ロマンチックが止まらない
結局、私が塾へ行くことはなかった。
何をしていたのかというと、ひたすら本橋駅のベンチに座ってぼーっとしていただけだ。
特にすることもなく、ただぼーっと。
理由はひとつ、ここにいれば彼が現れるかもしれないと思っただけ。幸い、本橋駅の改札口はひとつしかない。
ここまでくると、我ながら気持ち悪いと思う。本当にストーカーかもしれないと心配になる。英里子が呆れるのも当然だ。
「はぁ……」
Pinky&Dianneの腕時計はもう夕方の4時を指している。
一向に現れる気配のない彼。
私は本日何度目かの溜め息を吐いて、立ち上がった。
このまま帰っても良かったのだけど、何となく駅の外に出てぶらぶらと歩いてみることにした。何だかんだで諦めが悪いのだ。
(ここが彼が住む町かぁ……)
何とも、のどかな処だ。後ろから照らす夕日が影を伸ばした。
(……あ)
前方に、小さな男の子がうずくまっているのが見えた。
どうやら泣いているようだ。こんな所で一人迷子にでもなったんだろうか。
もともとお節介な上に、子供好きな私は迷うことなく男の子のそばに駆け寄って、同じようにしゃがみ込んだ。
「ボク、どうしたの?」
そう声をかけて背中に触れると、男の子はパッと顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃになった表情が更に歪む。大声で泣きじゃくられ、私はただオロオロと背中をさすった。
「大丈夫、大丈夫。お母さんは?」
男の子は首を横に振るだけだった。
しかし私もこの町に来たのは初めてだ。
交番でも探してみようと思い、そっと立たせると、男の子は直立不動のまま体の横で拳をぎゅっと握ってわんわん泣き続ける。
「えっと、お名前は?」
「えーきち……」
「英吉君ね!よし、お姉さんと一緒にお母さん探そうね」
「……うん」
(か、可愛いっ……!)
やっと泣き止んでくれた君は英吉くんはその小さな手で私の手をぎゅっと掴んだ。
幸い、10分程歩いた先に交番があった。
ホッとして中に入った。
あとはお巡りさんに任せれば大丈夫だろう。
迷子だと説明すると、優しそうな笑顔のお巡りさんは英吉くんを椅子に座らせ、同じ目線に合わせてゆっくりと尋ねた。
「英吉くんの上のお名前はなんて言うのかな?」
すると英吉くんは、ポケットから小さなガマ口財布を差し出した。
お巡りさんがそれを開けると、紙切れが一枚入っており、そこには自宅の電話番号と『来栖英吉』と書かれてあった。
お巡りさんが電話をかける。
保護者が出たようで、状況を説明し、迎えに来てもらうように頼んでいた。
電話を切ってら、もう大丈夫と笑いかけると、英吉くんも笑った。
「ありがとうございます。家の人が迎えに来てくれるからもう大丈夫です」
「あっ、はい」
私は帰ろうと、英吉くんにバイバイを言った瞬間、英吉くんがまた泣き出した。
「英吉くん、すぐにお家に帰れるから大丈夫だよ。ほら、泣かないで」
「やだやだやだ!」
「……」
困ったように顔を見合わせる私とお巡りさん。まぁ、特に予定もないので、家の人が迎えに来るのを、交番の奥の部屋で私も一緒に待つことにした。
英吉くんはすっかり私に懐いてくれ、何度も抱っこをせがんできた。なんて可愛い子なんだろう。お姉さんもうメロメロだよ。こんな可愛い子を迷子にするなんて。
英吉くんと遊んでいる時、交番に誰かが声をかけてきた。どうやら英吉くんの迎えのようだ。
お巡りさんが対応しているのが聞こえる。
英吉くんと別れるのは寂しかったけど、お迎え来たよ、と抱っこしたまま表に出た。
「あ、こちら英吉くんを交番に連れて来てくれた女の子です」
「……」
お巡りさんを間に挟んだまま、目の前にいる英吉くんの保護者に唖然とした。
うそ……何で。
何で彼が……。
あ、そういえば英吉くんの名字。
