彼女は、雨が嫌いだった
彼女は、雨が嫌いだった。雨が降るといつも一日中ぼんやりと何か違う世界を見るように窓の外を眺めていた。だから、今のような梅雨の時期は本当の彼女はどこか違う世界にいっているみたいな状態だった。
「あなたは雨が嫌いじゃないの」と彼女が僕につぶやくように聞いた。
嫌いじゃない、と僕は答える。雨を嫌う理由なんてないような気がする。もちろん晴れているに越したことはないけれど、現実に雨が降る日なんて一年間にほんの数日なわけだから我慢すればいいだけの話だ。
「そう。じゃあ私とやっぱり合わないんじゃないかしら。八歳差っていう以上に、私とあなたはお互いに何か違うものを求めていると思うの。それでうまくやっていけているならそれでいいけど、実際にどう? 私たち。方向性が全く見えないのよ」
僕は何も答えない。いつものように。
彼女のアパートの部屋の屋根を雨が叩く音だけが響いていく。僕は何も答えないんじゃない。答えられないんだ。答えてしまったら、そこで全てが終わるというのをわかっていた。いつもそうやってごまかしてなんとか繋いできているのだ。このような別れ話が彼女の口から出るようになったのは、つい最近。梅雨に入る少し前の五月のことだった。その言葉は、ごく自然で、しかし、圧倒的な冷たさを持っていた。僕自身ももう終わりだということははっきりとわかった。彼女には、別に好きな男ができたのだ。あきられた、といえばそうなのかもしれない。でも、それは僕にはどうにもできないことだし、どうしようという気持ちもない。彼女がそうなってしまったのならば、それはしょうがないというしかない。《方向性》なんていうものは僕の頭の中には全く入っていなかった。僕は、彼女といることだけで自分が満たされているような気がしていた。だからこそ、僕は答えずに黙るしかなかった。彼女自身に決断をゆだねるのが一番だと思った。
「また黙る。――前から思ってたことを言っちゃうけど、あなた本当に子ども。そりゃ優秀な大学に通ってそれなりにいいとこに就職するんだろうけど。そうやって黙ってたらなんでも通ると思ってるんでしょ。甘いよ。そんなわがままが社会に出て通用するはずないじゃない。私は中学卒業とともに働き出して、あなたとは比べ物にならない人生だけどそれでもあなたを見てたらこっちのほうがましだって笑っていられるわ」
僕は無理矢理にでも笑顔をつくろうとする。というか、頬の筋肉がぴくっと動いて少し泣きそうになる。
「そんなことはわかってる。でも、何も言えないんだ。別れたいなら別れたいでそういってほしい。僕には、そんなことを言う資格がない。ゆきがまだ好きだから」
「なに、それ? 結局私任せってことでしょ。そういうところが嫌だっていっているの。なんでわからないかな。あなたは私に全てを決めさせるの。ふざけないで」
うん、とだけ言って僕は彼女の部屋を出ていった。彼女のアパートの階段を下りていくときに僕を呼ぶ声がしたが、僕は振り返らずに全速力で走りだした。六月の雨はすぐに服を重たくしたが、僕はどこまでも走り続けていけるような気がした。