第026話:狂乱の行軍と金の成る木
ザイードの脳髄に青白い雷霆を流し込み、この街の深淵を流れる密輸ルートを強引に掌握した翌朝。
グレン商会が「絶対の聖域」として設えた隠れ家の最上階。シルクのカーテン越しに差し込む柔らかな朝日を浴びながら、俺はザイードから「抽出」した情報の断片を、冷徹な論理で再構築していた。
この街の裏社会――そこには、一時的に身体能力を爆発させる違法ポーションや、理性を溶かす魔導植物が、ドブネズミのようなスラムの住人から、贅に飽きた貴族の密室にまで蔓延している。
そこに、俺の仮想の蔵『マジックバッグ Lv.2』に眠る「琥珀色の結晶」を投下したらどうなるか。
あの大森林で、ルミナス・トレントの最深部から削り出したあのシロップは、前世の残業明けに胃に流し込んだ安価なプリンを無残な偽物に変えるほど、脳髄を直撃する芳醇な甘みと魔力の奔流を秘めている。これを「究極の嗜好品」として独占供給すれば、この街の権力者たちは例外なく俺のシロップの奴隷となり、底なしの資本が俺の掌へと還流し続けることになるだろう。
だが、一体分の在庫では「支配」には届かない。必要なのは、市場を枯渇させないための安定した「工場」だ。
三十代のサラリーマンとして叩き込まれたビジネスの鉄則。需要を喚起し、供給を独占する。
俺は月光を吸い込む鉄羽と青鱗の『蒼黒の鱗羽鎧』を纏い、再び腐敗の臭気が漂うスラムの最深部へと足を踏み入れた。
結界を破壊され、威厳を剥ぎ取られたザイードの館。昨夜の恐怖が脊髄にまでこびりついている男は、俺の姿を見るなり、汚れた床に額を擦りつけた。
「ト、トール様……! 本日は何を……何をお望みでしょうか!」
俺は無骨な黒い金属棒を執務机に置き、凍てつく声音を放つ。
「ザイード、手下を全頭集めろ。馬車も出せるだけ出せ。大森林へ『ルミナス・トレント』の捕獲に向かう」
「ほ、捕獲……!? あの魔境の化物を生け捕りに……!?」
「そうだ。裏市場の覇権を握るための、金の成る木を仕入れに行く」
一時間後。
スラムの広場には、五十人近い荒くれ者と数台の頑強な荷馬車が集められていた。
充満するのは、垢染みた革鎧の脂臭さと、安酒、そして隠しようのない暴力の気配。ザイードの影として密輸と暗殺を担ってきたゴロツキどもだ。
だが、彼らの瞳に宿るのは、御者台に立つ俺という「子供」への剥き出しの蔑みだった。
「おいおい、ザイードの旦那。冗談は顔だけにしときな。なんで俺たちが、こんな乳臭いガキの遠足に付き合わなきゃならねえんだ?」
顔に醜い傷を持つモヒカン頭の男が、痰を吐きながら下劣な哄笑を上げた。周囲の悪党どもも、獲物を見るような厭らしい笑いを浮かべる。俺の一撃を知らぬ、底辺の掃き溜めどもだ。
「……耳障りだ」
俺は低く呟き、黒い棒の先端を馬車の木枠に突き立てた。
全方位への「指向性魔力波」――『電磁パルス(EMP)』の応用。
――ビリィィィィィィッ!!!
鼓膜を抉るような高周波。目に見えない雷の圧力が広場を薙ぎ払い、ゴロツキたちが握っていた金属武器が一斉に青白い火花を吹いて帯電した。
「ギャアアアッ!?」「熱ィッ! 剣が、熱ィィッ!」
武器を取り落とし、手のひらを焼かれた男たちが泥濘の中で転げ回る。
「俺は慈善事業で遠足に行くわけじゃない。俺の言う通りに動く手足にだけ、金貨の雨を降らせてやる。だが、舌打ち一つでも俺の意に反してみろ。次はお前たちの脳髄を直接焼き切り、中身のない肉の塊に変えてやる」
俺は敏捷(AGI)40の速度で広場の中央へ滑り込み、モヒカンの首根っこを掴んで軽々と持ち上げた。筋力(STR)42。十歳の小さな指先は、大人の男の頸椎を容易く砕ける万力と化している。
「わ、わかった! 命だけは……命だけはぁぁッ!」
足をバタつかせる男をゴミのように投げ捨てる。
恐怖で土気色になった悪党どもを見回し、俺はニヤリと不敵に口角を上げた。
「分かったら返事をしろ。お前たちは今日から俺の奴隷じゃない。俺の富を共に貪る『共犯者』だ。金貨が欲しけりゃ、吠えろ!」
ブラック企業で培われた、アメとムチの統治。恐怖を欲望で上書きされたゴロツキたちの瞳に、血走った熱狂が宿る。
「ヒャ、ヒャッハーーーッ!!」
「ついていきやすぜ、ボス!!」
地響きのような熱狂を従え、馬車隊はスラムを駆け抜けた。
衛兵たちは、裏社会の元締めと、それを支配する「蒼黒の少年」の姿に震え上がり、誰何することなく門を開いた。
朝の平野を土煙が覆う。
俺は先頭の御者台に立ち、乾いた風を頬に受けながら、地平線に鎮座する「黒い心臓」――大森林を見つめていた。
数日前、死に物狂いで脱出してきたあの迷宮へ、今度は五十人の「手駒」を引き連れた支配者として帰還するのだ。
森の入り口。
日光を拒絶する巨大な天蓋の下へ踏み込むと、空気の密度が変わった。
腐葉土が発する甘ったるい死の匂い。青や紫の燐光を放つ葉が、俺たちの侵入を嘲笑うように怪しく揺れる。
俺は『気配察知 Lv.1』を脳髄に直結させた。
雑多なノイズを削ぎ落とし、巨大で、かつ微弱な「植物」の魔力脈動をサーチする。
「……見つけたぞ。三時の方向、百メートル先。三体だ」
「さ、三体も!? ボス、相手は魔物なんでしょ? 俺たちじゃ……」
「お前たちは俺の指示通りに動け。太い鎖と巨大な斧を用意して、俺の後ろからついてこい」
指定した座標。そこには、周囲に同化し、沈黙を守る三本の巨木がそびえ立っていた。
不用意にモヒカンの男が根元に足を踏み入れた、その瞬間。
ズバァァァッ!
