(11)
「いやー、わくわくするねぇ」
俺の隣をてくてくと歩くタワー。その声は実に嬉しそうである。
今俺達が歩いているのは都会の真ん中だ。周りには上空高くまでそびえ立つ無機質なビルが羅列されていて、地面のタイルは等間隔の配置を置きつつも薄汚れている。周囲を歩いている人の数は数えられないくらいに多い。一体、この中の何人が滝上竜一目当てなのだろうか。
今日は滝上竜一ソロライブの当日。生の滝上竜一に出会える日だ。俺達三人は会場までの道のりをひたすら歩いている途中だった。
「今朝は気合いを入れて、三杯もご飯をおかわりしちゃったよ」
「平常運転じゃないか」
「いや、いつもだったら二杯半に抑えてるね」
してやったりという顔で、タワーは満足げである。
「食い過ぎだろ。太るぞ」
「はっは、神様に太るなどという言葉は無縁なのだっ」
言われて眺めてみる。確かに、出会った当初からのグラマラスなボディはまるで変化をしていないように見える。腰のくびれ、細い足、大きな胸……世の女性がうらやむような体型である。瞳の色がグリーンであるということも相まって、どちらかというと海外の人間っぽい雰囲気だ。スカイツリーには可哀想だが、見た目はタワーの方がワイルドである。
「ご飯も喉を通らないという言葉は、こいつの中には無いようなのだ」
タワーに視線を送り、やれやれと嘆息するスカイツリー。
「スカイツリーこそ、昨日はすげー嬉しそうな顔だったじゃんか」
「それは当たり前なのだ。滝上竜一を実際にこの目で見られるのだから、これを一大イベントと言わずしてなんと言うのだ」
スカイツリーに問い掛けてみると、意外にも彼女は肯定をした。
滝上竜一の影響力は神様にまで充分渡っている。凄い男だ。
「そういう秀介こそ、昨日はニヤニヤしっぱなしだったのだ」
「あ、わかっちゃった?」
どうやら俺の感情はもろに態度に出ていたようだった。
そりゃもう、昨日といったら嬉しすぎてたまらなかった。子供の頃、サンタさんのプレゼントを待っていた時の三割増しくらいの嬉しさ……いや、きっとそれ以上。
とにかく嬉しさ一杯で、明日が早く来ないかと何度も願ったように思う。
「全く、二人ともはしゃぎすぎだよー。もっと肩の力抜いた方が良いんじゃないのぉ?」
「お前に言われたくないわ!(のだ!)」
呆れるように目を細めながら言うタワーに、俺とスカイツリーはびしりとツッコミを炸裂させる。
そう、結局の所、三人とも舞い上がっていたのである。
■
それからというもの。
超満員の会場を死に物狂いで駆け巡った。
コンサート会場へと入っていくためには、人ごみの中をかき分けつつ前へと進み、長蛇の列の最後尾へと並ぶ必要があった。遠い遠い、チケット受け渡しの場所まで並び続け、会場内へと突入するとまたもや人だらけの廊下を歩いて行かなくてはいけない。人、人、人。見渡す限り人だらけというこの光景はかなり異様だ。
タワーとスカイツリーは『周りの人に姿が見えない』+『人にぶつからない』という荒技をのけたため、なんとも快適そうに人ごみを突破していた。若干神様の能力が羨ましい。
チケットに表記された番号を頼りに、指定の席へと向かう。足取りは緊張しつつも、軽い。これから先の出来事が楽しみすぎてドキドキしているためだった。
「いよいよだねぇ」
嬉しさにまみれた声を発したのはタワーだ。
俺達は自分の席へと辿り着くと一息をつく。自席の周りは暗闇の空間であった。何十メートルも先には白色の舞台が用意されている。これから滝上竜一があの場所に現れるのかと思うと、不思議な気分だった。普段ならば画面越しにしか出会うことの出来ない存在に、実際に会うことができるという事に深く感動してしまう。
「やばい、心臓が止まりそうだ」
「私も……さっきから体の震えが止まらないのだ」
「同じくっ。頭がどうにかなりそうだよぅ」
