第4章 血と祈りの狭間で
冬の匂いがした。
風は冷たく、空は鉛のように重たい。
その空の下で、またひとつ戦が起ころうとしていた。
神聖連合が北方の独立領を「異端掃討」と称して侵攻。
焼かれた村は十を超える。
無詩が止めねば、誰も止める者はいない。
「また神の名か。」
グランが唸る。
「いい加減、あの連中も飽きないな。」
レオンは旗を手に立っていた。
その表情は、どこか痛みを帯びている。
「止められるなら、止めたい。
けれど……イレーネがいる。」
「前のあの女将?」リュナが目を細める。
「やっぱり、手を抜く気?」
「抜かない。ただ――殺したくはない。」
「理想家ね。」
そう言いながらも、リュナの声は少しだけ柔らかかった。
⸻
戦場は灰の平原。
雪混じりの風が、兵の足跡を覆い隠す。
レオンたちは、戦の中央に割って入った。
白銀の軍勢と黒衣の連合兵。
その間に、たった二十の影。
「無詩の旗だ!」
「異端者どもが来たぞ!」
怒号とともに矢が放たれる。
だが、レオンは構えない。
彼の背後で、リュナが呪文を紡いだ。
「《風壁》!」
風が渦を巻き、無詩の陣を包み込む。
矢が空中で弾かれ、火花のように散った。
レオンは声を張り上げた。
「剣を下ろせ! 戦っても何も生まれない!」
その叫びに、兵たちは一瞬ためらう。
だが、そのためらいを斬り裂く声があった。
「――神は、あなたの理想を許さない!」
雪煙を割って現れたのは、イレーネ。
白い軍馬に跨り、聖剣を掲げる。
彼女の姿はまるで、神話に描かれた天使のようだった。
「あなたが止めた戦のせいで、
神の加護を失った国々がある!
あなたの平和は、秩序を壊す!」
レオンの瞳が揺れる。
「秩序のために、人を殺すのか……?」
「違う! 人は祈るから生きられる!
あなたの旗は、それを奪う!」
イレーネの剣が光を放ち、レオンに迫る。
レオンは受け止め、火花を散らした。
金属の響きが、吹雪の中で鳴り続ける。
「あなたが守ろうとしているのは“神”だ。
俺が守りたいのは“人”だ!」
イレーネが剣を押し返す。
「それが、どれほど傲慢か分かってるの!?」
「傲慢でも構わない!」
レオンの一撃が、イレーネの聖剣を弾き飛ばした。
その刃が雪に突き刺さる。
彼は剣を振り下ろさなかった。
ただ、彼女を見つめて言った。
「俺は、あなたを殺さない。
たとえ次に会う時、俺が討たれる運命でも。」
イレーネは唇を噛んだ。
その瞳が震え、何かを言いかけて――
結局、言葉を飲み込んだ。
雪が静かに降り積もる。
「……神は、あなたを見ている。」
それだけ残して、彼女は背を向けた。
聖騎士団が撤退していく。
戦場に、静寂が戻る。
レオンは剣を下ろした。
血の匂いが、やけに遠く感じた。
リュナが近づいて、ぽつりと言う。
「……彼女、本当は戦いたくないのね。」
レオンは空を見上げた。
「そうだな。
きっと彼女も、平和を信じたいんだ。」
雪が頬を打つ。
その冷たさが、妙に心地よかった。
⸻
夜。
焚き火の光の中で、レオンは一人、祈らぬ祈りを捧げていた。
「俺は……間違っているのか。」
焚き火が、はぜた。
炎が揺れ、赤く染まる夜空に、
イレーネの瞳が浮かんだ気がした。




