(10)
濃厚であるか、あっさりであるか。それは大きな問題だ。
強い味覚を欲する人であるならば、ダイレクトに舌へと訴えかけてくるような濃厚なタイプを好むだろう。
それとは逆に薄味を好む人もいる。わずかな風味を楽しむのが好きだというあっさり派もこの世には多い。
「秀介は、どっち派だ?」
そう言いながら、彼――御厨豪は店内の机に置かれていたメニュー表を指さしていた。その部分には濃いめ、普通、薄めの三種の項目が書かれている。
俺は今、ラーメン屋に来ている。豪と二人で。
いつものように学校が終わった後、家で団らんの時を過ごしていると、急に豪から『美味いと評判のラーメンを食べに行こう』との誘いが。勿論俺は断るはずも無く、ホイホイと彼の提案に乗った。
「俺は……どっちかなぁ。あんまりラーメンを食べに行ったことないからどっちが良いかわからないな。豪は?」
「俺は普通かな。スタンダード派」
「じゃあ俺も普通にしようかな」
俺と豪が座っているのはカウンター席だ。目の前には調理場が広がっていて、麺を打つ人間にスープを作る人間、野菜を切る人間が大忙しで手を動かしている。周りにいくつか点在するテーブル席にも人が多く入っていて、注文を取る店員さんが目まぐるしく動いている。なかなか繁盛しているようだ。
店内の雰囲気は古き良き昭和の時代を連想させるような作りになっていて、昔から長く続いている店なのだというのがぼんやりと伝わってくる。
「そもそも食べに来るのが初めてだから濃くしたいか薄くしたいかも判断できないしさ」
「ははっ。それは確かに言えてるな」
俺の一言に豪は爽やかフェイスで微笑みかける。
常連さんなのならば味の濃さだけでなく、麺の堅さや油の量など、お好みのタイプがあるのかも知れないけれども俺のような新参者は勝手がわからないため普通を選ぶに限る。ちなみに連れてきてくれた豪自身もこの店は初めて来るそうだ。なんでも美味いという話を風の噂で聞いたそうな。
俺も豪もこの店で一番人気と言われているラーメンを頼むことに決定し、今か今かと待ち望むことにした。美味いラーメン、楽しみである。
「ここのラーメンは『ラーメン三郎』ってとこのインスパイア系なんだってさ。だからかなり量が多くて味が強い。秀介は食べきれっかな?」
にやりと笑う豪だった。
……ラーメン三郎というのは聞いたことがある。とにかく凄い量の麺や野菜をウリにしているラーメン屋だ。その割に値段はとても安いそうであるが。
「インスパイア系って……何?」
「んー。まあ、言ってみるなら、尊敬してますというか、影響を受けてますというか……。早い話が、真似みたいなもんかな」
聞き慣れない単語を問う俺。
要するにこのお店はラーメン三郎のような味と具の量を提供する店だということだろう。
「そういうのってさ、やっていいのかな?」
「ん、どういう意味だ?」
「いやだってさ、漫画とかの場合だと絵柄やストーリーが別の作品と似てると『パクリだ』って大騒ぎになるじゃん。盗作だって罵られたりするし。ラーメンは別に平気なのかな」
「ああ、確かに言われてみれば」
豪は虚を突かれたように感心する。
どうでもいい話だが豪は真剣に乗ってくれた。
「平気……ってわけでは、無いだろうな。それこそあんまりやり過ぎると訴えられたりするんじゃないか? ただ、こういう店は本店も緩い扱いで見守ってるのかもな。ラーメン三郎のインスパイアだってことが周りに広まれば、それだけラーメン三郎も人気になるわけだし。本家にとって、あまり損にはならないから見逃してるのかも知れないな。もしくは本家から許可下りてるのかも知れないし」
豪の意見に俺はなるほどと頷く。
同じ物がこの世に存在するのは駄目。まるで物が出来る度、行き先が封じられていくかのようだ。
