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1話 女将とバイト

夢魔が出る話は悪魔の特性上ライトに留めていますがエロスな表現が有ります。

具体的ではありませんが、苦手な方にはオススメできません。ご了承の上でお噺をお楽しみくだされば何よりです。

巨大王国が栄華を極めるバクシオン大陸の西方は、件の王国より未開の地と呼ばれていた。

西方は川が少なく、水資源の確保が難しいということもあり、国として発展が出来ず小規模な都市国家が群立していたこともある。

その西方に経済においても人種においても、王国のお膝元である王都をも凌駕すると言われている街がある。

その街の名は『アンディーン』と言った。

水の都の意味を持つこの街は、水の精霊が住んでいると噂される程、水が豊富にあった。一面荒涼とした大地に一画だけぽつりと緑と水が広がっている様が、その噂に真実味を持たせていたと言っても過言ではない。

この『アンディーン』はその豊富な水量を使った外堀と内堀を用いて、外敵である攻撃的な妖魔、魔物や害獣の類から街を守り、発展を遂げて行った。

もちろん街中に張り巡らせた水路を使い、ゴンドラを使った物資の大量運搬を可能にしたことで繁栄していったという面もある。

生活に必要な水だけでなく、大量の水を確保しているというのは強みであった。

そのためこのオアシスのような街を利用する者は多種多様を極めた。

人類の他にも、ハーフなどの亜種、親和的な妖魔、魔物、魔族に悪魔や天使等がこの街に居を構えていたのである。此処はまさに坩堝と言えた。

そして、世界の縮図とも言えるこの街に、各種族が勢力を反映させるべく住民数を増やしていったことで、敵対する種族間での諍いなども増えていった。

それを憂えた者たちが、長老会なる各種族代表でつくられた組織を作り、より良い街にするべくルール作りをし、また各種族の監理官なる役人を設け監視するシステムを作った。

長老会は主に政治と法の改正を、監理官は法の執行と住民管理を担当し取り仕切ったのである。

『アンディーン』はニコット暦860年に莫大な税を納めることで、この大陸の大国『ニコット王国』の自由自治都市として認可され、王国との取引が自由にできるようになった。

ニコット暦876年に、北東の領出身の女大公が『総督』として、アンディーンを含めた西方の地を治めることになるのだが、それまでは自治都市として隆盛を誇っていたのである。


そして、時はニコット暦870年。

件の女大公がいまだ霧の中で行方不明となっていた頃のはなしである。


そんなアンディーンの町を南北に分断する中央通りから、町の中心より2本道路を東方面へ奥に入った飲食街に、宿屋を構えた女がいた。

透き通るような金髪に宝石のような青い瞳を持つ、元冒険者であるロアである。

冒険者と言えば聞こえはいいが、簡単に言うと未開の地の盗掘などや外敵を狩る何でも屋である。

彼女はそのエキスパートと言えた。

魔術に魔法、さらに錬金術、銃に大剣、短剣までも自在に操る彼女は、通常1人でダンジョンの探索や、妖魔狩りを長いこと行ってきた。ただ魔法と言っても、使えるのは精霊を呼び出し使役する精霊魔法のみで、魔族や悪魔の様に詠唱なしで使う様な魔法は人間だけに使えない。

また神の加護による癒しや治癒促進の術が使えない彼女は、自慢の錬金術でポーションを作成し、ドリンク剤を飲むことで体力・精神力をカバーしていたのである。

こうして1人で稼いだ金をコツコツと貯め、根なし草の代名詞でもある冒険者には珍しく、家を購入した後その裏にあたる表通りに宿屋を建てたのであった。

それを機に冒険者からは足を洗い、宿屋の女主人として切り盛りするようになったのである。

その宿屋『暁の乙女亭』は、一階が飯屋で二階が宿屋という一般的なスタイルだったが、1人で営業となると客室は三部屋が限界ということで、大変こぢんまりとしていた。

女将はもともと冒険者である強みを生かし、調理や宿の風呂には火の精霊と水の精霊を使い、掃除には風の精霊を使うことで準備の時間短縮をしていたが、さすがにテーブル四つにカウンター席5つの注文を取りながらの調理は物理的に難しかった。

難しい理由は動きまわるのが厳しいのもあるが、メニューが多いことも問題であった。

日替わり定食の他に、定番定食が二種類。その他単品もあれば、飲み物も酒からフレッシュジュースまである。メニューを絞ればよいのだが、そこには女将のこだわりがあった。

冒険者はダンジョンに潜っている間は、ぱさついた乾燥食などや携帯食で我慢せざるを得ない。だからこそ生き延びた者には、美味しい旬の食材を、新鮮な状態で食べさせてあげたいと女将は思っていたのだ。

