4.それは夢か幻か
質実剛健。
未来に羽ばたけ若人よ。
それがこの私立常盤台高校の教え。
インターナショナルに、世界で活躍できる人物になれ。そして、郷土を誇りに思う人物であれ。
この千栄津は、古来より栄えた港町。日本三津……とまではいかないけど、他の地方と様々な交易をしていたらしい。その港町生まれの若人は、郷土のホコリを持って、グローバルに羽ばたいていけっていう、そういうことらしい。
日本男児として……っていうと古臭いけど、まあそういう教育理念を持ってる学校だからか、体育会系っていうのか、体力オバケの教師ぞろいで、武道とかにも力を入れてる。
体育の授業とは別枠で存在する「武道」の授業。
一年は「柔道」、二年は「剣道」。選択すれば三年で「弓道」も修めることができる。
「――武士でも作る気かよ」
それが、俺ら生徒からのツッコミ。
一応グローバルってことで英語教育にも力を入れてるけど、なんていうのか、「ペリーが来航して、アタフタやる(予定の)サムライを作ろうとしている」ようにしか思えない。「アイム、サムラーイ。ジャパニーズ、ナイト」とか言ってるレベルの英語教育。「拙者、武士でゴザル」って方を育成しようとしてるのかってぐらい、武道の方に重きが置かれてる。
ってことで、武道「剣道」の授業。
防具や竹刀は貸してもらえるけど、頭に巻く手ぬぐいや道着は自前。
「この防具さ、一度嗅いだら忘れられねえ匂いするよな」
先に手ぬぐいを巻き終えた五木が言った。
「あー、わかる。よくマンガとかで言われる、〝剣道部のモッソイ匂い〟ってやつな」
川成が相槌を打つ。
「ってか、モッソイ匂いってどんなんだよ」
「この匂いだよ、この匂い!」
「うぎゃあ、やめろっ!」
ツッコんだ俺の顔面に、川成が自分の小手を押し付けてくる。ぐえええ。あまりのモッソイ匂いに悶絶寸前。息を止めても、口から匂いが侵入してきて、とんでもなく臭い。体育館のマットのほうが「いい匂い」。
「長年の血と汗と涙が染み込んでるからなあ。あとカビ臭」
横でウンウンと五木が頷く。
いや、頷いてないで助けろ。
「こら、そこ! 喋ってないで、サッサと支度しろ!」
「はい。すみませーん」
臭いのをこらえて、渡されてる剣道具をつける。バフッと身につけるたび、押し出された中の空気が悪臭とともに撒き散らされる。うええ。
「――今日は、〝切り返し〟の練習をする」
切り返し?
「二人一組になって行う練習だ。片方、掛かり手が相手の面の左右から連続で切り返しを行い、もう片方、元立ちはそれを剣で受け止める。そういう練習だ」
ほほう。
二人一組とは。
今までずっと「素振り」だの「足さばき」だの、そういう面をつけない基礎練習ばっかりだったから、わずかにテンションが上がる。なんか、「ザ☆剣道!」ってかんじ?
「まずは手本だが――桜町。元立ちを」
へ? 桜町。
驚く俺のそば、「はい」と立ち上がった桜町。それも「ヨッコラショ」ではなく、「スッ」と立ち上がる。キレイな動き。
それは先生と対面した時も同じで、迷うことなく、まっすぐに竹刀を構える。
「いいか。二人一組で向かい合って立ち、掛かり手が素早く右、左、右、左と四打、打ち込む」
パン、パン、パン、パン。
先生の竹刀が、桜町の構える竹刀に打ち込まれる。同時に桜町が後ろに下がり、その分だけ先生が前へと足を進める。
「次に、元立ちが前進し、掛かり手が後退しながら五打打ち込む」
パン、パン、パン、パン、パン。
「そうしたら、一足一刀の構えに戻り、もう一度前進しながら打ち込む。そして戻る」
先生と桜町が、前進と後退をくり返す。
「これをくり返して、最後に『面!』で元立ちの頭を打つ」
パアン。
構えてるだけの桜町の頭に面が入る。
「これで、立場を交代する」
先生が言うなり、今度は桜町が先生に打ち込み始める。「面! 面! 面! 面!」という剣道独特の奇声つき。だけど。
(すっげえ……)
最初の先生の攻撃は、説明しながらだからか、かなりゆっくりだったのに対し、今の桜町の打ち込みは、なんていうのか、先生が防戦一方で焦ってるように見えるぐらい、とても速く、そして重い。桜町が後ろに下がってる時も、「後退している」っていうより、「敵を引き寄せつつ倒そうとしてる」みたいに見える。
「というわけだ。わかったか」
「はい!」
息の上がりかけた先生の言葉に、みんなが合図する。
「では、二人一組になれ!」
その号令に、それぞれが背の順並びのまま相手を決めていくんだけど……。
(ゲッ)
クルッと横を向いた俺は、心の中で声を上げる。
(桜町……かよ)
本来なら、俺と桜町の間に一人いるんだけど、今日はソイツが欠席。自動的に俺の相手は桜町になってしまった。先生とあれほど激しい攻防をしてきても、息一つ乱してない桜町。
そんなヤツと、俺が組むのか? 剣道初心者、ペーペーの俺が?