なんにせよ二番煎じというものはあまり印象が良くない、というのが日本の風習である。
「東京スカイツリーも東京タワーのパクリってことで、訴えられないかなぁ」
「同じ電波塔にパクリも何もあるかなのだ!」
スカイツリーを流し目で見やりつつ嘆息を吐くタワー。それに対し怒りを露わにするスカイツリーの姿。ドツキ漫才の光景が俺の後ろにあった。
……そういえばこいつらの存在を失念していた。神様二人は俺を守るという名目上、どんなところでもついてくる。なので出会ってから数日経った今では結構、うざく感じているのが現状である。そもそも俺を守るという必要性が未だに感じられない。ボディーガードも敵が居てこそ、役割を発揮するというものだ。こいつら二人がボディーガードになるのか甚だ不安ではあるが……。
「はい、ラーメン二丁になります」
そんなことを考えていると、俺と豪の前にどんとラーメンが置かれる。
一睨みすればどんな奴でも怯みそうな強面の店員が置いてくれたそのラーメンは……俺の想像を軽く超えた。
はっきり言ってしまえば、麺が見えない。視認できない。なぜかというと、器の上にはこれでもかというくらいのキャベツにもやし、チャーシューが山を作り上げており下にあるはずの麺が覆い隠されているためだ。
これは本当に、ラーメンなのだろうか? 積み上げられた具が放つ風格は、まるで何者も寄せ付けない城塞のようである。
「さて秀介。こっからは戦いだ。食事じゃない。気合いを入れていくぞ」
「あ、ああ」
これから魔王と戦う勇者のような、真剣な目つきへと変貌した豪。俺も負けじと目前のラーメンへと対峙する。
確かに、これはそんな鋭い視線を送るに相応しい物体だ。このラーメンは伊達では無い。気を抜いたら、逆にこっちが食われていそうな、そんなラーメンだ。
しばし俺達は無言を貫いた。食べることに全ての意識を集中させる。聞こえてくるのは麺を口ですする音のみ。周りの雑音など聞こえてこない、それくらい神経をこのラーメンへと注ぐ。
「あ、ちなみに秀介。このラーメンは野菜を下に沈めて、麺をその上に早い内に持って行くほうがいいぞ。麺が汁を吸いすぎると食えなくなっちまうからな」
「りょ、了解」
どうやら麺をずっとスープに沈めたままだと麺がのびて大変なことになるようだ。このラーメンにそんな隠された事実があったとは。知らなかったらまずいことになるところだった。ただでさえ凶悪なこの量だ。これ以上麺が膨れあがったら食べきれる自信が潰えてしまう。
消費しつつある野菜をずらし、麺を下からごっそりと取り出すと、俺はキャベツともやしの上に積み重ね始める。野菜群とチャーシュー群と麺群が折り重なってできた集合体は、もはや芸術の域に達しているように感じられた。
「いけそうか、秀介」
「いや、これ……普通にやばくない?」
「俺も正直なところ、食い切れるか危うい」
俺達は焦っていた。これは恐怖の魔物だ。
事前情報通り、味自体ははすごく美味しい。しかしこの量は凄まじい。控えめに見て通常のラーメンの倍以上の量があるように見える。
麺を噛み、飲み込む度にずしりと腹に蓄えられていく気がする。これは麺を食べるという、一種のスポーツなのではないかと思い始めるくらいだった。
「く、くそっ。箸が動かない……」
「頑張れ、秀介」
俺は麺を掴んで宙に上げたまま静止してしまった。持ち上げたはいいが、腕が口元へと麺を運んでくれない。かなり限界が来ている。そんな俺に豪はエールを送ってくる。
豪はというと、俺よりも幾分か進みが早い。大分中身が減ってきていた。
「よし、これならなんとかいけそ――」
「豪?」
残りの量を見て喜びを感じていた豪は、俺の方を見たかと思うと表情を固めた。一体、どうしたのだろうか?