「バイト…雇うか」

女将は開店1週間で、限界を感じていた。

凝り固まった肩を解しながら、ぽつりとつぶやいた。

「その方が良いな」

カウンター席に座っていた厳つい大剣使いは渋い顔で頷いた。

「メニューを減らされるのは困る。味が落ちるのは以ての外だ」

大剣使いは女将が冒険者時代からの知り合いでもある。率直な意見を彼は述べた。

王国の東端にある領から取り寄せた米から出来た酒を、白身魚の炙りを肴に楽しんでいた。

閉店時間が近いということもあり、客としているのはこの大剣使いと、本日捕えた害獣を女将の元に売りに来た冒険者達だけであった。

冒険者たちは壁に貼ってある依頼を眺めながら、次の仕事を考えていた。

女将の宿屋の壁には冒険者協会からの依頼の他に、近所からの依頼と店の依頼が貼ってある。量が多い分、選ぶ楽しみがあるようだった。

本日彼らがこなした女将の依頼である『ウサギ10匹』はすでに剥がされている。

「この鹿、いってみる?」

近所に住む毛皮職人からの依頼だ。依頼は毛皮だけなのだが、女将を通すと鹿肉の分の報奨金も加算される為、割のいい仕事となる。

4人組ともなると維持費も掛かるだけに、少しで実入りのいい仕事が欲しかった。

「女将、この依頼受けるわ」

小柄な弓使いの女が名乗りを上げた。

「鹿ね?」

カウンターから女将は出てくると、赤いピンを依頼に刺した。

現在仕事を受けているという証である。

「高く売りたいなら毛皮には傷つけないで仕留めるのよ?それと、毒物使うのは禁止。肉を買い取って欲しいなら、そこは譲れないわ」

女将の注意事項を書き取っていた長剣使いは唸った。

「じゃあ弓も禁止だな。首を落とすか、罠を仕掛けての生け獲りだなあ」

弓使いの女は、はしっこい少年に任せたと告げた。

その軽装からすると少年はレンジャーなのだろう。もしかしたら盗賊上がりなのかもしれないと女将は思った。

「とりあえず、罠を作るよ。」

アンディーンの外堀と内堀の間の森に仕掛けるのだろう。

外堀と内堀の間の緑地帯には、妖魔や魔物から逃げてきた動物達が数多く生息している。天敵が入って来ないという状況で子孫を増やし過ぎた動物は、冒険者により間引きされ食卓へ上るのだ。今回のウサギ然り、鹿もこの緑地帯で生きている。

経験豊富で力のある冒険者は外堀の外に出て、妖魔退治や未開の地に赴いて廃墟と化した過去の町跡から発掘した品の売買などで生計を立てられるが、冒険者に成りたての頃はまず、この緑地帯で出来る仕事をこなし腕を磨かなければ到底長生きなど出来なかった。

