第四話
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一週間が終わり、土曜日がやってきた。
優香さんとの約束はすでに取り付けてある。今日は人生の分岐路になりそうな、生涯で一番大事な日の予感がしていた。
おしゃれとかよくわからないわたしは、スーツで決めて花束でも用意したくなったが、いくらなんでも気取りすぎだろう。カジュアルなスタイルで優香さんの家へ向かう。
予定では、理沙ちゃんと三人でショッピングモールにお出かけすることになっている。これといった買い物があるわけではないようだが、ショッピングモールには子どもの遊び場があったりするので、理沙ちゃんは大好きなのだそうだ。
「優香さん、こんにちは。それから理沙ちゃん、って呼んでいいかな? はじめまして」
相変わらず、優香さんは律儀に家の外で待っていてくれた。
彼女の隣には、手を繋いだ少女も佇んでいる。優香さんの娘である理沙ちゃん、5歳だ。
理沙ちゃんは特に感情も浮かべず、わたしをじいっと見上げている。困惑した様子でもないが、どことなく、わたしを品定めしているようにも感じた。
小さい子どもっていうのは、人の本心に敏感だ。わたしが優香さんに下心で接しているの、バレてしまっているのだろうか。冷や汗が背中を伝いそうになる。
「ほら、理沙。ご挨拶なさい? 今日は香菜江さんが遊んでくれるみたいよ?」
「……こんにちは」
優香さんに促され、理沙ちゃんはお辞儀する。ちょこんと下げた頭が幼稚園児らしくて、愛らしい。が、やはりよそよそしさは拭いきれず、わたしは警戒されているのだろうか。
……しかし、この程度では動揺しない。ちゃんと想定している動きだ。
怯えさせてしまった場合の戦略はシミュレート済みである。
わたしは、その場にしゃがみ込んで、理沙ちゃんの目線に合わせた。
「突然お邪魔しちゃってごめんね。わたし、優香お母さんのお友だちなんだ。これ、お近づきの印に理沙ちゃんにプレゼント持ってきたよ。気に入ってもらえると嬉しいな」
鞄から、包んであるプレゼントを取り出す。
すると、理沙ちゃんの興味はプレゼントに注がれた。物で釣るしかできないのも歯がゆいが、初対面なのだからしょうがない。
理沙ちゃんはおそるおそる包装された箱を受け取ると、わたしを上目遣いで覗き込んできた。
かわいいな、理沙ちゃん。小さい女の子だからってのもあるが、優香さんの娘だから、純真さが生き写しかのようだ。将来は綺麗な女性になること約束されている。わたしが幼女趣味じゃなくてよかった。
「開けていいの?」
「もちろん」
優香さんは、わたしたちのやりとりを緊張の面持ちで眺めている。
「あ、しいかわだー! ママ、みてみて、しいかわくれたよ!」
包みを開けた理沙ちゃんは顔が綻び、飛び跳ねて嬉しさを表現した。
しいかわ。わたしが選んだプレゼントは、今ちまたで人気の、なんかしいたけみたいでかわいいやつ、のキーホルダーぬいぐるみだ。特に女の子に好評なようで、女児から大人まで、その魅力に引き込まれるらしい。
しいかわで理沙ちゃんが無邪気に喜んでいるのをみて、わたしもホッとする。優香さんは、必死に理沙ちゃんをなだめようとしていた。
「あらあら、よかったわね、理沙。ほら、香菜江さんにお礼を言わないとだめよ?」
「香菜江お姉さん、ありがとー!」
理沙ちゃんは、わたしが与えたキーホルダーのぬいぐるみ三点をにこにことしながら見つめている。
警戒心は、なくなってくれたみたいだ。
わたしがふう、っと安堵の息をつくと、優香さんが傍に寄ってきた。
「あの、プレゼント頂いちゃって、すみません。本当にありがとうございます。お高かったでしょう? なんか、申し訳なくなっちゃって……」
「ああ、気にしないでください。わたし、趣味が少なくて、お金の使い道ないんですよ」
「後で、お返しさせてね? にしても香菜江さん、理沙がしいかわ好きなの、よくわかったわね」
「え、あはは……。以前、優香さんの家にお邪魔したときに、しいかわのグッズがたくさんあったので好きなのかな、って思って」
「さすが香菜江さんね。お仕事ができる人って、気配りもできるのね~」
優香さんも、理沙ちゃんみたいに無邪気に微笑む。美しい母娘だ。
……実際には、優香さんの家の中をジロジロ見てました、って自白したのと同義なのだが、目ざといと思われなくてよかった。優香さんは心が清いから、わたしをこれっぽっちも怪しんでいないのだ。
「じゃあ、行きましょうか」
ショッピングモールへは、バスを利用して向かった。
