第一幕(3)
ローレンスが正式に海賊として認められるまで。
「もたもたしてんな」
海賊船に乗り込もうと、船によじのぼろうとしていると、レイモンドに腕を引っ張りあげられた。
乱暴だが、海賊船は商船よりもずっと大きく、かなり登りにくかったので、手を貸してくれたのだとわかる。
あまり良い出会い方をしなかったので――なんといっても、ローレンスを斬り捨てようとしたのだ――嫌われているだろうと思っていたぶん、ちょっとした気遣いに驚いてしまった。
それが顔に出ていたらしく、レイモンドはにやりと笑った。
「さっきまで、俺とおまえは海賊とその捕虜だった。だが、今は同じ船の仲間だ。
――歓迎するぜ」
切り替えの早さに戸惑いつつ、ローレンスはよろしくお願いします、とまじめに答えた。
その受け答えが気に入ったらしく、レイモンドはくせのある笑みを浮かべた。
もう切っ先を向けられることはないとわかっていても、肉食獣を前にした小動物のような気分になる。
ローレンスは離れていく商船を振り返った。
アストンにとっては大損害だろうが、命が助かっただけでも良しとしてもらいたい。
レイモンドについて船内を見回していると、さっきの長髪の男が近づいてきた。
背はすらりと高く、ローレンスより少し背が高いが、レイモンドのように筋肉質というわけではなく、どちらかといえば細身だ。
首元で一つに括った髪は女性のように柔らかだし、ハンサムというよりは美人の類で、ローレンスは思わずどきりとしてしまった。
「よろしく、ローレンス。隊長のクロードだ。
君の隣にいる男も隊長だけどな」
レイモンドが頷いた。
「隊長は三人いる。もう一人は後で紹介してやるよ」
ローレンスはクロードと握手し、控え目に尋ねた。
「よろしくお願いします。あの……女性、ですよね?」
「さすがに、握手するとばれてしまうな。
まあ、別に隠しているわけじゃないから、気にしなくていい」
クロードは気分を害したふうでもなく、快活に笑った。
「女の格好で、海賊はやってられないからな。
どうしても、敵になめられてしまう」
「それも、ある意味武器になるけどな。
気を抜いてうかつに近寄ると、ばっさりだ」
レイモンドが喉をかき切る仕草をした。
それを見て、クロードが大仰そうに顔をしかめた。
「俺はそんなに物騒か?」
「物騒の代名詞みたいなやつが、なにを言ってるんだ」
レイモンドが渋い顔をして言った。
そんな二人のやり取りを見ていて、ローレンスは純粋に楽しいと思った。
状況が目まぐるしく変わり、なりゆきで海賊になってしまったというのに、ローレンスは早くもこの場に馴染み始めていた。
これが他の海賊船だったらと考えると恐いが、「運が良かった」で片づけることにしよう。
「よし、新人君を部屋に案内するか。おいで、ローレンス」
クロードが手招きをした。
「はい。あ、いってきます」
「おう。いってこい」
レイモンドに軽く会釈して、今度はクロードについていった。
まずは、食堂や談話室など、皆で集まる場所を中心に案内してもらうことになった。
クロードは海賊とは思えない丁寧さで、説明の合間に、海賊のルールについて教えてくれた。
突然の戦闘で疲れていたが、こうして、船内を案内してもらったり、色々とすることがあるというのは、ローレンスにとっては救いだった。
レイモンドは「仲間」だと言ったが、いまいち、自分の立ち位置がつかめないのだ。
この船には腕のいい操舵手がいるし、ここでのローレンスは、無価値に等しい。
なにも言われなければ、船内の掃除などの雑務をさせてもらおうか……。
そんなことを考えながら、クロードと細い通路を歩いていると、前から赤毛の男の子がやってきた。
ローレンスと同い年くらいで、可愛らしい顔をしている。
この子も男装をしているのだろうか?