この4人はその定石通りにちゃんと依頼をこなしているのである。

「そろそろ帰って寝ようか」

リーダー格の魔法使いの男は3人に促した。弓使いの女はこのパーティの金庫番の様で胸元の内ポケットから巾着を出した。

中身が膨らんでいるのは、女将にウサギを売った金が入っているからだろう。

「たんまり稼げるようになったら、泊まりに来るから」

弓使いは片目をつぶると飯代を払った。4人分ともなると、結構な額になる。

女将のところは3部屋しかないだけに、部屋は広めのゆったりとした作りの1人部屋になっている。ゆっくりしたいベテランの女冒険者が好んで泊まっていた。

「気をつけるのよ」

女将は勘定をしまうと、手を振った。

4人は自分の武器を手に取り、女将に手を上げて返すと仲良く並んで店を出て行った。

初々しい冒険者を見るとつい顔が綻ぶ。

5、6歳の子供がいてもおかしくない年令の女将からすれば、産んだことはないが成り立ての冒険者は自分の子供のように思えるのかもしれなかった。

4人が店を出て行くと女将は、皿やグラスをカウンターの中へと下げて行った。

調理台の横の洗い桶には水の精霊が水を張って待ち構えている。

そこに火の精霊が洗い桶の縁に腰掛けると、ふうふうと炎を吐きだした。

すぐに湯気が上がってくる。女将は、水の精霊に皿を濯いで貰うとその桶の中に入れた。

「相変わらず、精霊と仲が良いんだな」

大剣使いは呆れたように、呟いた。

冒険者を引退しても使役する者は確かにいるが、月日と共に腕は落ちてゆく。

「あれ?言ってなかった?この店が出来るぎりぎりまで、現役だったのよ」

「じゃあ引退は最近か」

「開店当日の食材を集めなくちゃいけなかったもの」

澄まして答える女将に、大剣使いはますます苦笑した。

「まあ、その食材も新人冒険者が持ってきてくれるんだから、上手くいくんじゃないか?」

それには女将は、微妙な表情で返した。

「毎日入ってくるわけじゃないから、だから日替わり定食が必要なのよ」

「なるほどな」

日替わり定食は数が出るだけに、多く仕入れたもので対応する。

少ない仕入れのものは通常の定食にすることで、安定して出せるように女将はしていたのだ。

「明日の日替わりはなんだ?」

「ウサギが大量に手に入ったから、兎肉のブラウンシチューよ」

「お、シチューか。明日も来る」

大剣使いはにやりと笑うと、勘定を置いた。

「今度食材を持ってきたら、作ってくれるか?」

その大剣使いの問いに、女将も片方の唇の端を吊り上げて返す。

「もちろんよ。大型の獲物、期待しているわ」

大剣使いは声を上げて笑い、立て掛けていた自分の武器を背負うと、手を上げて帰っていった。

一人残った女将は、ドアにかけてある札を閉店にひっくり返し鍵を掛けると、洗いものを終わらせにカウンターの中へと戻る。女将が一気に洗い上げた皿を、火の精霊が炎で炙り滅菌消毒を行っていく。その合間に女将はテーブルを拭きに廻った。

「明日の仕込み、終わらせておかないと」

ウサギが必要だったのは、肉だけではない。女将はウサギの足のお守りも作るつもりであった。

ウサギの足のお守りは、ベテラン冒険者に人気の品だ。逃げ足を早める効果があると言われている。自分の手に余る妖魔にかちあった時に、無事逃げ帰れるようにということらしい。のちにアイテム屋も始めるつもりであった女将は、このように食材だけでなく色々な材料も集めていたのであった。

そして余った毛皮は明日の朝商人のところに持って行き、その売れた金で付け合わせ用の野菜を買うつもりであった。

開店前に大量につけた酢漬けは、既に半分ほど無くなっている。

女将はウサギに取り掛かるよりも先に、バイト募集の貼り紙を書くことにした。いい人が見つかりますようにと貼り紙に呪いを施す。それから良く見える窓に貼ると、ウサギの解体をしに奥へと消えた。



