第101話:システムの限界と白銀の渇望
迷宮都市タルタロスと城塞都市を繋ぐ『白銀の街道』。その大動脈が完全に拍動を始めたことで、この双子都市はかつての四倍にも及ぶ人口を呑み込み、膨張し続ける巨大な生命体へと変貌していた。
季節は秋の終わり。窓の隙間から忍び込む北風は、肺の奥を刺すような冷たさを孕み、遠からずこの地を凍結させる「白き死」の到来を予感させる。
だが、隠れ家の最上階から下界を見下ろす俺の瞳に、極寒に怯える民衆の姿はない。
俺が構築した『温熱インフラ』が地下から熱を供給し、無尽蔵の食糧が胃袋を満たす。絶望的な飢えと凍死という「野蛮な死」は、この都市から完全に駆逐されていた。
「……人は、豊かな環境を与えられれば、自然と増えるものだな」
アンティークの執務机に置かれたグラスの中で、琥珀色の魔酒が揺れる。
爆発的に増加する人口。それは労働力であると同時に、次世代への「投資対象」でもあった。
この日、俺は新たな統治機構を稼働させた。
企業内教育機関『揺り籠』。
それは、迷宮に潜る親たちが「子供の世話」という非効率なタスクから解放され、より労働に没頭するための託児所であり、同時に、次世代の労働者を俺の論理で染め上げるための洗脳装置だ。
「トール様……この子たちの瞳に宿る光は、もはや親ではなく、あなた様だけを向いています」
管理を任せたシスター・クレアが、複雑な表情でそう報告してきた。
教育、食事、安全。そのすべてを俺が提供することで、子供たちは無意識のうちに「トール=世界の守護者」というロジックを深層心理に刻まれていく。
これ以上、誰にとっても合理的な幸福があるか?
俺は冷徹に、その「黄金の檻」の稼働を承認した。
***
数週間後。
都市が「白き死」の猛吹雪に包まれる頃、システムの悲鳴が俺の脳内に直接届き始めた。
「……ぐっ、あ……」
深夜。隠れ家の執務室で、俺はこめかみを押さえ、激痛に顔を歪めた。
『管理者権限:支配領域 Lv.5』。
拡張された俺の知覚は、吹雪に閉ざされた都市の隅々までをリアルタイムで監視している。
だが、その情報量が限界を超えていた。
『揺り籠』に収容された数万の子供たちのバイタル、都市全域の温熱システムの圧力、街道の魔力残量。
さらには、依存と熱狂の中で迷宮へと突き進む冒険者たちの殺意と絶望。
それら数百万のパラメータが、俺という一個体の脳に濁流となって流れ込み、オーバーロードを引き起こしているのだ。
(INT 150……。これほどの演算能力を持ってしても、この巨大な「回路」を制御しきれんというのか……!)
視界の端で、赤い警告ログが激しく明滅する。
それと同時に、現実の都市にも物理的な限界が訪れていた。
「トール様! 緊急事態です!」
扉を叩き割るような勢いで、グレンが転がり込んできた。その顔は、極寒の夜だというのに脂汗で濡れている。
「地下の温熱パイプ、および魔導導線に……『血管障害』が発生しました! 供給されるエネルギーが多すぎて、既存の鉄と銅の導線が熱で融解を始めています! このままでは、数時間以内に都市の暖房が全停止し、数万人が凍死します!」
「……わかっている」
俺は椅子から立ち上がった。
脳を焼くような情報負荷と、都市を焼き切ろうとする物理的負荷。
原因は同じだ。俺が創り上げたこの「巨大なプログラム」に対し、現実の物質——ハードウェアがあまりにも脆弱すぎるのだ。
鉄や銅といった旧時代の素材では、俺の覇道を支えきれない。
人間の脳という生物学的な組織では、この帝国の未来を演算しきれない。
「グレン。既存の規格をすべて破棄する」
「は……? 破棄……!? しかし、代わりの素材などどこにも……」
「見つけに行く。いや、抉り出しに行くんだ」
俺は窓辺へ歩み寄り、凍てつく闇の向こう側——大森林の深淵を凝視した。
「魔法と機械の境界を融解させる、究極の超伝導体。……魔力銀。それさえあれば、俺の脳も、この都市の血管も、真の意味での『ハードウェアの更新』が可能になる」
「し、しかし、ミスリルはもはや伝説の……! この猛吹雪の中、大森林の底を掘り起こすなど自殺行為です!」
「黙れ。俺が決めたロジックに、不可能という変数は存在しない」
俺は月光を吸い込む『蒼黒の鱗羽鎧』を重厚に鳴らし、窓を蹴り開けた。
室内に暴力的なまでの猛吹雪が吹き込み、書類を舞い上げ、酒瓶をなぎ倒す。
「システムの心臓は、俺が直接書き換える。……留守の間、この歪な回路を死守しろ」
背後に立ち尽くすグレンと、影から見守るザイードたちを一瞥し、俺は一歩を踏み出した。
窓から、白濁した虚空へと躍り出る。
十一歳の小さな肉体が、重力を置き去りにして冬の深淵へと吸い込まれていった。
これが、革命の第二段階——『産業革命』への出発だった。




