1.田中さんの日常。
1.田中さんの日常。
田中さんは、一見ごく普通の日本人だった。
いや、戸籍上も日本人である。
昨晩、人気企業勢Vtuberの新衣装お披露目配信を夜遅くまで見続けたせいで、今日は酷い寝不足に陥り、仕事で手痛いミスをしてしまった。
終業後、ペナルティのサビ残を命じられ、終わったのが九時過ぎ。
電車に揺られ、アパートに着いたのは十時を回っていた。
疲れ果て、ようやく自宅に到着した田中さんは、やおらドアのチェックを始める。
「うん、蹴った跡なんかはないようだ。」と言って、怠そうにドアを開け部屋に入った。
スーツをハンガーに掛け、身体をベッドに投げ出そうとして思いとどまる。
一度横になれば、動きたくなくなるからだ。
「散々な一日だった」とつぶやきながら、疲れ切った体を引きずるように風呂場へと向かった。
汗ばむシャツを脱ぎ、軽くシャワーで身体を流し、洗濯済みの清潔なTシャツとパンツに着替え、ベッドに身体を投げ出した。
その瞬間、ようやく自分だけのリラックスタイムが訪れた。
ベッドに横たわりながら、田中さんはベッドサイドのフレキシブルアームに取り付けられたタブレット画面を、自分のいる方に向け、パネルをタップする。
玄関に取り付けたWeb監視カメラの映像を見るためだ。
「今日はまだ来ていないようだな。あの糞どもめ。」
と、言って軽くため息を吐く。
画面をいったんホームに戻して動画アプリを立ち上げると、今日も待ち望んでいたVtuberの配信枠が表示される。
「ああ、今日もYouちゃんはかわいいね。」
とつぶやきながら、タブレットの音量を微調整する。
すると3D音源の臨場感あふれる音声と、有名絵師によりデザインされた3DモデルのYouちゃんの笑顔が画面いっぱいに広がり、その魅力的な笑顔に田中さんはすっかり引き込まれていった。
以前勤めていた先輩が起こした、決してブラックではない中小の一般企業に勤めている田中さんだが、毒親に搾取され続けたせいで精神は疲れ果てていた。
根っからのコミュ障な性格のせいで、恋人どころか友達さえもいない。
その田中さんにとって、タブレットの画面に映るVtuberのYouちゃんの姿は、疲れた心を癒してくれる唯一の存在だった。
ガチ恋勢でもユニコーンでもない田中さんだが、新衣装お披露目配信でわずかな金額の青スパを送り悦に入る程度のVオタ。
そんな田中さんにとって、最推しであるYouちゃんの配信は一日の終わりのささやかな楽しみであり、彼はそのひとときを心から楽しんでいた。
賑やかな配信を聞きながら、疲れ切っていた田中さんは、心地よいまどろみの中にいた。
Youちゃんの明るい笑い声がタブレットから響き渡り、まるでASMRでの配信であるかのように、リラックスした時間を過ごしていた。
ピンポン!ピンポン!ピンポン!
ドン!ドン!ドン!
しかしその安らぎは、突然部屋中に響き渡るインターホンのチャイムとノックの音でかき消された。
「あいつ等!来やがった!」
そう呟くと、後頭部の毛が逆立つような違和感に襲われ、血管が湧き立つような感じさえ受けた。
「あっ。」
と、声が漏れた途端、目の前のタブレットの画面に映るYouちゃんの姿が、現実とは異なる幻想的な色合いを帯び始めた。
その瞬間、田中さんの目の前がブラックアウトし、意識が完全にスリープモードに入ったように身体の触覚が不明瞭になり、次第に意識がぼやけ始めた。
ドアを何度も叩く音とインターホンのチャイムが鳴り響く中、まるで別世界へと誘うように、田中さんの意識は、夢か幻想か、それとも現実なのか。
その境界が曖昧になったようだった。
ふわっと何者かにさらわれたかのように、その意識だけが浮かび上がり、周囲は光と色の渦に包まれていった。
ここまで読んでいただき、有難うございます。
☆の評価ポイントとブックマークで得られる作者の栄養があります。
よろしければ、下にある☆とブックマークをポチっとしていってください。
どうかよろしくお願いします。
この作品を気に入ってくださると幸いです。