地中から地龍のような蔓が弾け飛び、男の足首を捕らえて空中へ高々と吊り上げた。
「ギシ……ギシシシィィ……」
木枯らしのような不気味な冷笑。三本の巨木が同時に醜い亀裂を開き、無数の枝を触手のように蠢かせる。ルミナス・トレントの伏撃だ。
「ヒィィィッ! 助けてくれェッ!」
パニックを起こす手下たち。
「慌てるなッ!」
俺の雷鳴のような一喝が、彼らの足を腐葉土に縫い付けた。
「俺が動きを止める。お前たちは奴らの枝を斧で切り落とし、幹に鎖を巻き付けろ!」
俺は黒い金属棒を構え、宙を蹴った。
狙うは前衛の二体。今回は焼き尽くさない。「生け捕り」だ。
「致死量の一歩手前……魔力回路のみをショートさせる!」
出力を極限まで絞り込んだ『ライトニング・ボルト』。
――バギィィィッ!
青白い閃光が幹を貫く。
「ギェェェッ……!?」
内部の伝導系を焼かれたトレントたちが、痙攣と共に蔓をダラリと垂らして硬直する。
「今だ! 切り落とせ!」
我に返ったゴロツキたちが、富への渇望に突き動かされ、狂ったように斧を振り下ろす。青白い樹液が血飛沫のように舞い、周囲に芳醇な甘い香りが立ち込めた。
「ボス、危ねえッ!」
背後から三体目が、槍のように鋭い根を突き出してきた。
だが、俺の『気配察知』に死角はない。
振り返りざまに黒い棒で『ショック』の磁場を形成し、軌道を逸らす。そのまま、幹の亀裂――その中心部へ直接、微弱な電流をパルス状に叩き込んだ。
「ギシ、ギ……ッ」
沈黙。
「三体とも無力化した。根を掘り起こせ! 枯らさないよう、土ごと鎖で縛り上げろ!」
宙吊りから解放された男たちを中心に、五十人の手下が一斉に作業に取り掛かる。
彼らは俺の圧倒的な「暴力」と、目の前の「金の成る木」を前に、完全に狂乱状態に陥っていた。
「ヒャッハー! 木の化け物もボスの前じゃただの丸太だぜェ!」
「掘れ掘れェ! 億万長者の種をお持ち帰りだァ!」
数時間後。
巨大な荷馬車に、重厚な鉄の鎖で縛り上げられた三体の巨人が横たわった。
それは古代の神を捕らえた凱旋パレードのような、あまりにも異様な光景だった。
俺は御者台から、縛り付けられた「商品」を見下ろした。
これを隠れ家の地下に移植し、定期的にあの琥珀色のシロップを抽出する「工場」を造り上げる。
一度あの脳髄を蕩けさせる甘味を知れば、街の貴族も、裏の権力者も、俺なしでは生きられない身体になる。
街の経済を裏から完全に依存させ、その首根っこを掴む。
誰かに敷かれたレールを歩く羊ではない。圧倒的な武力と、この「毒」のような資本を背景に、世界の頂点と対等に渡り合う自治都市を築く。
「街へ戻るぞ。……俺たちの『帝国』、その基礎工事の始まりだ」
俺が黒い棒を夕陽に掲げると、五十人の悪党どもが再び、狂気と期待の混ざった雄叫びを上げた。
蒼黒の鱗羽鎧を纏った十歳の絶対者は、欲望の渦巻く軍団を従え、黄金色に染まる平野を堂々と凱旋していった。




