電車は走る
「来栖愛地。大成学園高校2年。B型。中学の時から喧嘩が強いと噂。いつもは穏やかな性格だけどキレたら止まらない。病院送りにした相手は数知れず。無敗の喧嘩王」
「……」
「現在彼女は、なし」
「やったぁ!」
手放しで喜ぶ私に呆れながら溜め息を吐く英里子。
昨日大成学園に通うという弟に訊いてくれたらしい。英里子の弟とその来栖愛地くんは、仲の良い先輩後輩の間柄なのだとか。なんて偶然。いや、これぞ運命。
「あんた私の話聞いてた?大成じゃあ喧嘩が強くてかなり有名な奴らしいよ。危ないって。あ、あと普通大成学園の生徒ってだけで他校の女から嫌煙されるのに、この来栖って奴だけはモテるんだって。ほら、あんたみたいな女に」
「……でも彼女いないもん」
「私には女遊び激しそうに見えたけどね」
なるほど。分かった。彼は所謂、不良なのだ。つまりクローズなのだ。ビーバップハイスクールなのだ。
でも、こんなに気になる相手に出逢ったのなんて久しぶり。まさか自分がこういうタイプの人を好きになるなんて思わなかった。
だって私のタイプは昔から、爽やかスポーツマン系なのだから。
だけど、理想と現実は違うらしい。
「それでもいいもん!気になるんだから仕方ないじゃん」
「あーはいはい」
すると、私と英里子が話している所に、同じクラスの千夏が割って入ってきた。恋バナって奴が好きな千夏は、好奇心旺盛な瞳でぐいぐいと身を乗り出して訊いてくる。
「なになに?ミナミ、好きな人できたの?」
「あー……うん」
「まじで!この学校?」
「違うよ。大成学園の人」
そう言った瞬間の千夏の表情。
あんた馬鹿?と思いっきり顔に書いてある。
「そんな露骨に嫌な顔しなくても」
「だって大成学園だよ。やめときなって」
千夏がそう言うと、英里子もほらね、というように頷いた。
うるさいなぁと口を尖らせれば、千夏がいやに笑顔で私の肩を掴んできた。
こういう時は、何か企んでる時だ。
「ミナミに紹介したい人がいるんだけど」
「えーいきなり?誰?」
「水泳部の日向くん」
「え!」
意外な名前に思わず声を上げた。
実は、水泳部のエース、日向くんは私が入学当時気になっていた人なのだ。
スポーツマンで爽やかで短髪の彼は、私のドストライクだった。
そういえば、あの時も英里子に反対されたっけ。あいつは何か調子に乗ってる、と。根拠のない、いちゃもんに過ぎないけど。
しかしその後、私のチキン体質が祟って一度も話しかけることもなく、日向くんへの微かな想いは何となく風化された。
そう考えると私、結構一目惚れの多い女だな。
「でも何で日向くんを私に?」
「ふふ、秘密。まぁ考えといてよ」
意味深な言葉を残して千夏は去って行った。結局、それを言いに来たのだろうか。
すると、英里子が千夏の後ろ姿を見ながら呟いた。
「あんた今、日向に気持ち傾いてるでしょ」
「え!」
「まぁいいけどね、私は」
「そんなことないよ!ほら、携帯の待ち受けもこうして来栖くんの隠し撮り写真だし」
「……それはやめた方がいいかな」
英里子の携帯が鳴った。彼女は今日、31歳の彼氏とデートらしい。
これぞ純愛だと英里子は笑う。純愛に、歳は関係ないのだと。
それなら私だって言わせてもらう。
純愛に、学校の良し悪しは関係ないと。
「乗り過ごした……」
ドアの閉ざされた4時45分の電車を見送りながら、駅のホームに一人立ち尽くす。走ったせいで乱れた呼吸がひどく苦しい。
今日はどうしても、彼に会いたかった。どうしても、話しかけたいと思っていたのに!
