6.新しきを知る
「いいか。剣道というのは、剣の道。心、技、体。その三つが揃って初めて剣道と言える。一つでも欠けていては、それはただのチャンバラ。剣道とは呼べない」
目の前で、腕組み仁王立ちの教師、飯田。
「新里、今日のお前は、心、技、体、全てが欠けておる。剣道は、勝てばよいというものではない。真摯に取り組み、何よりも基礎を大事にせねばならぬ」
フンス。
息継ぎのたびに、飯田の鼻から放たれる息が旋風となって、床に正座させられてる俺の頭に降ってくる。それなりに臭い。
「まずは、そこで剣道とは何たるかを学べ。いいな」
「――はい」
この場合、「はい」以外の答え方はない。拒否権ナシ。
例えば「このあと塾があって~、俺、帰らなきゃいけないんっすよ~」なんて言ったところで、「なんだと?」で説教がくり返されるだけ。
多分、「母ちゃんが急病で、病院に担ぎ込まれたらしいので、帰っていいっすか?」じゃないと、解放してもらえない。でも、「母ちゃんが~(バアちゃんでも可)」を使う場合、スマホとか持ち込んでないと話が始まらない。で、この道場は、当たり前だけどスマホの持ち込み禁止。エアースマホを持って「母ちゃんが~」を言うなんてのは――無理だな。誰かが、「お前の母ちゃんが~」と駆け込んでくることを祈るしかねえけど、それが本当の話ならメチャクチャ困るし、「面倒くせえこと逃げられてラッキー☆」には絶対ならない。
ってことで、強制的に剣道部見学。
つーか、板の間に正座、クソ痛え。
「よーし、切り返し、始めるぞ!」
教師から部活顧問の顔になった飯田。
その号令に、「はい!」と同時に答える剣道部員。教えられるでもなく、「俺の相手は誰だ?」とまごまごするでもなく、自然と二人一組を作っていく。当然ながら、余るヤツもいない。剣道部は、偶数で構成されているらしい。
「では、始め!」
「ィヤアアァァッ!」
剣道独特の掛け声が響き渡る。
そこからの怒涛の攻撃。ドドドッと響く床。バンバンと竹刀のぶつかる音。
(は、速えぇ~)
前へ進んで、後ろに下がって。
その足さばきもなんだけど、竹刀の振り下ろすスピードが半端なく速い。右、左、右、左って。どっちから打ってるのかわかんねえぐらい、メチャクチャ速い。
(あんときの桜町って、もしかして手加減してくれてたりする?)
桜町の竹刀、右から来るか左から来るか、ハッキリわかったし。だから、ちゃんと受け止められたし、受け止められたから、あんなおかしなことになった気がする。
今の剣道部のそれは、俺、竹刀じゃなくて盾を持って受け止めたい。ってか、盾があっても受け止めきれる自信ない。怖すぎる。
(桜町、いるのかな)
垂れネームがあるから、わかるかと思ったけど、こうも激しく動かれると、誰が誰だか、読んで判別することは無理。面付けてるから、顔もわかんねえし。
「左手を体の中心からそらすな! 最後までちゃんと打ち込め! 首を狙うつもりで!」
おお、やっぱ物騒だな。
前に進んで、後ろに下がる。
その動作は、「勝~ってうれしい、花いちもんめ♪」っぽいのにさ。
剣道ってのは、元々武士が戦うために得た武術だもんなあ。同じスポーツでも、サッカーとか野球とかとは、ちょっと違うよなあ。
「臍下丹田に気合を入れろ!」
セイカタンデン?
ああ、ここのことか。
先生の指導に、正座して座る自分のヘソ下を押さえる。ヘソより手のひら一つ分置いた下のあたり。腹筋に力を込めると、速攻でへっこむところらへん。
(って、ん? なんで俺、そんなこと、知ってんだ?)
セイカタンデン。
初めて聞いた(はずの)言葉なのに。なんか自分の中で、「ここだろ?」ってストンと理解してた。漢字で表すこともできないくせに、その部位をよく知ってた。
(どうなってんだよ……)
自分で自分がわからない。
「よし、休め!」
先生の号令で始まった切り返しは、先生の号令とともに終わる。途端に、静けさが戻る道場。
(あ、桜町じゃん……)
剣道部員が並んで座るなか、竹刀を傍らに、面を外した桜町。
汗ばんだ顔、上気した頬。「フウッ」と息を吐き出した口の形。
剣道部員が並んで座るなか、同じように面を外したヤツは他にもいるけど、なぜか、桜町だけに視線を奪われた。――って、なんでだ? なんで、俺、桜町に見とれてしまうんだ?
ニコッ。
(――へ?)
混乱してるところに、不意打ちに来た桜町の「ニコッ」。ボーッと眺めてた、俺の視線に気づいたから、照れ隠しか挨拶か、その程度の「ニコッ」なんだろうけど。
(うわわわわっ!)
マズい。なんか知らんが、メッチャマズい。
手ぬぐいを巻いて、凛々しいその顔からの「ニコッ」はなんかマズい。
「――こら、新里」
突然降ってきた飯田の声に、体をビクッと震わせる。まるで座禅の警策。
「どうだ、剣道とはなんたるか、理解したか」
「は、はい」
理解した……と思います。多分。
一番理解したのは、「剣道部員に、ケンカを売ってはいけない」ってこと。あんな素早く竹刀を振られたら応戦できない。面をつけてたとしても、マジで頭を叩き割られそう。授業の時の桜町、手加減してくれてて助かった。
「ふむ、よろしい。では、今日はここで素振りを行っていけ」
は?
「剣道の基本は素振りにある。素振りを行った数だけ、強くなれる」
え。いや、俺、別に剣道なんて強くなるつもりは……。来年の選択授業、俺、武道を取るつもりねえし、そもそも剣道は二年生で終わりだし……。
「――はい」
「母ちゃんが~」「剣道は~」なんて言い訳、言わせてもらえないよな、やっぱ。
五木と川成に、待っててもらわなくって、本当によかった。
竹刀を強引に押し付けられるように渡され、渋々立ち上がる。うお。足が痺れて感覚がねえ。足、袴で見えねえけど、ちゃんと立ててるんだよな、これ。
「こら、新里! シッカリせんか!」
いや、足がジンジン痺れてるのって、気合でどうにかなるもんじゃねえって。ちょっと重心を傾けると、ジンジンじゃなくて、グワングワングワン、ボワンボワンボワワ~ンって感じでおかしくなるし。
――クスッ。
風に乗って聞こえた、誰かの笑い声。
誰だ、今笑ったヤツ!
ムカッとするけど、練習を再開し、全員防具をつけた剣道部員の中で、その誰かを見つけられるはずもなく。
(うおりゃああぁっ!)
見えない理不尽を叩き割るように、怒りのまま竹刀を振り下ろす。