24.ゆずれないもの
「桜町っ! どこだ、桜町!」
炎……というより、煙の充満した寺の中で叫ぶ。
「桜町! いたら返事を、ゴホッ。ゴホゴホッ」
煙で目が痛いし、視界が効かない。炎で炙られた顔が熱い。
所々、スプリンクラーが設置されていて、寺の中は煙とスプリンクラーの水があげる蒸気で、視界ゼロになってる。
飛び込んでみたものの、これじゃあ、桜町を見つけるどころか、自分が迷子になって燻製になっちまう。
「桜町っ! 桜町!」
腕で口と鼻を押さえ、それでも俺は探す足を止めない。
この寺の建物の配置は、前世を思い出したおかげで、なんとなく掴めてる。あとは、ここに飛び込んでいったっていう桜町がどこにいるか、探し当てられればいいんだけど。
「桜町! いたら返事をしろ!」
間取りがわかっても、アイツがどこにいるかなんて見当もつかない。結局は、叫びながら、あっちこっち火の手を避けて走り回るしかない。
「にい……、ざと、くん?」
もうもうと煙る庫裏の中。へたり込むように床に座る誰か。
「桜町!」
近づき、煙のなかから徐々にハッキリしてきた姿に、思わず駆け出し、その体を抱きしめる。
「おまっ、ゲホッ、どうしてっ!」
煤まみれの桜町のシャツ。抱きしめてみれば、ところどころ焦げ臭い。その端正な顔も、あちこち黒く汚れている。確認できねえけど、おそらく火傷とかもあちこちあるはずだ。
「どうして、こんなとこに、飛び込んだんだよ、ゲホゲホッ」
この寺が燃えたって。
前世の記憶にある寺が燃えたって、だからって炎のなかに飛び込んでく必要はないだろ。
燃えたものは、また再建され、姿を変えていく。城がそうであったように、寺だって街だって、そうやって変化していく。時代が移り変わっていく。
「これを、コホッ、取りに行ってたんだ」
焦げたシャツの下から取り出されたもの。――木箱?
細長い形の、黒くくすんだ木肌の箱。箱を閉じる紐も古く色褪せてる。
「これは……?」
「これだけは、失くしたくなかったんだ。だって、これは真保の遺した書状だから」
「バッカ野郎! そんなもん、いっくらでも書いてやる!」
真保の遺した書状? それがなんだっていうんだ! そんなもんのために、炎のなかに飛び込んでいったってのか?
「そんなもんのために、命を散らすな! 生きろ!」
「新里くん?」
叫ぶ俺に、不審な顔をした桜町。場にそぐわないほどキョトンとしてる。
「とにかく。ここを出るぞ。急げ」
「うん――――っ!」
「桜町?」
「ごめん。僕、ちょっと足を痛めてるみたいで、悪いけど先にって――、にっ、新里くんっ!?」
驚く桜町を、ガッと両腕で抱え上げる。いわゆる「お姫さま抱っこ」ってやつだ。
「文句言うなよ。舌噛むからな」
言うなり、煙の中から脱出を試みる。
周りの火の手。煙。庭までの距離。いろんなルートの中から最適解を探し出す。
四の五の言ってるヒマはない。早く外に出ねえと、二人仲良くここで往生、来世にGO! になっちまう。
「新里くん……」
小さく俺の名前を呟き、首に腕を回した桜町。
なんかくすぐってえってのか、こそばゆいってのか。よくわかんねえ感情が体いっぱいに広がるけど、そんなこと考えてるヒマはない。
「行くぞ、桜町。シッカリつかまって、ついでに息を止めてろ」
目の前。
最後の難関は、炎と煙に包まれたお堂からの脱出。あそこさえ越えてしまえば、外に出られる。扉は閉じられていない。外に出れば、消防士とかコイツのじいさんも待っている。
とにかく外に出れば。この煙と炎だけ抜けきれば。
「ぅぉおおりゃあぁああああぁっ……!」
グッと臍下丹田に力を込め、叫ぶと同時に走り出す。
熱い? 気にすんな!
煙い? 気にすんな!!
痛い? 気にすんな!!!!
苦しい? どうでもいいわあ、そんなのっ!!!!