「あんたが、船長の言ってた新人?」
思った通り、その子の口から、女の子特有のソプラノが出てきた。
屈託のない笑顔につられて、ローレンスも肩の力を抜いた。
「よろしく。ぼくはローレンス」
「あたしはアンナ。あんたが来てくれて、本当に嬉しいよ。
この船は大人ばっかりだから、なにかと子ども扱いされてさ」
「お前が無茶をするからだ。アン、ローレンスはお前と同室だから、案内してやれ。
俺はそろそろ、自分の仕事に戻る」
「わかった。しっかり案内するよ」
クロードに礼を言って別れると、アンナは楽しそうに部屋までローレンスの手を引いた。
「ほら、ここだよ。ちょうど、ベッドが一つあいてるから。荷物はその周りにでも、てきとうに置いてよ」
「わかった」
荷物を床に置き、ローレンスはベッドの端に腰をかけた。
ハンモックか、最悪の場合、床で眠る覚悟をしていたのだが、ずいぶん恵まれた環境だ。
装飾品はほとんどなく、質素な部屋だが、書き物をするのに使いやすそうな机と椅子までそろっている。
ローレンスはしばらく部屋を眺めていたが、アンナの強い視線を感じて、そちらに向き直った。
「なに?」
「ずいぶん落ち着いてるんだなって思ってさ。
あ、もちろん、寛いでくれていいんだよ。
でも、さっきレイモンドに斬られそうになったって聞いたから、もっと動揺してるかと思った」
「色んなことが一気に起きて、反応できてないだけだよ。
ねえ、少し聞きたいんだけど、君も海賊なんだよね?
普段はなにをしてるんだい?」
「雑用ばっかりだよ。船内の掃除とか、料理の手伝いとか。
怪我人がでたときは、ドクターの手伝いとかもするよ」
「じゃあ、ぼくもその手伝いをさせてもらおうかな」
「たぶん、そうなると思うよ。
隊長以下の船員は、全員二人一組で働くんだ。
お互いに世話ができるようにね。
あとでクロードが色々と説明してくれるよ。
それと、今晩は楽しみにしてなよ。
新人の歓迎会をやるからさ」
「そんなことまでしてもらえるの?」
ローレンスが驚くと、アンナはにっこり笑った。
「もちろん。海賊の『仲間』っていうのは、『家族』と同じ意味なんだ。
荒っぽい奴ばっかりだけど、みんないい奴だからさ。
よろしくしてやってよ」
「うん。〈家族〉か……いいな」
ローレンスが目を細めると、好奇心旺盛なルームメイトはローレンスの隣に座って、じっとこちらを見つめた。
「夕食まで時間あるし、あんたの話を聞かせてよ」
「そうだな……ウィリアム・ランズマンって知ってる?」
「冒険家の?」
「そう。数週間前に亡くなったんだけど、ぼくはそのウィリアム・ランズマンの息子で、父の死について詳しく知りたいんだ。
だから、世界中を回る商船に乗りこんだ。
その後は――君が知ってるとおりだよ」
一瞬間が空いた。
妙だなと思ってアンナの横顔を見ると、困ったような顔で、言いにくそうにしていた。
なにかあるのだろうかと不安に思ったが、アンナが気遣わしげに尋ねてきた。
「今なら、頼み込んだら、さっきの船に戻してくれるかもしれないよ?
あたしも一緒に頼もうか?」
ああ、そういうことかと、ローレンスは微笑んだ。
海賊船に引っぱりこまれたことで、ローレンスの目的が果たせなくなるのではないかと、心配してくれているのだ。
「ありがとう。でも、大丈夫だ。
世界中を回るなら、それが海賊船に変わっても気にしないよ。
むしろ、こっちのほうがいいかもしれない。
父の友人たちが情報収集してくれたんだけど、さっぱりだったんだ。
それなら、ちょっと違う方向からアプローチしてみるのも、いいかもしれないだろ?」
「なんていうか――」
アンナが驚いたように目を丸くした。
「なに?」
「度胸があるんだね。
海賊船に乗って、平然としていられる人間ってあんまりいないよ」
「今のところ、痛い目にはあってないから」
「ふうん。インテリタイプのお坊ちゃんかと思ったけど、変わってるね」
ローレンスは声を漏らして笑った。
「よく言われる」
「そういえば、あんた、強いんだってね。
うちの斬り込み隊長を追い詰めたって、みんな感心してたよ」
アンナが目を輝かせるので、ローレンスは困って、髪をくしゃくしゃにした。
「あれは、あの人が手加減してくれたからだよ」
「それはあるかもね。クロードは女子どもには絶対に手をあげないから。
でも、今まで普通の生活をしていて、海賊に剣を向けるってだけでも、すごいよ。
無鉄砲、っていうのかもしれないけど」
「それも、よく言われる」
二人して笑っていると、扉がノックされて、クロードが顔を覗かせた。