「いや、今……何も無い空中に、秀介の掴んでた麺が消えていったように見えたんだけど」
「へ?」
言われて、俺は豪の視線の先を見つめる。
そこには『うまし』とでも言いたげな恍惚とした表情のタワーがいた。
「おい、お前何してんだ!?」
「いやぁ、秀介が大変そうだったから手伝ってあげようかと思って」
「何してるのだ! ばれるのだ!」
どうやらタワーの奴が俺の麺をつまみ食いしたみたいだった。素手で麺掴みやがったなコイツ。
タワー自体は他の人に見えないため、こいつが麺を食するところを他人が見ると異空間に麺が引っ張られていくように見えてしまう。めちゃくちゃ人に見られたくない光景であった。
「……秀介?」
「ああっ、いや、何でも無いよ! さあ、麺を食べないとな!」
「だな。ラストスパートだ」
慌てて取り繕う俺だったが、どうやらタワーのことはバレなかったようだ。
俺はほっと胸をなで下ろすと、タワーの方をぎろりと睨みつけてから食事を再始動させるのだった。
■
「うぷ」
「大丈夫か、秀介」
「ああ、大丈夫だよ……」
なんとか麺を食い切ろうと頑張った結果、俺の腹はパンパンになっていた。
もう茶碗一杯分くらいの麺の量まで減ったのだが、その少しが入らない。もうお腹の許容量が限界を迎えている。
「ま、そんだけ食えれば上出来だよ」
そういう豪はなんとラーメン全てを平らげてしまった。一体、彼の細い体のどこにこんなに入るのだろうかと思ってしまう。
「さて、秀介。ここでちょっと渡す物があるんだ」
「渡す物?」
「ああ。ほら」
豪は一枚の長方形の紙を懐から取り出した。
お札程度の大きさであるそれを、俺は両手で受け取る。
「何これ」
「ま、書いてあるの読んでみろよ」
「なになに。滝上竜一……コンサートのチケットぉ!?」
予想外の紙面に俺は声を張り上げてしまった。
俺の驚く様を見て豪はたいへんご満悦そうである。
紙に書かれていたのは、アーティスト――滝上竜一が今度行う、ライブの名前と日時……入場チケットであった。
「俺の親戚の人がそれ手に入れたんだけどさ、なんか丁度外せない用事が出来たとかで、俺にくれるって言われてさ。で、秀介が大好きなアーティストだったから、これを誕生日プレゼントとして調達してきたってわけだ」
豪が学校で言っていた若干時間が掛かるプレゼントというのは、これのためだったみたいだ。俺にとって、最高に嬉しくて素晴らしい一品。
チケットを見つめる度、俺の心には沸々と喜びがわき上がる。
「豪……本当にありがとう! 俺にとって最高のプレゼントだよ、これ」
「どういたしまして。予想通り大喜びだな」
見越していたように豪が微笑む。もう、この男は最高だ。まさかこんなにも嬉しいサプライズを用意してくれているとは、思いもよらなかった。
「残念なことに一人分しか無いから誰かを連れて行くことは出来ないけど、楽しんでくれよな」
豪が言うにチケットは一枚のみなので俺は一人で行くことになるらしいが――そんなことはもはやどうでも良かった。
俺自身も元々このチケットを購入しようと狙っていたのだが、結果的に選考に漏れてしまい、泣く泣く諦めることになっていたのだ。
舞い上がってしまった俺は何度も豪にお礼を言いつつ、店を出たところで彼と別れることになった。
ちなみにラーメンの代金は豪が奢ってくれた。豪にはなんとお礼を言えばいいかわからない……。
「ご機嫌だね秀介」
帰り道。意気揚々とした態度で夜道を歩く俺に、タワーが声を掛けてきた。
「そりゃ勿論。なんせ、あの滝上竜一を近くで見られるんだぞ? こんなに嬉しいことがあるかよ」
「私達もついていく手前……結果的に、生の滝上竜一が見られるのだ」
「おおっ! そっか! チケット無くても関係ないねぇ!」
スカイツリーの見解にタワーはナイスアイデアといった風に挙動を見せる。なにげに神様二人もテンションが上がっているようだ。何よりテンションが上がっているのは他でも無いこの俺自身な訳だけど。
明くる日に向けて……俺は緩む頬を抑えることが出来なかった。