翌朝女将が店前の通りの先にある水路に浮かぶゴンドラから、毛皮を売った金で大量に買い付けた野菜を荷受けしていたときであった。

何やら布の袋を背負った黒髪の小柄な娘が女将に声をかけてきた。

「貼り紙を見て来たんですけど~」

「あー荷物入れるから、ちょっと待ってね」

女将は今それどころではないと、通りを突っ切りどんどんと受け取った食料品を店内へと運びこんでゆく。

娘も、女将に倣って、野菜の入った籠を店の中に持って行った。

全て運び終えた女将は船頭にチップを渡すと、娘に向き直った。

「えーと、バイト希望?」

「そうです~」

まじまじと女将は娘を見つめた。小柄だと思ったのは肩が華奢だからだろう。

瞳は紫がかった灰色で、縁が金色と変わっている。特徴と言えるのはこれぐらいの平凡な娘であった。

女将は娘を店に招き入れると、まずトレイを彼女の左手に持たせた。

そのトレイの上にぽんぽんと、今荷入れしたばかりの野菜を載せていく。

「わ、わ、わ」

その度に娘はバランスを崩しそうになるのだが、上手く手首で角度を変えトレイの上の野菜を何とか落とさずに耐えて見せた。

女将は頷くと娘に質問をぶつけた。

「料理は?」

「食べる方が好きです」

間髪入れずに返事が返ってくる。

「お酒は?」

「好きです」

女将は頷いた。食べることが好きなのであれば、美味しく作ろうという努力はできる。

酒が好きなのであれば、お勧めもできるだろう。

作れますなどの返答であれば考えるところであった。

女将は貼り紙を外すと、もう一度要項を見せた。

「要項にも書いてあるけど、賄い付きで開店準備からお昼の時間が終わりまでだけど、大丈夫?休みは週に1度だけよ?」

「ええと、賄いは1食だけですか?」

予想外の返答にさすがの女将も口をつぐんだ。

「朝食と昼食?」

「はい」

悪びれもせずに頷く。

「賄いは1食だけど、味見で割とお腹は膨れるから。それに新作の試食もあるし」

娘は納得したようだった。

「お給金は月に1度。月末に渡すけどいい?今日から働いて貰うけど」

女将の言葉に娘はぽかんと口を開けた。

数秒固まってようやく口を開いた。

「えと、採用?」

「そうとも言うわね。エプロンもってきた?」

女将の問いに娘は背負っていた布袋の口を解いた。

中に入っていたのは着替えであった。

「一応エプロンと、汚れるだろうから制服になるものを」

しっかり面接に受かるつもりではないか。

女将は噴き出すと、ここで初めて名を聞いたのである。

「名前は?」

「サリーです」

「私はロア。じゃあ今後ともよろしくね。それと、私のことは女将でいいから」

そう言うと、女将はカウンターの奥にサリーを招いた。

カウンターの奥は食材の貯蔵庫の他に事務机がある。ここで新メニューのレシピなどを書いているのだろう。そこの一画を指差した女将は、サリーにここで着替えるようにと告げた。

カウンターの入り口のカーテンを閉めると、個室のような雰囲気がある。

思ったほど暗くはなかった。

光の先をサリーが窺うと、それは裏口のドアに嵌められているガラスから入って来ていた。

女将が自分の家へ帰る時と、害獣などの食材を入れる時に使うドアだった。

そして貯蔵庫の横には血抜きしたウサギの後ろ足が20本ぶら下がっている。

「何だろこれ」

首を傾げながら、サリーは着替えた。

サリーはカウンターに戻ると、すでに仕入れた物を片付け、本日の分の下ごしらえに取り掛かっている女将に尋ねた。

「あのうさぎの足はなんですか?」

「ああ、あれ?ラッキーアイテムよ。ラビット・フットっていう冒険者のチャームアイテム。今作成中なのよ」

サリーは首を傾げた。

此処は飯屋で宿の筈だが、アイテムも置くつもりなんだろうか?

「ああ、私ね元冒険者なの。錬金術もやっていてね。ポーションとかアイテムを置く店もそのうち出すつもりなのよ」

女将の多角経営の話に、サリーはにんまりと微笑んだ。

これは上手くいけば儲かる仕事かもしれない。しっかり働けば時給も上がるかもしれなかった。今は作家になる為に勉強中のサリーは、働く時間の他に食事を作るなど余計なことで残されている時間を使いたくはなかった。だからこそ賄い付きの仕事を探していたのである。

サリーは短い時間で稼ぎ、食事にありつけるのであればどんな仕事でも良かったのだ。

「じゃあ、このサラダのヨーグルトソース作って貰っていい?」

女将は場所を譲ると、レシピを横に置いた。そして寸胴鍋が乗った竈に向かうと、呪文を唱えた。

火の精霊がにょっきりと姿を現す。

女将が精霊語で指示を出すと、火の精霊は竈の中に入っていった。

「ほえー」

サリーは初めて見る光景に、感嘆の声を上げた。

火の精霊は女将の指示通り薪に火をつけると火加減を見ていた。

鍋底のシチューが焦げないように、とろ火で温めて欲しいと頼まれたのか、薪の炎は小さかった。

女将は踏み台の上に昇ると、寸胴鍋の中に入っているシチューをかき混ぜ始めた。

サリーも慌ててレシピに目を通す。どうやらガーリックの効いたヨーグルトソースのようで、すりおろしを入れるという文字がある。一人前の単価までしっかりと書いてあるレシピは、20人前の単位で記入されていた。カウンターにはびっしりとラベルの貼ってある調味料が置いてある。その字は特徴があったが綺麗であった。

あの面接の大雑把さと違い、意外に几帳面な人のかもしれない。

「そこのカウンターの下は氷温庫だから。ヨーグルトとミルクはそこから取って」

氷温庫?

サリーはカウンターの下にある扉を開けて中を覗いた。

そこには巨大な氷の塊が下段にどんと収まっていた。水浸しにならないのか尋ねたところ、カウンターの下の穴に氷から溶けた水が流れ出し、水路へと捨てられるようになっていると女将は説明してくれた。

「大体ねえ、1日持つの。で、夜の営業に入る頃、氷屋さんが来るから」

氷屋??