俺と同じようにタワーとツリーも特別な緊張感に包まれているようだった。
言葉とは裏腹に、二人とも楽しみで仕方が無いという顔をしているのだが。
落ち着こうと思う度に、俺の心は余計に踊り出す。このような状況で落ち着けというのがどだい無理な話だ。恐らく周りの人々も同じ心境なのだろう。この日を待ち望んでいた人だらけに違いない。このような機会は一年にそう何度も味わえる物じゃない。皆がこの一時を待ち望んでいたのだ。
ライブ開始の時間が、始まりを告げようとしていた。
ステージ中央の上部――会場内の人々が見渡せる位置に、大きなモニタースクリーンが存在している。
そのモニターが点灯すると同時に、会場内の人間の視線は一斉にその一点へと向けられた。画面には赤や黄、青の光が入り交じった色鮮やかな美しい映像が流れ始める。これはライブの始まりを告げる映像だ。幻想的な雰囲気を放つ映像がひとときの間流れ続ける。
やがて映像が終わりを告げたかと思うと、黒の背景に白文字で、でかでかと文面が表示された。
『自由とは何か』
映画で用いられそうな壮大な効果音と共に、
『幸せとは何か』
インパクトが詰め込まれた文章が目の前に映し出されていく。
『その実態が掴めなくとも、今ここに、確かに自由と幸せは存在する――』
会場の人々は息をのみ、静まりかえる。
『滝上竜一 on the stage』
その文字が、スクリーンに表示された途端――悲鳴にも似た、観客の声が響きをあげた。黄色い歓声が耳を覆い尽くすように飛び交ってくる。ここまで我慢していた人達がその我慢を解き放ったかのようだった。
勿論、俺だって例外では無い。周りの人々と同じように歓喜の声をあげた。遂に、彼が登場するのだ。
滝上竜一。二十八歳という若い身でありながら、このようにソロのライブを行って会場を満員にしてしまう程のカリスマ性を持った男。
その透き通るような美声と、声に似合った純朴な顔立ち。若干長めの前髪は顔を半分隠す形になっているが、その辺がまたアーティストっぽくて俺は好きだ。
独創的な歌詞と作曲能力。天は二物を与えたと言っても過言では無い。
そんな、俺にとって夢のような存在の彼が、姿をこの場に現した。
ステージの上に突如照らされた光の中には、正真正銘、本物の滝上竜一がいた。
合わせて、会場が揺れ動いたのではないかという位の衝撃に襲われる。この衝撃の原因はファン達の大声とジャンプによるものだ。今までの比ではないくらいに凄まじい歓声が辺りを包む。
滝上竜一の登場に合わせ、いつの間にか彼の周囲に揃っていた楽器を持つ人々が音を奏で始める。このメロディには聞き覚えがある。俺も普段からよく聞いている曲であったからだ。
《何度も、思い浮かべた。君の笑顔を》
ギターを携え、マイクへと口を構えた滝上竜一が、始まりの歌詞を歌い始める。爽やかでありながら、もの悲しい……彼の持つ名曲の一つ。マイク通りの良い声は圧倒的な歌唱力を持って俺の耳に降り注ぐ。そのすごさと言ったら、表現のしようが難しい。家でのDVDやCDで彼の声を聞くのとはまた違う、生の声。その一節一節が耳から入って、胸の中で染み渡る感覚は天にも昇るような心地だった。まさに耳が幸せという感覚。
その声は既に会場内の人間を虜にしているようだった。盛り上がりつつも、皆が耳の神経を全身全霊で滝上竜一の元へと向けているのがわかる。
神聖な空気だ。この空間が、滝上竜一のためにあるような錯覚を起こしてしまう。
実際に、この場所で彼は神様のようだった。彼が存在していることで、このライブ会場という世界は保たれている。これは、一種の神様だ。世界の創造。集う観客は滝上竜一という神様を信仰して生きる、世界の住民だ。
俺、タワー、スカイツリーは三人揃って彼の世界に飛び込んでいた。話し声なんて通らないくらいの歓声に包まれながら、滝上竜一は熱唱し続けた。