この燃え上がる恋心を一気に殺がれた私は、半ば諦め状態で次の電車に乗った。
もしかしたら彼も乗り遅れたかもしれないという淡い期待も虚しく、一本後の電車には当然ながら彼の姿はなかった。
しかも、明日は土曜。その次は日曜。2日間も、会えない。
「どうしよう、英里子。2日間も会えないよ」
「……そんなことでいちいち電話してこないでね」
夜、私は英里子に電話をかけたいた。
電話の向こうで彼女がひどく面倒くさそうに溜め息を吐くのが分かった。
渋々ながらも、話を聞いてくれる英里子は何だかんだで優しいんだ。
「そうだ。今、私の弟家にいるからあんたから直接、来栖愛地のこと聞いてみたら?」
「無理だよ!英里子から聞いてよぅ」
「何で?」
何でって……英里子の弟と言えども大成学園の生徒。正直、恐い。電話口で怒鳴られたりしたら私、電源切っちゃうよ。
そんな私の心境も知らず、英里子は携帯を握ったままの私を残してさっさと弟を呼びに行ってしまった。
緊張しながら待つこと数十秒。
もしもし、とふいに届いた低い声に言葉が詰まった。
「あ、弟の光輝です」
「あ、あ、の!ミナミです!英里子の、友達、の」
「あぁ……来栖さんのことっすか」
「そうなんですけど……あの、」
「姉貴から聞いたんすけど、来栖さんのこと好きなんですよね?」
「え、いや……好きというか、」
「まぁ俺からしたら来栖さんは良い先輩なんすけど、一応ミナミさんのこと話してみましょうか」
「え!」
私は考えた。
もしも来栖愛地くんに、電車で見かけただけでがっついてくる、男に飢えた女だと思われたらどうしよう……と。
いや、それはまぁ真実以外の何者でもないんだけど。
でも、やっぱり無理。こういうのって、何か違う!
「あのっ、やっぱりいいです!」
「え?」
「すいません!英里子に代わって下さい!」
「はぁ……」
電話口から離れた光輝くんが、英里子に話しかけている気配がする。
もしもし、という英里子の声を聞いた瞬間、私は何だか気が抜けて安堵の溜め息を漏らした。
「あんた、光輝に紹介してもらわなくていいわけ?」
「うん……ごめんね、折角なのに」
「それはいいけど、何で?」
「な、なんとなく」
「……そ、」
なかなか人には言えないけれど、こう見えて私はロマンチストなのだ。少女漫画のような恋愛に憧れる乙女なのだ。
例えば、朝曲がり角でぶつかった相手と恋に落ちたり、不良に絡まれている私を助けてくれた男の子と恋に落ちたり、など。(この場合は来栖くんの方がどちらかと言えば不良に当たるのだけど)
とにかく、私は運命を信じている。
信じているからには、運命的な恋じゃないと嫌だ。
電車で見かける彼に恋をするなんて十分運命的だけど、だからこそ最後まで運命的であって欲しい。
他人に紹介してもらって知り合うなんて、私の求めている恋愛じゃない!
それを英里子に伝えると、彼女は言った。
あんた馬鹿、と。
「やだよ」
土曜日の朝。
私がそう言った途端、台所からしゃもじが飛んできた。
それは私の頭に見事にヒットし、口に含んでいた白米を危うく吐き出しそうになった。
この貴重な土曜日に母親は、塾の体験に行けなどという暴言(私にとったら)を吐いたのだ。
断った瞬間しゃもじが飛んできた。
どうやらもう既に私の知らないところで予約を取ってしまっているらしい。
「最近あんたテストの点数下がってるからね。そんなんじゃ大学に行けないわよ、ただでさえ馬鹿なんだから。さっさと嫁にでも行ってくれたらいいんだけどね。そんな相手もいないでしょ」
……らしい。
正論は時に人の心を傷つけるということを母は知らない。
私はメイクをし、適当な服に着替え、髪の毛も下ろしたままで家を出る。
行ってらっしゃいと笑顔で手を振る母親をあとに。
あぁ、もう、最悪。塾なんて行きたくないのに。
何度も溜め息を吐きながらトボトボと駅まで歩いた。
私と同い年くらいのカップルとすれ違った時、何故か泣きたくなってしまった。
塾までの道のりを確認しようと渡された地図を見た時、あることに気が付いた。
塾のある駅が、本橋駅なのだ。
これはそう、彼がいつも降りる駅。
「運命だ……」
思わずそう呟いてしまった私を、隣に立っていたギャル男が不審な目で見てくる。
もしかしたら……もしかしたら!
彼に会えるかもしれない!
電車がホームに到着した。土曜日の昼間は乗客が少ない。
どきどきしながら座席に座る。地図をぎゅっと握り締めて。
電車は走る
(お願い、彼に会えますように)