聞いたことのない職種だ。サリーは首を傾げた。

「魔族の人でね。飲食店を廻って魔法で氷を作るのよ。」

確かに魔法ならこのような冷たいものを作ることは可能だ。そんな商売をしている魔族がいるとは、サリーは知らなかった。魔族と言うと上から目線というイメージがサリーの中であったので、俗っぽい仕事にはつかないと思っていたのだ。

「水の精霊だけじゃあ、さすがに氷まではねえ」

女将はこきりと首の骨を鳴らすと、シチューをかき混ぜるのをやめた。

大分温まって来て緩くなってきたのである。

何とかサリーがソースを作っているのを見ると、女将は横でトマトをスライスし、すぐに料理が出せるよう準備を始めた。

「お客様が来たら、水出しと注文取りお願いね。それと運んで貰うから」

「はい」

そろそろ、開店の時間が近いのだろう。

女将は口を噤むと手を動かす速度を一気に上げた。

てきぱきと下ごしらえを終わらせていく。後は焼くだけ、盛り付けるだけという準備を終えた物を氷温庫に仕舞っていった。

その時、昼を知らせる教会の鐘が鳴り響いた。

女将はドアにかけてある札をひっくり返し開店を知らせると、表に黒板で出来た看板を出した。

貝を擂り潰してできた白粉を固めた物で、日替わりメニューと書いた下にでかでかと兎肉のブラウンシチューと書き記す。

戻って来て粉のついた手を洗うと、カウンターでは水の精霊がグラスに水を入れ始めていた。その横ではサリーが緊張した面持ちで、メニュー表を眺め覚えている。

しっかり働いてくれそうだと、期待を込めて女将はサリーを眺めた。

「シチュー、食べに来たぞ」

ドアが開くと同時に、客を知らせる合図としてつけている牧歌的な音色の鐘がからころと鳴り響く。

入ってきたのは、昨晩最後まで店に居た大剣使いだった。

「いらっしゃいませー」

サリーの明るい声に、大剣使いは目を見開いた。

エプロンをつけているからには、バイトなのだろうと判断した大剣使いは、背負っていた大剣を下ろすとカウンターに立て掛けて、早速座りこんだ。昨日と同じカウンター席である。

「何だ、昨日の今日でもう雇ったのか?」

「そうよ、貼り紙貼って正解だったわ」

明らかに親しげな雰囲気に、サリーは水を置きながら勘ぐった。

物書きとしての想像力が男の仕草や女将の声のトーンなどから、かき立てられてゆく。

そんな妄想中のサリーの視線を気にしていないのか、男は少し多めによそわれたシチューを平らげると女将に話しかけた。

「あー、今回遺跡探索の仕事が入ったんだ」

女将は苦笑して男に食後の茶を出した。

「好きねえ、遺跡探索」

「俺がじゃない。リーダーがだよ」

大剣使いは首を振った。

「往復も含めて10日後には戻ってくる。10日後の日替わりは何だ?」

「それは前の日に決まるのがウチ流よ」

女将は片目をつぶって男に返した。

男はそれならばと女将に提案した。

「なあ、ロア。それだったら俺の好物を作ってくれよ」

「トマトソースのミートパイ?」

「ああ」

「気が向いたらね」

男は女将が自分の好物を覚えていたことに嬉しそうに微笑んだ。大剣使いらしい厳つい顔が綻んでいる。

じゃあと男が立ち上がると、女将はそこで待っていてと男に声を掛けた。

カウンターの奥に引っ込むと何やら手に持って現れた。

「グスターヴ、これを」

女将が男の手の中に置いたのは、年季の入ったラビット・フットであった。

「私の使い古しだけど、効力はあるから」

それにはグスターヴと呼ばれた大剣使いは首を振った。

「それはロアの幸運のお守りだ。俺は、呪いに頼らない」

女将は何か不安げな表情で男を見ていたが、男は笑顔で女将にラビット・フットを返した。

「何、心配ないさ。それより10日後のトマトソースのミートパイ忘れるなよ?」

そう言うと、男は商売道具である大剣を背負い、代金を払って出て行った。

生温かい目で女将を眺めているサリーに、彼女はそういう間柄じゃないからねと何度も釘を刺した。そうしているうちに、どんどんと表の日替わりメニューの看板を見て人が入ってくる。一気に店は活気づき、忙しくなった。