「二人とも、船長室に来てくれないか」
言われた通りについていくと、船長室には、船長のジェラルドの他に、レイモンドと茶髪の男が控えていた。
ジェラルドがにやりと笑い、指でローレンスとアンナを呼んだ。
机を挟んで向かい合うと、ローレンスに二枚、アンナに一枚の羊皮紙が手渡された。
「契約書〈シャッス・パリティ〉にサインしてもらうぜ、ローレンス。
正式にうちの乗組員として認めるために必要な書類だ。
もう一枚は、アンナの持っているやつと同じだ。
大まかに言うと、互いを相棒とし、助け合うことを誓いますって内容だ」
ローレンスは二枚の紙にざっと目を通した。
遺言書の形式になった誓約書で、最後にサインを書く場所がある。
ローレンスが羽根ペンを手にすると、ジェラルドに腕をつかまれた。
顔をあげると、思いがけず、真剣な目にぶつかった。
「海賊は情報収集するにはうってつけだろう。
様々な国へ行き、情報の行きかう酒場に出入りする上に、冒険家が行きそうな場所にも立ち寄るからな。
だが、これだけは覚えておけ。
海賊船ってのは、商船に乗るより、はるかに危険だ。
無意味な殺人はしない点、うちは他の海賊どもよりきっちりした組織だが、仁義を掲げたところで、俺たちが逆賊であることに変わりはない。
海軍に捕まりゃ、確実に処刑される。
それでもお前は、この船の乗組員に――海賊になると誓えるか?」
ローレンスは無意識に唾を飲み込んだ。
ジェラルドの言葉は、それだけの重みがあった。
修羅場をかいくぐってきた男の目を、ローレンスはまっすぐに見つめ返した。
簡単なことではなかったが、直感で、目をそらしてはいけないと思った。
ローレンスにどれだけの覚悟があるか、ジェラルドだけでなく、この場にいる幹部全員で見定めるつもりなのだろう。
それに対して、自分の覚悟を、言葉で示さなければならない。
そうでなければ、ただのお荷物か、最悪の場合、奴隷として売りさばかれるだろう。
本当に自分は、そこまでする必要があるのだろうか?
ローレンスは自問自答してみた。
引き返すなら、今だ。
後味の悪い思いをするかもしれないが、死の真相を知るために自分が死ぬなんて、本末転倒だ。
真実を知るために、果たして命を賭ける必要があるだろうか?
ローレンスの頭の中に、父の後姿が蘇る。
ローレンスは唇を噛んだ。
答えは――イエス、やはり、イエスだ。
家に戻ってきたと思ったら、すぐにまた旅に出てしまう父は、父親としては立派ではなかったかもしれない。
だが、ローレンスのほうも、止めようとは思わなかった。
父は自分の冒険家という肩書に誇りを持っていたし、冒険について語る時の父は、誰よりも輝いていた。
ローレンスはそんな父に憧れていたのだ。
父親としてではなく、一人の男として、彼を尊敬していた。
父と旅に出ることはもう叶わないが、彼と同じ道を進むことはできる。
それが例え、普通の人から見て非合法だったとしても。
ローレンスは、覚悟を決めた。
「さっきは情報収集のためだと言いましたが、気持ちが変わりました。
ぼくは、冒険家であった父を越えたいし、もっと色んなことを知りたい。
そのためなら、命を賭けてもいいと思ったんです」
ジェラルドは頷き、手を離した。
「長く平凡な人生より、短くても輝きのある一生を――これは、お前の親父さんの言葉だ」
ローレンスが羊皮紙にサインし終わると、ジェラルドはその紙を引き出しの中にしまった。
「なかなか、わかってるじゃないか。
お前は海賊に向いてるかもしれないぞ」
ジェラルドは柔らかくほほえんだ。
「改めて言おう。
ようこそ、ファム・ファータル号へ」
ローレンスとジェラルドは、かたく手を握り合った。
「よし、それでは、宴会の用意を始めるぞ。
最近、極上の酒を手に入れたんだが、それをあけてみるか」
ジェラルドの一声で、脇に控えていたレイモンドと茶髪の男が動いた。
茶髪の男は、ローレンスの肩に手を置き、またあとでな、とだけ言って部屋を出ていった。
「あいつが、もう一人の隊長だ。名前はルドウィゴ。
〈十の顔を持つ男〉と呼ばれている」
「ルドウィゴは変装の名人なんだよ。
時々、情報収集のために船を下りることがあるから、今度一緒に連れていってもらいなよ」
クロードの言葉に加えて、が説明してくれた。
「へえ……後で話を聞いてみようかな」
「そうしなよ。さて、あたしも宴会の準備を手伝おうかな」
「それじゃ、ぼくも……」
「君は部屋でゆっくりしていろ。
色々あって、疲れただろ?
