(13)
俺の財布を握りしめた男は明らかにスピードを緩めようとしない。慌てているようにも見える大きな挙動のダッシュは完全に俺から逃げようとするものだった。
半ば混乱しつつも、何が起こったのかはっきりと理解している俺は振り切られないよう全力で追走する。
しかし、ライブが終わった後の路地。これが俺の走りを大きく邪魔している。
人が多すぎる。人と人の間隔が一メートルも空いていないような人ごみだ。右の人が邪魔、左の人が邪魔。前の人が邪魔という状況だ。おかげで俺は普段のように全力疾走することが出来ずにいた。
「くっそっ!」
その点、男はバカみたいに軽快に走り抜けていく。
恐らくこれが初めての犯行ではないのだろうと思えるくらい、人ごみ内での走りに長けている。あいつはきっと、常連だ。このライブ後の緩んだ空気に乗じて犯行を起こす、卑劣な奴なのだろう。
黒一色の姿が刻一刻と遠ざかっていく。多分、黒という服装も紛れやすいという意味で着ているのだろう。
「秀介! 手出して!」
突如、俺の隣から大きな声が響いた。振り向いてみると、タワーが握れとでも言うように俺の方へと掌を突きだしていた。
頭の中に、一筋の光明が差す。
守り神。
そういえば、お前はそんな大義名分を背負った奴だったな――そう思った俺は、気づくとタワーの方へと手を突き出していた。
俺とタワーの掌が重なり、握手をするような形になる。その途端、タワーの体は大勢の蛍が飛び去るかのように雲散霧消した。
かと思うと、その黄金色の光達は俺の足元へと一直線に飛来する。くるぶしからつま先の方までを包むように光が集まる。そしてその光が一際強い輝きを放ったかと思うと――俺は黄金の靴を履いていた。
何の変哲も無いような、スニーカー。しかし、全てが黄金色で出来ていた。闇夜の中でも淡い光を放ち続けるその靴は尋常じゃないオーラを纏っているように見えた。
「な、なんだ!?」
(さぁ、走れっ。秀介!)
「お、おう」
まるで俺の脳内に響かせるように喋っているタワー、もとい……現状、靴。言われるがままに俺は足を踏み出す。
「……!?」
そして、その感覚に驚く。軽い、ものすごく、軽い。
まるで足が羽を生やしたような感覚だった。一歩一歩の歩みが自分の物と思えないくらいに快適だ。まさに水を得た魚の陸バージョン。
その勢いの良さに俺は前の人にぶつかりそうになる……が、ぶつからない。俺は人に当たりそうな直前で、超鋭角に曲がることが出来たためだ。普通だったら絶対に出来ないような真横への切り返し。
まるで直角にくいくいと進むように、人を避けながら走ることが出来ていた。
(な、なんだこれ。すげぇ!)
人と人の間へ神速の走り込み。そのすり抜けるようなダッシュっぷりに自分の事ながら思わず感動してしまった。
おかげで離されていた財布泥棒との距離はみるみるうちに縮まっていく。この調子なら……追いつける。
「秀介、次は私なのだ!」
軽快な走りを見せる俺に、スカイツリーの声が飛んできた。
見るとスカイツリーもいつの間にか俺の傍を走っており、片腕を突き出している。
俺は先ほどと同じようにその小さな手へと手を伸ばし、お互いに接触――すると、今度はスカイツリーが弾けるように黒い無数の球体に変化する。その球体は俺の手の中へ収まっていくように収束し、一つの物体へと変化を始めた。
たくさんの球体が一瞬にしてくみ上げた物体――
(――銃!?)
俺の手の中に収まっていたのは銃だった。
黒光りしそうなほどにツヤツヤの、真っ黒な銃だった。俺は銃に詳しくは無いが、これは恐らくハンドガンと呼ばれるタイプの銃だった。
最小限の搭載機能で作られているような小型拳銃。握ってみると手にしっかりとフィットする。
「こ、これで撃てってのか!?」
(大丈夫、死にはしないのだ!)」
心配する俺を宥めようとするスカイツリー。
ぱっと見、どうみても撃ち抜いたら人の命を奪えそうな物体だ。
しかし、スカイツリーの奴がそう言うなら、平気なのだろう。とにかく、その言葉を信じるしかなかった。
俺は前を見据える。未だ逃走を続ける犯人の背中が前に存在している。このまま放っておいたらあいつは逃げ切って、また同じようなことをするだろう。
躊躇う余地は無かった。走り続けながらスカイツリー……こと、黒拳銃を前へと突き付ける。普通に考えたら当たりそうも無い気がするのだが、この銃は不思議と上手く扱える気がしてならなかった。
突き付けた拳銃をより一層強く握りしめ、俺は引き金を勢いよく引いた。