですよね? 本人の否定というか、オリジナリティがないって言ってるみたいだし……そもそも歌声にオリジナリティとかあるのかって話ですけど」
「……君は、そう思ったのかい?」
「え?」
「俺の声、滝上竜一に似ていると?」
「あ……」
言葉に詰まる。正直、思っていた。あの歌声が聞こえた瞬間、俺はまさか本人が歌っているのではなんて、思った。実に淡い希望だったけれど。それくらい、俺は騙された。
「――正直、思いました。本人かなって。でも、違いましたね。実際は星野さんの声だったわけで」
「まあ、ぶっちゃけるとそういうことは普段からよく言われるんだ。滝上竜一に似てますね……ってね。数年前まではそんなこと言われなかったんだけどな」
カッカと笑う星野さん。
「そう……あいつが人気になってからだ……そんなことを言われるようになったのは」
思い出すように星野さんの表情が曇る。晴天だった空が、次第に暗雲に包まれていくようだった。
「俺もね、夢を見ていた。でっかいステージの中で、大勢のファンの前で……自分の歌を好きなように歌う。一流のアーティストって奴をね」
「……はい」
「売り込みとかよくやったもんだよ。どっか俺を雇ってくれるようなところをね。結構いいところまではいったりしたんだ。なかなか高評価を出してくれる人も中にはいるもんでね。次から次へと挑戦したもんだった……その時、俺の情熱はピークだったと思う」
夢の内容を思い出すように、星野さんは天井を仰いだ。
「だが……俺の情熱をかき消す一言があった」
虚ろのような、憎しみを込めたような瞳で、星野さんは言う。
「『君の声は滝上竜一みたいだね』って、言われるようになったのさ」
「え」
「似てるんだとさ。俺よりも先にプロデビューしやがった若造に、だ。だからあなたの声は必要有りません、だと。酷い話だろ? とんだとばっちりだ」
「そんな……」
「音楽の世界に同じ声は二人も要らないんだ。それからは実に面白かったね。似てるってだけで門前払いの日々だった。似てるという印象が先行してまともに取り合っちゃくれない……そんな印象が強かったね。風評被害ってやつかな?」
星野さんは自嘲の笑いを浮かべた。俺はというと、その話を聞くだけで心が痛かった。星野さんの気持ちが突き付けられるような、そういう話しぶりだったから。何故、そこまで星野さんは追いやられているのだろう。星野さん自体は別に、何も悪いことをしていない。それなのに、先にデビューしてしまった人間が彼と似ているせいで……ここまで言われてしまうのかと、思わざるを得なかった。
「そうこうしてる内に、段々と音楽を嫌いになりそうになっちゃってね。今はこんな感じで、適当に路上を彷徨いているのさ」
嫌な話を切り上げるように、星野さんは俺を見据える。大人が見せる真っ直ぐな瞳だった。
「君に……夢はあるかい?」
「夢……ですか」
「うん。なんだっていい」
「夢――これといって、大それた夢なんてないです。星野さんみたく、すごい高みを目指してやっていることなんてないですし……でも……」
「でも?」
不思議そうに首を揺する星野さん。
「もう少しだけソフトボール……いや、野球かな。を、やっていたかったです」
「と、いうと?」
「俺、小学校の時から中学の終わりまで、野球をやってたんです」
俺は頭の中を掃除するように、昔のことを振り返る。
「俺にとって野球はすごく楽しくて……大切で。時には時間を忘れて素振りをしたり、日が沈むまで友達とキャッチボールしたり……すごく好きでした」
「……」
「でも、中学最後の試合で……ミスを侵したんです」
「ミス?」
「はい。俺のポジションに打球が飛んできて、いつも通り投げていればアウトに出来ていたんです。でも、その時の俺は大暴投をやらかして……とんでもない方向に投げてしまったんです。そのせいで、勝てそうだったうちのチームは負けて……」
「……そうか」
あの時は、ショックでいっぱいだった。自分のせい、そういった自責の念が頭の中を渦巻いて、汚水に満ちたような想いが駆け巡った。そこまで親しいわけでも無い星野さん相手に、ここまで話しているのは……何故だろう。星野さんが、そういうことを親身に受け取ってくれる相手なんだろうと、瞬時に心で感じ取ったからなのかもしれない。
「高校は、野球部が無くてソフトボール部に入ったんです。……ですが、酷いものでした」
「酷い?」
「球が、まともに投げられないんです。今までやってたのと同じフォームで投げると、とんでもないとこにボールが行っちゃうっていう」
「な……」
あれは酷いものだった。まず、まともにキャッチボールが出来ない。しっかりと相手を狙って投げているのに、ボールは思った場所に飛び込んでくれず、別の方にいってしまうのだ。時には地面に突き刺さるような球を投げてしまったりする。
「そんな酷い感じでやってたんですけど……俺はレギュラーに選ばれなかったんです。最後の一枠を争う感じだったんですけど……その争う相手が、高校に入ってから球技を始めたって奴だったんですよ」
「それは……辛いな」
「結果、そいつがレギュラー入りして……俺は落ちました。そこから、気持ちがしぼむのは割と早かったですね。もういいやってなっちゃって。その勢いのまま、部活を去ることにしました」
燃える憎悪、急速に冷え込む熱意。大げさかも知れないが、俺の心情はそういったものだった。自分の信じていた物が崩れ去るという瞬間は、想像を超える悲しみだ。あの時、俺の心は間違いなく、一度死んだのである。
「すみません、なんか暗い話で……」
「いや、実に良い話を聞かせて貰ったよ」
恐縮する俺と裏腹に、感心するように目を閉じる星野さんだった。
「僕らは……似たもの同士かも知れないね」
「え?」
「いや、なんでもない」
納得したように星野さんは笑みを送る。そんな星野さんの元には注文したラーメンがどんと置かれた。
「御馳走する……と言いたいとこだが、あいにくと俺もあまり裕福じゃないんだ」
「いえいえ、そんな平気ですよ。悪いですし」
「はは、すまないね。代わりにだけど、これをプレゼントするよ」
申し訳なさそうな表情をしながら……この前の豪みたいに、自分の鞄からチケットのようなものを取り出す星野さん。
「これは……」
俺は内容を見てみる。どうやら、これは……星野さんが参加するイベント?
「今度デパートの上の階でやる、いくつかのグループが順々に歌うイベントでね。俺も参加するんだ。良かったらガールフレンドでも連れて見に来てくれよ」
「え、いいんですか!?」
よく見ると頂いたチケットは二枚あった。俺は目を見開きつつ、驚きを隠せないまま星野さんに問い返していた。