サリーは注文取りと水出しに、女将は料理作りに精を出す。

あまりの忙しさに先程の甘酸っぱい雰囲気のことなど、すっかりとサリーの頭から離れて行った。こうして怒涛の初日をサリーは終えたのである。

2日後の定休日は連日の慣れない仕事で気張ったせいか、半日を寝て過ごすこととなった。

それでもサリーのバイトは続いた。時間がそんなに長くないのもあるが、賄いが美味しかったこともある。女将は注文時に味を聞かれて答えられないと困るからと、全てのメニューを食べさせてくれた。作家を目指していると告げると、夕食用にと持たせてくれることも多々あった。そして気がつけば約束の10日が来ていたのだ。

前日、女将はサリーが帰ってからトマトソースを煮込んだのだろう。サリーが店に出勤した時にはすでに美味しそうな匂いを漂わせていた。

炒めた挽肉をパイ生地の上に乗せ、煮詰めたトマトソースを掛ける。更にパイ生地で蓋をするとオーブンで焼き上げる。

本日の日替わりはチキンソテーと別料理であったが、彼の日替わりはこれなのだろうとサリーは思った。

しかしその日彼は来なかった。

翌日もその翌日も来なかった。

ミートパイは女将と2人で賄いにして食べた。

それでも女将は毎日ミートパイを作った。

約束の日から4日目のことである。

至るところを包帯で巻いた男が足を引き摺りながら店にやってきた。短剣を腰に差しているところからするとレンジャーだ。知り合いの来店に女将は驚いたように男を眺めた。

「シン・・・」

サリーは注意深く男を眺めた。かなり傷が深かったのだろう。少し動かすたびに痛みが走るのか動きがぎこちない。だがぎこちないのには理由が別にあった。

「悪い、ロア。グスターヴは妖魔に襲われた。もう奴は帰ってこない」

シンと呼ばれた男は、グスターヴのパーティの仲間であった。

女将は覚悟していたのか、短く息を吐いた。

「俊足の貴方が怪我しているってことは、彼の足では逃げられなかったわよね」

「お前のとこに好物を食いに行くって約束をしてきたと聞いていたから」

「わざわざ知らせてくれてありがとう」

女将は、シンと呼んだ男を労った。このシンと言う男を残してパーティ全員が妖魔にやられたのは、この男の苦渋の表情からも見てとれる。

彼はパーティで生き残った者の最後の仕事として、仲間の知り合いのところによって命を落としたことを告げて廻っていたのだ。

男はまた思い出話を肴に飲みに来ると女将に告げ、店を出て行った。

サリーは女将にかける言葉がみつからなかった。冒険者の知り合いがいないサリーにとって、身近に死というものはなかったのだ。あの様子だと、彼はまだ自分の想いを女将に伝えてはいなかったのだろう。毎日ミートパイを作り待ち続けていた女将の気持ちも考えるとやるせなかった。

女将はそんな戸惑っているサリーに苦笑すると

「今日のミートパイは彼に捧げるわ。明日からは作らなくていいのね」

と肩を竦めるだけで、普段通り店を続けた。翌日もその翌日も女将は普通に店を開けた。

その次の日はサリーにとって3度目の定休日であった。

定休日開けも通常通り店は開けられた。

ただ唯一違う点は、女将の瞼が腫れていたことだった。

店の休みまで彼の死を悼み泣くのを我慢していたのだろう。

「瞼…もうちょっと冷やした方が良いですよ」

サリーはそう声を掛けるしかなかった。女将は苦笑しながら、氷温庫の氷を削るとそれにスプーンをつけて冷やす。そのキンキンに冷えたスプーンを瞼に押し当て呟いた。

「だからラビット・フットを貰って行けばよかったのよ」

妖魔に襲われること自体、避けられたかもしれないじゃない。

私はあれのおかげで生き延びたのだから。

そう女将はぼやいた。

「女将、今晩早めに引けたら飲みましょう。私付き合います」

サリーの提案に女将は微笑むと、小さな声でありがとうと返した。

「いいけど、飲み過ぎた分は給料から差し引くからね」

そこはしっかりしているらしい。

サリーは呻くとぐらりと傾いた。


お互い思いを寄せていても口に出来なかったことで、何もなかったことになる。

サリーはこの身近な体験をもとに、こつこつと純愛小説を書いて自費出版で出した。

それが同じ境遇を経験した冒険者の中で評判となり、口コミで一気に広がった。

その人気の後押しもあり、彼女は念願の作家として大手でデビューすることになったのである。

これには女将も大層喜んだ。

こうして『暁の乙女亭』は元冒険者の女将と、作家のアルバイトという珍しい組み合わせの二人三脚で繁盛していくのであった。


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