紅茶の香る戦略
「……隣国で、『運命の人』とやらに出会い、婚約者と婚約破棄する者が増えているらしい」
角砂糖二つに紅茶をクルクル回す男の言葉に、茶を嗜んでいた二人の男が驚愕の声を上げた。
その様子に気分を良くしたのか、男ーー公爵家嫡子、アモーレ・アニェッロは微かに口角を上げた。
片方の男が耐え切れず、「バンッ」とテーブルを叩き立ち上がる。振動でテーブルに置いてあった紅茶のカップやケーキスタンドが音を立てて倒れ、紅茶が床に滴る。給仕たちは慌てて飛び退き、銀のスプーンが微かに床に触れてカチャリと音を立てた。
それでもアモーレは、散乱した紅茶や倒れたお菓子を一瞥するだけで、涼しい顔のまま紅茶を啜る。
武門の誉れ高きシュトルツ侯爵家の嫡男、クラールは怒りに身を震わせ、低く荒ぶる猛獣のような声色で呟いた。
「……つまり、隣国の考えでは婚約者は『運命の人』とやらではなかったと……?」
アモーレが肯定する前に、もう一人の男が声を出した。
「そのようですね……本当に、」
「有り得ない」
不愉快そうに眉を顰めた彼は、魔術の名門たるノアール伯爵家の次男、ソレイユ。
彼は平静を装っていたが、手に持つティーカップには細いヒビが入っており、指先に微かに震えが伝わる。
アモーレは口元を手で隠し、クスクスと笑った。お茶会に有るまじき惨状が、どうやら彼にとっては愉快らしい。
クラールとソレイユは、アモーレの楽しげな様子に気付くことなく、二人だけで話を続けた。
「隣国ってなると……デショワール王国かエクラ帝国か……」
顎に手を添えながら、クラールは首を傾げた。
ソレイユは鼻で笑い、どこか同情するように言った。
「エクラ帝国は皇帝がアレだから違いますよ」
クラールは僅かに眉を下げ、すべてを察したように「あぁ……」と呟いた。
「そうなるとデショワール王国か…」
アモーレは「その通り」と頷き、紅茶を啜った。
「……その話を聞くと、あの王国には魔力供給はしたくありませんね」
この世界では魔力保持者が圧倒的に少なく、王国に一人いればまだ良い方だ。ソレイユのような魔術伯爵家は重宝される。
魔力供給とは、魔力保持者がいない国に高値で魔力を取引することであり、その用途は多岐に渡る。代表的なものは『武器』『ポーション』『アクセサリー』だ。赤熱した魔力を封じ込めた武器、戦場で有効なポーション、身を守るアクセサリーーどれも、国の戦力や富に直結する。
だが、魔力供給は義務ではない。供給を断たれれば、その国の軍事力は著しく弱まり、王都の市場に出回る品々にも影響が及ぶ。魔力によって強化される日常用品や防具の質が落ちることもあるのだ。逆に言えば、魔力供給を受けられない国は、貧しいか、あるいは他国に見放されている証左であり、外交的な孤立をも意味する。
つまり、ソレイユの今の発言は、デショワール王国に対する失望を含んでいた。
彼は己の婚約者を深く愛している。その身を持って守り、添い遂げる覚悟を持っている。
だからこそ、『運命の人』などという不確定なものに惑わされ、己の婚約を簡単に翻す愚か者が存在する国に、魔力供給を躊躇するのは当然のことだった。
クラールはソレイユの発言に同調するように頷いた。
「俺も、父上にデショワール王国に兵士を送るのをやめるように言うべきだろうか……」
兵士を送るのは、デショワール王国が同盟国であるからだ。互いの軍事的信頼関係を維持するために、戦力の一部を派遣するのは義務に近い行為である。兵士を送ることには、国の影響力を及ぼす、領地や交易路の防衛を確実にする、そして同盟国との友好関係を保つというメリットもあった。
だが今の状況では、『運命の人』などという不確定な価値観に国が振り回されるデショワール王国に、我が国の貴重な兵士を割く意義は薄いーークラールはそう判断した。
その判断に、私情を交えていないとは一概に言えない。何故なら、クラールもまた己の妻を深く愛しているからだ。
「俺が死ぬならお前も死ね。それができないなら、俺以外の男と添い遂げるな」と剣を片手に脅すほどに。
とはいえ、彼の妻もまた同じく愛している。「私が死んでも貴方には生きて欲しい。それでも、孤独で寝てください」と真顔で告げることもあれば、クラールが死にかけた際には涙ながらに「私は、貴方と共に黄泉路を行きたいのです」と訴えるほどだ。
互いに深く愛し合う——自他共に認める相思相愛の夫婦である。
アモーレは、ソレイユの婚約者に向ける感情を「気味が悪いほど糖度100%」と評し、シュトルツ夫婦の互いに向ける感情を「異常なまでの執着心と独占欲を同じ釜でじっくり煮詰めたようなもの」と、何方も高く評価していた。
紅茶を啜りながら、頭を悩ませる二人に笑いかける。
「良いんじゃないか? 私は君たちの判断に任せるよ」
ソレイユとクラールは顔を見合わせる。
「いいのか?」
クラールが尋ねると、アモーレは肩を竦めて頷いた。
「人の上に立つ者が、『運命の人』に惑わされる……そんな国とは、和親関係を維持できないだろう」
「それに」とティーカップを置きながら彼は続ける。
「他国はデショワール王国を見放している。この潮流に乗るしかない」
アモーレの笑みに、二人は薄ら寒さを覚えた。
何せ、アモーレの婚約者はデショワール王国の王太子にちょっかいを掛けられていた。こちらが何度注意してもやめず、アモーレはその行動を早々に「宣戦布告」と判断していたほどだ。
「いい機会だ」とアモーレはほくそ笑む。
婚約者以外の幸せには無関心である彼だが、婚約者の幸せは己以外の隣にあるべきだと考えている。しかも婚約者自身も同じ考えだ。それを壊そうとした者への報復としては、これで十分だと彼は思っていた。
三人は、デショワール王国のこれからを見据える。
己にとっての『運命の人』は婚約者以外には存在し得ない——偽物に惑わされる王国など、関わるだけこちらの品が落ちる。
「これから忙しくなるね」
不意に呟くアモーレに、クラールは苦笑しながら応えた。
「俺の妻のためだ。一肌脱ぐさ」
ソレイユも微笑む。
「私のお嫁さんのためなら、幾らでも働けますよ」
『愛を知る者ほど強いものはいない』ーー
テーブルに零れた紅茶を拭き、新しいお菓子や紅茶を用意する給仕たちは、恐怖で肩を震わせていた。




