第一部(1)
フォスター博士と別れ、港町に向かったローレンス。
そこで出会った商人の誘いを受け、ローレンスは彼の商船に乗り込んだが――。
海賊船に遭遇し、ローレンスが剣を手に取るまで。
炎が燃えさかり、煙が空に立ち昇っていく。
水色のキャンパスに無粋な灰色が混ざり、ローレンスはその光景を見ながら、ひどい違和感を感じていた。
悲しみはない。
貴重な書物や、父の持ち帰った宝が――そして、父と過ごした日々の思い出が消えていくのを、ローレンスはフォスター博士の横に並んで、その目に焼き付けた。
あらかじめ近所の住人には家を燃やすことを告げたので(不審な顔をされたが、当然だろう)、家の周囲には、ローレンスとフォスター博士の二人だけが立っていた。
視線を感じて横を向くと、フォスター博士と目が合った。
今は同情の言葉など聞きたくない。
これは終わりではなく、始まりなのだ。
嘆いている暇はないし、嘆くつもりもない。
ローレンスは汗ではりついた前髪をかきあげた。
今は秋だが、さすがに目の前で家が燃えていると、首筋に汗がにじんだ。
フォスター博士もポケットからハンカチを取り出し、首筋に押し当てた。
「ずいぶん軽い荷物だが、君は物欲がないんだね」
「あなただって、手ぶらじゃないですか。
ぼくは、あなたに父の遺品を受け取ってもらいたかったのに」
「空しいじゃないか。
本人がいないのに、本人の持ち物だけが残るなんて」
それもそうだと思い、ローレンスはうなづいた。
今の一言で、胸につかえていた最後の一固まりが消え去った。
「もう少しで全焼ですね。火の勢いが弱くなってきた」
「この後、どうするんだ?」
「ぼくは港町に向かいます。
そこで、どこかの船に乗せてもらって、色々な場所を見ていこうと思っているんです。
ぼくは確かに物知りかもしれないけど、経験に関しては赤子並みだから」
「それなら、私は陸で君のお父さんについて調べよう。
詳しいことがわかったら、手紙を書く。
君は港につくたびに、私の家に自分の現在地を書いて、送ってくれ」
「わかりました」
「さて、火が消えたし、旅立ちといこうか。
途中まで一緒に行こう」
ローレンスは黙ってうなづき、フォスター博士にうながされて、住み慣れた家に背を向けた。
ローレンスはごくわずかな荷物を手に、港町にやってきた。
あらゆる型の船が停泊し、商人たちが忙しく立ち回っている。
ローレンスはぼんやりと海を眺めていたが、それの姿が目をひいたのか、一人の男がローレンスの隣に立った。
男がなにも言わないので、ローレンスはそのまま海を見続けた。
やがて、男が口を開いた。
「君は、『セントエルモの火』を知っているか?」
ローレンスは隣に立つ男を見上げた。
相変わらず、男は海を見たままだ。
「聖なる吉兆の印ですね。
天候が悪くなると、船のマストの先端が発光するっていう」
「そう。船乗りの間では有名な話だ。
セントエルモの火が出現すると、航海の守護神のご加護により、嵐が収まる……とな。
嵐の中でもこの現象が発生すると、みんな助かったと喜び合うんだ。
だが、お偉い学者さんたちのおかげで、最近はこれも自然現象で片づけられるらしいな」
そこで初めて、男がまっすぐにローレンスを見た。
どこか値踏みするような視線だ。
「君は賢そうだ。
物理学的に説明できるかね?」
「あれは、とがった物体の先端で静電気なんかが『コロナ放電』を発生させて、青白い光を発生させる現象です。嵐の時に見られるのは、雷による強い電界が、マストの先端を発光させるためですね」
「そう。非常に論理的だ。
だが、君は最初に『聖なる吉兆のしるし』だと答えた。
なぜかね?」
「だって……そっちのほうが、面白いじゃないですか。
『セントエルモの火』は、船乗りにとって、希望です。
真実を知るのもいいけど、希望が持てる説明のほうが、素敵だと思いませんか?」
男は愉快そうに笑った。
「やはり、私が見込んだ通りだ!
いやね、私はこの国の人間だが、世界を旅する商人なんだ」
男は誇らしげに言った。
「あそこに、そこそこ見栄えのいい商船があるだろう。あれだ。
今日の夜にはこの港を離れるつもりなんだが、船員が二人、航海士が一人、船を下りてしまって、困っていたんだ。
みんな、陸でもっと安全に、効率的に稼ぎたいというんだ。
なんと下らない理由だ!
ロマンの欠片もない。
と、まあ、話がそれてしまったんだが、今から欠けたぶん、新しく船員を募集しようと思っていたところだったんだ。
君は話がわかるようだから、どうだね、私の船に乗らないか?」
話を聞いているうちに、もしかして、と希望を抱いていたが、本当に誘ってもらえるとは思っていなかった。
ローレンスは頬を赤くして、二つ返事で答えた。
「もちろん、喜んで。
商船に乗って、世界を旅したいと計画したところだったんです。
ぼくは航海術も知っていますから、役に立てると思います」
「そうか!
それは頼もしい。
いやあ、人を見る目には自信があるんだが、こんなアタリは初めてだ。
よし、ついてきなさい。
私はジョージ・アストンだ」
アストンが片手を差し出したので、ローレンスも握手に応じながら自己紹介をした。
「ランズマン? もしかして、ウィリアム・ランズマンの息子かい?」
「ええ、そうです」
次に言われることは、簡単に予測がつく。
同情されるのではないかと――それが一番つらいのだ――身構えたが、アストンは海を冒険する者らしく、つまらない言葉は口にしなかった。
「そうか。同情されたりするのは、もう飽きているはずだから、なにも言わないでおこう。
しかし、あの有名な冒険家の息子と航海ができるとはラッキーだ」
アストンが歩き出したので、ローレンスも隣に並んで歩いた。
「海に出れば、憂鬱な気分も吹き飛ぶぞ。
海は広いからな。小さい悩みも大きい悩みも、すべて等しく取るに足らないものだと感じるのさ」
それがどういう感覚なのか、ローレンスはまだ知らない。
だが、想像することならできる。
そうかもしれないな、と思い、ローレンスは頷いた。