三人でバスに乗り、目的地へ辿り着くころには、理沙ちゃんともすっかり打ち解けることができた。小さい子どもとは一度距離が縮まると、あっという間に親密になれる。
「香菜江おねーさんも、一緒にお馬さんのやつ乗ろうね!」
「うん、いいよ。楽しみだね」
ショッピングモールの入り口が近づくと、理沙ちゃんははしゃぎだし、走り出そうとする。それを優香さんが諌め、迷子にならないようにしっかりと手を繋いでいた。
いつもこうなんだろうな。日々のありふれた光景が、簡単に頭に思い浮かんだ。
わたしも、手を繋いで三人で歩きたい。
……まだ、早いよね。家族じゃないといけないよね。
「香菜江さん、理沙に振り回されて疲れない? せっかく、お仕事休みの日なのに」
「いえ、疲れませんよ。普段あんまり運動しませんし、むしろ振り回してくれたほうが健康的な気がします」
土曜日の正午前なので、ショッピングモールは人でごった返していた。
夏前なので、気温も高い。
だが、それ以上に理沙ちゃんが元気だ。
ひとまず、彼女を満足させるために屋上へ向かうこととした。
屋上には、今や希少となったプチ遊園地があるようだ。理沙ちゃんがいう"お馬さん"は、屋上に設置してある乗り物のことだった。
理沙ちゃんを思う存分遊ばせれば、多少は満足してくれるだろう。
わたしと優香さんは、まるで夫婦のように娘を見守る。時には手を引っ張られ、わたしも理沙ちゃんに付き添った。
親子になったみたいで、自分が満たされていくのがわかる。
一時間ほど遊んだ後は、ベンチに座って三人でソフトクリームを手に小休憩だ。
わたしと優香さんの間には理沙ちゃんがいて、足をぶらぶらさせていた。
「ソフトクリームまでごちそうになっちゃって。香菜江さんは、どうしてそんなに尽くしてくれるの?」
「わたしも楽しいからですよ。独り身でお金の使い道がないのは本当ですし、楽しいことに使っているだけです」
「うーん……。あ、そうだ。今夜こそ、うちでご飯を食べて行ってくれないかしら? ごちそう、作ってあげたいのよね。お礼も兼ねて」
「お礼は気にしないでいいんですけど……でも、お邪魔していいなら、お言葉に甘えます」
わたしが夕飯の誘いを承諾すると、優香さんは屈託のない笑みで頷いてくれる。誘いに乗っただけなのに、恋人に送るような笑顔を向けられてしまい、ドキドキする。わたしは、初恋した中学生のように照れて、ついつい顔をそらした。
「今日はたくさん香菜江さんのお話を聞かせてね。私、もっと香菜江さんと仲良しになりたいわ」
「わたしだって、同じ気持ちです……」
はぁ……雰囲気、とってもいいんだけどなあ。これが男女だったならば、そういう空気になっていくんだろうけど。優香さん、わたしの気持ちにはまったく気づいていないだろうな。まぁ。実際に夫婦だったとしても、理沙ちゃんが間にいるので、イチャイチャ、って感じにはならないだろうけど。
優香さんは、わたしのモンモンとした態度なんてつゆ知らず、ソフトクリームで汚れた理沙ちゃんの口元を拭っていた。
「ねーママ、香菜江おねーさんってパパみたいだねー」
「うふふ、本当にそうみたいねぇ」
二人は破壊力の秘めた会話を、のほほんとする始末。
わたしが喜ぶツボ、全部抑えている親子か何かかな?
もしも、わたしが人をたらしこむ術を身につけていたとしたら、「本当にパパになりましょうか?」って流れで言えるんだけどなぁ。現実では、優香さんと理沙ちゃんのやり取りをぼーっと眺めることしかできなかった。
「そうだ。香菜江さんは、何か好きなものとかある? お夕飯の材料、ついでに買っていっちゃおうかしら」
「え、うーん……優香さんの料理ならば、なんでも喜べそうですよ」
「あらあら、お上手なんだから。じゃあ、理沙の好きなやつにしようかしら。理沙がいつもリクエストしてくるから、得意料理なのよね」
その言葉を聞きつけた理沙ちゃんは、またも大喜び。賑やかな時間はずっと続いた。
わたしの人生にはないものだらけだ。わたしには子どもだって当然いないし、一人暮らしなので、三人で笑っていられる時間はかけがえがない。
さらに、ショッピングモールを後にするころには、わたしと優香さんで理沙ちゃんを挟み、手を繋ぎ、本物の家族のようになっていた。
わたしは、今の関係を失いたくない気持ちでいっぱいになっていく。
その上、夕飯をお呼ばれするのだから、優香さんと夫婦になりたい想いで満タンになって、胸が張り裂けそうだった。今日のデートみたいな感触はよかったし、勢いで迫ってしまいたくなるほど、わたしは優香さんに飢えている。
どうにか飢えていることを悟らせないようにしつつ、三人で帰路を歩んだ。