ダダダダッと床を踏み鳴らして、走り出た先。
バフッと取り巻くものが消え、一気に開けた視界。跳躍した体。着地した足裏に感じる、木の板と違う土の硬さ。
「ゲホッ! ゲホゲホゲホッ、ゴホッ!」
激しく咳き込み、桜町を下ろして、崩れるように地面に座る。
新鮮な空気が欲しくて、喉がヒューヒュー音を鳴らすし、目からボロボロ涙が溢れる。顔はバンバンに腫れたみたいに熱持ってて痛いし、体の何もかもが異常を訴える。
「新里っ! それに桜町っ!?」
驚き駆け寄る五木たち。それから消防士。じいさん。
「桜町を、頼む」
それが限界。
「救護っ! 急げ!」
誰かが叫ぶ。
一斉に慌ただしくなる俺たちの周り。
「お前、ゲホッ、大丈夫、か?」
何度も息を吸い込み、吐き出しながら問いかける。
「うん。でも……」
俺と同じように地面に崩れる桜町。手にはしっかり握られた文箱。
俺と同じように息苦しいはずなのに。目はヒリヒリ涙がこぼれているはずなのに。
「あいつ……」
なにかに取り憑かれたように、真っ直ぐ迷いなく、スッと群がる野次馬を指差す。
「あいつが火をつけた」
「え?」
まるで、巫女の託宣のような桜町の言葉。
「あ、おいっ、桜町っ!?」
言い切った桜町の体が揺れ、崩れ落ちた。
「じいさん、桜町を頼む!」
「お、おう」
クタッとなった桜町をじいさんに預け、もう一度立ち上がる。
桜町が指さした人物。
目深にニット帽を被った、無精髭の中年男。俺と目が合った途端、ジャンパーのポケットに手を突っ込んだまま、クルッと背を向けた。野次馬を押しのけながら、市街地へと走り去っていく。
「待ちやがれぇっ!」
その背を追いかけ、俺も走り出す。
「お、おい、新里!」
「おまっ、無茶すんな! 今日のお前、なんかヘンだぞ!」
続いて五木たちも追いかけてくる。
心配してくれてるのはわかる。充分にわかってる。けど。
「陸上スプリンター、なめんなっ!」
うおりゃああっとさらに加速。中年オッサン。テメエに追いつけねえほど、俺はたるんでねえんだよっ!
追いついた勢いのまま、オッサンの背中にタックル。
「離せっ、クソガキッ!」
ズシャアッと倒れ込んだ道路の上。押さえ込む俺に、暴れるオッサン。
「まっけて、たまるかあぁぁっ!」
力の限り吠えて、力の限りオッサンをとり押さえる。
ここでコイツを逃したら、あんなに必死になって書状を守ろうとした、アイツに面目が立たねえっ!
なんでコイツが火をつけたってわかるのか? そんなもん、俺の知ったこっちゃねえ! アイツがそう言うんだから、俺はアイツを信じる!
「このっ! クソッタレッ!」
暴れたオッサンが、ポケットから何かを取り出す。――ナイフ?
(ヤベッ!)
振り上げられたそれが、鈍く陽光をはね返す。
(ああ、俺、これ、見たことある……)
まるでスローモーション。遠くの別のことを眺めているような感覚。
俺、こうやって刀を下ろされるの、見たこと、……ある。
「新里っ!」
「させっか、この野郎っ!」
追いついた五木たちが、ナイフを振り上げたオッサンにタックル。その腕に、体にしがみつき、オッサンの攻撃を防御。
「きみっ! 大丈夫かっ!?」
続いて追いついたのは数名の警察官。五木、川成と変わって、オッサンを簡単に制圧。次いで、消防士と救急隊員も姿を見せる。
「新里っ、だ、大丈夫かっ!?」
ゼイゼイと、息を荒らしながら地面にへたり込んだ五木。
「あ~、間に合ってよかったぁ」
同じくベタンと座り込み、大きく息を吐き出す川成。
「ありがとな、お前ら」
「へへっ」
感謝を込めて二人に握りこぶしを伸ばす。ゴン、ゴンと二人のこぶしがぶつかる。ちょっと友情と青春味を感じる「こぶしの挨拶」。
きっと二人がいなかったら、俺、アイツにグッサリ刺されてた。
鋭いナイフの先。あのまま振り下ろされてたら、きっと前と同じように首を掻き切られて――って。あれ?
(「前」ってなんだ?)
俺、首を切られた経験が? 千寿姫って、首を切られて亡くなったのか? あんなふうに憎しみを込めて、首を?
「新里?」
そっと首に手を伸ばす。
俺の「前」ってなんなんだ?
「新里っ! おい、新里! しっかりしろよ!」
五木たちが呼ぶ声がする。けど。
グラッと揺れた俺の体。
限界を越えた体から、力と意識が失せていく。