第10章 無詩の祈り
轟音が空を裂いた。
無数の光の槍が、旧聖都を貫く。
祈りの炉がうなりを上げ、白い光を放つ。
イレーネは剣を構え、
その中心へと駆けていた。
リュナが叫ぶ。
「もうだめ! 魔力が暴走してる!」
「分かってる! でも止める!」
イレーネの背に、焦げた旗が翻った。
灰が舞い、血が滲む。
――それでも、足を止めなかった。
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塔の中枢。
巨大な魔力炉が脈動している。
そこに、人の祈りの残滓が絡みつき、
まるで無数の声が響いていた。
「神よ、救いを……」
「憎い、殺してやる……」
「愛してる、どうかもう一度だけ……」
祈りは願いであり、呪いでもあった。
イレーネは歯を食いしばる。
「これが……人の“祈り”の正体……?」
剣を振り上げ、
炉の中心に突き立てた。
光が弾ける。
魔力が暴走し、世界が震える。
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その時だった。
光の中に、誰かの影が現れた。
聞き覚えのある声が響く。
「……やめろ、イレーネ。」
彼女は振り向いた。
そこに、立っていたのは――レオン。
「そんな……あなたは、もう……」
「俺は、記憶の残響だ。
祈りの炉に刻まれた“俺の意志”。」
イレーネの目から涙があふれる。
「どうして止めるの?
あなたが言ったんじゃない……
“祈りを止めろ”って!」
レオンは首を振った。
「違う。
“誰かを信じるための祈り”は、奪っちゃいけない。
俺が止めようとしたのは、“憎しみの祈り”だ。」
イレーネは震える声で問う。
「じゃあ、私はどうすればいいの?」
「選べ。
俺じゃなく、君自身の答えを。」
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外では戦争が続いていた。
無詩の残党と連合の軍勢がぶつかり、
火と光が夜空を染める。
リュナが魔力の波を感じ取り、叫んだ。
「イレーネ! 炉が限界よ!
あと数分で、この街ごと吹き飛ぶ!」
イレーネは剣を見つめた。
レオンの声が再び響く。
「もし君が、祈ることを選ぶなら――俺はそれを信じる。」
イレーネは目を閉じた。
涙の代わりに、微笑みがこぼれる。
「……なら、私はこう祈るわ。」
剣を掲げ、天に叫ぶ。
「――もう、誰も神に祈らない世界をください!」
剣が光を放つ。
炉の魔力が逆流し、空が裂けた。
閃光。
轟音。
そして、静寂。
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しばらくして――
風が、灰の中を吹き抜けた。
崩れた塔の跡。
瓦礫の上に、一本の剣が刺さっていた。
その傍らに、イレーネが倒れている。
リュナが駆け寄り、彼女を抱き上げた。
「イレーネ! 目を開けて!」
微かに、唇が動く。
「……終わった?」
「ええ。
世界中の“祈りの光”が、消えた。」
イレーネは空を見上げた。
灰色だった空が、ゆっくりと晴れていく。
「……綺麗ね。」
「あなたのせいで、世界は神を失ったのよ。」
「そう。
でも――」
イレーネは、かすかに笑った。
「誰かを救いたいと願う人がいる限り。
それは、もう祈りじゃなくて……希望よ。」
その言葉とともに、彼女は静かに目を閉じた。
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数年後。
子どもたちの笑い声が響く村。
戦火はもうどこにもない。
人々はもう神に祈らない。
だが、互いの名を呼び合い、手を取り合っていた。
村の広場には、一本の旗が掲げられている。
色を持たない、ただの白布。
その下に刻まれた碑文。
《無詩の祈り――
神なき時代に、人は人を信じた。》
風が吹き抜ける。
旗が揺れ、太陽の光を受けて輝いた。
まるで、そこにレオンとイレーネが
微笑んでいるようだった。
⸻
(完)




