第8章 灰の英雄
三ヶ月が経った。
聖都エル・セリオの空は、いまだ灰色のままだった。
焼け落ちた聖堂の跡には、
一枚の焦げた旗が、風に翻っていた。
それは――無詩の旗。
かつて「異端」と呼ばれた者たちの象徴。
そして今は、「希望」として語られる旗。
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人々は言った。
「あの男は死んだ。だが、その祈らぬ理想は生きている。」
農民が、兵士が、孤児が。
それぞれの地で、無詩の旗を掲げ始めた。
レオン・アークライト。
彼の名は、いつしか“灰の英雄”と呼ばれるようになっていた。
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その噂を、イレーネもまた聞いていた。
彼女は、辺境の小国・ルメリアで身を隠していた。
連合から追われる身として、偽名を使い、
ただ一人で生き延びていた。
だが――逃げるつもりはなかった。
夜。
小さな宿の一室で、イレーネは机に向かっていた。
紙の上には、彼女の筆跡で書かれた言葉。
《戦争を終わらせたい者は、集え。
我らは祈らぬ者、無詩の継承者なり。》
彼女は筆を置き、深く息を吐いた。
窓の外には、灰色の月。
「……あなたの理想を、終わらせない。」
呟いたその声に、決意が宿っていた。
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翌日。
ルメリア郊外の森の中、
イレーネはかつての仲間たちと再会する。
「久しぶりね、リュナ。」
「まったく、死人みたいな顔してるじゃない。」
「そう見える?」
「ううん。むしろ、生きる覚悟の顔。」
リュナが微笑む。
その隣には、傷だらけのグランの姿もあった。
「お前が立つなら、俺たちも立つ。
レオンの旗を継ぐ者がいねぇと、世界がまた狂う。」
イレーネは静かに頷いた。
「ありがとう。
……でも、私はレオンじゃない。」
「分かってる。けど、お前は“あいつが救った最後の人間”だ。」
イレーネの手が、焦げた旗を握る。
それを見て、リュナが言った。
「“灰の英雄”の後を継ぐ者――悪くない響きね。」
イレーネは苦く笑った。
「英雄なんて言葉、好きじゃない。」
「じゃあ、何になるの?」
イレーネは剣を抜いた。
光の反射が、灰色の空に映える。
「……世界を敵に回す女よ。」
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その頃、
神聖連合では、新たな最高司祭が立っていた。
男の名は、マルセル・ディオス。
狂信的な教義を掲げ、
「無詩の理想」を“神への反逆”と断じた。
「灰の英雄を生んだ異端どもを、
この地上から根絶する!」
そして連合は再び、
戦争を――始めた。
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数週後。
戦火は、ルメリアへと迫る。
夜の空に火柱が上がる。
村が焼かれ、民が逃げ惑う。
イレーネは剣を構えた。
かつて、神の名のもとで振るった剣。
今は、人のために。
「戦う理由をくれたのは、あなた。
だから、私は戦う。」
リュナが笑う。
「レオンが見たら、何て言うかしらね。」
「たぶん……“お前は強い”って。」
「そうかもね。」
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戦場。
イレーネの剣が、光を裂く。
その姿は、かつての“聖女”ではなく、
戦火に染まる“戦う祈り”そのものだった。
連合の兵士たちは怯えた。
「あれが、灰の英雄の亡霊だ……!」
だが、イレーネは答えない。
ただ、前だけを見ていた。
その背に、無詩の旗が翻る。
風に、灰が混じる。
まるで――レオンの魂が、そこに在るように。
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戦いの終わり。
イレーネは剣を下ろした。
リュナとグランが駆け寄る。
「勝ったのか?」
「ええ。でも……戦争は、まだ終わらない。」
イレーネは空を見上げた。
灰が降る空の向こうに、
かすかな光が見えた気がした。
「レオン……あなたの“平和”を、
今度は私が証明してみせる。」




