1.田中さんの日常。
1.田中さんの日常。
田中さんは、一見ごく普通の日本人だった。
昨晩、人気企業勢Vtuberの新衣装お披露目配信を夜遅くまで見続けたせいで、今日は酷い寝不足に陥り、仕事で手痛いミスをしてしまった。
終業後、ペナルティのサビ残で疲れ果てた田中さんは、ようやく家に帰ると、やおらドアのチェックを始める。
「うん、蹴った跡なんかはないようだ。」と言って、怠そうにドアを開け部屋に入る。
スーツをソファーに放り投げ、「散々な一日だった」とつぶやきながら、疲れ切った体を引きずるように風呂場へと向かった。
汗ばむシャツを脱ぎ、軽くシャワーで身体を流し、洗濯済みのTシャツとパンツに着替えた瞬間、ようやく自分だけのリラックスタイムが訪れた。
ベッドに横たわりながら、田中さんはベッドサイドのフレキシブルアームに取り付けられたタブレット画面を自分のいる方に向け、パネルをタップする。
玄関に取り付けたWeb監視カメラの映像を見るためだ。「今日は来なかったようだな。あの糞供め。」とそう言って軽くため息を吐く。
画面をいったんホームに戻して動画アプリを立ち上げると、今日も待ち望んでいたVtuberの配信枠が表示される。
「ああ、今日もYouちゃんはかわいいね」とつぶやき、タブレットの音量を微調整する。
すると3D音源の臨場感あふれる音声と、有名絵師によりデザインされた3DモデルのYouちゃんの笑顔が画面いっぱいに広がり、その魅力的な笑顔に田中さんはすっかり引き込まれていった。
決してブラックではない、中小の一般企業に勤めている田中さんだが、毒親に搾取され続けた所為で精神は疲れ果てていた。
根っからのコミュ障な性格の所為で、恋人どころか友達さえもいない。
その田中さんにとって、タブレットの画面に映るVtuberのYouちゃんの姿は、疲れた心を癒してくれる唯一の存在だった。
ガチ恋勢でもユニコーンでもない田中さんは、新衣装お披露目配信で、わずかな金額の青スパを送り悦に入る程度のキモオタ。
そんな田中さんにとって、最推しであるYouちゃんの配信は一日の終わりのささやかな楽しみであり、彼はそのひとときを心から楽しんでいた。
田中さんの意識は心地よいまどろみの中にいた。
Youちゃんの明るい笑い声がタブレットから響き渡り、まるでASMRでの配信であるかのように、リラックスした時間を過ごしていた。
しかしその安らぎは、部屋中を響き渡るインターホンのチャイムの音でかき消された。
「あの糞親どもが来やがった!」そう呟くと、いきなり強烈なストレスが田中さんを襲う。
「あっ。」と声が漏れた途端、後頭部に走る違和感とともに、ふいに目の前のタブレットの画面に映るYouちゃんの姿が、現実とは異なる幻想的な色合いを帯び始めた。
その瞬間、田中さんの意識が完全にスリープモードに入ったように眼の前がブラック・アウトし、身体の触覚が不明瞭になったような感覚に陥り、次第に意識がぼやけ始めた。
ドアを何度も叩く音とインターホンのチャイムが鳴り響く中、まるで別世界へと誘うように、田中さんの心は夢と現実の境界が曖昧になっていく。
ふわっと何者かにさらわれたかのように、意識だけが浮かび上がり、周囲は光と色の渦に包まれていった。
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