そう、英吉くんを迎えに来たのは電車のイケメン男子、来栖愛地くんだった。
Tシャツにパーカーというラフな服装の彼も十分かっこいい……ってそんな場合じゃない。
来栖くんも、私の顔を見た時驚いたように目を見開いた。
もしかして彼も私の顔を覚えていてくれたんだろうかと嬉しく思ったけど、その視線はすぐに私の腕の中の英吉くんに注がれた。
お巡りさんは呑気に、良かったねぇと英吉の頭を撫でている。
英吉くんは、私の腕から離れると、嬉しそうに来栖くんに駆け寄った。
来栖くんは無表情のまま、お巡りさんに頭を下げて英吉くんの手を握る。
すっかり混乱した頭で2人と共に交番を出た。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……あの」
「あ、はいっ!」
やばっ声、裏返った。
私は恥ずかしさで一杯になり、まともに顔も見れずに振り返って俯いた。
だって、憧れの彼がこんなに近くにいる。なんて運命的なんだろう。
「ありがとう…ゴザイマス」
「いえいえいえ。あの、とっても良い子で、可愛いし、私も楽しかったし、」
何を言ってんだ私は。これじゃとんだロリコン発言だよ。
来栖くんと手を繋いでいる英吉くんの、もい一方の手が私の右手を握った。
「お姉ちゃんも、一緒に帰ろ」
「え……」
来栖くんは少し困ったように英吉くんを宥めた。
「迷惑言っちゃ駄目だろ」
「やだやだやだ。お姉ちゃんも一緒に帰る!」
「おい英吉」
「お姉ちゃんがねぇ、抱っこしてくれたよ」
来栖くんが私を見た。申し訳なさそうな表情をして。
彼と目を合わせたのはこの瞬間が初めてだった。
私の胸の奥が甘い痛みで一杯になった。夕日に染まる彼の顔に見とれ、時が止まってしまったように感じた。このままずっと見ていたいと思わせるような瞳をしている。
「すんません。重かったでしょ、こいつ」
「ううん……」
「ねぇ愛地ぃ!お姉ちゃんも一緒に帰るの!」
「だから、わがまま言うなよ」
「あの、私、駅までなら……」
「……え」
英吉くんを真ん中に、私と来栖くんは並んで歩いた。ドキドキして、せっかくなのに横は見れなかった。
「英吉、お母さんは?一緒に出かけただろ」
「うん、うーんとね。お母さんは大事な人と会わなきゃいけなくなったから、先帰りなさいって」
「……そうか」
そう呟いた来栖くんは少し怒っているような気がして、私はとっさに話を振った。
「ふ、2人は兄弟?」
「あ、うん……」
「そうなんだ。いいね、こんな可愛い弟」
「キョウダイいんの?」
「一人っ子!だから余計羨ましくて」
「……あんたいくつ?」
「17……高2」
「俺と同じだ」
知ってます、と思わず口を滑らしそうになった。
次第に駅が見えてきた。あっという間の帰り道だった。せっかく知り合えたのに、もうバイバイか。
改札の入り口で、私は英吉くんの手を優しく解き、2人に向き合った。
「えと、じゃあ……もう迷子になっちゃ駄目だよ英吉くん」
「うんっ」
「ほら、英吉、お礼は?」
「ありがとう、お姉ちゃん」
「どういたしまして」
じゃあ、ともう一度手を振って背中を向けようとした私を来栖くんの声が引き止めた。
「あのさ、」
「え、なにっ」
「聖和高校、だよな」
「そうだけど……」
「その、あんたは気付いてねぇかもだけど、俺らよく同じ電車乗ってんだぜ」
「……」
幸せの鐘が頭の中で響いた気がした。
予想外のその言葉に嬉しくもあり、恥ずかしかった。
彼も私に気付いてくれていたのだ。
でも、私が来栖くんと同じ電車に乗る為だけに、毎下校中全速力で駅まで走っていることをこの人は知らない。
「じゃあ、またな」
お姉ちゃんばいばーい、と手を振る英吉くんの隣りで、もう既に背中を向けて歩いている彼。
ロマンチックが止まらない
(さっそく英里子に電話しよう)