それに、君の歓迎会なんだから、手伝いなんかしなくていい」
ローレンスはそれでもなにか手伝ったほうがいいのでは、と思ったが、口を開く前に二人に背を押され、部屋に放り込まれてしまった。
荒っぽいところは海賊らしいといえるが、どこか温かみがあって、親しみが持てる。
ローレンスはベッドの上に横になったが、先ほどの戦闘で、体のほうはまだ興奮状態だった。
寝返りを何回かうったあと、ローレンスはむくりと置きあがって、自分の荷物から日誌を取り出した。
そして、海賊船の襲撃と、海賊に仲間入りした今の状況を、詳しく書きとめた。
商船が海賊に襲われたり、その乗組員が海賊になることは珍しい話ではないが、自分で体験すると、これが自分の身に起こったこととは信じがたい。
なるべく自分の感想を省きながら、ローレンスは冷静に分析し、数十分後にようやく日誌を閉じた。
そして、ふと、もう一冊の日誌の存在を思い出した。
忘れた瞬間などなかったが、ずっと後回しにしていたものだ。
ローレンスは父の書斎から持ち出した、唯一の遺品を取り出した。
改めて見ると、ずいぶん分厚いが、まだ一ページも読んでいない。
商船での生活に慣れるまではと、心のどこかで、自分に言い訳をしていたのだ。
だが、もうこれ以上はのばせない。
最後のページをあけてみると、日付は今から半年前になっていた。
最後に父と会ったのがその一ヶ月後だから、あの時書斎に置いていったのか、とローレンスはその時のことを回想した。
そして、恐る恐る最初のページに戻った。
綺麗な字で、“シック・パルヴス・マグナ(小さな出発から偉大さへ)”と書かれており、なんとも父らしい始まりだと、ローレンスは顔をほころばせた。
ローレンスは慎重に読み進めてったが、恐れていたようなことはなにも書かれていなかった。
几帳面な父らしく、自分が訪れた土地や住民の特質や、新しく見つけた植物について詳しく記述されていた。
面白いし、非常に興味深いが、どこか腑に落ちない。
ローレンスはページをぱらぱらとめくり、流し読みしたが、やっぱり普通の旅の記録にしか見えない。
不安をあおるような遺言から、陰謀や危険な裏組織の存在を心配していたのだが――。
ローレンスはため息をついて、ベッドに寝そべった。
家を燃やすというのは、単に、広い世界を知らない息子を、あの空間から解放するための手段にすぎなかったのかもしれない。
ウィリアム・ランズマンの死について情報が入ってこないのは、自然災害に巻き込まれたからで、そこになにか不審な点があると考えてしまうのは、ローレンス自身が危険な冒険に出るきっかけを欲しがっていただけかもしれない。
そう考えれば、説明はつく。
だが、ローレンスは、自分がそんな理由では納得できないとわかっていた。
それに――。
ローレンスはバンダナをほどいて、手鏡で額を映した。
鱗のような痣――フォスター博士に言わせると、人魚の呪い――についても、まだなにもわかっていない。
正直に言って、ローレンスはこれが呪いだとは信じていなかった。
なにか、害のない程度の疾患ぐらいに考えているのだ。
神秘的なことを信じる気持ちは好きだが、ローレンスの物事の判断基準はあくまで、根拠のある現実的なものなのだ。
実際、この傷が痛んだことは、最初の一回だけで、生活に支障はない。
アストンの商船に乗る前に、街の医者に検診してもらったが、痣のことも含めて、体に問題はないと言われ、その後は特に気にすることはなかった。
父の背にも同じ痣があるというのは不思議だが、呪いだと悲観する気にはなれない。
ローレンスは父の日誌を枕の横に置いて、目を閉じた。
焦って考える必要はない。
ようやく冒険に出ることができたのだから、まずはそれを喜ぶべきだ。
「ローレンス、皆集まってるから、行こう」
足音が近づいてきたかと思うと、アンナが扉から顔を覗かせた。
「わかった」
ローレンスは頭を切り替えて、アンナと一緒に甲板に出た。
ローレンスが甲板に姿を現すと、見るからに荒っぽい男たちが、いっせいにこちらを見た。
圧倒されてしまいそうだが、どれも親しげな視線で、ローレンスは委縮せずにすんだ。
テーブルには豪勢な食事が並び、ここが海の上であるとは思えないほどで、そのそばには大きな酒樽がいくともある。
「全員で二十五人。女はあたしとクロードの二人だけよ」
アンナと一緒に、男たちの輪に近づいていくと、拍手と口笛に迎えられた。
「歓迎するぜ、兄弟」