「お、お手柔らかに頼む」
「こちらこそ」
防具越し、ニッコリ笑う桜町。
「僕が受けるから、先に、新里くんが掛かり手をやるといいよ」
「なんで?」
他の組では、どっちが先に打つかで迷ってるってのに。じゃんけんしてる組もある。
「なんでも。新里くんが元立ちをしたいっていうのなら譲るけど?」
「いや、いい。俺が打つ」
さっきの先生との攻防。とてもじゃないけど、あの速さで打ち込まれる竹刀を、俺が受け止めきれる自信はない。
「なら決まりだね」
隣の組と距離を取り、道場いっぱいにクラスメートが広がる。
その中で、一際キレイな立ち姿を見せる桜町。
多分だけど、先生が手本の相手にって指名するぐらいなんだから、この桜町は剣道経験者なんだろう。もしかすると剣道部だったりとか?
竹刀を構えたまましゃがみ、そして立ち上がる。
「始め!」
「面!」
号令とともに、桜町に向かって竹刀を打つ。えっと、右、左、右、左……、それから後退しつつ右、左、右、左、右、左……って。
(これ、キッツ!)
桜町が後退すればこっちがドンッと前に出なきゃいけない。逆に、桜町が前進してきたら足元に気を配りつつ竹刀を振らなきゃいけない。どっちにしても、結構たいへん。
「手首だけで、面を打つなよ! 肩から、肩甲骨を動かすことを意識しろ!」
んなこと言ったって。
前へ出ること、後ろに下がること。それだけで精一杯なんだって。あと、右からとか左からとか、そういうのも。
「相手の首まで振り下ろすつもりで打て!」
首?
「元立ちもしっかり構えろよ! 構えそびれたら、首を取られるぞ!」
物騒だな。剣道で取られるのは。「面! 胴! 小手!」だろうが。
先生の言い方に、ビクッと動きを止める組もいる。そして構えそびれて、パシーンと首を打たれる組も。
「交代!」
その掛け声で、元立ちが掛かり手に、掛かり手が元立ちに――って、俺が受ける番かよ!
「ゆゆ、ゆっくり頼む! ゆっくり!」
「わかってる」
桜町がクスッと笑ったけど。笑われてもいいから、お手柔らかに頼む。
竹刀を構えた桜町。ヤツが打ち込んでくるそれを、自分の竹刀の右、左と、順に受け止め軽く弾く。下がりながら、進みながら。
「剣道の基本は切り返しにある! しっかり気合を入れてやるように!」
先生の叱咤。
けど。
(剣って、こんなもんなのか?)
わかんねえけど、違和感がずっと付きまとう。
右、左、右、左。前、前、前、前。後ろ、後ろ、後ろ、後ろ。
こんな型にはまったような攻撃、敵はそんな攻撃をしてくるもんなのか?
確かに、右へ左へ、打ち込み合うことはあるだろう。だが、それは戦いのなかで、目まぐるしく替わる攻守の中で行われることで、とっさの判断、瞬時の攻防ですべてが決まる。
相手の剣を受け止めるばっかりじゃない。受け止めた剣をそのまま流して反撃に出ることだって――
「こら、そこ! 何をやっとるか!」
え?
「あ。俺……」
元立ちとして、桜町の剣を受け止めていた。そのはずなのに。
見れば、俺の竹刀は桜町の竹刀を弾き飛ばし、そのまま先を桜町の喉元に突きつけてい た。一拍遅れて床に落ちた桜町の竹刀。竹刀を失った桜町は、中途半端に腕を振り上げたまま、向けられた竹刀の先に体を反らす。
まるでチャンバラ、剣客モノ。
「す、すみません! っと、ごめんな!」
慌てて竹刀を下ろし、先生に謝罪。それから桜町にも。
「……いや、いいけど」
面の向こうで、桜町がまばたきをくり返す。まさか元立ちから攻撃を受けて、竹刀を弾き飛ばされるとは思ってなかったに違いない。
軽く走って、俺が弾いてしまった竹刀を拾いに行く。ついでに、そこにいた組にも驚かせたことを謝罪。
「今度はもうちょっと真面目にやるから」
「わかった。じゃあ、新里くんが掛かり手で」
「おう。ごめんな」
もう一度わびて、竹刀を構え直す。
さっきの俺の攻撃。
あれは一体何だったんだ?
自分でもよくわからない。
とっさに、なにかの衝動に押されるように動いた体。
何が? 何が俺を動かした?
驚きよりも、気味の悪さが体の中をモヤモヤさせた。