まだ、知らない
4時45分。3両目。
別にその電車にこだわりがあるわけじゃない。
学校から駅まで普通に歩いて丁度乗れる電車が4時45分なだけで、降りた時の改札に一番近い車両が3両目ってだけだ。
最近、やけに見る女がいる。2、3週間前くらいに初めてその女が乗ってきて、それからはほぼ毎日同じ車両に乗る。
別に意識してるわけじゃないし、女も多分(いやむしろ絶対に)そんな気じゃないんだろう。
少し馬鹿っぽいけど、その女の顔がわりかしタイプなだけについ盗み見てしまうのは否めない。
あのブレザーは確か、聖和高校の制服。特に頭が良いわけでも、悪いわけでもない普通の高校。少なくとも俺の通っている高校よりは。
見た目からして同じ高校2年生くらいだろうか。胸まで伸ばした茶色い髪の毛も、意志の強そうな瞳も、嫌いじゃない。
(まぁ、どうせ彼氏いるんだろうな)
そうでなくても、俺みたいな馬鹿高校の奴なんて怖がられることはあっても、好かれることなんてない。高校のガラが悪すぎて、きっと親にも紹介してもらえないだろう。特にああいう、普通の子は。
俺も特に話しかける気もないし、大体そんなキャラじゃないし、何事もなかったように今日も先に電車を降りる。
俺は、あの子の名前も、声も、降りる駅すらも、知らない。
「ほら、英吉くん。お兄ちゃん来たよ」
鈴木先生にそう言われ、英吉は持っていた積み木を手放して俺の方を見た。
笑顔を浮かべ、自分の鞄と帽子を取ってくるとこちらに走り、俺の足にぶつかってくる。
同じ部屋では親の迎えを待つ他の子供たちが羨ましそうに見ている。
ピンク色のエプロンをつけた20代後半の鈴木先生は柔らかく笑った。
「いつも学校のあと迎えに来て、愛地くんは偉いね」
「や、母親が仕事なんで」
英吉が俺の手を引っ張り、早く帰ろうと急かす。俺は、先生に挨拶しろと英吉の頭を無理矢理下げさせた。
「鈴木先生、さよーなら」
「はい、さようなら。英吉くん、また明日ね」
そう言ったあと、先生は俺の方を見る。軽く会釈をしてから、保育園を出た。
今年5歳になる英吉は、母親と二人目の父親との間にできた子供だ。俺にとっては半分だけ血の繋がった弟。俺とはあまり似てないと母親言う。
だが二人目の父親も今じゃどこにいるのか分からない。母親は朝早くから夕方まで働いてるし、俺が迎えに行ってやらないと英吉は遅くまで保育園に居残りをしなくちゃいけなくなる。
だからこうして毎日、母親の代わりに俺が保育園に足を運ぶ。
「今日ね、僕かけっこで一番になったんだよ」
「へぇ。すごいな」
「うん!お母さんにも教えてあげるんだ!お母さん、今日何時に帰ってくる?」
「すぐ帰ってくるよ」
英吉は、わがままを言わない。仕事であまり一緒にいられない母親を困らせるようなこともしない。手のかからない良い子だ。俺に似なくて良かったと、いつか言われたのを覚えてる。
夕方の町並みを英吉と歩きながら見るのが好きだ。たまに鬱陶しい時もあるが、歳の離れた弟はやはり可愛い。
俺とは違う、愛嬌のある子供。
俺とは違い、母親から愛されている弟。
家に着いて、英吉に買ってやった駄菓子を与える。狭い居間で、一緒にテレビを見ていると、突然やかましく鳴り響く携帯電話。時間は6時前。
「もしもし」
電話の相手は仲間内の一人からだった。今から喧嘩しに行くから来てくれとのことだった。
分かった、と短く返事をして電話を切る。
脱いでいた学ランに再び袖を通し、立ち上がった。英吉の頭を撫でると、英吉はひどく不安そうに俺を見つめた。
「どこ行くの、愛地」
「もうすぐお母さん帰ってくるからな。良い子だから、留守番できるだろ」
「……」
小さく頷く英吉は、やはり物分かりの良い子供だ。
一度も振り向くことなく、俺は玄関を出て行った。
大成学園の近くにあり、溜まり場に使っているいつもの公園。今日集まったのは俺を入れて6人。
いかにもガラの悪そうな学生が5人、ベンチの所に座り込んでいる。中には鉄パイプを担いでいる奴も。
「悪かったなぁ、愛地。急に呼び出して」
「別に。つーか、相手どこ」
「北陽の奴らだよ。昨日大成の一年が一人でいるとこを北陽の奴に囲まれてボコボコにされたらしい」
「何だよ。んなもん一年にやらせりゃいいべ」
「それがそうもいかねぇのよ。風間さんから、俺らに直々に命令だよ。北陽やってこいってさ」
チッと舌打ちをしたあと、仕方ねぇと呟いた。
3年、風間。何かと俺ら2年をコマのように使ういけ好かねえ奴。多分卒業を間近に控えてる身だから、少し大人しくしとこうって考えだろう、どうせ。
5分後、俺たちは重い腰を上げる。
「めんどくせぇな」
「あぁ、全くな」
「さっさと終わらして帰ろうぜ」
「俺今日見たいテレビあんだよね」
「俺なんかデートの途中だったのに……」
「ざまあみろ」
口々に文句を言いながら溜まり場をあとにする。
めんどくせぇめんどくせぇと言いながらも、何だかんだでみんなどこか楽しそうなのだ。
まだ、知らない
(喧嘩よりも、楽しいことを)