「兄弟?」
「そうさ、俺たちは〈海の兄弟〉なんだ」
なるほど、とローレンスは頷いた。
「俺の隣に来いよ、ローレンス。光栄だろ?」
船長のジェラルドが手招きしながら言った。
ジェラルドの隣にいくと、がしっと肩をつかまれた。
「聞け、野郎ども! ここにいるローレンス・ランズンマンは、今日から俺たちの仲間になった。
まだガキだが、こいつは一人前の剣術士だ。歓迎と敬意を表して乾杯しようじゃねえか! なあ?」
とたんに割れんばかりの大声があがり、ローレンスは目を丸くしながら、くすぐったさに声をあげて笑った。
「ほら、お前も」
レイモンドがゴブレットにワインをついでくれた。
「ありがとうございます」
それを見届けて、ジェラルドが声を張り上げた。
「乾杯!」
そこからは、文字通り飲めや歌えやの大騒ぎだった。
今まで大勢で騒いだことすらなかったローレンスは、どうやって騒いでいいのかわからなかったが、幸い、誰かがひっきりなしに話しかけてくれた。
最初はジェラルドと海の知識について話し合っていたが、ジェラルド一人がローレンスを独占できるわけもなく、別のテーブルに引っぱって行かれた。
「隣に座れよ。お前、酒は飲める口か?」
船長室で見かけた茶髪の男――ルドウィゴが、自分の隣の椅子を叩いた。
「たしなむぐらいなら」
「海賊船にいれば、すぐに強くなるぞ。アルコール中毒は海賊の職業病みたいなもんだからな」
ゴブレットの酒を一気に飲み干してから、ルドヴィゴはにっと歯を見せて笑った。
「もう聞いたと思うが、俺は隊長の一人、ルドウィゴだ」
「情報収集をしていると聞きました。あと、変装の達人って話も」
「おう。今度、変装のコツを教えてやるよ。ところで、その敬語はやめてくれないか。
俺たち海賊に上下関係はないんだ。一応、船長と操舵手〈クオーター・マスター〉には丁寧語を使うこともあるけどな」
「でも、ぼくより年上なのに……」
「年功序列もない。それに、お前の年頃から礼儀なんか気にしてたら、疲れるだろうが」
ローレンスは笑った。
お酒がまわってきたのかもしれないし、この楽しい雰囲気に感化されたのかもしれない。
「わかった。慣れないけど、敬語はなしだね」
「そうだ、素直なのはいいことだ」
「談笑中に悪いが、そろそろ私にも自己紹介をさせてくれないか」
ローレンスの隣に、黒髪の男が座った。
黒い眼帯が、いかにも海賊という感じで、印象的だ。
知的で冷静沈着、荒っぽさよりも気品を感じさせた。
「おう、すまないね。どうぞ。俺はクロードと一杯やってくるよ」
ルドウィゴは鼻歌を歌いながら席を立った。
「私は操舵手〈クオーター・マスター〉のシルヴィオだ。
ルドウィゴも言っていたが、私に対しても敬語は使わないでくれ。いいな?」
「わかり……わかった」
ローレンスは思わず舌を噛んでしまった。
ルドウィゴは明るくて愛想がいいから、あまり緊張しないが、シルヴィオは違った。
海賊船における船長は、戦闘や緊急時以外は口を出さない。
代わりに、操舵手〈クオーター・マスター〉が代表として全てを取り仕切ることになっており、今ローレンスの目の前にいる男は、まさにその役割に適していた。
「まあ、ゆっくり慣れてくれればいい。
……悪いな、騒がしい連中ばかりで」
「でも、いい人たちだ」
「まだこの船に乗ったばかりなのに、わかるのか?
今陽気なのは酒を飲んでいるからで、本性は泣く子も黙る残虐な海賊かもしれないぞ」
「適当に言ったわけじゃありませんよ。
乗組員同士の会話を聞いていて、すごく仲がよさそうだと思ったんです。
他人と仲良くできる人に、残虐な人っていないと思うんですよ」
「ほお。面白い答えだ。海賊を恐がらない、その度胸もいい。
だが、適応能力があるのかないのか、わからないな。
とりあえず、もっと砕けた話し方をしてくれないか」
「あ、すみま……ごめん。敬語のほうが話しやすくて」
「ゆっくり慣れてくれ」
さっきと同じことを言って、シルヴィオは笑った。
シルヴィオはそれからもしばらく相手をしてくれたが、そのうち他の船員に引っぱっていかれた。
ローレンスはゴブレットを置いて、人気のない端まで歩いた。
顔が火照って暑かったが、お酒のせいではない。
アストンの商船に乗っていたときも、乗組員たちとは上手くやっていたが、こんな高揚感はなかった。
大勢で騒ぐことがこんなに楽しいとは知らなかった。
それは、ローレンスにとって、とても大切な発見だった。